53 銀河墜星
ジユイはリドゥの耳を切り落とすと、麻布に包んで懐に忍ばせた。殺害してみせた証拠になるからだ。
僅かに残った大太刀の刀身に付いた血を払ってから、リドゥの目を閉ざし、賛辞を送る。
「見事だリドゥ・ランヴァー。今まで殺ってきた人の中でもかなり時間が掛かったぞ。武器を破壊されたのも初めてだ」
しかし当然ながらリドゥからの返事はない。多量出血のショックで完全に意識が飛んでいるようだった。
トドメを刺さずとも長くないのは火を見るより明らか。せめてもの敬意に埋めてやるとしよう。
どうせなら此処に埋葬しよう。一旦横に退けるべく、リドゥの死体に手を伸ばしたときだった。
「ッ!」
死角から飛んできたものを空気の揺れで感じ取り、振り返ることなく叩き落とす。それがトドメとなり、大太刀の刀身は完全に砕けてしまった。
叩き落としたのは……、
「石?」
飛んできた方角に振り返ると、茂みの向こうで誰かが走り去っていた。最大限に身をかがめている所為で男か女かの区別も付かない。
──ぼむっ。
「む?」
どうにか性別だけでも、と立ち上がろうとしたそのとき、何かが地面に落ちる音を聞く。
見てみると、ボール状になったケムリ草が、着火した状態で転がっていた。
──その瞬間、ケムリ草は大量の煙を巻き起こし、間髪入れずに二つの気配が近付いてきた。
奇襲──。
ジユイは咄嗟にリドゥがいる辺りを踏みつけて拘束に掛かるが、左足は空振り地面を踏んだ。否、というより死体が無い?
しかも、近付いてきた気配までもあっという間に遠ざかっていく。
その気配がする霧の向こうに目を凝らすと、小人を背負った猫耳? の二足生物がリドゥを抱えて走っていた。恐らくは記憶の中にあった風導と剛爪豹だ。
「逃がさん」
リドゥが拠点モンスターの中心たる以上、たとえ死体でも信奉の価値があり、報復を促すキッカケとなる。逃す訳にはいかないと、煙幕を抜け出したそのときだった。
「「「オォオォオーーーー!!!!」」」
剛爪豹への行手を遮るように大多数のモンスターが茂みから飛び出してきた。
全員リドゥの拠点の住民だ。既に騒ぎを嗅ぎつけていたか。
「主と剛爪豹が見つかった! 全員で止めろ!」
「リドゥの元へ行かせるな!」
「死なないように掛かれ!」
モンスターたちは口々に言いながら襲いかかってきた。
ジユイは咄嗟に背負っていた大太刀──の鞘を手に取って応戦する。モンスターといえど肉弾戦だけなら大したことはない。
「むっ……?」
そのとき、地面からイバラのツタが伸びてきたと思えば両腕を拘束してきた。
見回してみると、大群の壁の奥にこちらを狙い定める人影。花型モンスター・アルラウネが伸ばしているようだった。
「ブモォォォオオーーーー!!!!」
それに合わせて、モンスターでも一際大柄な、ロイストと呼ばれてる雷角牛が咆哮をあげて突進してくる。
だが、角に雷は纏われていない。まだ血行が高まっていない証拠だ。
纏ってなければどうってことはない。ジユイは棘が喰い込むのを厭わずツタを引き千切り、棒高跳びの要領であっさり飛び越えながら頭を殴りつけて「ぐオッ!」と地面に沈める。
「おぉおッ!!」
そこへノイズコンドルが金切り音と爪を立てて飛びかかってくるが、十分見切れる速度。しゃがみ回避しながら蹴り堕とすなり鞘を振り回して、左から迫ってきたレッドドッグを「ギャインっ!!」と殴りつける。
しかし如何せん殺傷力に欠けるから殴り飛ばすばかりで、依然として数を減らせてる気がしない。しかも皆が生存撤退を前提としているのかヒット&アウェイを徹底している分、これがまた厄介だ。
正直、埒が明かない。魔力消費量と被害規模を思うとあまり使いたくないが──、
「しょうがないか」
ジユイは右手を掲げ、天を指差す。
「『親愛ナル隣星──』」
そう言って、指先から放たれた一筋の魔力が雲の中に消えたと思えば──、
「『銀河墜星』」
隕石の如き巨大な魔力の塊が、大量に降り注いできたのだった。
これには野生に根付いた百戦錬磨のモンスターだって動揺を隠せない。
「冗談じゃねぇぞ……!!」
「撤退だ! 負傷者には手ェ貸せ!」
「リドゥも拠点に戻れたハズだ! 全員で帰るぞ!」
一目見るなり撤退を促してる間にも、擬似隕石は無慈悲に迫ってくる。
──そのときだった。
「フンコー!」
「! フンコロガシいつの間に! アレ出来たんか?!」
「ちょうどいい! 何もしねぇよかマシだ! 投げろ投げろ!」
「レッドドッグさま頼みます! 一発かましてください!!」
「ボゥッ!!」
