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初恋の人形少女  作者: malka
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第3話 “運命の人形少女とのご対面……?”

 “その節は心配をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした。よくある事なんです、写真をアップしているのだって自己顕示欲だ、お前の顔と一緒に写すな、人形が汚れる。学生のくせに、親のお金で好き勝手しているだけだろう。そんな心無い言葉を、文字を、浴びせられることも以前から多くて。そのたびに落ち込んで。そんな中でも今回はかなり重くて、ふさぎ込んでしまいましたが、もう大丈夫です! へこたれていたらうちの子達に愛想をつかされちゃいますから!”


 そんなメッセージが4月に届き、それからまるでこれまでの時間を取り返すように、彼女のTwikkerには精力的に魅力的な写真がアップされるようになった。女の子ドールの写真の比率が圧倒的多数を占めているのはやはりどこか、心の奥底に引っかかるものが捨てきれていないからなのだろう。



 そうして、今現在。



 春も終わり、初夏。もうしばらくすると梅雨の季節に入ろうかという頃。


 事件の後も彼女とはかなり密なやり取りが続きました。

 平素であれば個人的な人間関係、ましてや異性ともなれば長年の間に培われた女性不審、人間不信が拒絶反応を示し、なんとしてでも逃げ出すところ。

 ところが何故でしょう。彼女からは、そう、不思議と私の初恋の人形少女。あの歌姫のような雰囲気を感じてやまないのです。どこか人を寄せ付けず拒絶するかのような、孤高さ。それでいて、するりと、頑なな私の心の隙間に入りこむ軽やかさ。

 そんな彼女に頼られ、大学受験の相談を受けるようになると、徐々に頑なな心がほぐれていくのです。

 ひとたび語り合うようになると感じる、どこまでも相手を思いやる心優しさ。辛い過去をそっと吹き飛ばす春のそよ風のように、ゆっくりと時間をかけて解きほぐされる、心の結び目。

 無事第1志望であり、私の母校でもあった東京の国立大学に入学を果たした彼女。もう大分記憶は薄れているものの、学部の課題のお手伝いを乞われ、ますます2人の距離は縮まっていきました。かつてこれほどまでに、誰かに心を許したことがあったでしょうか。


 未だに詳しくお聞きすることはできていませんが、彼女自身、他の方へはかたくなな態度を崩さない様子。どうにも家庭環境に複雑な何かを抱え、しかし、相談できる相手も無く、苦しい心の内を打ち明ける相手欲しい。私との逢瀬を重ねるのも、その辛い何かから目を背けたい一心であるように感じられ、むげに断ることもできず。

 年の差を考えればあまり立ち入るのも憚られる(はばかられる)と自覚しながらも、心地よいぬるま湯のような関係が続いてしまっています。



 一方で私自身、ドールへ寄せる憧れはそのままに、しかし打ち砕かれた歌姫への初恋は行き場を見失い。

 時に怜奈さんに、新しいドールの子で私が気になるかもしれない子がいるのでどうかと誘われ、ドールショップへ足を運ぶ日々。しかし、結局ドールを購入するに至ることはなく、3年が経っていました。

 こうしたやり取りもあり、ドールショップのある秋葉原や原宿で会う、といったやり取りもあります。

 歌姫の人形少女を迎えるべく用意していた、メーカー製の量産の洋服とドールスタンド。しまい時を見失い、今も部屋の片隅、床の上に置かれたまま。ふとした時に眺め、ほこりをはらっています。


