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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕は僕っ娘ではない

無物

作者: 佐竹梅雨

  意識が伊号のように浮上する。ボヤけた視界が脳を埋め尽くす。何度か瞬きをして、ベッドの布団を除ける。両手を後ろについて体を起き上がらせると、目の前にカメラがあった。黒いレンズのカメラ。人の目ではないのと思うも、シャッターを切る音がした。


 


「んぅ…………?」


 


 疑問に思う。両目を擦ろうとして、またシャッターを切る音。写真撮影か何かなんだろうか。ようやく視界が明瞭になって、またカメラを見る。またシャッター音。煩わしい。


 よく目を凝らすと、そのカメラは白衣の人間が構えている物だった。白衣。医者なのだろうか。軍病院か。


 


「ここはど」


「そのまま笑ってください」


「あ、了解」


 


 よく分からないけど、笑ってくださいと言われたから、笑う。作り笑いだけど、今は心底笑えるような気持ちではない。場所を聞こうと思ったのに。


 シャッターを切る音。この男は何故僕の写真を撮るのだろうか。仕事の一環なのだろうか。


 


「はい、そのまま服を脱いでください」


「ん? 了解」


 


 ベットから降りて、服を脱ごうとする。リノリウムの床のひんやりとした感触が、足にある。ズボンを脱ごうとして、僕は違和感に気づいた。


 肌が白い。イギリス人やドイツ人より白いかもしれない。これは白い。


 そして、細い。足が細い。一種の芸術品と言っても良いかもしれない美しさがあった。


 そして、ズボンを脱ごうとする手も、白くて指が細かった。まるで、少女の様な。


 僕の肌はこんなに白かっただろうか。いや、日本人の男である僕はもっと黒かった。


 僕の足はこんなに細かっただろうか。いや、もっと太くて筋肉が付いていた。


 僕の手や指はこんなに細くて白かっただろうか。傷もなかっただろうか。いや、全部ない。あり得ない。


 そして、下品だが、股間に付いていた物がない。感触がない。


 これはどういう事なんだろう?


 


 僕はカメラを構える男の方を見る。シャッターを切る音。さっきから本当に煩い。シャッターを切ったカメラを仕舞うと、男はどこからかカメラを取り出して、僕の方に構える。


 


「早く服を脱いでください」


 


 いや、それだけ? それよりも僕の異常事態と思われるこれを説明してほしい。起きた時から居るという事は、何かしら知っている筈だ。


 試しに、僕は自分の胸を触る。そこには、確かな膨らみがある。これは、そうだ。


 乳房だ。それもかなり小さな。


 


 シャッターを切る音。


 


 僕はカメラの方を見る。


 


「あの、女性になっているのですが」


「早く服を脱いでください」


「いや、だから」


「服を脱いでください」


「そういう事じゃなくて僕が言いたいのは」


「こふっ」


 


 男が吐血した。あれは大丈夫なのだろうか。倒れてしまったが。ズボンを履き直して、男の方に駆け寄る。仰向けになった男の目は、宙を舞っていた。


 


 これ、駄目な人の目では…………?


 


「大丈夫ですか?立てますか?」


「ぅ、うん……立てるよ。私にはまだやらなけれ……ば……ならないことが」


「手を貸そうか?」


「いや、それには及ばないよ」


 


 男は座ったまま起き上がる。そして、僕の方を見る。


 そして、僕のズボンを両手で掴む。


 


「え?」


 


 そして、男は真顔のまま、僕の履き直したズボンをパンツごと、掴んだ両手で下に振り下ろした。


 


「え?」


 


 シャッターを切る音。


 


「ふむ。いつ見ても良い出来映えだ。美しい……こふっ」


 


 僕は下を見る。そこには何もない。僕を男性だと証明する物はない。代わりに、それが僕を女性だと証明することになっていた。


 そして、僕はそれを見られた。見ず知らずの男に。その事実を認識した瞬間、顔が熱くなる。見られた? 男だったらまだしも、女になった時にここを?え?


