13 VS刃牙獣
そして二日後の晴天下、作戦決行日──。
準備を整えたリドゥは風導を肩に乗せ、刃牙獣の洞窟前に赴いていた。
こっそり洞窟入口まで近付き、そっと耳を澄ます。
「……zzz」
刃牙獣の落ち着いたいびきが鼓膜に響く。イレギュラーに備えてここしばらく嗅ぎ回り、例に漏れず夜行性なのは把握していた(風導が昼間に襲われたのは傷を治す栄養を逸早く欲してと思われる)。
「……」
風導に合図を出して風を起こしてもらう。少しすれば、肌が少しひんやりして気持ちいい程度のその風が吹き、洞窟内に漂っていく。
もう一度耳を澄ましてみる。
「……zzzzz」
刃牙獣の寝息は相変わらずだった。
第一関門『そよ風で目覚めない』クリア。刃牙獣は起きなかった。
確認した僕はフンコロガシに作ってもらった大量の肥やし玉を風下に置く。包んだものの鮮度を保つ『フレッシュ草』に包んでおいたから臭気は新鮮だ。
あまりの生臭さにリドゥと風導は鼻を鳴らしかけるもどうにか堪え、その場を離れて暫し草陰に潜んでいると──、
「ゴグァァアアア!!?!?」
異臭に我慢ならなかった刃牙獣が、外に飛び出してきた。
どれだけの返り血を浴びてきたのかと思えてくる深紅色の体躯に、多くの生物を踏み潰してきたであろう筋肉。何より陽下に照らされる刃牙獣の口に並ぶ牙はその名に相応しい輝きで、そしておどろおどろしかった。
第二関門『洞窟から出す』も突破。次は──、
「そぉい!」
僕は取っておいた肥やし玉の包みを緩め、刃牙獣に投げつけた!
べちゃっ。
肥やし玉は刃牙獣の鼻頭に見事命中。刃牙獣は「ブッフォオ……!?」と鼻から吹き出し、大慌てで鼻頭を地面に擦り剥がした。
刃牙獣とゆっくり目が合う。
「……ケケ〜」
「ゴルァァアアアーーーーーー!!!!!!」
「レッツゴー!!」
風導の煽りと刃牙獣の咆哮を合図に、リドゥは森の中へ駆け出した。
第三関門『ヘイト買って追いかけさせる』通過! これより第四関門『捕まりゃ即死の鬼ごっこ』突入!
肩の風導を振り落とさぬよう細心の注意を払いながら、後ろは極力振り返らず一心不乱に腕を振る。とにかく全速力だ。
とは言え、人間とモンスターの速度差なんてたかが知れている。時間を稼げるようにと木々の間隔が狭い場所を選んで走っているが当然ながら──、
「ゴルルルル!!」
自慢の刃牙で木々を切り裂きながら、今にも距離を縮めてきそうな勢いで迫ってきていた。
だが、そんなん織り込み済みだった。
「風導!」
「モケ!」
風導が僕の背負い籠を開けて、中身を地面にバラ撒いた。
「グラッ!? グルッ?! グレッ!?」
後続から痛がる声がする。上手いこと踏んでくれたようで距離が空く。
風導に撒かせたのはマキビシ。その場でマキビシを体内生成して「プッ!」と吐き出す能力を持つイガマキに協力してもらい、風導たちと急ピッチで仕立てた底が開く仕様の背負い籠いっぱいに詰めてきたのだ。
そこへ更に!
──ずるんっ。
リドゥが飛び越えた草むらに事前設置しておいた肥やし玉に、刃牙獣は足を滑らせてすっ転んだとさ。
「モ〜ケ、モ〜ケ」
僕の肩で風導は小躍りする。刃牙獣を盛大に馬鹿にしている。自然の摂理とて仲間の多くを惨殺されたことを思えばこれくらいの煽りは可愛いものだ。
「やーい、やーい」
僕も適当に煽りながら、しかし決して立ち止まらない。こちらの戦闘力を考えれば一撃で首を飛ばされかねないからだ。人間の輪切りなんざ真っ平御免だ。
「ゴガァァアアア!!!!!!」
刃牙獣の怒りが最高潮に達したのを背中越しに感じ取る。ここまで怒ったならこちら以外見えてないと踏んで、第五関門『ブチ切れさせて視野を狭める』は達成とする。
ここまでは順調! 後は──、
「モケッ!?」
「!! どうした?!」
と、残りの行程を確認しようとした矢先、風導が何か異変に気付く。
「モケッ!」
風導がツタで示した先を見やると──、
「ちーん……」
事前に仕掛けておいた落とし穴に、イシノシが嵌って絶命しているではないか!
「また引っかかりやがったあのスカタン!」
思わず普段は思いもしない罵倒を飛ばす。折角の攻撃手段が一つ消えてしまったではないか! 準備期間中にも風導たちと用意した罠をお釈迦にされたばかりだと言うに! 隠し蓋だって資源無限じゃなんだぞ!?