 代理購入にまつわる事件の影もようやく鳴りを潜め。なお、松戸さんならびに怜奈さんの大学の先輩という方は、結局その後、完全に音信不通になるに至りました。

 彼女はすっかり元気を取り戻し、ドールの子達はさらに増え。お写真で拝見するのは一部にすぎず、すでに30人を超える大所帯との事。


 そして今日もまた、怜奈さんにお誘いいただき、秋葉原へ来ています。ここ1年ほどは週末に1度はこうした機会が設けられているのです。

「ちょうど、ナオさんが興味を持ち始めた頃に出始めたドールのラインアップ。あ、ほらこのタイプですこのタイプ」

 すっかり打ち解け、口調からも固さが取れた彼女が指さすスマートフォンの画面。

 映っているのはアニメチックなスタイルを重視した、ドールでした。


 1口に三分の一ドールと言っても、様々なメーカー、種類がある。その素材や、関節の構造も微妙に工夫が凝らされており違う。これも彼女に大分教わりました。

 私の初恋の歌姫は、硬質な素材で作られ、内部に通されたゴムでポーズを保持するタイプ。”メイク”、顔を中心としたドールヘッドに施される塗装、もリアルな人間に近いメイクアップを意識したスタイルになっています。細く連なったまつげや眉毛を一本一本丁寧に描き出し、頬紅や顔の陰影もまるでファンデーションのように施す。

 一方、いま彼女が見せてくれたのは、比較的近年同じメーカーが開発した、よりアニメやゲームのキャラクターを意識したドールのラインアップ。まつげや眉毛は、そういったイラスでよく見かける一本の線で描かれ、まつげも眼窩を縁取るような太い線で強調される。キャラクターの再現コラボレーション等が主力に見える子達。嫁キャラクターがドール化されたならば、彼女に自由なポージングと、服装の選択ができる事に狂喜乱舞して購入したい。ただし、フィギュアと違い、大きさが難点となる場合がある。そういったラインアップです。


「アニメやゲームのキャラクタードールが多いラインアップですよね?」

「うんうん。そうなのだけれど、最近ヘッドだけで販売してくれるようになって、カスタマーさんがこっちに手を出すようになっているんですよ!」

 と言って開いてくれたのはいくつかのTwikkerアカウントや、オークションページだった。


「お。おぉぉ、可愛い! これは元と大分違いますね」

 思わず感嘆の声が漏れてしまう程、同じ原型とは思えない、活き活きとした表情。独創的なキャラクター性。

 衣装や写真もまた素晴らしく、一層愛らしさを引き立てているではありませんか。

「でしょう? ここ最近は削りとか、パテ盛り、ソフビ盛りの技術も上がって、もうやばいんです!」

 一緒の画面をのぞき込んでいたため、彼女の黒い艶やかな髪が手に、さわさわと。

 夢中になると距離が非常に近くなる、彼女の癖なのでしょう。密かに距離をとりなおすのですが、画面をそっと寄せて、すぐにまた詰められてしまうのです。 芳しい香りが鼻腔をくすぐり、少し困っています。


「値段も、やばいんですけどね~……」

「なに、私も40間近の独身貴族、ご心配には及びませんよ」

 異動先のクラウドサービスを販売する営業形態も早8年。これでもトップセールスの仲間入りをしているのです。ちょっとやそっとの価格なら

「ですよね~、さすがナオさん!」

 そうして見せてくれた高額落札履歴の画面に映る数字と言えば

 30万、40万は当たり前。60万、果ては100万を超えるものも。

「あ、あはは、まあ、そうですね」

 冷や汗を隠すのに必死でした。いえ、もちろん出せない金額というわけではありません。見栄では……ありませんよ?

 しかし、初めての”購入”いえ、”お迎え”するドール。公式の限定ドールが8万~15万円と考えますと、いくら素敵とは言え、この金額は決心がいります。

 実物を見ることができないWebでの取引ではなおさら……。


「いくつかお勧めの子をお送りするので、よかったら見てくださいね♪ 最近は、ナオさんの好みも大分わかるようになっちゃいましたから! 怜奈にお任せ♪ です!」

 隣から顔を覗き込み、小さく控えめな、可愛らしいピースサインを見せてくださる怜奈さん。

「あはは、どうかお手柔らかに」

「ふっふっふ~。いつも勉強みてもらったりお世話になっていますからね、恩返しのチャンス到来です!」



 それから私のオークション戦争がはじまりました。

 怜奈さんが送ってくださるカスタムヘッドの情報は、どれも確かに私の好みにぴたりと一致しており、いつの間にこんなにも把握してくださったのだろうと、首をかしげるばかりでした。