 


 シャッターを切る音。


 


 下半身に何もない僕は、音のした方向を見る。そこには、カメラを構えた男が床に座っていた。


 口から血を流して、カメラを両手で抱えたまま、恍惚の表情を浮かべていた。


 


「え、え?は......は、え?」


 


 その時、顔が熱くなり、全身が熱くなったのは、羞恥心だけが原因ではなかったと思う。


 この白衣の男に対して、腹が立った。恐る恐るパンツとズボンを履き直すと、僕は感情をそのまま露にした。今回ばかりは我慢ならない。


 


 ぶち殺す。


 


 こんな感情を抱いたのは、久しぶりだったかもしれない。少なくとも、戦争に行っていた僕にこんな感情は芽生えなかった。


 


「この変態がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 


 感情を拳にのせて、僕は男にそれを叩き込んだ。我ながら煩いと思うが、こればかりはどうしようもないのだ。


 殴られて嬉しそうな男を見て、余計に腹が立った。


 


 ***


 


「痛いって!痛いからそれ止めて!」


「黙れ」


 


 男の静止も聞かずに、僕は男を殴り続ける。人の許可も得ずに服を脱がす方が悪いのだ。


 


「それやられるいてっ、説明できる痛あぁぁぁぁぁ!ものもできないあぅっ」


 


 僕は男を殴る手を止める。今、『説明できるものもできない』と言ったよね?


 


「では、説明してください」


「分かれば良いんだ。分かればね」


 


 白衣のあちこちが破け、口から血を流す男は、こちらの怒りを誘うような笑顔でそう言った。男は立ち上がると、白衣に付いたゴミを手で払った。こうやって見ると、僕はこの男を見上げる形となる。僕の身長が小さくなったということか。


 


「とりあえず、此処で話せる内容ではない。だから、僕の研究室に行こうか」


「今すぐ話してくれる訳ではないのかい?」


 


 怪しい。この男、胡散臭いぞ。


 


「あぁ、此処は色々対策ができていないからね。僕の部屋ならそれができている。同行してくれ」


 


 良いのだろうか。この男に付いて行って。初対面で女性に、それも子どもの僕の服を脱げとか言った上に、ズボンとパンツを同時に脱がせてきた変態だ。変なことをしないだろうか、主に僕に、主に性的な意味でだ。


 


「どうするんだい?君が同行してくれないと、僕としては困る」


 


 そんなの知ったことか、と思いたいが、今の僕の現状の経緯を知っている可能性もある。しかし、こいつには初対面の瞬間から作られた前科がある。可能性に賭けたいが、危険な予感もする..............................いや、試せば良いのか。それで考えよう。


 


「さっき撮った写真を全て燃やせば考えてあげるよ」


「ん?写真とは何の写真だ?」


 


 こいつ、知らないフリをしやがって......仕方ない、言うしかないのか。


 


「............僕の寝起から、僕がズボンと......パンツをお前に脱がされた時までにお前が撮った写真だよ! 」


「えぇ、あれか......」


「あれだよ」


 


 男は唸る。


 


「あれ、どうしても燃やさないと駄目なのかい?」


「じゃなかったら要求しないよ」


「そうだよなぁ」


 


男はしばらく天井の電球を見ていたが、僕の方に向き直った。


 


「解った。焼却処分しておくよ。どうしても必要な物ではないからね」


「それで良いよ」


 


 必要な物ではないのにあんなに撮っていたのか......嫌な気分だな。


 


「まぁ、君が眠っている間に全裸の写真を数百枚撮ってあるから、何の問題もないしね」


「それは問題だろ」


 


 は?は?は?何やってるんだこいつは。そんなものを写真に撮らないでくれよ。流出したら一生の恥じゃないか。


 


「それも燃やせ」


「それは無理だ。医者として、患者の状態は確認しておかなければならない。証拠としても上に提出しなければならないしね」


「それはそうかもしれないが............というか、その写真、別の所に出されるのか?!」


 


 物凄く嫌だ。自分の裸体を他人に思いっきり見られるのは嫌だ。


 


