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初恋の人形少女  作者: malka
3/8

第2話 “代理購入の闇”

 ビルの半地下にある喫茶店。

 長く艶やかな黒髪の大人しやかで、可愛らしい女性。

 肩を覆う大きな襟飾りがついた、寒い冬にふさわしいロリータ調の上品なクリーム色のコート。ファーが付いたそれを脱ぎ、清楚な純白のブラウスにスカート姿となった彼女がケーキセットの紅茶を飲んでいる。

 何故私は初めて出会ったこの方と、お茶を共にしているのか。それは、限定再販の日にイベント会場へ行くことができないと知ったその直後、ほんの30分前に戻る。

 今から3年前の出来事です。


 普段の私であれば、すわ宗教の勧誘か? 詐欺か? と、このように可憐な乙女に話しかけられたなら警戒し、お茶を濁して足早に去っていたであろう。だが、”歌姫”という、憧れの人形少女を指し示すと明らかな言葉に、思わず足を止めてしまった。

「失礼ですが、貴方は?」

「私、伶奈(れな)って言います」

 いきなり下の名前で名乗られるとは。との思いが怪訝な表情になり出てしまっていたのだろうか。

「あ、ハンドルネームですからね? それと、男性向けのお店が多いですけれど、女性向けもありますし、特にここはドールを扱っているので、私みたいな子達も来るんですよ?」


 SNSの存在は業種がら熟知していても、自信が登録することはついぞなかった、この時すでに36のおじさんなのです。オンラインゲームでもしきりに登録をすべき、連絡を取りやすくすべき、と勧められたがついぞ活用することなく引退してしまいました。ゆえに、どうかご容赦いただきたい。

 しかし、こうした勝手な認識、ステレオタイプの押し付けをよく受けるのだろう。先回りして説明をくださった。


「私が不勉強なばかりに、大変失礼しました」

「いえいえ。それで、その~」

「はい。以前からの憧れでしたもので、ええ。歌姫の人形少女を購入したいと思っておりました」

「やっぱり♪」

「しかしながら、この限定再販のイベントの日は生憎と外せない仕事と重なっておりまして。悲しみにくれていたところなのです」

「あ~社会人の方だと、よくありますよね。実は私も、学生なもので関西まで行くのは辛くて」

 学生さん、大学生だろうか?

 そこで、店内に聞こえないようにか小声になり、少しだけ顔を寄せると、


「大学生の先輩が、サークル仲間を通じて代理購入してくれる、関西住まいの知り合いにつないでくれるって言っているんです。皆こちらの」

 と、今度は、歌姫とは別のショーケースに飾られた男性のドールを手のひらで示す。

 指をささずにそっと示す仕草、歩く所作から育ちの良さをどことなく感じる。しかし、大学生”の”と言う表現から、彼女自身はまだ高校生ではなかろうか?

「高校生グループのちょっとワルなイケメン男性、なイメージの男の子ドールをお迎えするのが目当てなんです。それで、歌姫ちゃんの購入枠が余るので、せっかくなら同じように悩んでいる人を誘っていいよって言われていまして。よろしければお話だけでも、聞いてみませんか?」


 張り紙の写真に写る、我関せずとばかりに歌を詠ずることに夢中な黒髪の歌姫人形。

 その気高い姿が再び目に入り、たまらなくなった私は(がら)にもなく、彼女のお話を伺う事にしたのです。

 当の昔に人間への、まして異性への関心など失ったと思っていた私。それなのに、彼女があまりに長年の憧れ、歌姫と似ていた。それも決して小さくない要因だったのかも、しれません。


 そうして、彼女と喫茶店でお話をすることとなったわけです。



「なるほど、つまり、現地に行くことができたとしても、確実に購入できるわけではないのですね」

「そうなんです。購入順の抽選があって、それで良い番号が引けないと、用意されている限定数超過で購入不可になるんです。限定のドールの子達は毎回そんな感じなので、何人ものグループを作って、お互いの欲しい子がいる時に支援しあうようにうまく調整しているそうです。私は今回初めてお願いするのですが、購入権利を得られた人は、限定数に達してさえいなければ2人のお人形どちらもお迎えできるので、お目当てではない方の子を希望していた人に譲るわけですね」

