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さらりと、前髪が額に流れ落ちた。くすぐったくて目蓋を開くと、俺の顔を覗き込んでいる誰かがいた。
「ヴァルか」
こうやってみるとやっぱりキレイな顔をしているな、と本当に思う。
どうやら俺が寝ているベッドに座って上から見下ろしているらしい。一体なにが楽しくてこんなことをしているのかわからない。
「どうしたの?」
なんて訊かれるからどうやって返していいかわからなくなる。
「シワが増えたなーと」
「んなわけないでしょ」
額をペシッと叩かれた。なんだこのくすぐったいやり取りは。
「どれくらい寝てた?」
「一時間くらい?」
「そうか。他の連中は?」
「まだ帰ってきてないよ」
「そもそもどこに行ったんだよ」
「それ最初に訊くべきじゃないの……?」
「たしかにそうだったな」
「あーわかった。私の姿しか眼中にないってことを遠回しに言ってるんじゃない? 女の子にはもっとストレートにアピールした方がいいわよ?」
このニヤニヤした感じがムカつく。
「数百歩譲ってもお前が女の子はありえないから」
「ふんっ」
今度は額にゲンコツが飛んできた。
「痛いが」
「頭残ってるだけありがたいと思いなさい」
と言ってもコイツの魔法は俺に通用しない、っていう設定なので頭が吹っ飛ばされる心配はない。
「魔法も効かない相手にどうやって頭吹っ飛ばすつもりだ?」
「それを言われたらおしまいだけど、物理的に吹き飛ばす以外にもいろいろ方法はあると思うのよ」
顔がぐいっと近づいてきた。俺の耳の横辺りに手をついて、覆いかぶさるようにして見下ろしている。
いい匂いがした。爽やかな花の匂いの中に混じって甘いバニラの匂いが仄かに香る。さらりと垂れた髪の毛が俺の耳にかかると、その匂いは一層強さを増した。
「なんだよ」
と口では言っているが、今にも心臓が体内で弾けそうだった。こういう時はよく「心臓が口から飛び出る」という表現を使うが実際はそんなことはない。口から飛び出る時間がないくらい、脈が強さを増しているからだ。
「顔赤いわよ」
「嘘だ。俺は顔に出ないタイプだからな」
「顔に出ないってことはドキドキしてるのは間違いないんだ?」
「なんでお前なんかにときめかにゃならんのだ」
「まだそういうこと言う? じゃあこれはどうかな」
少しずつ、少しずつ顔が近づいてきた。
今すぐにでもヴァルの肩に手を当てて上に押し上げなければ。
でも本当にそれでいいのか?
いやそうしなきゃどうなるかなんてわかるだろ。
でも、このままでもいいんじゃないだろうか。
覚悟を決めて目を閉じた。
次の瞬間、ガチャッとドアが開いて足音がなだれ込んできた。ヴァルと俺が同じタイミングでドアの方へと顔を向けると、ノアとガーネットとキャロルもまた俺たちを見ていた。限界まで見開かれた目がやけに印象的だった。
「ち、違うぞこれは」
「違うって、なにが?」
そう言ったのはノアだった。なんでかわからないが顔が怖い。怒ってるのか威嚇してるのか判断が難しいところだ。
「ちょーっとエイジで遊んでただけよ」
「遊んでた、ね」
ため息をついたノアは、腕を組んで俺とヴァルのことをジッと見つめていた。眼光があまりにも鋭く、もうすでに体にいくつ穴が空いたかわからない。
ヴァルもまたため息をついていた。そして体を起こしてベッドから降りた。その脚でイスに座った。
「エイジで遊ぶのは駄目かしら」
ヴァルの目から光線が出たのでは。そんなふうにも見えた。
二人の間では眼光がぶつかり合って、どういうわけか火花が散っているようだった。
「どうしてこんなことに……」
仲良くしてくれよ、と思いつつもそこまで悪い気がしない自分にちょっとだけ嫌気がした。
うん、でもなんかほんのりいい気分だな。今後のことを考えると胃が裏返りそうではあるが。
俺の気持ちなど知らない二人はいつまでもバチバチやっていた。それは次の日になっても続くなど誰も思わなかった。誰かこの雰囲気をなんとかしてくれ、なんて天にお祈りするくらいには空気が悪く、そんな状態のまま俺たちは王都を離れるのだった。




