もう手遅れなのよ。時は戻せないの。橋の下に埋まっているし。
日本庭園の遺体の正体が発覚した3日後、僕は近くの河川敷を散歩していた。理由は当然、小説のネタ探しである。本当であれば日本庭園の水琴窟についてのホラー小説を書いて賞をとるつもりでいたが、死者がでている以上、そうは問屋が卸さないだろう。そこで他の近隣のオカルトスポットとしてこお河川敷が選ばれた、というわけだ。
河川敷には様々な話のテーマが存在する。例えば、橋の下や三途の川という印象からのホラーもの、暴走族の決闘などの不良もの、河川敷で暮らす人々のドキュメンタリー、川の生物の観察、河川敷を自転車で二人乗りする高校生の青春、台風が来たときは近寄るべきでないという教訓、などなど。河川敷は様々な世界が融合し得る場所だ。河川敷の魅力がすごいよ。
そういった場所なので河川敷には様々な人がいた。例えばアマチュア無線が趣味の伊藤さんはよく誰かと連絡を取っていた。またドローンを飛ばすのが趣味の國山さんという人がいた。彼が言うことにはドローンを飛ばすことにおいては他のドローンと衝突しないことが第一らしい。畑中さんはペットのゴールデンレトリバーとフリスビーをしている。畑中さんはそのためにかなり長いリードを購入したという。
一番印象的だったのは橋の下で生活をしていた男性だった。彼は「ヨネさん」と呼ばれていた。彼は長年路上生活をしていたらしいが、先日に昔お世話になった何某という人に再会し、近々路上生活を終えるらしい。そんなヨネさんはあと2週間くらいはアルミ缶を潰して生活をするという。
もっともこの河川敷は区役所職員の巡回が増えたことからもヨネさんのような人はもうほとんどいなくなっていた。僕が上記のような人に会うのは早朝が多かった。
僕は河川敷の人たちから話を聞きながら、小説の構想を練ることにした。河川敷に来てから3日目の早朝、僕は偶然散歩中の畑中さん及び愛犬サスペンダーと出会った。僕らはしばらく川沿いに歩いていると橋の下に謎のくぼみがあった。中を覗くとトカゲが死んでいた。
次の日もまた畑中さんに出会った。そして今度は昨日の場所から10メートル離れた場所にくぼみを発見した。中にはネズミが入っていた。畑中さんはこれがかなり気味悪く思ったらしく、翌日からは時間を変える、ということを言った。
その次の日は一人で歩いていると、遠くに人影が見えた。僕が人影の方向に向かうともうそれは消えていた。気づけばそこは昨日の不思議なくぼみのある場所だった。まさか、と思った。急いでそこに行くとそこにはなにか小動物の足だけが突き出していた。そして周囲の石にはその血が付着し、なにやら文字のようなものが書かれていた。僕はその異常さから慌てて河川敷の管理事務所に連絡した。
管理事務所はこれは何者かが野良猫をバラバラにしたのだろう、と推定した。そして、不審者を見つけ、このようなことが起きないように、と巡回を強化することにするようだ。僕は川沿いなら監視カメラみたいなものはないのですか、と職員に尋ねた。職員は橋の下であるこの位置はちょうど死角になっていてみえにくいという。
次の日になると、とても不穏なことが起きた。その日は河川敷にはいかなかったのだが、またあの場所で猫の死体が発見された。そしてさらに恐ろしいことにその真下から再び死蠟化した人間の遺体が発見されたのだ。遺体の状態は悪くなく、身元は地元の女子中学生Yだという。ただ、奇妙なことに彼女が家に帰らなくなったのはほんの数日前であったという。一般的に全身が死蠟化するためには2年ほど要するというが、なぜ彼女の遺体がこんなにも早く死蠟化したのかは疑問である。また、同日にYの同級生ら数名も失踪していた。
翌日、僕は河川敷に行って、伊藤さんや國山さんと雑談をした。
「いや、本当に物騒ですよ。」