 確かにこうした限定商品というのは転売が禁止されているのが普通。それでも、不正は後を絶たず、私も気になってオークションサイトを覗いたことはあるが、定価の2倍、下手をすれば5倍以上という価格が付いているドールすらあった。

 そこでこうした、互助的な方法を考えたのだろう。とはいえ、これもグレーな気がするが……。


「それでですね、今回の男の子ドールは待ちに待たれたシリーズの主人公君で、すごい人気なのです。一方で歌姫ちゃんは前回受注もあったうえでの再販という事もあり、男の子がお迎えできる順番が引ければ確実に行ける! っていう前評判です」

「なるほど。ところで、話の腰を折るようで申し訳ないのですが、気になってしまいまして。その、”お迎え”というのは?」

 この頃の私はまだドール文化を知って12年もの月日が経っているとはいえ、実際の購入をしたことも無い、ただの初心者。いささか特殊な、少し宗教染みた言葉に、さすがに気になってしまいました。やはりこれは壺を売る話しだったのだろうか、などと、彼女が熱心に語ってくれる話も半分頭に入ってこなかったほどです。


「あ、そっか、初めてでいらしたんですよね。ごめんなさい。私達”ドール者”の中でも、自分のドールを子供とか伴侶、生きた人間みたいに思う人たちのさらに一部の方達は、”購入”の代わりに、大切な子を”お迎え”するっていうんですよ。もちろん、同じように大切に思っていても、”購入”って表現する人もいますけどね」

「なるほど、お気持ちはわかる気がします。私にはまだ少し早い表現かもしれませんが……」

「いいんですよ、人それぞれです♪ それでですね、今回歌姫ちゃんの希望が1人だけ、男の子の希望が5人もいまして、4人分までは購入権利をお渡しできるのです」

「その、対価などはどのようになるのでしょう?」

「はい。まず交通費やイベント参加費、抽選券購入費、諸経費の一部負担を含めた手数料3万円、歌姫ちゃんのお迎え資金13万円、合わせて16万円になります。ただ、彼女達全員が学生なので、クレジットカードを持っていなくて。前払いをお願いすることになってしまうそうなんです」

 関西までの往復を考えれば手数料はむしろ安い位であろう。むしろ、

「前払い……ですか」

 さすがにこれはあり得ない。断るべきだと冷静な自分は即座に判断する。購入が確約されているわけですらないのに、現物引き換えの後払いですらない。せめて手数料だけが妥協点。

 だが……。

 だが。

 待っていただきたい。

 すでに3回目の購入機会、果てして”憧れの君”、歌姫の人形少女は今後、再度再販されることはあるのでしょうか。調べてみしたが、以前は再販される事自体が稀であったというではありませんか。

 私はドールの世界にまだ入ることもできていない初心者以前の、指をくわえてみているだけの男。

 互いに譲り合うような友人(ゆうじん)もおらず、彼女が垂らしてくれた蜘蛛の糸を掴み損ねれば二度と……。

 それに、もし彼女が高校生の身分であるとすれば、親は知っているのでしょうか? 誰か保護者がきちんと監督できているのでしょうか。いらぬ不安も頭をもたげます。知ってしまった以上保護責任があるのでは。


「ご不安は当然だと思います。私もいくら先輩の知人経由と言っても、心配で。彼女の免許証の写しをしっかり受け取っています。お支払いの時に同じように、お渡しできると思います。あ、それに私の学生証もお見せします!」

 と、取り出そうとする彼女の身分証はやんわりと断る。

 まだ受けるとも決めていないお話に、そのような個人情報を、得体の知れない初対面のおじさんに見せる物ではありませんよ。


 それはそうと、公的身分証、それに現実での知り合いの介在か。

 “身分証の提示”、にどれほどの信頼が置けるかというと、正直怪しいものでしょう。

 苦学生や新入社員の頃であればいざ知らず、今は余裕も十分にあります。とはいえ無駄をしてよいという事は決してありません。が、事は歌姫の人形少女、長年の憧れの君。本当にいざとなれば勉強代と割り切る。ええ、覚悟を決めましょう。そこまでして警鐘を鳴らす自分の良心をなだめすかし、