 深層のご令嬢といった様相の黒目黒髪の美しいロングヘアの女性。オークションの紹介写真は、怜奈さんが良くお召しになるようなブラウスに、フェミニンな可愛らしいコートの装い。”この子は特に絶対、絶対おすすめですからね!?”と念入りに推薦されたのですが、あらかじめ決めていた予算50万円を超過し断念。”予算1万オーバーで諦めちゃうって、ナオさん、本当ナオさん、もう!!”と、大層ご立腹の様子でした。

 ”合わせ”と呼ばれる、他のドールオーナーとそれぞれのドールを連れて、自分の子達だけではできない撮影をする期待があったのでしょうか、悪いことをしてしまったかもしれません。しかし、画面の向こうには、この子との真剣な出会いを求めている別のオーナーさんがいると思うと、やはり予算以上にまで攻め込む決心が。


 少し変わったところでは、付け耳パーツなるものまで自作されたエルフの姫君。大層美しいふんわりとした水色の髪。切れ長な瞳は優し気にほんのりと垂れ、清楚な口元は綻ぶような笑みをたたえる。この頃にはファンタジー作品や、PCゲームなどにも多少造詣を深めていたこともあり、大層心うたれました。予算80万円で臨むも、轟沈。御落札価格120万円でした。

 その後も連戦するもこの子と思う子は常に上をいかれ、轟沈。


「ナオさん、実はお迎えする気ないでしょ? ぶぅぶぅ」

 美しい黒髪をくるくると指でもてあそびつつ

「あの子とか絶対、絶対おすすめっていたのに」

 “……わざわざ、コーデだってお願いして、オークション写真にしてもらったのに、な~んでひいちゃうかな~。やっぱり魅力がない? でも、好みドストライクなのは間違いないのよね。年齢? それはどうしようもないし”

 小声で何事か呟かれていますが、きっと聞いてはいけない事なのでしょう。意識を逸らし、聞きません。

 この年にもなって乙女の秘密を探ろうなどとはとてもとても。困りごとであれば、きっと相談してくれるでしょう。その時こそ、支えて差し上げればよいのです。


「せっかくおすすめを教えていただいているのに、不甲斐なく本当に申し訳ないです。最近は相場観も養われたと思うのですが、私の読みが甘いのか、どうも最後のあと一歩いつも届かず」

「ん~そこはほら、どうしてもこの子お迎えしなきゃ! ってなると、予算超えても頑張ったり、来月はもやし生活だ! とか、ひどいのになると、後からリボしてる人もいるらしいですよ」

「リボとローンはいけません、借金ですからね」

「いやまあ、そうなんですけどね。ほら、それだといつまでも運命の子と巡り合えませんよ!?」

「運命の子……そう、ですね」

 やはり脳裏によぎるのは、思い出深い初恋の歌姫だった。

 運命。

 ただの買い物ではないという意識が芽生えてからというもの、どうしても入札の最後の段階で、この言葉が脳裏に引っかかってしまうのです。

「歌姫ちゃんですか?」

「え、ええ。まあ、恥ずかしながら。もう彼女をお迎えしたい、という気持ちはないのです。ですが、あの日、あの時、初めて見、心惹かれた感動は忘れがたく」

 うんうん、としきりに頷いで見せる怜奈さん。白魚のようにほっそりとした指を組み合わせ、祈りを捧げるように、

「初めての想い、初めての子、特別ですよね~、わかります! もうすっかり黄変しちゃって、表には出してあげていないんですけど、私も大事な大事な、初めての天使ちゃんがいます! 四分の一スケール、40㎝の子なんですけどね~」

