70 サラマンダー④
「ぶるるっ……」
身体を揺らして水滴を飛ばしてくる人化したサラマンダーに、リドゥは目をすぼめながら「スゥーー……」と大きく息を吸って、長く息を吐いた。
……取り敢えず、服を着せよう。
己の上着を脱いでサラマンダーに手渡す。身体もまともに拭かさってないが、一人残してタオルを取りにはいけないし、不在中に知らない者が来たら混乱させる。確定で。
「……?」
しかし、サラマンダーは服をグルグル回すばかりで一向に着ようとしない。着方が分からないのだろうか?
「……あぁ、そっか」
そういえば、ここの住民も風導のレクチャーで初めて服の着方を覚えたんだった。目の前で呆然としている彼女は僕と同じくらいの年齢層だが、見た目が特に大人びているアウネさんすら手探りで着たそうだし、外見年齢は関係ないだろう。
「……」
なら、やっぱり身体の拭き方からレクチャーしよう。全身濡れたまま服を着るのが『普通』なのだと受け取られても困る。
「おいリドゥ。サラマンダーの状態どう……──、そいつもか」
そこへちょうど安否を尋ねに来たレッドが呆れた表情を作る。いい時に来てくれた。
「ナイスタイミングだ、レッド。タオル持ってきたいから、この子見ててくんない?」
「嫌だ」
「なんでよ」
「それなら俺が行く。連れてきた以上、おまえが面倒を見ろ」
そう言って、レッドはこちらの返事を待たずに部屋を後にする。どうやらまだ警戒しているらしい。
だが、それもそうだ。暴走の原因が取り除かれてからは元気に『二龍大戦跡地』を耕してるモッチャレワームと違い、現状意思疎通できてないサラマンダーの危険度は未だ未知数。いつ牙を向けてくるか分からない手前、レッドの態度が正しいのだろう。
可能なら穏便に済ませたいけどなぁ……と頭を掻いていたら、あっという間にレッドは複数枚のタオルを持って戻ってきた。
とりあえず持てるだけ持ってきたみたいだけどちょうどいい。タオルを受け取り、サラマンダーへ横流ししてから、自分も上裸になる。模倣させる為だ。
「それで僕の真似をしてください」
「…………ん」
彼女は言われるがまま、こちらに倣って身体の水滴を拭き取っていく。取り敢えず言葉は分かるようだった。
サラマンダーは見てくれこそ人だが、至るところに蜥蜴……基モンスターの名残があった。
巨大な尻尾にウェーブの掛かった角と長く伸びた赤いくせっ毛、赤い瞳に黒く染まっている眼球結膜、ざっと見た感じ四肢と胴体の側面、そして尻尾はウロコで覆われている。胸元と秘部の辺りにウロコが見られないのは何故だろう? 繁殖行為に邪魔だから?
まぁ、いいか。とにかく服を着せよう。こちらが服を着直してみせれば、彼女はあっさりと真似──、
「ん……?」
できるわけがなく、腕部分に頭を通そうとしてウゴウゴし始める。これがお約束というものか。
「ん……」
このまま眺めていようかと思っていたら、服からミチ……ミチ……と嫌な音が聞こえたので「違う違う。こっちこっち」と手を貸す。流石に服を駄目にされたら泣く。
「んっ」
「うわわっ」
僕はよろめき尻もちをつく。服に頭を通したサラマンダーがじっと目を合わせてきたかと思えば、徐ろに抱きついてきたのだ。
「すう……」
そして、少しぼんやりしてから、そのまま眠りについたとさ。
なんだこの大人幼女。これには傍で見守っていたレッドの呆れ顔もグレードアップだ。
「リドゥ……。おまえ何がしたいんだ?」
「ホントだよ。モッチャレ騒ぎの原因調査に行ってた筈だけどなぁ……? でも無理に起こしたくないしなぁ……」
「リドゥさまぁ。トカゲさんのご容態は如何で──あらあらまぁまぁ」
と、途方に暮れていたらアウネさんが顔を出してきて、こちらを見るなり頬笑みを浮かべる。
「その子も魔族になりましたか。しかも随分懐かれたようで」
「というより、とにかく枕が欲しかった感じですね。めっちゃ脱力してますよ」
「でしたら起きるまでに服着せちゃいましょう。下履きだってまだみたいですし、そんな抱きつかれ方ではまるでセ──、」
「レッドその口塞い──、」
「もうやってる」
「モガモゴ……!」
やっぱレッドは頼りになるね。その隙にサラマンダーの服を見繕わんと、二人の脇を抜けて螺旋階段へ躍り出る。
するとそこへ、炎に耐性のある魔族の女性が通りかかった。
「あらリドゥさま。その娘は?」
「死にかけてたところを治療してたら魔族化しちゃった。服選び手伝ってください」
「かしこまりました。にしても随分心を許されてるようで」
「そうかい? ただ抱き枕にされてる気しかしないけど」
「寝床とか寝具は使い心地が良くて初めて意味を成すものです。その娘の寝顔なんか凄く穏やかですよ」
「僕は寝具だったのか」
「少なくとも、その娘にとっては寝心地のいい寝具ですね」
──ところで、何者ですその娘?