「わかりました。いえ、ありがとうございます。このお話是非、お願いさせていただけますでしょうか」

 応諾していました。


 それから彼女に教えられながら、流行りの”Twikker”という画像付きで呟きを世界に向けて発信できるツールに登録。

 今後のやり取りをダイレクトメッセージで行うためです。

 ついぞSNSのハンドルネームなど持ったことのない私は、本名の一部を取り”ナオ”と登録。以来、互いの本名も知らない彼女からは”ナオさん” と呼ばれるようになりました 


 彼女のアカウントを見てみると、陰のある渋いおじさまドールと、若い目つきの鋭い男性ドールが半裸で絡み合う写真。

 妖艶な美女と幼気な少女のドールが、おいしそうなミニチュアフードを食べる写真。

 そして彼女自身なのでしょうか? 私も聞いたことだけはありました、”コスプレ”をし、同じ衣装、同じ髪型をした女の子ドールと揃いのポーズをとる写真。

 実にたくさんの愛情あふれる写真、いえ、作品が並んでいるではありませんか。


伶奈(れな)さん、どのご作品も大変素晴らしいですね」

「え、あ、ありがとうございます! 大分趣味丸出しなので、かなり恥ずかしいですが。こうしたお取引は信用問題なので、せめて私のメインアカウントでつながれればと思いまして。ご不快に感じられないとよいのですが……」

 なるほど、私が応諾した後も彼女の身分証の提示をかたくなに拒んだため、このような措置を取ってくださったのですね。

 かえって申し訳ないことをしてしまったのかもしれません。

「不快だなんてとんでもない。その情景を見る目線、共に映るお相手のドールとの距離感、どのお写真も初学者な私にも確かに感じられる愛情にあふれています。すっかりファンになってしまいます」

「も、もう、ナオさんったら!」


 断りを入れ、化粧室に立つついでに払いを済ませておく。

 別れ際大層恐縮されたが、学生さんとの事でもあるし、これくらいは当然だろう。


「では、後日改めてご連絡しますね」


 その言葉の通り、翌日には購入枠の2番目の権利が私に譲られたこと。

 代理購入を行うという、伶奈(れな)さんの先輩繋がりの女性、松戸 里香さんの学生証の写し。

 そして、不安だと思うので一度お電話でお話をどうぞと、電話番号が送られてきた。

 ここまでしていただいては、当時まだ30代半ばとはいえ、おじさん相手に電話会話はいろいろまずかろうと、いつものごとくいらない気を回し、結局電話はせずに当日を迎えた。

 正直ここまで用意されていれば、悪さをするにしても、対策済みであろうとしか思えなかったのが本心だ。



 初めての購入、お迎え、という事で不安な私を察してくれてか、あれこれと、準備するべきものを教えてくれる伶奈さん。

 この時の私は、そもそも代理購入が成立したとはいえ、もともとが狭き門。抽選のうえでの限定販売という事も失念していたのでしょう。要するに舞い上がっていたのです。憧れの歌姫の人形少女と縁がつながったと。

 彼女の勧めに従い、事前にいくつかのものを買っておきました。


 ドールスタンド。これは先端がU字型になった金属の棒が、重しとなる台座の上にはめ込まれた物。二足歩行の人間をモデルにしているだけあって、自立、すなはち支え無しに直立することができないドールのために開発された、股部分を支える支持台にあたるもの。


 普段着となる衣装。”歌姫とはいえ日常の生活もあります。せっかくなら、ご自宅で一緒に過ごしている雰囲気になるように、買っておくといいですよ”、とは彼女の至言。ああ、なんという事か。なるほど、そのようにしてドールとの生活が深まっていくのかと、感心しました。

 神の啓示を得たかの如く、私には感じられたものです。

 とはいえ、お洒落な衣装というのはこれもまた、限定販売であったり、”ディーラー”という素人の個人がフリーマーケットのような、各種ドールイベントに出店することで販売するといいます。つまり、いつでも気軽に手に入れることはできないと。

 もしくはオークションとの事ですが、目につく素晴らしい衣装はドールを購入する程の金額、あるいはそれ以上が別途かかるため、まだドール生活が始まってもいない私はさすがに時期尚早と、見送ることにしました。

 結局、まずは急ぎの準備と言い訳をし、無難なシャツとスカートをメーカー店舗の常設売り場で購入するにとどめました


 こうして準備をする時間のなんと楽しい事であったか。

 いよいよ愛しの君が迎えられる、さあ、私の準備は万端ですよ?

