第七話 不思議な少女と不思議な少年
「うんうん、綺麗になってるね」
「まあ、アオイさま、いらしたのですか?いきなり声をかけないでくださいまし」
「君って、僕たちに対する態度が年々酷くなってきてるよね……」
ヒサナさんに連れられ支度部屋を出ると、アオイさんが廊下で待ってくれていた。
「王」だと言っていたのに、対するヒサナさんは随分と砕けた口調で、言われた当人も怒ることもなく笑っている。
日葦家ではありえなかった光景だ。使用人と主が築くには珍しい、けれど良い関係だな、と頬が綻んだ。
「そんなことよりもっとちゃんと見てくださいまし!あたしの最高傑作ですわ!」
ずい、と後ろから押され、アオイさんの前に出される。
彼は相変わらず頭からすっぽりと外套を被り長い前髪で隠してはいるが、その目は私を正確にとらえた。
女は苦手、と言っていたのに、私を見て、に、と笑う。
「残念!彼女が美人なことなんて、僕は生まれた時から知ってるもんね!」
「なあんだ。またお得意の予言ですか?女に免疫のないはずのアオイさまが、どおりで逃げずにいるわけですわねえ」
「君は本当にはっきり言うね。十年の仲じゃなければ不敬でとっくに解雇だよ。まあいいや。次は自信をもたせるために、ちょっとその辺を回って来てくれる?ついでに何か食べてきてもいいよ。こっちも時間かかるから」
「はあい。おまかせくださいまし!」
なんだかよくわからないうちに、早口なアオイさんと同じくらい動きの速いヒサナさんによって、私はお屋敷の外へ連れ出された。
その道中、先ほどの会話の疑問はヒサナさんに教えてもらえた。彼女はとても説明が上手だ。
散歩をするようにゆっくりと歩きながら、比良坂の様子を見ていく。
「アオイ様は予言の力があるんですのよ。代々の那由多……お母様にもあったらしいのですが、アオイ様は歴代でも別格のお力なんですって。なんでも、先に起こることをはっきりと言い当てたり、さっきみたいに、お会いしたことないはずの人の容姿を、見て来たみたいに言ったり」
不思議ですよね、と続けて笑う。
予言とまではいかないが、占をする者とは私も会ったことがある。
日葦の祖母だ。
祖母は呪われた孫の私を憐れんでか、唯一殴らずに躾をしてくれた人だ。
祖母が占で当てた一番大きなものは、私が生まれる少し前。「大日神の化身がもうすぐ日葦家に生まれる」というものだった。
のちに生まれた真矢を見て、あれは三宮のお腹に宿った命のことだったのだと結論付けられた。
祖母の占でもしも私に対して「呪い児が生まれる」やもっと邪悪な結果が出ていたら、きっともっとはやくに家を追い出されて、ここへ流れ着くことになっていたかもしれない。
歩く桟橋の奥で、微かに揺れる水面が晴れた空を映している。
流麗で荘厳な場所だ。
忌むべきものだと教えられてきた水の流れが、こんなに美しいことを知らなかった。
少し前を歩きながら、ヒサナさんが「こんなに晴れるなんて珍しい!」と踊るように回って声をあげた。
見渡す他の住人の方々も、洗濯をしたり光る水面を見つめたり、思い思いにと過ごしている。その顔は皆晴れやかだ。
もっとはやくここへ来ても、良かったかもしれない。
「あの、ヒサナさん、ここには、色んな方がいるんですよね?蜘蛛も、いるかしら?」
「蜘蛛……ですか?土蜘蛛とは呼ばれてるらしいですけど、実際に土蜘蛛なんていませんよ?」
私を安心させるためだろう、彼女は微笑んでそう言った。
御伽話の土蜘蛛がいるのではないかと、怖がっているわけではないのだけど。
「実は、うまく説明できないのですけど、私、小さい頃に土蔵に閉じ込められて折檻されたことがあって……」
「折檻!?虐待じゃないですか!」
「いえ、ぎゃくたい……ではなくて、父の躾だったのですけど」
その時に、一人土蔵に残された私を、見守ってくれていた子がいた。
暗くて寂しくて怖くて、泣き出しそうだった私を、同じくらいの年の子どもが見ていた。