 リアル寄りのドールラインアップでは、”黄変”といって、素材が経年により変色する場合があるそうだ。初期は表面を削り取る等で対処可能だが、メイク(塗装)は全てやり直さなければならず、印象が変わってしまう場合がある。また、10年もたつと、内部まで侵食が及び、対処が難しくなる事もあるのだとか。それもまた、共に歩んだ道のりと愛おしいそうだが、Twikkerで写真を上げることは、厭われる場合もあるらしい。

 そして40㎝の子、これは身長60cmの歌姫、同じラインアップの中で、子供らしさを強調したドールたちの事だろう。


「んもう、じゃあ今日はこの子です! 少しいつもと趣向は違って、清楚系じゃなくて、淫靡系が入っていますけど。ちょっと枯れてる疑惑のあるナオさんは、こういう子に、はぁはあするくらいがいいんじゃないかって、私思うようになったんです!」

「あの、怜奈さん、嬉しいですが流石にお外ですので」

 場所はいつもの喫茶店。土曜日の昼下がり。まばらになったとはいえ、まだまだ人も多い店内。

 白髪を数本見つけ、いよいよ始まったかと気になる私としては、可憐な乙女が身を乗り出し、淫靡などと大声を上げ、あまつさえ吐息を荒げ、紅潮する姿は周りの視線が……。

「う、秋葉原だとむしろそっちの視線で見られますか、そうですか、怜奈うかつでした」

「そっちの視線?」

「な、何でもありません!」

 視線を追えば、何やらひそひそとこちらを明らかに意識してお話しされている女性グループの姿が。

 なんでしょう、年の差、オジ、よく聞き取れませんね。

 よもやニュースで問題となっている援助交際等疑われていますか?

 私のせいで彼女に恥をかかせるのはよろしくありません。

「怜奈さん、本当にありがとうございます。確かに、こちら大変魅力的ですね。終了は? 水曜日ですか。ええ、ぜひ挑戦してみます」

 胸に手を当て、少しわざとらしい程度に、恭しく礼をする。今どき、このような仕草などさぞ物笑いの種であろう。視線が彼女から外れ、道化である私に向いたことを感じ安堵する。

 ほんのり赤らめた頬で続ける怜奈さん。

 やはり周囲の視線が恥ずかしかったようだ、あのままにせず良かった。

「い、いいですか。終了間際、取られていたら、画像の。これ、この3枚目の画像を見て、妄想を膨らませるんです! そして、”俺はこの子とイイ事とするんだ~!”って念じて入札ボタンです。金額視をみちゃだめですよ? とにかくプッシュです。」

「はい、心得ました」

「よろしい!吉報を待っていますからね」


 ふと画像を見れば、おっと、これは公共の場ではいけませんね……。

 ボディパーツを大変けしからん大きな胸部のものに変えられた、サキュバスをイメージした女性。大層魅惑的な女性の武器を押し上げる、挑発する仕草で映る写真がそこにはありました。




 そうしてその夜のオークションの末、今現在、この時。

 事前の想定とは異なりましたが、私の理想となってくれるかもしれない、長年の夢の果てについにドールの子”お迎え”が叶ったのです。


 “おめでとうございます! ついにお迎えですね! でも、え、女子高生風? え、え、ギャル? ナオさん、どうしちゃったんですか……?”