 イベント当日、平素であれば暗澹たる気持ちで向かう客先へ、晴れ晴れとした気分で向かいました。

 ああ、どんよりと曇った空ですら、天使の梯子が天にかかる美しき名画の風景のように見えたものです!


 仕事先は軍事機密も扱う製造業のお客様先。

 PC、カメラ付きの携帯端末は、全て入館前に預ける必要があり、マシンルーム内での通話も厳禁。

 万が一の連絡があってはと一抹の不安を覚えるも、伶奈さんの紹介であることだしと、信じ割り切りました。



 そして夜22時。

 奇跡的にトラブル一つなく休日の作業が完了し、SEには先に帰ってもらい、お客様への報告と立ち合いの御礼を申し上げます。

 懇親会? いえ今日ばかりは勘弁してください。期待されていたかもしれませんが、セットしておりません。ご挨拶が終わりましたらすぐに私もその場を辞しました。そもそもクリスマスシーズンのこの時期、店選びも面倒なのです。

 ああ、この時の私の胸の裡をどう表現すればよいのでしょうか!

 きっと購入完了のメッセージが私のTwikkerアカウント、ナオ宛に届いているはずです!


 帰宅して落ち着いてから、そう思いつつも、待ちきれません。

 私のアカウント、お、やはり来ていますね? ダイレクトメッセージがそれはもうたくさん。通知の数字が見たことも無い数になています。

 震える指で開きます。大学受験の合格発表でもこれほど手は震えませんでした。

 さあ、冬に咲き誇る桜の通知を見ましょう。


 21:00

 “申し訳ありません、依然として連絡が取れなくなっており、お仕事終わられましたら、至急ご連絡ください。電話番号はXXX-XXXX-XXXです”


 おや?松戸さんからのメッセージかと思えば、これは伶奈さんのメッセージです。

 問題があったのでしょうか?

 まだこの時の私は暢気に構えていました。


 遡って(さかのぼって)いきます。


 19:00

 “もうイベントも終わっているはずなのに、メッセージも電話も返事がないんです。ごめんなさい、とにかく連絡取り続けてみます”


 15:30

 “もしかしたらイベント会場で他の人たちと調整しているのかも、譲ってもらえないか交渉とか。とにかくまた連絡します”


 13:00

 “連絡がまだ付きません、ごめんなさい、もう少しお待ちください”


 12:00

 “完売……たった50番でどちらの子も完売っていう情報が回ってきています。彼女達と連絡がつかないので、鬼電してきます”


 10:30

 “抽選番号200番以内に3人ですって! 行けそうですよ、ナオさん♪ えへへ、実は私も男の子2番目の購入順なので、一緒にお迎えですね”


 9:30

 “お仕事で連絡が取れないとの事でしたね、私が代わりにやり取りしておきますので、安心して、お仕事頑張ってくださいね! 初お迎え楽しみですね♪”



 なるほど。準備されていた数が予想よりはるかに少なかったのですね。


 そして、松戸さんからの連絡は、

 10:00

 “良番が引けました。期待してお待ちください”

