47 一龍年間
マナの死亡数分前、森の入口にて──。
「はぁッ……!!」
馬車の中にあった樽が激しく揺れたかと思うと、中から顔面蒼白のグレムが飛び出してきた。
「ぅぶッ……! ぇえ……ッ!!」
大慌てで馬車から顔を出し、地面に胃の中の物を全て吐き出す。死にかけた恐怖心と安堵感が不快な化学反応を起こして一気に押し寄せてきたのだ。
馬車に残しておいた『分身』への『主導権限』差し替えが間に合わなかったら確実に死んでいた! 万が一に備えて『分身』を隠していたが、本当に使う日が来るなんて……! 発動できる範囲内で助かった!
しかし、あの力はなんだ?! 奴の魔法は『採掘』であって攻撃魔法では決してなかった! 仮に攻撃魔法に転用できたとて、一体どうしてあれ程強力な魔法に……?!
「クソ……ッ!!」
全身から変な汗が止まらない。一瞬の気の迷いではない、明らかに一線を越えることも辞さない動きだった。ドラゴンとかならまだしも、初めての敗北がよりによってアイツだなんて……!
しかも、マナはマナで長時間蹲ると、かなり深手だった様子。あの蹴りで臓器を負傷したとするならば撤退は困難。生存の可能性は限りなく低い。
──どう考えても、完全敗北だった。
「おのれリドゥ……! これは高く付きますよ!!」
グレムは血が出る程拳を握りしめて復讐を決意する。出来損ないがエリートたる自分に反旗を翻すなどあってはならない。出来損ないは出来損ないらしく悔し涙を流して頭を垂れていればいいのだ!
そのためには準備が必要だ。リドゥの蛮行を伝えるべくラネリアへ逸早く帰還し、ギルドの暗殺組織『夜』の出陣を呼びかける! 犯罪者の処罰訓練を受けた彼らが束になってかかればリドゥなど遅るるに足らず!
そうと決まれば! と馬に乗り、ラネリア方面へ反転させた、そのときだった。
「ん?」
遠方から馬を走らせてくる者がいた。
この『見限られた森』は街道から大きく外れた場所にあるので、道を間違えたなんてことは有り得ない。となれば森へ用があるギルド冒険者だ。
その人物の顔が見えてきた。
「おぉ、貴女でしたか!」
グレムは両手を広げて歓迎する。誰かと思えば同期生最強と名高い彼女だった。
「あぁグレム。間に合ってよかった」
「おや、その口ぶり……もしや貴女も龍の調査に来たのですか?」
「いいや。今日は別件。こっちに会いたいヤツがいるの」
「会いたい奴?」
そんなの決まっている。この森に居るのは一人しかいない。どこで聞きつけたかは知らないが、ならば好都合!
「──リドゥですか?」
「っ……」
彼女の瞼がピクリと持ち上がる。ビンゴだ……!
交渉するなら今!
「でしたら話は早い。私と手を組みませんか?」
「……どうして?」
「リドゥが殺人を犯しました」
「ッ……」
彼女は更に苦い顔をした。ここで畳み掛ける!
「殺人を犯すなんて言語道断! 貴女は奴を気にかけてたようですが、人を殺めた以上はその必要は皆無! 人を人と思わぬ外道に制裁を与えようではないですか!」
「……あぁ、確かに外道には制裁が必要ね。そいつが此処に居るんだから態々ギルドに事前報告する必要もない」
「おぉ、おぉ、でしょうとも……! それでは早速捕らえに行きましょう。今ならまだ離れていない筈なので案内──」
「いや、その必要はない」
そう言って彼女は馬から下りると、こちらに近付いてくる。
「? 何故です」
「会いたかったのはお前だからだよ、グレム」
「は? ッ……!?」
問わんとしたその瞬間、鳩尾に痛烈な貫手をお見舞いされ、呼吸が一瞬停止する。
「ごぁッ……!?」
直後、今度は下腹部を鋭い痛みが襲う。瞬時に取り出された彼女のレイピアに貫かれたのだ。
「がフッ……!!」
そのまま突き飛ばされて、グレムは尻もちをついた。一体何のつもりだ?!
咄嗟に反撃の魔力を練る。いくら武器を失ってても、分身しての数人がかりなら女くらいわけない筈だ。
「ん……?!」
しかし、いくら待っても魔力は練れなかった。と言うより──無くなってる?
「丹田を突いた。これで当分魔力は練れないよ」
「な、なんですって!? あ、貴女、自分がナニをしているのか分かっておいでですか……?!」
「分かってるさ」
彼女は距離を詰めてくると、逃げられないように足を乗せながら説明を始める。
「グレム・スウィン。お前には暗殺命令が下っている」
「は?」
突然の殺処分宣言に思考が追いつかない。エリートの自分が何故……?
「前から黒い噂があったお前は学者を兼業していたわね。数龍月前、その学者の一人から、発表手前まで漕ぎ着けた十年がかりの研究成果をお前に奪われ、我が物顔で発表されたと報告があった」
「な!? 何を根拠に……──?」
「天井」
「天井?」
「被害者の研究室の天井裏から、魔法の残穢が微かに見つかったの。それを新入りの魔法で『巻き戻し』たら、お前の分身が現れた。分身なら勝手に消えるし、本体は人通りで目撃されとけば、部屋に入ってないってアリバイも作れるもんね」
「なっ……!」
全てが的を射ている推理に言葉を失う。まさか証拠を暴ける魔法所有者がいるだなんて!
だがここで一つ疑問が生じる。彼女は何故調査に携わったのだ?
……まさか!?
「お察しの通り。私は『夜』の一員。一年前にスカウトの声が掛かった」
「そ、そんなことがあがグッ……!」
言うと同時に両肩を突き刺された。何かが断絶された感覚を抱くとともに両腕に力が入らなくなる。
「ラッキーだったよ。クソみたいな同期に囲まれた私の、唯一の安らぎだったリドゥと会わなくなって沈んでたところにスカウトだ。乗っかるしかないと思ったよ。リドゥを陥れまくったお前ら屑どもを、堂々殺せるんだからさ」
「そ、そんな自分本位、許されるとでも……──!」
「許されないよ。確実な証拠を掴むまでは。そのために一龍年間忍んできたんだ」
言って彼女は、こちらの心臓にレイピアを突き立てた。
「あの世でまた刺されな」
その言葉を最後に──、グレムは意識を手放した。
◇ ◇ ◇
「はぁ……」
レイピアを引き抜き、空を仰ぐ。
やっと一人。
懐から『夜』に支給される送信専用水晶を取り出し、報告を入れる。
「こちらレリア・ヴァイター。グレム・スウィンの殺処分完了。死体隠蔽処理が済み次第、連れのブラックリスト捜索に移行する」