あの水琴窟が好きなのよ。音がいいの。彼女も水琴窟好きらしいし。
僕の家の近くには割と大きめな公園がある。その公園の一角には日本庭園のような空間が広がっている。この公園は昔、武家屋敷だったらしく、その名残らしい。そのうえ、誰でも深夜以外は自由に入れるため、団地暮らしで金銭に余裕がない僕でも、雅な気持ちで日本庭園を楽しむことができた。
日本庭園には竹垣や鹿威し、石灯篭、玉石の道、クロマツ、そして大きな岩。この岩は武家屋敷の家主で俊張藩の藩主であった土屋俊彦がここから70㎞も離れた地元からこの地まで領民に運ばせたらしい。俊張藩は比較的都市から近郊にありながら、巨石や石灰岩が採れることや、領民に力士が多いことで知られていた。土屋俊彦は俊張藩の実力をアピールするため、3トンを超えるこの巨石を力自慢の領民10名に運ばせたというのだ。この石は土屋二十巨石と呼ばれている。
多くの人は江戸時代からある灯篭や先述した巨石、クロマツ、東屋などに集まるが、僕はこの日本庭園にお気に入りの場所があった。それは水琴窟であった。
水琴窟とは、手水鉢の付近の地中にある、音を楽しむ伝統的な装置である。まず、手水鉢というのは身を清めるための水をためておくための鉢のことで、石でできてることが多い。竹などでできた管から流れる水が絶えずこの鉢に入ってくる。そして、この手水鉢の排水を芸術にしたのが水琴窟である。水琴窟は地中に設けられた空洞に排水を落とすことでその音が反響し、地上に聞こえる仕組みになっている。ここで、水琴窟の制作方法について、デジタル大辞泉から引用する。
『縦穴を掘り、穴底に水盆と排水口を作る。素焼きの瓶の底に小さな穴を開け、瓶口を下に縦穴の中に置く。瓶の周囲と瓶底の上に小石を敷き詰める。小石の隙間を通って瓶の穴から水盆に落ちた水滴が反響して琴のような音が響く。』
この庭園の水琴窟は奥まった木陰にあった。申し訳程度に「水琴窟」と書かれているが、多くの人は手水鉢に気が付いても水琴窟には気が付かない。しかし僕はこれがお気に入りだったのだ。
僕がこの水琴窟がお気に入りだった理由は、この水琴窟の音色が実に美しいものであったからだ。その音色はまるで龍のいびきの様にも感じられた。
もう一つ、理由があった。それは僕の勝手な親近感である。実はこの水琴窟は江戸時代屈指の水琴窟作りの名人と呼ばれた楽金鶏朗が晩年期に製作したものなのである。この楽金鶏朗も俊張藩出身の人であった。そう、今現在、忘れ去られた水琴窟は本当は日本屈指の名作だったのだ。僕はこれをくすぶっている自分に、勝手に重ねていた。
梅雨も明けるか開けないかくらいかの日の午後、水琴窟の前にいると、ジャージを着た女の子が水琴窟の近くのベンチに座っていることに気が付いた。あいにく無職の僕は午後2時から4時くらいにかけてこの水琴窟の前にいることがルーティンワークとなっているが、水琴窟の近くのベンチに座っている人間を僕は初めて見た。僕は彼女を横目で観察した。着ているジャージは青、近隣の中学校の物だ。髪は肩下くらいの黒髪。身長は160前後だから小さいほうではない。顔はそこまではっきりしている方ではないが、比較的整っている。しかし、もっとも目を引いたのは、彼女が右目に眼帯をしていることだった。よく見れば指先も少々あれている。彼女は薄幸そうなオーラを纏っていた。
僕は暗雲たる気持ちで自宅に戻った。彼女は学校でいじめにあっているのだろうか。親から虐待されているのだろうか。僕は自分の腕を見た。忌々しい跡がある。中高にかけての忌々しい記憶の跡が。僕はカップ麺を開けた。2分で食べ始めた。水琴窟の近くでは2時間くらいゆっくりしているのにこういうのは待てない。うんざりする。僕はパソコンを開いた。バイトは長続きしない。就職もない。小説かなにかで一発あてるしかない。僕はホラー作品の賞に応募しようと思っていた。なにか民俗学的な雰囲気のあるホラーを書きたい。ルポっぽいホラーもいいかもしれない。ネットでそれっぽい場所を調べる。僕は今日も参考になりそうな場所を発見できなかった。
