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暗い灰色の部屋の中でパイプ椅子に座っていた。目の前にも部屋があって、けれど透明な分厚いアクリル板かなにかで仕切られていた。目の前のところだけ、アクリル板に無数の穴が空いていた。
この場所にも見覚えがある。テレビなんかでもそうだが、実際に見たことがあるのだ。
向こう側の部屋に誰かが入ってきた。妹だった。
妹はイスに座り、俺たちは透明な壁一枚を隔てて向かい合った。妹の顔はこわばっていた。
妹の顔は依然として黒く塗りつぶされていた。
「三年、だってね」
大きな瞳に涙を浮かべて妹が言った。
「仕方がなかったんだ」
「仕方がなくないでしょ。なんであんなことしたの? もっと賢い方法だってあったってわかってるでしょ」
「あの時はそんなこと考える余裕なんてなかったんだ。こうなったのも自分の責任だってわかってる。親父には縁を切って欲しいって伝えておいてくれよ」
「そんなことできるわけないでしょ! なんで勝手に自分だけで解決しようとしてるのよ! こんなところで見栄張ってもなんの意味もないじゃない!」
見栄を張ってるわけじゃないんだ。ただ、余計な心配をかけさせたくないだけだ。家族には笑って生きていって欲しいって思ってるからだ。
そんな俺の思考とは裏腹に家族には多大な迷惑をかけたことはよくわかっている。わかっているから一人でなんとかしようと藻掻いている。藻掻けば藻掻くほど、さらに家族に迷惑をかける。
最悪の悪循環だった。
「もう、解決してるだろ。俺が人を殺して、それで終わった」
そうだ。俺は人を殺したんだ。だからこんな味気のない場所にいなくちゃいけなくなった。
「終わってない! これからいくらでもやり直すチャンスはあるよ! なんで諦めちゃうんだよ!」
「頼むから放っておいてくれないか。お前の気持ちは嬉しいよ。でもお前にも姉ちゃんにも迷惑がかかる。できれば俺のことは忘れて生きて欲しい」
「そんなの! できるわけ、ない……」
妹は顔を伏せてしまった。肩を上下に揺らし、嗚咽が聞こえてきた。こんな俺のために泣いてくれるなんて最高の家族じゃないか。
じゃあその家族を泣かせているのは誰だ?
ほかでもない、俺じゃないか。
俺はあの家にいない方がいいんだ。そうやって納得してこの場所にいるはずなのに。
「泣いてるじゃんか……」
顔を上げた妹が、震える声でそう言った。
顔に手を当てると確かに頬に涙が伝っていた。
俺が刑務所に入り、家族を突き放すことがこの場においての最善の方法だと思っていた。そのはずなの
に、妹を泣かせて、自分も涙を流している。
この時、俺はなにかを忘れているような気がした。
俺はどうして人を殺したんだ?
俺はどうして人を殺さなきゃいけなかったんだ?
ああそうか、俺はあの時姉ちゃんを助けるためにアイツを殺したんだ。姉ちゃんの上にのしかかるあの男を、怒りのままに殴り殺したんだ。
過剰防衛とみなされ、俺はここにぶち込まれた。
「本当はお兄ちゃんだってこれがいいって思ってるわけじゃないでしょ? なんだかんだ言って、元の生活に戻りたいって思ってるんでしょ?」
「元の生活には戻れない。どうやったってお前たちに迷惑をかけることになる。ここを出たら、俺は一人で生きることにするよ」
立ち上がって妹に背を向けた。
「待って! 待ちなさいよ!」
ガタンと、妹が勢いよく立ち上がった。
「オヤジたちによろしく頼む」
そう言ってから看守の元に向かった。
俺だって元の生活に戻れればそれでいいと思ってる。でも絶対に戻れないんだ。今でさえきっと「人殺しを生んだ家族」として糾弾されていてもおかしくない。俺は外界の情報を断っていいるからわからないが、たぶんそうだと思う。
怖いのだ。真実を知るのが。そう思う、そうだろうという憶測だけで完結していれば事実を知ることはない。これが逃げであることはよくわかっている。でも今はそうすることでしか自分を保つことができないんだ。
看守とともに部屋を出た。妹は後ろで泣き叫んでいた。明るくていい子だった妹をあんなふうにしてしまったのは俺だ。
やっぱり、俺が全部悪いんだ。
この場所は酷く寒くて、酷く冷たい。
もしかしたら、俺の心はこの場所に染まっているのかもしれない。それならそれでいい。三年という刑期を追えたら家を出よう。誰にも迷惑をかけないように、ひっそりと生きていけばいい。
それが俺の答えだった。