 のただ1通で終わっていた。


 “歌姫”はすでに3回目の販売、企業の立場で考えればやむを得ない判断でしょう。

 しかし、伶奈さんが希望されていた男の子も数が少なかったとは。これはさぞお辛いでしょう。

 かなり焦っている様子、心労をかけているようでしたので、慌てて電車を途中下車し、お電話します。


「もしもし、ナオですが」

「あ、ナオさん!! お仕事でお疲れなのにごめんなさい、騒がせてしまって。私もうどしていいかわからなくて、それで……」

 少し涙声に聞こえます。これはやはりよくありませんね。一日中さぞ辛い思いをされていたのでしょう。

「気遣いありがとうございます。慌てなくて大丈夫ですよ、まずは落ち着いて、ゆっくりで平気です」

 1コールもしないうちに通話の繋がった彼女。息せききったように慌てふためいており、目に見えずとも不安なお顔が浮かぶようです。

 しばし荒い息遣いが聞こえた後。

「ごめんなさい、動転してしまって」

「いいえ、楽しみにされていた、その、”お迎え”に、さぞご心配でしたことでしょう。察するに余りあります」

「ナオさんだって、長年の夢で、初恋のドールで、それなのに」

 ああ、なるほど初恋、初恋のドール。なんと甘美な響きなのだろうか、そうかこの胸の高鳴りは初恋のそれなのか。

 現実の女性との関係はいつも惨憺たるものでしたので、すっかりその言葉を思い浮かべることもありませんでした。


「素晴らしい響きの言葉ですね、”初恋のドール”ええ、素敵な言葉を贈っていただき、私はもうこれだけでも満足ですよ? ありがとうございます。大層な狭き門であった様子、初恋は実らぬ物とも言います。私はあきらめもつくというものですよ。ですから気に病まないでください」

「ナオさん、いい人すぎるって言われません?」

「あはは、つまらない男となら」

「……」

 この時ほど自分の会話のセンスの無さを恨んだことがあったでしょうか。声をかけてくれる女性がいなかったわけではないのです。しかし数回もすると、皆さん、こう言って次の出会いを探しに行かれるのですよね。流行りの芸能なども興味がなく、面白い話ができるわけでもない、勉学と仕事一筋だったおじさんなど、こんなものでしょう。

 と、いけない、私の自虐などどうでもよいのです。

 言葉に詰まってしまったらしい伶奈さんのフォローを申し上げねば。


「きっと松戸さん方も、冬の寒空の下、長時間でお疲れなのでしょう。伶奈さんも一日本当に大変な思いをさせてしましました。後の事は明日にして、まずはゆっくり、気持ちを休めてください」

「わかりました。お言葉に甘えますね。必ず、彼女達と確認が取れ次第、またご連絡します」


 こうしてこの日はセキュリティーもしっかりとしており、小奇麗で会社にも近いマンションの一室に戻り、眠りにつきました。

 多少割高ではありますが、結婚の予定も無い私には維持管理の手間が少ないこちらの方が、性に合っているのです。

 明日は月曜日、今週も休日はこうして潰れてしまいました……。

 現実への軽い不満をもって、部屋の片隅が、涙のにじむ目に見えていないふりをしながら。


 うきうきしながら、気の早いことにすでに設置してあったドールスタンド。

 丁寧に折りたたんでおいたドール服。

 部屋の片隅には、寂し気に、所在なげに、置かれたままになっていました。




 伶奈(れな)さんと初めてお話しした秋葉原の喫茶店。

 どうしても直接会って話したいと言われ、再びここにやってきたのは歌姫の人形少女再販のイベントから2か月後の事でした。


 新年も過ぎ、2月末。外資である弊社の締めは12月です。このため日本企業一般のような年度末締めは過ぎているのですが、それでも四半期ごとのプレッシャーは厳しく、今期締めの案件も詰めの段階に入ろうかという頃。

 年末年始は念願かなって、夢のドールライフの始まり。そう夢想していたのがはるか遠い日の事のように感じられます。

 まあ、世間が長期休暇の年末年始は社内システムの刷新だなんだと、システム改修や新規サービスインの時期でもあります。案の定、トラブルで呼び出しとなり、休みが潰れた私にはかえって都合がよかったのかもしれません。