「全くです。昨日の今日だからかアマチュア無線に来ている方もすくないですね。」
「そういえば今日は畑中さんを見かけないですね。」
「畑中さんは動物が死んでからサスペンダーが襲われないか心配であんまりここにこなくなりましたよね。」
「あと、畑中さん、空き巣に入られたらしいですよ。」
「そりゃまた大変だ。そういえばヨネさんもいませんね。」
「ああ、なんか事情聴取を受けているらしいですよ。」
「それはやっぱり昨日の殺人ですか。」
「そうでしょうねぇ。何せ彼は年中この辺りの橋の下で生活していますからね。彼自身が疑われている、と いうのは当然あるでしょうし、何かを目撃している蓋然性は高いですわな。」
伊藤さんは至極冷静に話した。ヨネさんが犯人なのだろうか。それとも他にいるのだろうか。そういえば、本事件に巻き込まれた女子中学生たちはひょっとすると先日行方不明になった水琴窟の女子中学生と同じ学校か。水琴窟の遺体と河川敷の遺体、同じく死蠟化していたけれど何か因果関係はあるのだろうか。僕はそんなことを頭の中でぐるぐる考えていた。
翌日の早朝、僕は河川敷に向かった。例の事件現場はまだ立ち入り禁止となっており、早い時間だからか周囲には誰もいなかった、ヨネさんを除いては。
「ヨネさん、逮捕されなかったんですね。」
「おうよ、やってないからなあ。」
「でも、よく拘留とかもされませんでしたね、なにせ住所不定の場合の被疑者は拘留されがちですし。」
「馬鹿言っちゃいけないよ。俺は元から警察になんて疑われてないんだ。いいか、ここからあの事件現場までは50メートルある。そしてここはよ、監視カメラがついてるんだ。ようはあの事件現場と違ってここは死角なしってわけだ。俺はここ2,3日、夜間はずっとここで寝てる。これは監視カメラが証明してる。だから元から真っ白てわけさ。誰よりもな。」
「じゃあ、最初から目撃者として事情聴取を受けていたわけですね。なるほど。それじゃあ、何か事件について目撃したんですか。」
「……、何にもだよ、何にも話しちゃいないよう。その時間は俺は寝てたんだよ。」
「あと、ヨネさんは夜間や早朝はここにいるけどそれ以外の時間は町にいますよね。なんで事件がヨネさんがここにいる間に起きたことが前提で話が進んでいるんですかね。」
「……知らねえよ。警察がそういう前提で話を進めてんだよ。それともあれか、あれだろ、俺のこと疑ってるあれだろ、俺を殺人鬼だと疑ってるだろ、なんだ、おい、言えよ、おい。」
「いえ、僕はヨネさんが人どころか猫だって殺せない性格であることは重々承知ですよ。ただ、僕はヨネさんが全部本当のことを言っているわけではない、と思うのですよ。なんていうか、本当は知っているんじゃないでしょうか、犯人を。知ってる、まで言わなくても視認はしたとか。」
「……」
「ヨネさんはもうすぐ路上生活をおやめになることは知っています。だから面倒なことはしたくないのもわかります。でも、何かを知っているんじゃないですか?」
「もういい、今日のところは帰ってくれ。」
僕は帰ることにした。もう少し情報を集めてから再度、話を聞きに行ったほうがよさそうだ。そういえば、現場事態は死角でも周囲にカメラはなかったのだろうか。そう思いながら自分の自宅のある団地に向かった。
団地はこの時間は早い時間に出社する人や早くにゴミを出しに来る主婦がちらほらいるものだ。この日もちょうど建物から人がでてきていた。水琴窟の女子中学生が住んでいたE棟からだ。目を凝らしてみると見かけたことのある顔だ。ゴミ捨て場で女子中学生について噂話をしていた主婦だ。後からもう一人でてきた。僕はにわかに驚いた。出てきたのはドローンの國山さんだったのだ。まさかこんな近くに住んでいたとは。しかし内向的な性格の僕は2人に挨拶はせず、気づかれないように自室のあるF棟に飛び込んだ。