 推薦いただいたお目当てのカスタムドールは敗北を喫した旨。代わりに、運命を感じた子をついにお迎えしたことをTwikkerのダイレクトメッセージで報告。怜奈さんからのお返事はすぐにいただけました。むしろ、負けた直後に連絡がないので大層心配させてしまった様子。

 メッセージではらちが明かないと感じられたのか、ついにお電話がかかってきてしまいました。


「てっきり負けて泣いているのかなって、それはそれで可愛いなって、ちょっともうそ……想像してたのに。え、本当何がどうしてこうなったんですか。説明求む! です。 ひょっとして実は、若い子が良かっただけとか……? だとすると私かなりショックなんですけど、私が髪染めたらいいんですか!?」

「いえいえ、決してそのような事は。ギャル風に引かれたわけではないのですよ。それと、美しい黒髪を染めるなんてとんでもない。怜奈さんは、今の在るがままの貴女がお美しいのです。カスタマーさんのホームページ、ウィッグの無いヘッドだけの写真をご覧ください」

 わざわざ見に行ってくれているのだろう、本当に良い子です。しばし無言が続いた後、

「ほんとだ、すごく、いろいろ化けそう!」

「そうでしょう? カスタマーさんのご意図に反するようで申し訳ないのですが、どうしてもこの子を自分好みに育てる、それこそ運命に感じまして」

「なるほど、ナオさんやっぱり見る目が肥えましたね」

 “好みに育てる、なるほど、じゃあ私もやっぱりまだワンチャン”

「怜奈さんのご指導の賜物ですよ」

「ふふ、お師匠さんですね!」

「ええ、怜奈師匠」

「ふぇ!?」

 素っ頓狂な音と共に、ドゴン、とすごい音が。まさかどこかに頭をぶつけたのでしょうか。

「怜奈さん!? 大丈夫ですか? お怪我など」

「あ、あ、大丈夫です大丈夫。ちょっとスマホ落としちゃって。ごめんなさい、すっごい音しましたよね」

「いえいえ、こちらは平気ですよ。それで、どうでしょう、やはり勝手にコンセプトを変えてしまうとカスタマーさんに失礼に当たりますでしょうか」

「ん~たぶん大丈夫、じゃないかな? 気にする方が絶対にいないとは言いませんけれど、それよりも、いかにその子を大切にしてくれるか、の方が大事じゃないかな。少なくとも私はそうですね。がちがちに、こう!って決めつけちゃうより、自由に、そして何より送り出した子が成長する姿が見られたら最高じゃないですか!」

「そう言っていただけると、有難いですで。うん、怜奈さんとこうしてお話しできて、救われました。いつもありがとうございます、怜奈師匠?」

 少しいたずら心を込めて呼んでみました。私も、初めてのお迎えを前に心が高ぶっていたのでしょう。

 ああ、今でも鮮明に思い出せます。ショーケースの中にいた彼女。あの時からはや3年。ついに思いが結実するのです。

「でも、これから準備が大変ですね、ウィッグとか、探さないと」

「そうですね。まずは秋葉原へ。その上でネットをいろいろ探してみたいと思います」

「あ、秋葉原行くなら私、お付き合いしますよ!」

「2週連続になってしまいますが、大丈夫ですか? こうも頻繁にこのようなおじさんにつきあわせては、さすがに申し訳が」

「もう! 私がいいって言ってるんです! ナオさんは遠慮しないでください」

 “むしろそろそろ、俺についてこい! くらい言ってくれても……でも、そういう人だからドール趣味を一緒に安心して……”

「ごめんなさい、電波が少々悪くなったようで」

「な、何でもありません! えっと、たぶん金曜日には届くと思いますけれど、安全を見て日曜日の11時に、電気街口集合で!」

「はい。では夜分遅くに、本当にありがとうございました。良い夢を」

「うん、おやすみなさい! 楽しみすぎて眠れないとかダメですからね~♪」

 怜奈さんの通話が切れるのを待ち、スマートフォンの通話切断を確認する。


 初めてのお迎え、いよいよ私が。

 オークションの取引画面を何度も、何度も見直す。

 決済はすぐに終わらせましたが、いかんせんこうしたメッセージのやり取りは少々苦手でして。

 名前しか存じ上げないカスタマーさんへお送りしたメッセージは、まるで仕事のような事務的なものに、一言楽しみにしている旨を添えただけになってしまいました。

 どのように可愛がりたいか、拙宅でどう過ごしてもらおうと期待に胸膨らんでいること、お伝えしたいことはたくさんあっても、きっとご迷惑になると引いてしまう。書きかけの文章を消しては、書き直しを繰り返し、最終的に事務的な文章に落ち着く。