「お待たせして申し訳ありません」

「いえ、私も今来たところですよ。むしろ先に席についていて申し訳ない」

 エレガントなベルト付きのトレンチコートを着込み、美しい黒髪を揺らし、席に案内されてきたのは伶奈さんでした。

 ふんわりと体を包むダークグレーのニットが可愛らしい。年の差も考えれば、公衆の面前でそのような事を口にするわけにはいきませんが。

 あの後、知ったことですが、やはり彼女はまだ高校1年生。先輩とは、卒業し大学に入学した女性との事だったのです。

 年の差実に20歳。はたから見れば大人びた娘と親に見えていることでしょう。


 いかにも話しづらそうにしている彼女を前に、まずは一息入れてもらおうと思いつつも、さて何を話題にするべきか。

 こういう時に気にきいた言葉の一つも口を突いて出ないから、つまらない男と言われるのでしょうね。自分でも自覚があります。気取っても仕方がありませんね。


「お昼時ですし、何か召し上がりませんか? 私も少し小腹がすいてしまいまして」

「そう……ですね」

「どうも、苦いものが苦手でしてね。会社の先輩方にもコーヒーの一つも飲めないのかと、笑われるのですが。食前に純喫茶店のクリームソーダも、せっかくですし一緒にいかがです? ソフトクリームのものが最近多くて、少し寂しいなと」

「はい、是非」

 クリームソーダに、クラブハウスサンドイッチと紅茶のセットを2人分オーダーする。


「冬にこれは無かったかな、いや、ついメニューで見かけたら我慢できなくなって、お恥ずかしい」

「うふふ、そんな事ないですよ。暖房が効いていて熱いくらいですし、ちょうどいいです」

 人工甘味料の甘味に、底が少し凍ったバニラのアイス。いかにも昔ながらのなクリームソーダをつつきつつ、少しだけ緊張の色の薄れた彼女の様子をうかがう。

 暗い話はやはり済ませてしまうべきでしょう。甘いアイスクリームがなくなったのを機に、切り出す。


「先日の事、ですよね」

 そっとスプーンを置き、こちらに向き直る彼女。

「はい。本当に、申し訳ありませんでした。あれから結局、Twikkerで連絡はつくものの、会うことは叶わず」


 代理購入を請け負った松戸さんから連絡が来たのはイベント開催から2日後の事だった。

 冬の寒空の中で並んだためか体調を崩してしまい、連絡が遅れたとの事。

 代理購入は失敗に終わったこと。

 返金のへの字も無く、事務的にその2点が送られてきていた。伶奈さんの元にも同じメッセージが届いたという。


 ねぎらう旨、お身体を大事に無理なさらず、と返信をしたのち1週間。年末年始にもかかることともう少し様子を見ようと我慢していた。

 その間も、伶奈さんは密にメッセージを送っていたようで、しばしば経過の共有があった。

 お金をすぐに返金して欲しいとの彼女のメッセージに対し、別の購入の当てがあるかも知れないので待って欲しいとの返事であったという。まさかオークションサイトか? と疑うも、彼女が欲していた男の子のドールは40万円を超えていた。歌姫の人形少女も15万円を超える。まずありえないだろう。


 このころには二人とも疑いは確信に近づいていた。特に彼女は親からお小遣いの前借をしていたとの事で、深刻さは一層のもの。

 だが、ドールという愛情を向けるべき世界に悪意を持って潜む者がいると、信じたくなかったのでしょう。特に彼女は大切なドールの子達との生活をすでに過ごしているのです。そこに暗い影を落とすようなことはあってほしくない。


 音信不通となり、我慢の限界に達する直前、実に絶妙なタイミングに再び送られてくる返信。

 “実家で不幸があり、連絡が取れずにいた、代替手段はやはり厳しかった”

 たったそれだけのメッセージ。では返金をと返せばまた音信不通となり3日が過ぎる。

 “代理購入で1番良い番号を引いた人が、身内なので優先順を変えられないか交渉する”

 また1週間が過ぎる。

 “ダメでした”

 また1週間。そして、催促に対しては”入院した”との連絡。


 初めからその意思があったのかはわからない。本当に挑戦してだめで、そして手元に残った現金を見て、魔がさしたのかもしれない。まだ人の善意を信じたい気持ちもあった。だが、内心はわかっていた。

 私はまだ良い。社会人で、余裕もある。勉強代と初めからあきらめの予防線も内心はっていた。

 取りうる手段も思いつかないではなかったが、労力に見合うかと天秤にかけてしまった。それも狙いだったのかもしれない。


 だが、本当にドールを愛し、すでに生活の一部としていた彼女の気落ちのしようといったら。メッセージ越しにもあまりに身につまされ、何とかできないものかと、真剣に頭を悩ませるものであった。