格子の窓の向こう、草陰に隠れて心配そうに。丸い目を慈愛に染めて、じっと黙って、励ますように。寄り添うように。
言葉を交わすことも、触れ合うこともなかったが、一族の誰にも見向きもされなかった私を、あの子だけが心に置いてくれていた。
あの子が見ていてくれたから、私は涙をこぼさずに堪えられた。一人でいたらきっと、妹への文句や、父への悪態をついて心が淀んでしまっていただろう。
私を“ヒト”でいさせてくれた、あの子どもは、私がその日、手のひらですくった子蜘蛛だった。
「???蜘蛛?子ども?え?どっちですか??」
「私、変ですよね」
私には、土蔵で見守ってくれていた少年は、なぜだかあの蜘蛛の子だと思えたのだ。
「昔から、私が見たことを伝えると、大人も妹も従兄弟達も、おかしな顔をするのです。私には、手のひらに乗せた蜘蛛の子は“男の子だ”と思えました。そして土蔵で寄り添ってくれたあの子は、昼間の蜘蛛だと思いました」
蜘蛛はどこでも歓迎されないから、人の姿を取れるような不思議な蜘蛛なら、なおさら。
あの日も、豊原を追い出されて行くところがなく、日葦の屋敷へ迷い込んでしまったのかもしれない。
追い出されたあの子がどうなったのか、ずっと、薬指の傷を見るたびに想っていた。
もしもここにいるのなら、会ってお礼を言いたい。
「そういえばサヤさまはアオイさまたちの見分けもついていたみたいだし、特別な、なにか不思議な力でもあるのでしょうかねえ」
漏らすようにしたヒサナさんの顔を、見つめた。
「え、っと、見分けが、つかない、ですか……?」
「ええ。だっておんなじお顔じゃないですか。あたしは子どもの頃からここに勤めてますけど、まだ難しい時がありますよ?話し方や髪形で見分けるようにはしてますけどね。寝起きの時とかよく間違えちゃいます。初めてお会いした時なんて、混乱して呼び間違えては侍女頭のねえさんに何回も叱られました。だから、さっきもきちんと見分けてて、すごいなって」
似てはいる。
私も、水底の夢で見た方と、ふたりともを間違えたくらい。
豊原で実際に会ったことはないが、双児はそっくりなものだと聞いていたから、本当に似ていて少し驚いた。
けれど並んでいれば服装も髪型も違うし、なにより雰囲気が正反対だ。
話し方も声も。
アオイさんは少し気弱なかただけど、アサキさんは少し粗暴。けれど、その声からは怖さや、押さえつけるようなものは感じない。優しい、空に浮かぶ雲のような、ふわふわした声。
「お顔はたしかに似ていますが、ぜんぜん違いますし……」
「そっか、だから選ばれたのね。きっとそう」
ヒサナさんはなにやら納得したように頷く。
「さあそろそろ戻りましょうか。アサキさまのご用意も終わった頃でしょうし。にう走って逃げるなんてダメですわよ?アオイさまでなければ追いつけなかったところですよ」
「あ、えっと、あ、アオイさんはお食事も、とおっしゃってましたが……」
なんとなく、この姿をアサキさんに見せるのは恥ずかしい。
初対面が川の中だったのだし、その後もずっと、川で汚れた汚らしい格好のまま話した。そのまま抱えられもした。
今さらこんな上等な衣装を着せられたところで、元の私を知っているのだから、なんとも思わないだろう。また気を遣わせてお世辞を言わせてしまうかもしれない。
それは少々、耐えられない。
だって那由多のお屋敷の周りを歩くだけで、町の人たちが皆好奇の目で見ているのだから。
「では、もうひとつ面白いお話を。さっき、アオイ様はご飯を食べてくるように言いましたよね?」
私の不安を見て、打ち消そうとしてくれているのだろう、ヒサナさんは歌うように続けた。
急に、恋を教える姉のように。
紅色の唇は、不思議な物語を紡ぎだす。
「比良坂では出された料理を食べると、その料理を作ってくれた人のモノになっちゃうんです。ここでは求婚の際にそれを利用する殿方も多いのですよ。ふふ、気を付けてくださいまし」