第1話 “ドール文化との邂逅”
時を戻しましょう。
私とドール文化との初めての出会いに至る話し。
それにはほんの少し辛抱いただき、私の過去にも触れながら語ることをお許しください。
まだ小学生の頃、家族の仕事の関係で2年の米国生活を送った私は語学の優位性から、高校生での交換留学に選ばれました。23年ほど前の事になりますでしょうか?
好き、交際しよう、と迫ってきたブロンドの子。
日本人が異色に見え、好奇心をくすぐられたのでしょう。また、幼げに見える容貌にも惹かれたとは彼女の言。
その同じ日の夜、彼女は同年代とは思えないガチムチなラテン系の男と、カフェテリアの片隅で抱き合っていました。
目線が合うと、悪びれる様子はなく、得意げに濃厚に絡み合っておられました。幸せを願い、そっと立ち去りました。
アジア系の女性にデートに誘われ、連れていかれた先は近寄ってはならないと、厳重に注意されていた区画でした。
人種的な問題だそうです。歴史的背景、民族的背景を滔々と述べられ、大変に罵倒いただきました。
突きつけられる黒光りする拳銃、怪しげな注射。今でも夢に見る悪夢の情景。
警察に無事保護さていなれれば、私は今頃……。ぞっとします。
大学生活初め、どの学部学科に進もうかと期待に胸膨らませ、教授陣の鬼仏表をみんなで覗き込んだクラスオリエンテーション。男女8人程がいないと騒ぎになる頃、古い木造宿泊施設の天井からギシギシ、ドタバタ、激しい物音と、獣のような嬌声が聞こえてきていました。無理やり口に突っ込まれた安物の酒と相まって、同期達への嫌悪感が喉元を超え、臨界点を突破しました。
酒、たばこ、異性、全てから目を背け。
いえ、これは正確ではありませんね。
こうした経験と、トラウマレベルに醸成された嫌悪感が蓄積され、そういったものに近づくと、拒否反応を自然と示すようになっていました。
そうして勉学に邁進する、華の無い大学生活。
理系最難関の1つを潜り抜けるも、研究室若手で女性教授が機材の使用時間を与えたのは、同期の遊び人ただ一人でした。研究室をジムと勘違いしているのか、プロテインを飲み、データの後処理もそっちのけに、高価な機材をアスレチック代わりに体を鍛える彼。
海外研究チームの論文精読結果の報告に教授室の扉を開くと、獣のようにまぐわう二人。醜く蕩けた教授の眼が驚愕に見開かれ、射殺すように眼鏡の奥から睨みつけられました。
そして、進むべき道は、完膚なきまでに、断たれました。
これが今から15年前のことです。
国内最高学府、性差別撤廃の動きの中、国外向け広告塔でもあり学外から潤沢な資金提供を受ける彼女。片や修士課程にある、たかだか一学生。教授会の決断など火を見るより明らかだったのです。
卒業だけはさせてやると放逐され、約束された無為な修士号とともに、急に有り余ってしまった時間。
昔は家族に禁止されていた、ライトノベルにアニメやゲームといった文化に触れるようになり、”はまる”まではあっという間でした。
平均よりは裕福ながらも、外面を整える内側では腐り果てた家庭環境の問題も、私の人格形成に大きく影響を及ぼしていたのでしょう。
この頃はすでに現実の女性との結婚など、考えることすら無くなっていた時期。
お盛んな学友たちからは、草系男子などと、称されたものです。
ああ、つづられる文章の先、モニターの向こうに映る君はなんて美しく、愛らしいのでしょう。
様々な魅力的な記号に彩られた、理想の女性像。清楚可憐なお嬢様、そっと優しく慰めてくれる貴女、落ち込んでいると元気いっぱいに引っ張って行ってくれる君。現実にこんな子たちがいてくれたなら、あるいは私も……。
そんな彼女達を立体で楽しめる、3次元の現実に召喚できると聞き、繰り出した秋葉原のランドマーク的ビルディング。
カプセルフィギュア、ワンコインフィギュア。ああ、夢のようだ。個人間取引ができるレンタルスペース? ほう、これは絶版で展示のみ? 残念。
悲しいかな、アルバイトすら許されなかった私には、研究室の傍に借りた狭いワンルームと、僅かな仕送りがあっただけ。場所も無ければ金も無い。見るだけという一抹の虚しさと、それ以上に胸高なる新たな世界との出会いを求め、魅惑のビルディングを上へ、上へ。
蠱惑的な肢体を絶妙に隠す衣装、露出しすぎず、しかし確実に魅惑するキャラクター達の誘惑を、涙を呑んで振り切り、上へ、上へ。
そうしてたどり着いた最上階。正面には、ああなんと精巧な。これまで見てきたものともまた違う世界感。ガレージキットなるもの! 思わず店員さんに詳しく話を伺うも、塗装済み完成品はごくわずか。私の愛したキャラクター達は無塗装のみ。技術、場所、金、一つも無い私には高嶺の花。
そして出会ったのです。
L字型の店舗、昇り階段からは死角になる、フロアの中でも建物裏手側。
ここまで見てきたサイズとは異なる。”スケール”という言葉をこのころには覚えていました。これでも、勤勉なのです。
三分の一スケール、身長60㎝、圧倒的な存在感。
自由なポージングが生み出す躍動感。
人間と遜色ない、多様な衣装。
さらさらと空調の風になびく、本物の髪の毛! 思わず手を触れたくなる絹のような感触が容易に見て取れる。
後で知りました、これはウィッグという人工繊維なのです。人毛ではありません。
そして何より、見る角度によって異なって見える表情、視線が追いかけてくるような瞳の輝き。
キャラクタードール、オリジナルドール、そしてなんと、オーダーメイドで届けられる私だけの子?