「それが命令だ。嫌かもしれないけど、とことん嫌なら嫌がってくれ。私としては嫌がって顔を赤くする美少女を見るのが生き甲斐だからな」


 


 こいつ、やっぱり変態だろ。何で嫌がって顔を赤くする美少女を見るのが生き甲斐なんだ。感性が理解できないよ。あの写真と僕への説明を天秤に掛けさせて、僕への説明を取ってくれたから、まだ真面な人かと思っていたけど、今の発言で僕の中のあいつの人物像が完全に変態に上書きされたよ。しかも、真顔でそれを言っているのが気味悪い。男性であった時に会っても、嫌な気分になっただろうな。


 


「もう勝手にしてよ............」


「言われなくてもそうするよ。この写真は燃やすから、私の記憶に刻み込んでおけば良い」


 


 そう言って、男は僕の写真を鬼の形相で見始めた。吐き気がする。


 


「..................お前ごと燃やすぞ」


「これは失礼。君が居ない場所で見るとしよう」


 


 男は写真を懐に仕舞う。


 こいつ、本当に胡散臭いぞ。僕の上官並みに胡散臭い。


 


「それ、本当に焼却処分してくれるんだよね?」


「あぁ、するよ」


 


 焼却されようがされまいが、こいつの中には永久保存されて色々な素材になるのだろうと思うと、自分の体を呪いたくなってくる。


 


 何でこうなった。


 


 男に連れられて、部屋を出る。窓のないコンクリートでできた通路を数分歩くと、男と僕は別の部屋に入った。


 部屋の中は、本と書類で埋まっていた。あちこちに埃を被ったり被っていなかったりする紙の大群が床と壁を占領しており、まるで山岳地帯の様になっていた。要は、整理整頓ができておらず、汚いということだ。よく燃えそうだね。


 


「そこに椅子があるから座ってくれ」


「その椅子が見えないのだが?」


「君の目は節穴かい?そこにあるだろう?」


 


 男が指差した方を見ても、椅子は見当たらない。この僕の目でも見つけられないって、どういう事態なんだ?本当に見えないよ。


 


「お前の部屋が汚すぎて見えないよ。案内してくれ」


「私の部屋が汚い?汚くないだろう。この部屋がとても機能的だと君は解らないのか?」


「それはどうでといいから案内してくれ。僕には分からないんだよ」


 


 何が機能的なんだ。絶対に、お前にとってしか機能的ではないだろう。他人がこの部屋を使ったら、汚いと思うだろうし、何が何処にあるかなんて分からないだろう。


 


「おかしいな......何か間違えたか?」


 


 部屋の作りを最初から間違えてると思うよ。


 男に案内されて、僕は本に埋まった椅子に座った。こんな小さな椅子を本と紙の草原で見つけるのは難しいだろうよ......盗聴器、紛れてないよね? 


 


 男は部屋の向こうにある机に座る。


 


「さて、では説明しようか」


「ようやく説明してくれるんだね」


「あぁ」


 


 男は懐から魔法瓶を取り出すと、それを飲んだ。匂いからして、あの黒豆汁だろう。


 


「あなたは大日本帝国海軍第一特戦隊所属、階級は中佐。暗号名は魔弾ですね」


「そうだよ」


 


 僕は頷く。確かに、僕の名前は魔弾だ。僕は狙撃兵だった。


 


「日本時間で1918年12月21日16時25分頃に、あなたは戦艦安芸に乗艦中、ユトランド沖でドイツ帝国海軍の主力艦隊と交戦中に重傷を負い、意識不明の重体になりました。幸いにして、あなたは一命を取り留めましたが、右目と両腕と両足を失い、昏睡状態になり、今日の13時まで意識不明でした」


 


 そう、僕は傷を負った。最後に見えたのは、射撃指揮所からの青空だったか。煙で全然見えなかったけど。あの時体が動かないと思ったが、そうか、四肢を失っていたら、それは動けないか。


 


「だけど、僕は手足があるよ?これはどういうことなんだい?」


「それは私が作った。あなたの体を、私が一から作り直した」


「今の医療技術で、それが可能だったのか?」


 