「ルート変える!」
急遽進路変更し、本陣目指して迂回する。頭に血が上っていると言えど、ここで罠を見られたら怪しまれる!
しかし、このやむを得ない選択が仇となる。罠を避けたばかりに稼げる筈だった距離が詰まってきたのだ。
「ゴガァァアアア!!!!」
懸命に手足を動かせど、距離は次第に迫ってきている。そうと思えば遂には刃牙獣の吐息が後ろ髪を撫でる位置にまで達した。
死──。
その一文字が、僕の脳裏に浮かんだ。
瞬間、僕は途端に恐ろしくなった。
どうして今更死を恐れる?! 死んだらそれまでと初日に割り切ったじゃないか!
……いや、違う。
本当に怖いのは死ぬことじゃない。風導たちの『期待に応えられずに死ぬ』ことだ!
だって、戦闘で信頼してもらえた試しがなかったんだ! そりゃあ頼られたら役目を全うしてみせたいじゃないか!
「ゴルルルル……!」
それでも、刃牙獣は無慈悲に距離を縮めてくる。
ならば、せめて風導を本陣に投げ込める位置まで──!
「ぁぁあああ!!!!」
僕は叫んで己を鼓舞して、最後の力を振り絞った!
「イガー!」
「フンコー!」
──瞬間、気が抜ける鳴き声と共に、頭上を何かが飛び越えた。
本陣で待機している筈の、イガマキとフンコロガシだった。
「イガマキフンコロガシ!?」
「イガー!」
「グゴッ!」
イガマキは口から大量のマキビシを発射し、それを顔面に喰らった刃牙獣は一瞬怯む。そこにフンコロガシは宙で体を翻したと思えば──、
「フンコー!」
「グゲェエ!?」
背中で日光を反射させて、刃牙獣の目を眩ませ停止させた!
「イガー……」
「フンコー」
──がしっ。
──ぶーん……。
フンコロガシは痩せ細ったイガマキを空中で掴むと、そのまま飛び去ってったとさ。
「イガマキフンコロガシィィィイイーーーー!!!!!!」
ありがとうイガマキフンコロガシ! マキビシ生成はカロリー使うんだな飛ぶ姿初めて見たよ! おかげで縮められてた距離を離せた!
「グァウ!」
眩みが治まった刃牙獣が再び追いかけてくる。だが、その時にはもう巨木が二本立ち並ぶ本陣で、既に『巻き込まれない距離を取れていた』。
「風導組!」
「「「「「モケッ!!」」」」」
僕の合図に従い、木の上で待機していた風導たちは一斉にお手製石ナイフを振り下ろし、
──幾重にも編み込んだツタで吊るしていた鋭利な丸太を、刃牙獣に直撃させた!
「ゴゥグ!?」
刃牙獣がごぷっ──と血を吐く。しかし丸太は微妙に先端がズレていたのか突き刺さらずに刃牙獣を下敷きにしただけだった。
──が、そこに打ち合わせ通り飛び出してきたレッドドッグが、咥えた石棒を刃牙獣の右目に突き刺した!
「ゴャオン!!」
刃牙獣から歪な悲鳴が上がる。だがそれでも動こうとするので──、
「ブゥゥウウ!!」
レッドドッグは突き刺した石棒改めて火吹き棒に文字通り火を吹き込み、刃牙獣の頭部内を直接発火した!
「ゴガァァアアア!!!!!」
大気を震わす断末魔が森中に響き渡る。流石の刃牙獣もこれには白目を剥いている。効果は絶大だ!
「グがァ!」
──にも拘わらず、刃牙獣は直ぐに瞳孔を元の位置に戻すと立ち上がって丸太を払い除けた。まだ動けんの?!
「ぶっふぉ!!」
その勢いのまま刃牙獣は反応の遅れたレッドドッグを僕にぶつけてきた。
「ごほっ……!」
レッドドッグの鼻頭が運悪く鳩尾にめり込み一瞬呼吸が止まる。
「ゴルァァアアアーーーーーー!!!!!!」
刃牙獣はこの一瞬の隙を見逃さず、もたつく僕たちに飛びかかってきた!
──ずぼっ。
──が、念の為にと事前に仕掛けておいた落とし穴に刃牙獣は頭からまんまと引っかかると、ブスブスと底に仕掛けた刺突音を響かせましたとさ。
しばらく静寂が鳴り響く。
「ゴルァァアアアーーーーーー!!!!!!」
──も、刃牙獣は顔中に穴を開けて這い上がってくると、再び飛びかかってきた!
──ずぼっ。
──んだけど、万が一に備えて用意していた二個目の落とし穴にまた頭から落っこちて、再度刺突音を響かせましたとさ。
「…………ちーん」
刃牙獣は少し痙攣した末に、今度こそ動かなくなった。
リドゥたちの歓声が、辺り一帯を包んだ。
この日が、リドゥのモンスター初討伐日である。