──伝説のモンスター、サラマンダー。めっちゃ珍しいですよ。
──どれだけ珍しいんです?
──えーっとねぇ……──。
こんな変哲のないやり取りを聞きながら、サラマンダーは昔を夢に見る。
◇ ◇ ◇
この世界に生まれて最初に思ったのは『寒い』だった。
わたしの身体はとにかく冷たかった。
その所為で、毎日寒かった。
自力で火を起こしてもダメだった。直ぐに消えるか周りが燃えて暮らせなくなるか、たまに白いのが来て意地悪しようとしてくるかだった。
だったらと直接火に飛び込んでみたけど駄目だった。わたしの身体は火を弾いちゃうみたいで全然暖まれなかった。
わたしは安住の地を探した。とにかく暖まりたかった。
長いこと歩いて見つけた火山は心地良かった。火で暖まれない身体でも、火山の地下空洞はいつも暖かいから穏やかに暮らせた。
けど……いつからか火山は火を出さなくなっちゃって、冷えるようになっちゃった。
わたしは必死に考えた。また暖かくなるにはどうすればいいのかウンウン唸った。
そしてわたしは、わたしの炎で空洞を暖めることにした。そうすればまた穏やかに暮らせるようになると本気で信じてた。
でも……現実は甘くなかった。わたしが炎を出すのを止めたら、空洞は直ぐに冷えちゃった。
それが嫌だから食べ物を探す時間も惜しんで暖め続けた。もう寒い頃に戻りたくなかった。
当然お腹は空いた。でも寒い方が辛かった。
だからわたしは、炎を出しながら眠ることにした。そうすれば空腹も誤魔化せると思った。
それなのに……身体はますます冷えていく一方だった。
そんなときだった。誰かがわたしの炎の膜を壊して、わたしを抱きかかえた。誰かの中はすごく暖かかった。
その誰かはわたしの口に何か飲ませてきた。でも、どうやって飲めばいいのかさえ思い出せなかったから飲めなかった。
そしたら今度は温かい水に入れられた。すごいポカポカしてて、こんなに気持ちよくなれるものがあったのが嬉しくて、思わず潜っちゃった。
すると、わたしの身体は知らない身体になった。
水から上がると、目が合った角の生えた誰かはびっくりしながら、なんかフカフカしてる薄いヤツを渡してきた。それを身体に当てると温かい水を吸っちゃって、また寒くなった。
と思いながら、フカフカしてる薄いヤツよりも前に貰った、穴が四つあるヤツを頭から被ってみたら、寒いのがちょっとマシになった。
そんな新発見が嬉しくて、目の前の誰かに抱きついたら、誰かの身体はとても暖かくて、同時に胸の中のものも暖かくなって、安心しながらわたしはまた眠ったのだった。
だからわたしは祈る。
この温もりが、ずっと続きますように。
この温もりを、ずっと守れますように。
『白いの』は学者です