 私の変えがたい習い性ですね。



 それからの数日、会社でも客先でも、やれ明るくなった、やれ浮ついているようだ、やれついに枯れたおやじにも恋人ができたか。と、散々にからかわれてしまいました。それだけ初めてのお迎えにそわそわしていたのでしょう。

 普段通り落ち着いて行動しているつもりだったのですが……やれやれ、まだ私も若いという事ですかね。


 カスタマーさんから届いていた追跡番号を入力し、30分に1回は覗いているスマートフォン。

 配達予定日はと見れば、怜奈さんの危惧された通り、土曜日の予定になっていますね。宅配業務もお忙しい時間帯とは思いますが、ここは午前指定を付けさせていただきましょう。


 初恋の歌姫からずっと出しっぱなしになっていたドールスタンドをそっと、丁寧に手に取ります。

 台座に固定されていた支柱をねじを回し、取り外し、綺麗に水拭きします。

 せっかく私の元に来てくれる初めての子。新しい気分で迎え入れたいではありませんか。

 ずっと、歌姫の人形少女の想いでのよすがと、飾られていた使う子のいないドールスタンド。

 大切にとってあった箱に収め、一夜を過ごします。


 そして金曜日の夜、再び新たな気持ちで、箱から取り出したドールスタンド。

 それは一種の儀式でした。

 再び台座に支柱をはめ込み……。

 おや、ふと気が付きます。床に上に立っていただくというのは失礼にすぎませんか?


 机、そうですね、まずは机の上が。いえ、それもどうでしょうか、食事もすれば仕事もする、そこは来てくださる人形少女専用の場所とは言えません。ふと、部屋の片隅に自宅用のゲーミングPCの箱が目に入ります。強度はなかなかにありますね。

 まずはこれに、シーツをかぶせまして。いかにも箱! では準備不足と怒られますからね。

 予備のシーツを引っ張り出し、かぶせました。

 女性のお部屋であればもっと華やかな生地や、素敵なレースなどあるのかもしれませんが、残念ながら40にもなる男の一人暮らし。女性を招いたことすらないアパートの一室では、こんな物でもあっただけめっけもの、というものでしょう。

 そっと、くみ上げなおした台座を、白いシーツをかぶせた箱の上に置きます。少し神殿の台座のようですよ?

 仮ではありますが、来たる人形少女専用の場所ができました。

 さあ、明日はいよいよ運命の日。寝不足の顔を見せるわけにはいきません。寝てしまいましょう。



 ええ、誠にお恥ずかしながら、眠ることができませんでした。

 異動したての頃は、ショートスリーパーなどと不名誉な称号を賜ったこともある、徹夜慣れもしたこの身です。しかし、これはいけません。子供のようにはしゃぐ心を静められず、貫徹してしまいました。致し方が無く、鳥の鳴き声聞こえ始める4時には、PCを立ち上げ、配送状況を5分おきに再読み込み。集配所を地図で調べることまでしてしまいました。

 カスタマーさんのブログで今まさにこの部屋へ向かっている子の事を、眺め続けます。


 “もうすぐですね♪”

 朝の8時、怜奈さんからのメッセージが

 “はい、今や遅しと待ちわびております”

 “ナオさん、寝てないでしょ!”

 なんと、ばれてしまいましたよ?

 “お恥ずかしながら、はい”

 “ふふふ~怜奈は知っていますよ? ナオさん、すっごく落ち着いて見えるのに意外と、内心ではてんぱってますもん!”