 男は笑った。あの腹が立つ笑顔。


 


「不可能だね」


「ではなぜ?」


 


 男は更に笑った。さっきよりも、はっきりと。


 


「私の技術なら、それが可能なのですよ。私の名前は人形師。私はあなたと同じく鬼人なんですよ。魔弾殿」


 


 それを聞いて、僕は更に腹が立った。


 


「僕をこんな体にしたのは、お前の仕業だったのか」


「おや、『こんな体』とは失礼ですね。折角、また動けるようにしたというのに。それに、美しい体だと思いませんか? 私は体を作るのなら、美少女にすると決めているのですよ。あなたの体は作るのには2ヶ月もかかったのですよ。髪も黒にしようか、白にしようか、それとも虹色にしようかと迷いましたし、乳房の大きさも苦労して調節したのです。そもそも、鬼人の体を作るのはとても大変なのですよ。それはあなたはこんな体とか言って!恥を知りなさい」


「いや、そんなの知りませんよ」


 


「あなたの性格も考慮したのですよ! あなたの一人称が如何なる時も僕なのだと知った時、私は閃いたのです! 可憐な美少女が、男らしい僕という一人称を使った時、何か底知れぬ快感が私の体を駆け巡りました。女なのに心や一人称は男! こんな少女が男に求婚を迫られた時にどう思うのだろうか?どう反応するのか?!」


 


「止めろ!気持ち悪い!僕にそれ以上その話をするな!」


 


 凄い気持ち悪い。自分が今の状態で男に結婚を迫られるたらと考えると気持ち悪いし、もし結婚してしまったら............想像したくないけど、肉体関係をどこかで持つことになる............


 


「あぁ!結婚してください!」


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 


 反射的に側にあった分厚い本を手に取ると、人形師に投げつける。狙撃兵の頃の経験と能力によって正確に軌道を描きながら飛翔する物体は、人形師の額に鈍い音を立てて命中した。


 


「痛い........................」


「はぁ、はぁ、僕にその話を二度とするな」


「すまない............私が大人気なかった。こういう類いのものは私の脳だけに留めておこう」


「あ、そうですか」


 


 これ程特定の人間を狙撃したいと思ったことはない。今すぐこの鬼人の頭蓋骨を砕いて銀弾で脳を破壊したい。


 


「えっと、どこまで話をしたのでしたっけ?」


「お前が僕の体を作ったというところまでだよ」


 


「あぁ、そうでしたね。取り敢えず、私は上からあなたを復活させるように命令を受けたので、その対価として魔弾殿を私の望む美少女にするということになりまして。あ、勿論、魔弾殿の能力は失われていませんよ。潰れた右目は魔弾殿の左目を元に復元致しましたし、何なら、今使えるか試してもらっても宜しいですよ?」


 


「それはさっき確認したから問題ない」


「そうですか。良かったです」


 


 この人形師という鬼人は変態だが、能力は確からしい。どんな能力かは分からないが、肉体を一から作れるというのは確かだし、僕の能力の中枢の一つでもある目を複製できるなんて............こんな強力な鬼人が存在していたなんて、一度も聞いたことがなかったよ。


 


 というか、それよりも......


 


「こんな体にしたお前もお前だけど、僕を復活させる対価に僕を少女にすることを認める、上というのは一体どういう組織なんだい?海軍はそこまでふざけた組織ではなかった気がするよ?」


「それは今からお答え致しますよ。驚かれるかもしれませんが、あなたはもう海軍軍人ではありません」


 


 え?今、こいつ何て言った?