モンスターは突如現れたフンコロガシの肥やし玉に火をつけて投げたかと思えば、常軌を逸する爆風を起こし、辺り一帯を包み込んだ。
その爆煙の中からジユイは飛び出して、リドゥの追跡を開始する。
あの爆発規模からして恐らくニトロ草を混ぜ込んでいる。魔力に焼かれるよりも爆風に吹き飛ばされた方がまだ生存率が高いと踏んだようだが、果たしてどうなることやら。
だが今はリドゥの行方と剛爪豹が走り去った方角を駆ける。馬鹿正直に真っ直ぐ帰っているとは思えないし、こちらを錯乱すべく滅茶苦茶に走ってったはずだ。
剛爪豹──即ちネコ科はその身軽さから足音も足跡も殆ど残さない。故に一度逃せば追跡は困難を極める。
だが、地面に目を凝らせば微かに足跡がついていた。ジユイにはその『微か』があれば十分だったがそのとき──。
「む?」
突然の強風が吹いてきたと思えば、地面の砂を巻き上げだした。
「いかん」
このままでは足跡が途切れてしまう。ジユイは追跡の速度を上げるが、程なくして足跡は砂埃を被って消えてしまった。
風導の力だ。重しを背負ってなんの真似かと思ったが、この為だったか。
なれば仕方がない。拠点へ逃げられるまでに始末したかったが、現地で待ち伏せるとしよう。
とはいえ……いくら記憶を読み取ったとはいえ、リドゥのように森を歩き慣れてるわけではない。無闇に動けば迷いそうだ。
──ここは無難に星を頼るとしよう。
「『親愛ナル隣星・通信衛星』」
ジユイは立ち止まって目を覆い隠し、星の視点から地上を見下ろした。
森に視点を合わせて拡大すれば、今いる場所から南西の岩場。そこにモンスターが出入りしているのが見える。
「…………そこか」
「そこじゃよ」
「む──、ッ……!」
突然の話し声に魔法を解除した次の瞬間、ジユイの左腕と長髪が斬り飛ばされ、回復液ポーチから嫌な音がした。
しかし血は噴き出さなかった。傷口が凍ってたからだ。代わりに血管内を何かが蝕む感覚がしたが。
振り返った視線の先には──、龍頭人体の青年がジユイの左腕を持って、木の上からこちらを見下ろしていた。
荒天龍ファランだ。リドゥの魔法に可能性を見出し、直々に鍛えた末に滅喰龍討伐の立役者にしてみせた張本人。出会うのは実に13年来か。
ファランは左腕を握り砕くと、木から飛び降りて、ジユイの前に立つ。
「久しぶりじゃのうお主。まさか人の身でありながら詠唱の可能性に気付くとは思わなんだ」
「……貴様のおかげさまでな」
ファランの無機質な感心に、ジユイもまた無機質に返した。
魔法は基本言葉に出さずとも発動するが、詠唱することで魔法内容が具体性を帯びて威力・効果が増す。しかしそれは魔法使用の簡略化が進むとともに伝承が途絶え、今やこれを知るのは龍・竜といった長命種くらいだ。実際ジユイもファランとの一戦で「やけに魔法名、口に出してるな?」から初めて可能性を見出したものだった。
「懐かしいのぅ。昔の根城で、儂に大勢の学者を殺されたから? と討伐・撃退依頼を受けて訪ねてきたんじゃったな。他所様の家に無断で入ってきおったから露払いをした迄なのに、言い掛かりをつけられてムカッ腹立ったもんじゃ」
「……そしたら戦闘中に滅喰龍が乱入してきて、依頼どころではなくなったがな。で、何の用だ?」
「分かりきったことを」
ファランはゼロ距離まで詰めてきて、こちらを見上げながら凄んでくる。
「お主、今日はもう帰れ。今の儂は調子は良いが猛烈に機嫌が悪い。本当なら13年前の腹いせに殺してしまいたいが、今は友人の安否確認が優先じゃ。そちらとて腕が大事──」
「リドゥ・ランヴァーか?」
「──!」
ファランの目が僅かに見開く。
ジユイはふぅ……と溜め息を吐く。
「だが、貴様の言う通り、腕を失うのは惜しいな。今の攻撃で回復液ポーチも駄目になったし、これ以上放置すれば回復に一龍週間どころではないだろう」
「そこは安心せい。回復まで一龍月で済むように回復阻害の魔法を仕込んどいたわ」
余計なことを……。と舌打ちする。先程の蝕まれる感覚はそれか。
『生物に宿る魔法はひとつまで(例外除く)』──。その理論上信じるに値しないが、長命種で上位存在たる龍の言葉だから、片手間に新魔法を会得していても不思議じゃあない。
となれば、事態は一刻を争う。これ以上の追撃は見込めない。
ジユイは「はぁ〜〜……」と大きく溜め息を吐いた。
「……一龍月後、また来る」
「二度と来ん──」
「『親愛ナル隣星・流レ星』」
ジユイはファランが言い切るのを待たずに詠唱して、空の彼方へ飛び去った。
「……帰ろ」
ファランは頭を搔いて、友人が運ばれたであろう拠点を目指す。大丈夫かなあやつ……?