 “むむ、これはいけませんね、汚名返上の機会をみつけねば”

 “もう遅いですよ~だ、初めてのお迎えにわくわくして眠れなかった、ナオさ~ん♪”

 くぅ。不覚です。しかし、怜奈さんのお陰で緊張がほぐれました。


 ピンポ~ン


 “来たようです、また後程”

 返事も見ず、インターホンに飛びつきます。さあ、いよいよ。いよいよです。


 受け取りました箱は80サイズでしょうか、両手で軽く持てる、想像よりも小さなものでした。

 ドールショップで見ていた専用の化粧箱。ええ、ドールの子達は専用の厚紙でできたお箱に収まって受け渡されるのです。60㎝と身長があり、場合によっては衣装が付属しますので、それは大層長細く、大きなお箱です。ドールショップからこれまた専用のロゴ入りの、不織布のようにも見える素材でできた特別な袋に収められた愛し子(ドール)の収められた箱を、両手で抱えて持つ。少し歩きづらい、そのようなドールオーナー様方をお見掛けしたものと、記憶しています。


 “お返事はいらないので、ゆっくり対面してくださいね!”

 ”ありがとうございます。今から開封します”

 優しい心遣いを感じる怜奈さんのメッセージに返信をし、さあ、いよいよ待ちに待った運命の瞬間です。


 素敵な模様が入った、お洒落な透明ガムテープをそっとカッターで切り開きます。

 中からは柔らかなピンク色の梱包紙がギュッと詰められ、中を懸命に保護する心遣い。

 おや、さらに小さなお箱が、手のひら乗るくらいでしょうか、出て参りましたよ? 他には……特に何も入っていませんね。

 もしや私は間違えたスケールの子をお迎えしてしまったのでしょうか。1/12サイズというのも基準スケールとしてあると聞きます。

 いえ、そんなはずはありません、怜奈さんも見てくださったのです。

 お箱には、ここ数日毎日見つめてきた、運命の子のお顔が印刷されたお写真が貼られています。それにとってもかわいいハートのシール。梱包まで楽しい演出を施すお心遣い。夢をぎゅっと詰めてくださっているのですね。


 さて、お箱を開けてみます。


 と、その前にそうでした。皮脂汚れはドールの劣化を早めると習ったのです。

 用意しておいた白い布手袋を装着します。

 100円均一で購入できる簡易的なものですが、なかなかどうして、付け心地は十分です。


 さあ、改めて運命の瞬間。


 これまたハート形のスポンジで隙間をしっかりと抑えた中に。

「な、なんと」


 そうです、そうでした、私はすっかり失念していたのです。

 私が落札させていただいたのは、”カスタムヘッド”。そう、人形少女の丸坊主の頭部だけが入っていたのです!


 注意書きでしっかり認識しておりましたのに、いざご対面となり忘れておりました。

 白手袋をはめた両手で、捧げ持つように、丸坊主の人形の頭部を大切にかかげる、39のおじさん。

 いけません、これはいけません。大変犯罪的な図式が出来上がってしまっていますよ!?


 おや、怜奈さんから着信が、お電話です。

 しかし今私の両手の中には、大切な、大切な、愛しい人形少女……となるこのヘッド、頭部が。

 手袋で滑るのもいけません、下手に手を動かせば、彼女を取り落としまいかねません。

 少し弾力のある素材、ソフビというのでしたか、万が一にも傷などつけては一大事。


 大変にはしたないですが、やむを得ず、そっと足先で。

 ん、押しにくい、ん、靴下では反応が。音声認識は誤作動を嫌い、OFFの設定にしているつけがこのような時に。

 万が一記録されていたなら、これはもう、一生のトラウマとなったことでしょう。

 何度でも繰り返します。

 ワイシャツにズボンを履き、丸坊主の人形の頭部を捧げ持ち、机の上のスマートフォンに向かって片足立ちし、掲げた足の指先を振り下ろす、39のおっさん。

 もし映像で記録していましたなら、神様、即座に抹消くださいませ、後生でございます。


 “あ、つながった繋がった”

 何とかスピーカーモードでつながり、怜奈さんの透明感ある綺麗な声が、響きます。


 “大変失礼しました。その、少々手が、やってきた子で塞がっていまして、子?いえ、その、頭部、生首?”