 


「おや、そのお顔だと、大層驚かれたようですね。あなたと私の上についている組織は、陸軍でも海軍でもありません」


「じゃあ、何なんだい?」


 


 人形師は嗤う。自分の創った人形が、表情を変えるのを楽しんでいるように。


 


「権田市統制委員会。鬼人を管理する五つの国際自治都市の一つ。それを治める最高権力機関です」


「何だ、その組織は?僕が眠っている間にできたのか?あんなに海軍が僕を生まれた時から手放さなかったのに、そんな聞いたこともない組織の下に居るのか? 僕は」


 


 人形師は頷く。


 


「はい、そうです。海軍は権田市統制委員会の圧力に負けて、あなたを手放しました。元より、人間の技術では治る見込みもありませんでしたしね。戦争時は権田市統制委員会の一存で、海軍か陸軍にでもあなたを貸し出しすることになっていますから、そうしたら、何とか手放してくれたそうですよ」


 


 海軍が僕を手放す?圧力に負けた?戦略兵器たる鬼人を、軍が手放すなんて、異常事態だよ?!普通ならあり得ない。


 逆に、そんな事態にした権田市統制委員会は一体何なんだ?そんな組織は僕が起きていた時にはなかった。権田市なんて、精々横須賀近くの田舎なのに。


 


「人形師......僕はどれくらい眠っていたんだい?」


 


 状況が変わりすぎた。巨大な政治権力である軍を相手に戦略兵器を手放させる権田市統制委員会は普通の組織ではない。そんな組織が、一朝一夕でできるなんて考えにくい。


 


「今は1946年2月15日。ということは、ざっと17年ほどでしょうか?」


「..................大分眠っていたようだね」


「魔弾殿は、それほど重傷でしたからね。私も、今の魔弾殿を創るのに苦労しましたから」


 


 17年。17年も眠っていたのか。17年も経ったら、そりゃあ世界も変化する。それに、あの戦争は正に世界大戦と言っても過言ではないものだ。何か社会変化があったのかもしれない。ロシア帝国も潰れてしまっていたし。


 


「軍を離れた僕は、何をさせられるんだ?暗殺かい?」


「それは、私が答えるものではありませんよ。あと二時間したら、ある人物がそれを伝えに来ます。それまで此処で待機してください」


 


 おい、それは聞いていないよ!


 


「この汚部屋で?」


「はい。それまで、私が魔弾殿の体の状態を検査するので」


「それは止めろ」


 


 こいつは信用できない。


 


「いいえ、止めません。他の職員に魔弾殿の存在を漏洩させる訳には参りませんし、体に異常があったら私が統制委員会から責任を問われます」


 


 思わず後退りしたくなる。しかし、周りは本と紙の山。逃げ場はない。


 


「なので、実力行使で強引にさせていただきます。銃を持っていない魔弾殿なら、御し易いので」


「っ?!」


 


 こいつはヤバい。逃げないと死ぬ。


 椅子から立ち上がり、本の山を突っ切って出口まで行こうとした時。


 


「私の部屋を汚す行為は控えていただきたいですね。魔弾殿」


「なっ?!」


 


 動けない。鎖骨を掴まれている。両手と両足も、何かに掴まれて動かせない。両足も地についていない。


 


「離せっ!」


「それは無理です」


 


 僕はどこからか出てきた黒い人影に、縛られていた。


 


「私は人形師です。支配人形なら、即席で創って展開することぐらい、御安い御用です」


「離せ!離せよ!」


 


 黒い人影、支配人形は離す様子はない。鬼人の怪力を以てしても、拘束から抜けられない。


 また剥かれるのは勘弁してほしい。


 


「離せっ!離せよ~!」


「では、失礼します」


 


 やめろやめろやめろやめろ、僕のズボンに手をかけるなぁ。


 


「いやっ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 


 後から、こいつの部屋が防音部屋だと知った。どこかに脱がせられにくい服はないのだろうか。


 その後に何があったのかという事は、言いたいと思わない。人間には言及して欲しくないと思う記憶はある。それは鬼人も同じだ。そういう恥と屈辱にまみれた記憶であればあるほど、夜に布団の上で思い出してしまうのが本当に嫌なことだ。


 


 ***


 


 思うように動かない体を叱咤しながら、ズボンを履く。柄にもなく興奮してしまった。怒りと羞恥に呑まれたせいで、あの人形師に一言も返せなかった。何が『風邪を引く前に服を着てください』だ。脱がしたのはお前だというのに。


 怒りと羞恥を抑えながら、本と紙に囲まれた椅子に座る。この埃っぽい部屋も掃除しておいて欲しかった。こんな場所で2時間も待つのは嫌だ。


 