彼女はそれから1週間程度連続して水琴窟近くのベンチに座っていた。彼女はスマホをいじることも、読書をすることもなく、ただずっとそこに座っていた。しかし、彼女は決して水琴窟には近づかなかった。水琴窟を絶えず視界に入れてはいるのだが、水琴窟の音を鳴らそう、ということをしなかった。彼女は僕が水琴窟を鳴らすのを冷めた目で見ていた。そして、4時になると帰ってしまうのだ。僕としては、彼女のことが気になることは気になるが、アラサーの僕が見ず知らずの女子中学生に話しかけることは公序良俗に反する気もしたため、しなかった。
彼女のことを考えながら自宅に帰ると、またカップ麺を食べた。まだ硬いカップ麺を食べ終わるとまた心霊スポットを探す。すると、最寄りの公園がヒットした。僕は息を呑んだ。なぜなら、この噂話はとても興味深かったからだ。
ネットによるとあの公園全体、特に日本庭園は心霊スポットであるらしい。そもそもあの巨石は山の霊石であったらしく、武家屋敷に運ぶまでに多くの怪我人が出たらしい。そこで、土屋俊彦は20歳の娘、お義を人柱にして運んだというのだ。そのため、あの巨石の名前は土屋二十巨石というのだと。何よりも驚くべきなのはお義の父が、楽金鶏朗であったというのだ。娘の死に気をおかしくした鶏朗は娘の遺体を水琴窟の瓶に隠し、まもなく死んでしまった。そして現在、あの日本庭園の水琴窟のあたりには女の霊がでるという。
また、別の記事によれば、巨石を運んだのは罪人20人で、巨石を運ぶことができれば、無罪放免する、という約束だったという。しかし、約束は破られ、罪人は首を落とされた。その首を洗った場所があの水琴窟である。現在ではそのあたりに男の生首が浮かんでいるらしい。
このような内容の怪談がいくつかネットに挙がっている。それぞれ内容は異なるし、真偽のほどは定かではないが、これらの怪談に共通しているのは「水琴窟がやばい」ということである。また、これらの記事のいくつかには、霊を呼ぶ方法についても詳細に書かれていた。今回はその中でもわかりやすかった、「月刊オカルト・スカイフィッシュ、デジタル版」から引用する。
『①深夜2時頃に1人で水琴窟の前に立ちます。
②目の前にある手水鉢から水を手ですくってください。
③すくった水を水琴窟にかけましょう。
④これを20回ほど繰り返します。
⑤繰り返すうちに音が声に変り、最終的には霊が姿を現すこともあります。また、ソレはあらゆる
質問に答えてくれます。
*失敗すると危険あり』
日本の、しかも江戸時代の心霊スポットでここまで具体的な呼び出し方法があるのは珍しい。そのうえ、なぜかドラゴン○ールの神○の要素も含まれている。なぜ、質問に答えてくれるだろうか。なにはともあれ、僕はこれを実行しようと思ったのだ。
僕は翌日、バイトのシフトを終え、水琴窟へ向かった。日本庭園は今の時期だと午後7時頃まで開園していて、閉演前には警備員が見回りにくる。その警備員に見つからなければ、朝までい放題である。
水琴窟の前には、例の如く彼女がいた。しかし、彼女の様子はいつもとやや異なるように思われた。彼女の腕からちらりと包帯のようなものが見えた。また、彼女のオーラもいつもと違う。どうしたというのだろう。
僕としては早く彼女に帰ってほしかった。なぜなら、水琴窟に霊を呼び出すためには1人にならなくてはならない。日本庭園から人はどんどん減っていくが、彼女は帰らない。僕は諦めて帰ることにした。
僕は自宅に向かった。僕の自宅は団地のF棟の3階にあるが、近所付き合いはほとんどなかった。僕がE棟の前を通り過ぎようとした時、荒れた声が聞こえた。
「ユリ!!!帰ってこいや!!!」
それは中年の男だった。筋肉質で日焼けしている。とてもガラが悪い。同じ団地に住んではいるが、彼を見かけるのは初めてだった。僕は足早に自宅へ駆け込んだ。
翌日の朝、E棟に救急車が来ていた。建物から救急車へ誰かが担架に担ぎ込まれていた。一瞬だけ見えたその人物は、昨日の男だった。
午後のニュースで、その男が心不全で死亡したこと、同居していた中学生の娘が失踪していることが分かった。娘の捜索のため、顔写真が公開された。僕はその顔写真を見てあっとなった。顔写真の娘は、日本庭園にいるあの彼女だったのだから。