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気がつくと、俺はこの腕に赤ん坊を抱いていた。
「大丈夫か? 映司にはまだ早いんじゃないか?」
「大丈夫よ。映司ももうお兄ちゃんだもんね」
見上げれば父さんと母さんが笑顔で俺を見つめている。
自分の身体を見下ろせば、現在の俺の姿でないことはすぐにわかった。座った状態ではあるが、腕も脚も短く、手も足も小さかった。
なるほど、これは妹が産まれた直後の記憶だ。
姉とは五歳、妹とは七歳離れている。だから産まれた直後の妹をなんとか抱くことができたのだ。
「あーうー」
正確には産まれた直後というよりは二ヶ月程度経ったくらいだと記憶している。妹の首がすわるまでは抱かせてもらえなかったからだ。
妹。小さく、可愛い。俺が守ってやらなきゃと、そう強く思った。
指を差し出すと、その小さな手でキュッと掴んできた。俺の指を掴んだまま強引に手を動かすが、力が弱いので痛くはない。
「映司」
母さんを見ると柔和に微笑んでいた。
「この子を守ってあげてね」
「うん、ボク、おにいちゃんだから」
頭を撫でられる。温かいなにかが胸の中に広がっていく。きっと、これが幸せという感覚なんだろう。
姉が妹を抱き上げて、俺は父さんに抱き上げられた。
妹を取られたことに関してはなにも思わなかった。俺は姉さんのことが好きだったし、姉さんの方がずっと身体は大きかった。
「映司もこういう時があったんだよ」
そう言って姉さんが笑った。俺から妹を取り上げた姉さんだが、決してイタズラやイジワルでそうしたわけじゃないことをわかっていた。だから、許せた。
父さんも、母さんも、姉さんも、妹も、俺は全員好きだった。早く大きくなって俺が全員守るんだって思ってた。
バリバリっと、目の前に一瞬だけ砂嵐が見えた。
次の瞬間には別の場所にいた。ここは、公園か。
「いたい! いたいよ!」
砂場で遊んでいる妹が近所の悪ガキにいじめられているところだった。
全力で駆け出して、その悪ガキたちを殴りつけた。俺の方が年は上だから当然身体も大きい。悪ガキが何人いようとも関係なく蹴散らした。
悪ガキたちが泣きながら砂場を出ていくと、しゃがみこんで妹の脇の下に手を入れる。立ち上がらせて、お尻やシャツの砂を払う。
それでも妹は泣き続けるから、その涙を拭って頭を撫でた。
「大丈夫、俺がいるからな」
妹に抱きつかれると、熱い気持ちがこみ上げてくるようだった。
そこに姉が駆け寄ってきた。
「守ってくれたんだね。偉い偉い」
今度は俺が頭を撫でられた。褒められるのが嬉しかった。でも、それ以上に妹を守れたという気持ちの方が大きかった。
間違いなく、高揚していた。
誰かを守ること、なにかをやりきったということ、自分が正しいのだと言われたこと。そのすべてが俺の気持ちを高ぶらせた。
姉は俺と妹の手を取って公園の出口に向かった。
このとき、妹は五歳、俺は十歳、姉は十七歳。正確にはわからないがそれくらいだと思う。
また砂嵐が目の前を覆った。
今度は家の前だった。辺りは暗く、周囲の家の電気が消えていることから深夜に近い時間であることは間違いなさそうだ。
体中が痛かった。制服はところどころ破れているし生傷も多かった。
ドアを開けて靴を脱いでいると、ドタドタと階段を降りてくる足音が聞こえてきた。
「お兄ちゃん!」
立ち上がって振り向いた。妹が鬼の形相で俺を見上げていた。
「どうした、そんなに慌てて」
「どうしたんだじゃないでしょ! そんな姿でこんな時間に帰ってきて!」
顔は怒っているが目元は泣いていた。涙を溜めて、下唇を噛んでいた。
思い出した。俺はたしかケンカしたんだ。同級生が上級生にイジメられているのを見ていられなくて飛び出した。そして、返り討ちにあったというわけだ。
安い正義感だったとすぐに後悔した。
子供の頃ならば身体が大きいだけで勝てるケンカも、年を追うごとに体つきはあまり変わらなくなる。数が多い方が断然有利だ。
「悪い、なんでもないから」
妹の横を抜けて風呂場に向かった。ホコリだらけだったし、早く風呂に入ってなにか食べたかった。
「なんでもないじゃないでしょ!」
「お前には関係ない」
「関係あるよ! お父さんもお姉ちゃんも私も心配したんだよ!」
「それは悪いと思ってるよ。話はそれで終わりだ」
「ちょっとお兄ちゃん!」
憤る妹を無視して風呂場に向かった。妹はそれ以上ついてはこなかった。
しかし、俺の背後で妹の鳴き声が聞こえてきた。声を殺そうとしているらしいが、それでも聞こえてきた。
風呂に入って目を閉じた。
俺はいったいなにをしてるんだ。なんのために「正義」を振りかざしてるんだ。誰のために「正義」を貫こうとしてたんだ。
そうしているうちに眠ってしまった。浴槽の中に沈んでいくが、息苦しさは微塵もなかった。




