彼女に聞いたのよ。これは呪いではないの。体に異変はないし。
次の日も僕は日本庭園に行った。水琴窟の周りは昨日と同じ、一昨日とも同じ。夏にしては涼しく、周りに人は誰もいない。昨日の出来事を考えると到底信じられない。水琴窟の近くにいた彼女はあの日、何をし、今、どこにいるのだろう。彼女の父、僕の隣の棟の住人だが、の死因は報道によると心不全だったようだ。今朝、家からゴミ出しに出た時の主婦の会話が忘れられない。
「ほら、昨日テレビで流れた、旦那さん、奥さんなくなっていたわよね。」
「そうそう、あれも不思議な出来事だったわよね。随分と変な場所から発見されてね。」
「でも、娘さんはどこに行ってしまったのかしら。」
「なんか、うちの娘が同じ中学なんだけど、なんかすごい話さないらしいのよ。」
「不気味よね。そういえば、奥さんは暴力を振るわれていたらしいし、最近では深夜に旦那さんの罵声も聞こえるようになってたわよね。」
「娘さんもそういう目にあってたのかしら。」
彼女はあの父親から日常的な暴力を振るわれていたのだろうか。あの腕の包帯はそういうことだったのだろうか。
ふと横を見るとそこには女が立っていた。彼女は僕に話かけるふうでもなく、しかし明らかに僕に向かって話はじめた。
「なぜ、土屋二十巨石と呼ばれているかご存じですか?」
僕は恐る恐る答えた。
「公式には特には。馬20頭分とか書いてあった気が。ネットでは20歳の女を人柱にした、とか20人の力持ちが運んだ、とか聞きますけど。」
「いいえ、あの巨石は馬20頭分より重いですし、20歳の女一人を人柱にしたわけではありません。それにあの巨石は10人の亭主が運びました。それでは、なぜ二十巨石というのでしょうね。」
「さあ、わかりませんね。待てよ、あなた今、亭主とおっしゃりました?亭主ということは既婚者の男性10名?ということは妻も10名いる?江戸時代は一夫多妻制といわれるが庶民まではどうだったか定かではないし。土屋氏は領民には厳しかったから一夫多妻の余裕はなかった?経済的に女性は独立していた?していない?ただ、土屋俊彦はなぜか一妻にしていたし。この夫婦は合わせて20人?」
「ご名答、この巨石の二十とは運んだ10人とその妻10人に由来します。少し昔話でもしましょうか。あれはいつの飢饉のときだったかしら。とにもかくも領民にも餓死者がでたわ。でも藩主の土屋俊彦はそに一切顧みなかった。そこで村の力持ち10人が集まって一揆をすることにしたの。しかし一揆は失敗。土屋は怒り狂って力持ち10人とその妻を打ち首にするように命じた。しかし、土屋の家臣で水琴窟の大家でもあった楽金鶏朗はそれを諫めた。そこで土屋は力持ち10人を無罪放免にすることにした、ただしある条件をつけて。そう、あそこにある巨石を領地の山からこの日本庭園まで運ばせたの。当然多くの人間がこれは無理難題だと思ったわ。しかし10人はなんとか日本庭園まであの巨石を運んだ。愛の力か生への執着か、そのあたりはわからないわね。」
「それで10人とその妻たちは無罪放免になったんですか?」
「まさか。全員、打ち首よ。ただそのあと土屋は体調を崩してこと切れてしまったんだけど。」
「なるほど、そんなことが。しかし不思議ですね。私は様々な方法でこの庭園について調べていたのにこんな話は一切でてきませんでしたよ。あなたは何者ですか?」
「それを今聞きますか?」
「わかりました。それではあの水琴窟についておしえてもらいませんか}
「いいでしょう。あの水琴窟は先ほど出てきた楽金鶏朗の最晩年の傑作です。とてもよく響くようにできています。でも最近は十分に響いてないんですよ。少し砂利をどかしてご覧なさい。地中にある空間がのぞけますよ。」
僕は恐る恐る水琴窟に近づき、砂利をどかし、下をのぞいた。中には死蝋となった女がいた。