 仕方なく、人形師の本の山を漁る。漁ってはいけないとは言われなかったため、好きなだけ漁る。何か面白い本があれば良いのだが、あいつは自身のことを医者とも言っていた。医者でもない僕が、人体を創りあげてしまう医者の部屋の本を読めるのか、怪しいものだが。


 


 『今回の大戦に於ける鬼人について』 著・大日本帝国軍総合参謀本部戦略研究課


 


 書類の山を漁っていて、そんな物が転がり込んできた。若干黄ばんだ紙の書類。紅い極秘の印が大きく押印してあった。その色の組み合わせが、オムライスを想起させた。


 軍の極秘文書。こんな物まであるのか。人形師もそうだけど、こんな物を手に入れることができるなんて、権田市統制委員会は何でもありだね。これでは外国の情報機関と同じだ。


 


 中身は、大戦中に確認された鬼人のリストだった。ほとんどが僕の知っている鬼人だけど、知らない情報も混ざっていた。


 


 僕が殺した鬼人も入っていた。名はHabicht。ドイツ帝国海軍の戦術級鬼人。音速と同等の速度で飛行する能力を持つ鬼人。その鷹という名前の通り、海軍飛行隊を半壊させた怪物だった。だけど、遺体の損壊が激しくて、調査は全く進んでいないということだった。内容のほとんども、僅かに残ったドイツの機密文書からの写しだ。目新しい情報はなかった。


 


「ん............?これは?」


 


 黒鯨の項目があった。黒鯨は、イギリス海軍の戦術級鬼人。ヨーロッパ戦線に投入された時に、一度だけ顔を合わせたことがあった。


 全身が甲冑の騎士だった。名の通りに甲冑は黒く。結局、僕に素顔を見せることがなかった。


 


「黒鯨は第二次ユトランド沖海戦で戦死..................」


 


 どうやら、本当に顔を合わせることはなくなったらしい。死んでしまっては、僕が彼に会うことは二度とない。


 もしまた会っていたら、彼は僕に顔を見せることはあったのだろうか。いや、そもそも今の姿で向こうが認識してくれるかどうかが問題だ。こんな小さな体でも、彼なら笑って認めてくれそうだけど、死んでいるからそれは永遠の謎だ。


 


 黒鯨の項目を読んだら、他の項目を読む気が起きなくなってしまった。彼と話した時間は短いけど、そんなに仲が良かったのだろうか。僕は彼のことを嫌いにはならなかったけど、彼が僕のことをどう思ったのかは聞いたことがない。煩わしかったのか、それとも気にもかけていなかったのか。


 


 彼がそんなに大切な鬼人だったのかと聞かれると、大切だとは言えない気がする。だけど、大切じゃないと言うと、彼に失礼な気もする。だから、明確な答えが出ない。いや、出したくない。


 書類を元よりあった場所に戻す。続きを読むのは、また別の機会にしよう。いつか、また読むことになるだろうし。


 


 それに、扉が開く予測も見える。僕は本の山に身を隠すと、本能的に息を殺した。扉が開く金属音。物音がしなかったけど、暫くすると小さな足音が聞こえた。大人の足音ではない。とすると、人形師ではない?子ども?いや、人形師の支配人形の可能性もある。だけど、あいつなら一言声を掛けそうなものだけど、あの変態だからな............常識が通じるのかが不安だから断定できない。


 気を見て姿を現すか?だけど、誰なのかが分からない状態で身を晒したくない。僕は魔弾。いつ殺されてもおかしくない人物だ。


 


「そこに居るんだろう。魔弾」


 


 名前を知っている?何者だ?人形師の言っていた人か?いや、断定は危険だ。少なくとも、普通の人間ではないことは確かだ。しかし、声が子どもだ。高い。何だ、この人物は?