企業専属のメイクアップアーティストが生み出すオンリーワン!
ああ、あの子を、この子を、画面越しに見ていた彼女達、いやもしかしたら脳内で生み出す理想の子を、頼める!?
いかにも秋葉原の店舗という雰囲気の中に並ぶ、色とりどりの髪のドールたち。
一転、同じ店舗内とは思えない、一角に作られた自然と光あふれるお洒落なショールーム、清楚可憐な乙女達の花園。
中でも目を惹いたのは華やかなドレスを身にまとい、歌姫の役を演じる黒髪の女性ドール。
嫋やかな肢体から生み出される、天上の調べが今にも私の脳を揺さぶるよう。
紫紺の瞳に吸い込まれ、思わず指が伸びる。ああ、なぜあなたとの間にはこの忌々しい透明の壁がそそり立っているのか。
打ちこわし、貴方をこの腕の中に抱けるなら!
危なく、器物損壊で捕まるところでした。いけません、いけません。
手前にはこの子の紹介文と共に、購入方法が記載されたブローシュア。
イベント限定販売のその子が、今ならここで、受注を受けてもらえる。
矢も楯もたまらず、受注用紙を手に記入。ふと、末尾。いくつか並ぶ金額欄が目に入りました。
ドール本体だけで十数万円。様々な必要な品を含めれば、何倍になるのであろう。
ええ、繰り返します。まだしがない大学院の貧乏学生であった私。
悲しいかな、先立つものなどなかったのです。お金、貨幣経済、この世界を回す絶対の理。
ここでもあなたと私の間には壁がそそり立つというのか!
「次にここに来るのは、貴女を迎えに来るときです」
途中まで記入した受注申込用紙を丁寧に8つ折りにし、ワイシャツのポケットにしまい込む。
心臓に最も近いその位置で、ああ、どうか私の鼓動を聞いていてください。
舞い上がり、茹だった思考でそう願い。
ええ、どうせ大学に残り、研究者となる道は絶たれたのです。企業戦士となって稼ぐ事を心に誓いました。
かくて熱い思いを胸に、戦い抜いた就活戦争。くぐった大手IT企業の門。
研究職としての勧誘も推薦も、全てトラウマに押され断り、営業の道を選んだ私。大手商社、製造、流通、桜散る通知をたたいただき、心優しい面接官からは内向的な君はやはり研究職を、それであれば推薦もするよと、涙腺を刺激する言葉もいただきながら貫いた初志。
よし、ここでの稼ぎをためて約束の乙女を、人形少女を迎えに行くぞ! 少し邪な、しかし純粋な思いで新入社員として門出を迎えた私。
ああ、しかし。待っていたのはアルハラと、エース女性営業のいじめ。あの面接官にはこうした未来が見えていたのでしょうか。
“なぜか”私だけ個別に届くカレンダーインビテーションは時間が違っている。社内外へあることない事、吹聴される。
飲み会で酒が飲めない、話がつまらない、単純に見た目がお嫌い? 誰かしらチーム内で下の者を作る。そうして彼女はのし上がり、己のカーストを高めたリレーションを築き上げている、そう理解したのは後の事でした。私のような営業らしからぬ、大学院卒ゆえに同期より年かさ、少し奥手で内気な男なぞ、格好の標的だったのでしょう。
アドバイザーとなった彼女からいただく社内情報は、たいてい5年以上前の物。助けを求めても、優しいだけが取り柄のような上司のおじさますら、米本社が掲げる女性重用の旗印の元、女性役員とも太いパイプを持つ彼女ににらまれるのが怖くて手が出せない。
