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その時、また頭痛がきた。軽いけれど、左から右に抜けていくような頭痛だった。同時に記憶が少しだけ蘇った。
雨が降っている。そして女性が俺に向かって叫んでいた。
『優しいだけじゃなにもできやしないじゃない!』
女性は泣き顔で俺にバッグをぶつけて背を向けた。俺に背を向けたまま走り出して、手をのばすけど届かなくて、気づけば背中が見えなくなっていた。俺も涙を流していて、辛くて、悲しくて、でもなんで悲しいのかわからないから胸の中がぐちゃぐちゃにかき回されてるような気分だった。
それでも何事もなかったかのように取り繕おうと思った。でも、想像よりずっと痛かったのだ。頭もそうだけど、胸も痛かった。雨の中で女が叫んでいる。どんな場面かはわからなかったけど、とても重要な場面だってのだけはわかった。
「また頭痛?」
ノアが顔を覗き込んできた。
「まあ、そんなとこ」
「それだけじゃなさそうだけど、また記憶でも蘇った?」
「よくわかったな。俺のファンか?」
「それくらいわかりやすかったってことよ」
「そうか、なら気をつける」
「なんで気をつけるの? 別にいいんじゃない?」
「良くないだろ。みんなに気を使わせるし」
「仲間だったらそれくらい普通じゃない?」
俺を直視するノアの瞳に曇りはなかった。
そう言ってもらえるのはありがたいし嬉しいのも事実だ。でもどうしてだろう、この好意を喜んで受け取ることができない。
「そうだな、ありがとうな」
でも、そうだな。受け取るスタンスを続けていればいずれなんとかなるだろう。そうだと思いたい。
「無理しないようにね」
なんかノアには見透かされてるような気はするが、気にしないようにしてくれてるんだから甘えてもいいんだろう。
それから食事をしてレストランを出た。値段の割に量が多いのでもうお腹がパンパンだ。あの量をあの親子が食べたのか。
「眠そうだな」
と、ガーネットが声をかけてきた。
「お腹いっぱいだからな」
「子供か」
「まあ似たようなもんだ。特にこれといって仕事をしているわけでもなく、人からもらった金を使って飯を食ってテキトーに生きてるからな」
「子供を馬鹿にしすぎじゃないか?」
「子供なんてそんなもんだろ。アイツらは親の金使ってテキトーに生きてるからな」
「まだ生き方っていうのを学習してる最中なんだよ」
「わかったような口をきくじゃないか」
「なんで上からなんだ」
少しだけガーネットが不機嫌になった。
「だって俺の方が年上だからな」
次の瞬間、ハンマーで殴られたみたいな痛みが頭を直撃した。
視界が揺らいで、気がつくと地面に倒れ込んでいた。ノアとガーネットが支えてくれたようで顔面は地面についていない。
「大丈夫か?」
ガーネットの声が耳元で響いた。
「ああ、すまない……」
なんだろう。体から力が抜けていくようだ。呼吸をするのも苦しくて、浅く短い呼吸をすることしかできない。
「立てるか?」
「無理、そう」
「そうか」
ガーネットがため息をついた。そりゃそうだよな。
「ノア、左の方頼めるか」
「わかった」
ノアが俺の左肩を支え、ガーネットが右肩を支えてくれる。そのまま立ち上がり、俺の体を支えながら移動を始める。
「重けりゃその辺に座らせてくれ」
「そういうわけにもいかないでしょ」
ノアの声が怒っているようにも聞こえる。
しかし体が上手くう動かせない。それは口も瞼も同じで、表情そのものを作ることさえも難しくなっていった。
「エージ? ねえエージ!」
そんなに心配するなって。いつものことじゃないか。そうやって声をかけたいけど口は動かない。
「しっかりしてよ!」
そんなノアの言葉を聞きながら、俺の意識はゆっくりと閉じていった。ホント、俺の体はどうなってんだろうななんてことを最後に考えていた。




