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「やめておいた方がよろしいかと思いますよ」


 俺の行動を制したのはシャルだった。微笑みを浮かべ、この状況をなんとも思っていないかのようなその振る舞い。もしかしたらコイツはなにか強力な魔法でも使えるのだろうか。


 そんなシャルの元に、男が一人近寄っていった。だがその足取りは軽快で、シャルを襲うとかそういう感じではない。


「アネさん、このまま眠らせて連れていきますよ」

「ええ、問題ありません。あとはアナタたちに任せます」

「はい、わかりました」


 男の一人との会話ですべてを察した。


「お前のせいか、シャル」

「気付くのが遅いんじゃありませんか? 普通に考えて、私のような峰麗しい年頃の女が、アナタたちのような人に近寄るわけがないと思いますが?」

「最初からこうするつもりで声をかけたってわけか」

「当たり前です。ちなみにこの霧も、魔力を含ませてあるだけで、そのへんの魔術師いならば誰だって発生させられるような簡単な魔法ですよ? その魔術師も大したことないみたいですね」

「誰だって発生させられる魔法?」

「ええ、特別な術式なんて一切ない。霧を発生させるなんて魔法は初級の魔法だから、心得さえあれば簡単なんです」


 ヴァルがそれに気づかなかった、という部分にはさすがに疑問を抱かずにはいられない。自分でも魔女を公言するだけあって、今までヴァルの魔法には助けられてきた。考えられるとすれば、ヴァルの魔法を感知する能力が低いとかそんなところだ。だが、俺にはそうとは思えなかった。


「俺たちをどうするつもりだ」

「先程私の仕事の説明をしたかと思ったけど、もしかしてまったく聞いてなかったんですか?」


 考えるまでもない。ピンと来るワードは一つしかないのだ。


「奴隷、か」

「そういうこと。奴隷はいいお金になるんですよ。そこの魔術師やアナタはダメかもしれませんが、そこの少女はなかなか見どころがあります」


 舐め回すようにノアを見ているシャル。ノアも気丈に見返してはいるが、目蓋は徐々に落ちてきていた。


「ただの麻酔薬、だよな?」

「ただの麻酔薬ですが、アナタが抵抗するならば麻酔以上のことをするのも辞さない覚悟です。おとなしく捕まってくれるなら痛めつけたりはしません」


 こちらとは反対に、シャルの顔には余裕しかない。買ったも同然というその顔は非常にむかつくが、抵抗してもいいことはなさそうだ。


 左手を首に当ててからため息をついた。


「わかった。抵抗はしない」

「それが賢明です」

「俺はどうなってもいいが、ヴァルとノアは手荒に扱うなよ」

「紳士なんですね。この子たちがそんなに大事ですか?」

「俺の物だからな、当たり前だ」

「女を物扱いする割には殊勝な態度ですね。まあいいです、連れていってください」


 ヴァルとノアは体が大きな男たちに抱えられた。本当に手荒なことはしなさそうだ。


 俺の方はと言えば、手足を縛られて首輪を付けさせられた。首輪には鎖をつけ、鎖の先をシャルが握った。


「それじゃあ行きますよ」


 シャルが微笑んだ。もう、彼女の笑顔をまともに直視できなさそうだ。口端を立てて笑う姿を見ていると、どうしても怒りがこみ上げてきてしまう。


 霧を晴らすつもりはないのだろう。仕方なく、シャルのあとについて歩くことになった。


 馬車などが用意されているわけでもない。そのため徒歩で山を下りるしかなさそうだ。下りる間にノアの麻酔が切れるとありがたいが、こんなことをするやつらだ、抜け目もないだろう。


「お前、商人ってのは嘘なのか?」

「それは本当。私は商人ですし、とてもクリーンな仕事で生計を立てていました。そこそこ顧客もついていたし、商人としての勉強もかかさなかった」

「なんで過去形なんだ?」

「アナタが知る必要はありません。それに今だって商人としての仕事はメインの仕事。ただ、こっちの方がお金になるから」

「金に困ってるのか。そんなやつがアドバンスギアなんて高価なもん持ってるってのはちょっと気になるな」

「お金があって困ることなんてないと思いますが? 人が生きていくにはお金が必要です。あればあっただけ有利だしいろんなことができる。幸せとはお金で買えるものなんです。知りませんでした?」

「金で買える幸せなんて、ホントの幸せと言えるのかどうか……」


 そう言った瞬間、強烈な頭痛に襲われた。久しぶりだなと思いながら、目蓋の裏に浮かぶ光景が脳内をぐるぐると巡っていく。失われていた記憶が、また一つ思い出された。


「なにをしてるんですか。さっさと立ってください」


 ぐいっと首輪が引っ張られた。気がつけば、俺は膝をついて頭を抱えていた。


 呼吸を整えながら立ち上がり「すまないな、ちょっとした頭痛だ」と言ってからシャルに笑いかけてやった。


 シャルは鼻を鳴らしながら、再度脚を動かし始めた。


「なあ、訊いてもいいか?」

「答えられることなら答えますよ? どうせこれから地に落ちた生活を送るんですから」

「金に溺れて死んだやつ、お前の周りにいなかったのか?」

「いませんでした。言ったと思いますが、お金で幸せは買えるんです。お金が世界を救うんです」

「どうしてお前みたいな美人がそんなふうに育っちまうのかねえ……」

「美人だから、蝶よ花よと育てられるわけではありません。親がお金を持っているからそういう育て方ができるんです。そんなこともわからないんですか? それならこれからたっぷり教えてあげますよ」


 またこの笑いだ。女ってのは怖い生き物だな。そう思わせるような笑顔だった。


 一時間ほど山道を下って休憩に入った。ヴァルとノアを抱えている男たちも疲れるのだろう。

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