5
ヴァルはナイフを両手で包み、魔力を込めていた。今気付いたが、魔力が見えるようになっているんだな。
「グロウコンパス」
ナイフを宙に浮かせたかと思えば、そのナイフがぐるぐると周り出す。そして、止まった。
「あっちね。行くわよエイジ」
「そんなにすぐわかるもんなのか」
「方角くらいはね。明確な場所がわかるわけじゃないから、ナイフはこのままね。行くわよ」
町の中を歩き、来た方向とは反対側へと抜けた。地面が石から土に変わり、人気もどんどんとなくなっていった。
「エイジ、ちょっと言っておきたいんだけどさ」
歩きながら、ヴァルが低い声で言った。声色も少し堅く感じる。
「なにかあった?」
だが俺はいつもと変わらずに返した。
「エイジにとってはどうでもいいことかもしれない。でも、町の人にとっては恐怖でしかないのよ。親族は心配でいてもたってもいられない。なのに飄々として、それがカッコいいとでも思ってる?」
怒られているのはよくわかっている。だがヴァルに対して、畏怖よりも慈愛の方が強く感じられた。自分がどれだけなじられても、彼女はきっと本気で怒ったりしない。他人が傷つけられているから怒っているのだ。
刹那、頭が割れるように痛くなった。後頭部から側頭部にかけての強烈な激痛。一瞬ではあったが、歩くことができなかった。
「どうしたの? 顔真っ青だけど」
手の平を突き出した。
「大丈夫」
「大丈夫に見えないから言ってるんでしょうが」
腰に手を当てて何度か深呼吸した。ヴァルに言っても仕方がないと思っていたので黙っていたが、実はたくさんの疑問があった。その一つが今解明された。
「俺さ、名前は覚えてたんだけど、他の記憶ってところどころないんだよね。で、ちょっとだけ記憶が戻った」
「記憶喪失だったの? なんで早く言わないのよ」
「全部忘れてたわけじゃなかったから。名前は覚えてるし、学校で習ったことなんかも覚えてる。通学路だって思い出せる。でもいくつか思い出せないことがあるんだよ。それをちょっとだけ思い出したわけだ。さっきのヴァルの言葉でさ」
歩き出してヴァルを追い越す。
「どんなこと? 言いたくなかったらいいけど」
「聞いてもらった方が楽になるかもしれないな」
ヴァルが横に並ぶ。俺は正面を向いているが、彼女が俺の顔色をうかがっていることは知っていた。
「俺の家族は父と姉と妹だったんだ。母さんは十歳のときに交通事故で死んじまった。母さんが死んだとき、俺の家も一度死んだんだ。学校から帰っても家は暗い。妹はずっと泣いたまま、父さんも姉貴もどんよりとしててな。俺は考えたんだよ。俺がなんとかしなきゃって。そうやって、明るく振る舞うことにしたんだ。楽観的で悩みがないように、心配かけないようにってさ」
「そんなの、子供が考えることじゃないでしょ」
「それでも俺は兄弟で唯一の男だからさ。そうやって頑張ってキャラクターを作って、でもそのうちにそれが普通になったんだ。キャラクターは俺自身になったんだよ。んであるとき、妹に言われたんだ」
「なにを?」
「いつまでもヘラヘラしてんじゃねーって。他人の心配より自分の心配しろって。自己犠牲がカッコいいとでも思ってんのかよって。口が悪いのは今更だったけど、ぐさっと刺さったよ」
「いきなり言われたわけじゃないんでしょう?」
「なんで言われたのかはまだ思い出せない。でもめちゃくちゃキツかったのだけは覚えてる。おかしいな、妹の顔も思い出せないのに、妹が涙を流してるのは思い出せるんだわ」
やや間があって「ねえ」とヴァルが言った。
「記憶、無理矢理呼び覚ますこともできるわよ。逆に封印することも」
口には出さないが、やはりコイツは優しい女だ。
「考えさせてくれ。どっちが正しいとか、まだよくわかんねーから」
「やって欲しいときは、頭下げて頼めばやってあげるわ」
「俺には命令できる権利があるから別に。そのときは命令するわ」
「クソ野郎か……」
そう言いながらも、ヴァルはやはり笑っていた。