 “ぷ、ぷぷ、うふふふふ”

 ああ、怜奈さんがころころと、笑いを。おさまる気配の無い笑い声を。


 “ああ、もう、想像通り過ぎて、ナオさんったら。ヘッドだけなの、やっぱり忘れてた~!”

 “ええ、はい。それはもう。どのような猟奇事件が起きたかと、それはもう動転しておりました”

 “ドール者あるあるですね~。メーカーで購入する子はボディもあるし、最低でもスリップドレス、たいていはイメージ衣装が付属するからそういう事故も無いのだけれど。個人のディーラーさんはヘッドだけ。ごくまれに衣装セットとかはあっても、ボディはほぼ確実に自分で用意だね。あ、でも、そのディーラーさんは、自作のアイを付けてくれているから、まだ安心だね”


 ドールの目玉にはこれまたいくつかの種類があるのです。

 ガラス工芸で作られた、丘のような形をしたドーム型のグラスアイ。こちらは大変貴重なお品のようでお値段が張り、また一つ一つ虹彩の入り方が異なる、こだわりの逸品となります。ドールメーカーのお店で見て参りました。ただ、これはリアルなドールに良く採用されるそうで、アニメチックな子達に着けると、イメージが違ってしまいがちなのだとか。

 そこで登場するのがアクリルアイやレジンアイと呼ばれるもの。

 カスタマーさんや、個人のアイディーラーさんが作られる物の多くは、後者のレジンアイとなるそうです。

 プリントされたアイパターン。いわゆる2次元キャラクターの光が入った虹彩の図案そのものですね。これをイラストとして描き上げ印刷し、切り抜く。事前に作成した型にレジンを流し込む。その中に描いた瞳を印刷したシートを封入して、出来上がるのがこちらです。気泡が入れば台無しになるため、制作環境にも気を遣う、大変難しいお品なのだとか。また、いかに劣化しにくい素材で作るかも、悩みどころなのだそうです。


 ええ、そして確かに、この子には瞳がしっかりと入っております。

 藍緑色の深い色合い。それに、大変オリジナリティー溢れることに、瞳の中にうっすらとピンクがかったハートが描かれております。いわゆるハートアイと呼ばれる表現ですね。

 あなたの事が好き、と主人公に分かりやすく伝えてくれる。あるいは、大好きなスイーツ、可愛いぬいぐるみなどを見たヒロインが愛くるしさにメロメロになる。そうした時に見かける瞳です。

 実はカスタマーさんのヘッドのお写真で見ていた時も、ドールでは初めて見るこの表現に、大変心惹かれました。


 “ええ、確かに、魅力的なハートアイが収められています。そして、はい、ようやく落ち着いて参りました。やはり美しい。大変精巧で素晴らしいメイクです”

 “坊主のヘッドだとまだイメージ掴みにくいと思いますけれど、満足できそうならよかったです!”

 “ドールスタンドと、とりあえずいていただくための場所を用意していたのですが、これはどうしたものでしょうね”

 “明日お買い物してから正式にご対面! ってするのがいいと思います! ウィッグ試着できるお店もあるので、良かったら、その子連れてきてあげてください”

 “わかりました。明日はご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします”

 “かしこまり! です!”


 そうして通話が切れた後、もう一度じっくりと、向かい合うドールのヘッド。

 まだ、初心者も良いところの私にはここから理想の人形少女への道筋は、なかなか想像がつきがたく。

 不安を抱えながらその日は再び、お箱の中に大切に保護申し上げるのでした。

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