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ノアが室内の電灯をつけると、ベッドの脇に中年の女性が腰掛けていた。この展開からすると彼女はノアの母親、ってことになりそうだな。
「ママ」
「エル? アナタ、エルなの……?!」
中年女性、母親ということは名前はリヴィアだったか。
リヴィアはノアに駆け寄り、飛び込むようにして抱きついていた。抱きしめられたノアも悪い気はしていない顔だし、二人の関係は良好だったのだとわかる。緊張の面持ちから頬が弛緩したのがわかるほどだ。誰だって二人の関係には気がつくだろう。
リヴィアはノアよりも慎重が低く線も細かった。病弱そうでいかにもお嬢様だったのだと考えられる。まあ俺個人の見解ではあるが。
「でもどうしてエルがここに?」
「いろいろあったの。仲間に衛兵なんかも眠らせてもらった」
「それで急に静かになったのね……そんなことはどうでもいいわ。よく帰ってきてくれたわ。これからはここで暮らすのよね?」
ノアの顔が一瞬にして暗くなった。
「それは、できないと思う」
そしてリヴィアの顔も暗くなった。
「どうして? せっかく帰ってきたんじゃない。どうしてそんなことを言うの?」
憂いを帯びた瞳。涙さえも浮かべていた。
「私がこの家を追い出された理由は知ってるでしょ。父が私のことを忌み嫌い、手元に置いておくのが嫌だったから追い出された。父がいる以上、私がこの家に戻ってくることはないわ」
「それなら問題はないわ」
「問題ないってどういうこと?」
「グラントはもうこの世にいないから」
リヴィアは目を伏せてそう言った。
「死んだのね」
無感情のままノアが返す。死んでもおかしくないとでも言いたげな表情でもある。
「何年か前に体調を崩して、そのまま今年の頭に死んでしまったわ」
「仕事は?」
「ベンノが引き継いだわ」
「兄さんが、ね」
ノアに兄がいることを今はじめて知ったのだが、そういえばノアと家のことを話したことがそもそもなかった。
「ベンノは優秀だから、これからも不自由することはないと思う」
「そう、ならよかった。父も死に、家族も安泰。それなら私が気にかけることはもうないから」
スッと、ノアがリヴィアの体を離した。
その時、奥の部屋から「ママ……」という声と共に少女が現れた。
「起きちゃったのね、ラウラ」
ラウラと呼ばれた少女は目をこすりながら歩き、リヴィアの元へとやってきてシャツの裾を掴んだ。
「アンタの妹よ。ラウラ、こっちはアナタのお姉ちゃん、エレノアよ。挨拶して」
ラウラは不思議そうにノアを見上げ「はじめまして」と小さく言った。
ノアはラウラの頭を撫で「ええ、こちらこそ」と返した。
「妹がいたなんて知らなかった」
「ラウラが生まれてからアナタはこの家に帰って来なかったから」
「帰ってこなかったわけじゃ、ないんだけどね」
悔しいとか憎いとか、そういう感情でも現れるかと思っていた。しかしノアは諦めたように鼻で笑い、リヴィアとラウラから少しだけ距離を取った。
「私がこの家に入り込む余地なんてなさそう」
「そんなことない! ベンノもアナタのことを気にしてた! ちゃんと話をすれば家に帰ってくることもできる!」
「父が私を家から遠ざけたのは、私という存在が仕事に影響を与えるかもしれないと考えたからだと思う。横の繋がり、人の噂というのがこの家や仕事に影響を及ぼすかもしれない。及ぼさないかもしれないけれど、そういったリスクを極力排除したかった。たしかにビーストが嫌いというのもあったんでしょうけど。でも、それだけじゃない」
ノアが自分の耳を触った。
「疑われてたんでしょ、ずっと。浮気したんじゃないかって。俺の子供がビーストのはずないって、ずっと言われてたんでしょ」
「アナタ、どうしてそれを……?」
なるほど。ようやく話が見えてきたぞ。ノアが追い出された理由と、命を狙われていた理由の根幹だ。
「子供ながらにも親の喧嘩っていうのは耳に入ってくるものだからね。いろんな事情が重なって私は追い出された。しかも人身売買という最低の形で。着の身着のまま、テキトーに放り出された方がまだよかった」
リヴィアが涙を拭い、ラウラを強く引き寄せていた。
「でも、私は私が思ったよりもずっと待遇がよかったんだと思う。きっと誰かが手回ししてたんだって気付いたし。未だに処女なのもそういうことなんだと思う」
「マジで処女だったの?!」と、思わず声が出てしまいそうになった。危ないところだった。こういう奴隷だのなんだのっていうのはまあ、その、そういうことなんだろうなって思ってたし。前々からそれっぽいことは聞いてはいたが、今ここで口にするってことはマジのマジなんだろう。
「ガーネットと出会って、ようやく線が繋がったのよ。私が何年も一所にとどまることなく、人から人へと渡り歩いてきたのは私の主人たちが死んでいったから。嫌な目に遭いそうなる度に、私は誰かに救われていた。結局逃げ出しても捕まって奴隷にさせられたりはしたけど、私のことを監視していた人がいたから私は今も特にトラウマもなく生きている」
ノアがガーネットに人差し指を向けた。
「ガーネットが私を守っていた。違う?」
リヴィアがため息をつき、ガーネットが「ふふっ」と微笑んだ。