果ては唐突に夜中23時半、緊急の提案資料作りのため、機密区画に隔離されたプロジェクトルームで格闘している中、終わり際に呼び出された200人規模の大懇親会。そもそも部門横断のこの会の存在すら、私には通知されなかったのかと諦め半分、集金済みの参加費だと渡され会計に行けば20万円も足りない。窃盗だ、この泥棒野郎! 理不尽に突き付けられた指をへし折りたいところ、培われた精神力を総動員し、我慢。憧れの人形少女を迎えるため、生活を切り詰めて貯めたわずかな蓄えを崩し、補填。何があったかなど皆分かっていただろうに、しかし、失われたのは私の会社での居場所。
もはやたまりかね、店の協力を得て監視カメラの映像を洗いなおす。発覚した彼女を筆頭とした営業グループによる着服。
秘密厳守とされていたはずの企業内告発チームに訴え出るも……。彼女の営業成績、そして社としても国からいただく女性活躍推進模範企業の称号は捨てがたかったのだろう。警察沙汰にする代わりに得たのは、私の異動と彼女の昇進。
こうしてすっかり人間不信、特に女性不審気味な私はますます、醸成されていました。
そのような事件からさらに8年が経ちました。今から3年前の事です。
この時再び、私の運命がは大きく動き出しました。
外資系ITの超大企業ともなれば、部門が違えば別会社も同然。若手いじめの最たるものともいえる事件から、異動命令にある意味救われ。今も尊敬できる上司の元で仕事ができているのは唯一の成果でしょう。それからはまあ、過酷な労働環境ながらも、大変順調にキャリアを積み上げて参りました。
生活にも余裕が生まれた36歳の頃です。
未だ事あるごとに夢見る歌姫の人形少女。
あの神々しい姿。
辛い時、苦しい時、いつも心の中で、”貴方を迎えに行くまで、私は終われません。貴方の歌声を私だけにどうか”そう、心の中で繰り返し、耐えてきました。
今の私であれば、彼女を迎えるにふさわしいと、胸を張って言えますでしょうか。ついに、貴方を迎えに行く時が来たのでしょうか。
再び秋葉原の地を踏むのは貴女を迎えに来るとき。
12年越しのその誓いをようやく、履行するときが来たのです。
そうして、会社からさほど遠くない秋葉原の店舗へ、再び足を運んでいました。
階を上るたび、高鳴る胸の鼓動。
ああ、貴方を閉じ込めるあのショーケースが、ついに目の前に。
かつて歌姫が、今にも天上の調べを奏でんと開こうとする唇をうっすらと開く彼女が、在ったその場所。
そこにいらしたのは、可憐で幼げな、ふわふわとした金の髪を戴く、童女の人形でした。
熱い思いに逸った私の愚かしさたるや。あまりの浅慮にこの長い年月、何をしていたのかと、脳障害を疑い掛けました。当然ながら、とうの昔に彼女の受注期間は過ぎていたのです。
ああ、年月を経、彼女を迎える熱意を胸にただひたすら想い、恋焦がれた日々。その終焉がこうも唐突に。
希望を求めてやってきた、この夢の地で、さらなる絶望に突き落とされるとは。
あれだけ輝かしく、華々しくかつて目に映った数多の人形少女達の姿も、まるで闇に閉ざされたように、無機質なものに見えてしまいました。生命あるもの、理想の体現と、かつて胸高鳴らせた想いを汚すのが怖くて、急ぎ背を向け下り階段へ。
しかし、捨てる神あらば拾う神ありとはこのことでしょうか。
店舗の外、通路に面したガラスのショーケース、そこには1枚の広告紙が。
あの歌姫が! 復刻! 再販!
チャンスはイベント会場での限定販売のみ!
あぁ、だのに、だというのに! その日、その日曜日は、システム切り替えの立ち合いの日。抜けられない、抜け出せない。
運命の神様はここまで私の事を嫌っていらっしゃるのか! 信心など生まれてこの方もたぬ身なれど、この時ほど神を、わが身を呪ったことがありましょうか。
「あの~。お兄さん、歌姫ちゃん、お迎え希望の方ですか?」
天使の声が耳に響いたのはその時でした。