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「――ちゃん」


 誰かの声が聞こえる。


「――にいちゃん」


 聞き覚えがある、耳障りの良い声だ。


「お兄ちゃんってば!」


 弾かれるように瞼を開ければ、妹の顔が目の前にあった。


「ちゃんと聞いてる?」


 怒ったような、困ったような顔をしていた。相変わらず可愛い顔をしている。兄貴の贔屓目抜きにしても、きっと学校でも人気があるはずだ。


「あ、ああすまんちょっと寝てた。で、なんだっけ?」

「今日はお母さんのお墓参り行くって言ってたじゃん」


 母さんが死んだのは俺が十歳のときだった。当時は酷いもんで、家は不幸のどん底だった。それも時間をかけることで解消され、家族は少しずつ元通りに近づいた。母さんがいないから完全に元に戻ることはなかったが、それでも母さんが死んだ頃よりもずっとましだ。


「そうだっけか。姉さんと父さんは?」

「仕事が忙しいからあとで行くって」

「わかった。じゃあ行くか」


 花と水を持って家を出た。そこでまた砂嵐が吹いて、気がつけばすでに墓の前までやってきていた。


 少しだけ頭痛がしたが倒れるほどではなかった。


 花を供えて墓石を拭いて線香を焚いた。妹と二人で手を合わせた。


「正直、私は母さんのことあんまり覚えてないんだよね」


 と、妹が低いトーンで言った。


「お前はまだ三歳だったからな。それも仕方ない」


 俺も十歳だったからそこまでの記憶はない。しかしただただ優しく、あまり怒ることがない人だという記憶だけは残っている。


「お母さん、美人だよね」

「小学校のクラスでも女子に人気だったぞ。それくらい美人だった。そのおかげでお前も姉さんも美人に育った」

「そうだね、それには感謝してる」

「いやいや、感謝するとしたら父さんだろ。あんな冴えない人があんな美人と結婚したんだから」

「それは言えてる」


 妹は「ハハッ」と笑って俺を見た。


 小柄でボブカットが似合う。姉さんのように発育はよくないようだが、それでも間違いなく学校では人気者だろう。明るく快活で人見知りもしない。頭も悪くないしバスケ部でもスタメンだったはずだ。


 それでも、妹の顔はわからなかった。思い出せないのだ。


「お姉ちゃん、良かったね」

「なんとか立ち直ってくれた」

「そう、だね」


 なにか良いたそうにしていたが言及する気にはなれなかった。


 妹がなにを考えているかはなんとなくわかる。しかしそれを言わないということは俺に言いたくないということだ。だから俺も訊かないことにしてる。


「そういえばお姉ちゃん、なんか恋人ができたって言ってたよ」

「は? 聞いてないんだけど?」

「そりゃお兄ちゃんには言わないと思うよ。相手の人の家に乗り込む可能性もあるし」

「さすがにそんなことはしないが」

「やりかねないって話だよ」

「そんなふうに見えてるのかよ……」

「お兄ちゃん、家族のことになると猪突猛進っていうか前後不覚っていうか、普段のお兄ちゃんと違くなっちゃうから」

「あー、うん。それは謝るけど」

「これからはもうちょっと考えて行動してよね」

「わかってるわかってる。これからは気をつけるさ」

「口だけじゃなきゃいいけどね」


 妹が「さ、行こうか」と俺に背中を向けた瞬間にまた砂嵐が吹き荒れた。


 けれど俺はまだ墓の前に立っていた。目の前にいたはずの妹の姿はない。


 周囲を見渡すと枯れ葉がたくさん地面に落ちていて、秋か冬かといったところだ。だが母さんが死んだのは夏だったはずだし、俺がこんな時期に墓参りに来るわけがない。


 向こうから誰かが歩いてきた。


 男が四人、早足ではないが足取りは非常に硬い。振り返ると、また向こう側から三人。こちらも肩で風を切るように歩いてきていた。


 グワンと脳みそがかき回されるような感覚があって、思わず膝をついてしまった。


 男たちはそれを見て駆けこんできた。なにかを叫んでいるようだがよく聞こえない。


 どんどんと耳が遠くなって、意識もまた遠のいていく。


 地面に倒れ込む。頭を強かにぶつけるが特に痛みは感じなかった。冷たい地面に頬が密着した。男たちの靴が目の前に迫ってきた。


 俺の目の前で止まり、しゃがんだ。


 これがいつの出来事なのか、なぜこうなったのかまではわからない。


 しかし確実に俺の記憶であることは間違いなかった。


 男たちが俺の身体に触った瞬間、目の前がホワイトアウトした。一瞬の強烈な頭痛と共に、俺の意識は溶けて消えた。

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