 


「居ないのね。居ないなら人形師から写真を先に見せて貰うからね」


「居るよ!」


 


 写真ってあれか。あいつまだ処分してなかったのか。後で絞めよう。


 


「あなたが魔弾ね。その見た目は......やっぱり、人形師は仕事をしたみたいね」


 


 扉の前に、一人の幼女が立っていた。白髪を腰まで伸ばし、西洋人のような青い瞳。とても人間とは思えない容姿だった。


 


「さっきから人形師と言っているから、君は人形師の関係者なのかい? 僕の事も知っているみたいだし」


「えぇ、知ってるわよ、魔弾。この様子だと、人形師はまだ戻っていないようね」


 


 幼女は部屋の中に入って来ると、辺りを見渡すと「相変わらず汚いわね」とこぼした。人形師、やっぱり汚いと言われているよ。


 


「君は誰なんだい?ただの子どもだとは思えないし」


 


 僕の問いかけに、幼女は無表情のまま答えた。


 


「私は無物。鬼人よ。役職は権田市統制委員会会長。人形師やあなたの上司にあたる者ね」


 


 この娘が上司?何かの冗談?だけど、鬼人が見た目通りの年齢をしていない事もある。ガワは幼女でも、中身は別物なんてことはある。僕もそういうものになってしまったのだし。


 


「人形師が言っていた、僕のやることを伝えに来る人って、君のことかい?」


「そんなものね」


 


 トップ自ら御訪問か。こういう時は面倒くさいことをやらされることが多い。覚悟しておこう。


 


「それで、僕のやることはなんだい?」


「あなたには今日から別の人物になってもらうわ」


 


 諜報員かな?出来なくはないね。


 


「おや、お嬢様。もういらっしゃっておられましたか」


 


 開いている扉から、人形師が顔を出した。お嬢様と呼ばれた無物は、振り返らずに答える。


 


「人形師。あなた、私が来た時からずっと付いて来ていたでしょ」


「はて、何のことでしょうか。それよりも、扉は閉めておいてください。秘密が漏れるのは好ましくありませんからね」


 


 人形師はそう言うと、部屋に入って扉を静かに閉めた。流石変態。音もしない。尾行は上手いのかもしれないな。理由は不明だけど。


 


「人形師、魔弾の体はどう?」


「異常ありません。私が直に触って確かめましたから」


「そう。元男とはいえ、起きて早々に災難ね」


「その事に関しては触れないでくれ」


 


「相当参ってるわね。人形師、あなたもう少し真面なやり方で検査しなさい」


「自分の手と目で確かめるのが一番です」


「答えにもなってないじゃない」


 


 墓場まで持って行く。あいつも連れて。


 


「それで、『別の人物になってもらう』とは、どういうことなんだい?」


 


 諜報なら、経験はあるからね。


 


「あぁ、それね。魔弾、あなたは今日から魔弾の名を捨てて貰うわ」


「なぜ?」


 


 魔弾は僕の唯一の固定されていた名前。それを捨ててもらうなんて、それ相応の理由がなければ納得できない。


 


「そんな怖い顔しなくても教えるわよ。代わりに、あなたには新しい名前をあげるから」


「新しい名前?」


「そう、新しい名前。その体で魔弾の名を名乗られるのは、こちらとして色々不都合なのよ。軍の連中にあなたの存在を嗅ぎ回られるのは厄介なの。だから、名前と見た目も変えてもらったわけよ」


 


 そう言って、無物は僕に一枚の手帳を手渡した。黒い手帳。表には、何かの花の金の刺繍があった。


 


「それはあなたの身分証よ。名前は長伊百。姓は長伊で名前が百よ。身分は学生。年齢は12歳。権田市第一女学院中等部の一年生ね」


 


 この時、魔弾は死んだ。


 


 権田市第一病院の医学の最先端の技術を集めた手術でも、彼を救うことはできなかったのだ。彼は以前と同じ、昏睡状態だった。



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[良い点] 僕っ娘の微妙に恥ずかしがる姿が非常に良く、妄想を膨らませた。恥じらう僕っ娘……しかも裸体……興奮が止まらなかった。また、僕っ娘の裸体をついつい撮ってしまう医者の気持ちが非常に共感でき、それ…
[良い点] Χорошо [一言] Χорошо
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