 この2か月、年末年始はコスプレイベントもあるし、ドールとお出かけもできるし、楽しみなのです! と、イベント前にはつぶやいていた彼女のTwikker。あれから1度も更新されることは無かったのです。”お迎えできるかドキドキ!”という書き込みを最後に。

 新しい写真のアップされない彼女を案ずる返信も見受けられました。


 どういった連絡をするか、どういう手段が取れるか、さまざまな相談にのりました。

 当事者同士の方が相談しやすい事もあるでしょう。

 メッセージや、ときに通話で話す彼女が日に日に落ち込み、病んでいくようで。

 そろそろ本格的に何か手を打たねばと、私としては詐欺被害にあった可能性よりも彼女の事に意識を割く毎日でした。


「冬休みが明ければ、紹介してくれた先輩が、サークルの知り合い経由で連絡を取ってくれるかもと思ったんです。でも、その子も連絡がつかないって。あまりに煩い私に嫌気がさしたのか、先輩にも無視されるようになって。しまいには高校の同級生にいろいろなうわさも流されてしまって」

「それは。あまりにひどいです。つらい目に合われてしまったのですね」

 その先輩という方への怒りが胸の裡に灯る。何らかの手段をやはりとるべきか……。


「あ、い、いえ、私は良いのです。それよりも、私を信じてくださって。代理購入はいけないってわかっていたはずなのに、ナオさんに申し訳が立たなくて」

「それこそ、気になさらなくて大丈夫ですよ。最終的に松戸さんを信じたのは私です。伶奈さんに責任は一切ありません」

 うっすらと目じりに涙がみえる。

 人を思いやって、こうして辛い中行動し、涙できる。彼女は、なんて心清らかな女性なのだろう。


「法的手段に訴えてみるという選択肢もあるかもしれません。長く辛い思いもしてしまうかもしれませんが。あるいは」

 そう、歌姫の人形少女を迎えるための準備、アドバイス、彼女には良くしいただいたのです。こうして実際に会って、改めて実感もしました。このままでは彼女の心が折れてしまうのではないか? 何かできることは無いのか。

「あるいは、オークションで、ご希望の子を私が、いろいろお教えいただいた恩もあります」

 考えていた申し出、しかしあまりに無礼であり、口にすべきではないと却下していた案。

 それが、落ち込む彼女が見ていられずつい、口をついて出てしまった。

 お渡しした後に私のTwikkerを削除、完全に連絡を絶てば、その後におかしな話にもならないだろう、そう甘く考えてもいた。

 しかし、それは首を振る彼女に止められたのです。


「違うんです、もう、あの子をお迎えしたい気持ちは無くて。もちろん今でも好きで、憧れの子です。でも、たとえ彼女から連絡があって、お迎えできたとしても、あの日楽しみにしていた自分の気持ちで愛でることは二度とできないんです。嫌な気持ちがどうしても噴き出してしまって。可愛がって、癒されたくて、それなのに辛い気持ちがこみあげちゃうんです。だから、あの子とは縁がなかったんだって、諦めないとだめで。でも最近、他のうちの子達と遊ぼうとしても、泣きそうになっちゃって、何も手につかなくって……」


 ああ、私はやはりまだまだ、何もわかっていなかったのだ。

 ドールをまだ、”モノ”、代わりのきく”商品”としか本質的にみられていなかったのだ。

 憧れの歌姫の人形少女に見向きされないのも当たり前だ。私は確かにこの時、初恋が砕け散る音を聞いた。


「そうか、そういう事なのですね。ドールと共に生きる、共に在る。だからこそ癒され、人生が豊かになる」

「はい。で、でも、せっかくの初めて、初恋を台無しにした私が、自分で許せなくて、どうしたらナオさんに償えるだろうって。それで今日お忙しいのにお時間をいただいたのに、結局こんな」

 ぐしぐしと、手で目をこすろうとするのをやんわりと止め。そっとハンカチを差し出す。

「ちょっとだけ、失礼します」

 頷き、彼女を見送った。


 入れ違うように運ばれた暖かなはずのサンドウィッチが、とても冷たく、作り物のように無機質なものに見えました。

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