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 三十分ほど歩き、俺たちは迷いの森の前にいた。


「ねえエイジ、ちょっといい?」

「なんだよ。今から森に入るってときに」


 ヴァルは見るからに不機嫌だった。やはり身体のラインは素晴らしいと思う。好みではないが。


「ここに来る間のこと、思い出してみておかしいと思わない?」

「ここまで……? ノアと喋ってた記憶しかないな……?」

「そう、それよ。もうちょっとさ、ほら、私のことも考えてくれてもよくない?」


 瞳を輝かせているところ悪いのだが、俺はさっさと森のなかに入ることにした。ノアはため息をつきながらも俺の横を歩いていた。


「なにあれ。髪の毛触って「お前の髪、こんなに綺麗だったんだな」って。そんなセリフどこから出てくるわけ?」


 迷いの森というだけあって薄暗く、鬱蒼としていた。木々の背が低いので圧迫感もある。なによりも木の本数が多いので、道を外れたら誰だって迷うだろう。


「なにあれ。イヤラシイ顔して「その白いワンピース似合ってるぞ」って。十代の女がワンピース着たらそら可愛いでしょうね?」


 地面もやや湿っぽい。雨が降ったらなかなか水が引かないんじゃないかとさえ思える。ぬかるんでいるわけじゃないからまだいいが、急に天気が変わったら厄介だな。


「なにあれ。後ろから抱きついて「今夜、いいよな?」って。てめーは年中発情期かっつーの」

「後ろでうるせーな。しかも最後のは言ってねーよ」

「これからやりそうだなと思って」

「ババアの妄想に付き合っている暇はないんだ。さっさと先に進もう」

「ちょま、ちょ待てよ! あのね、私だって髪の毛サラサラよ? みんな大好き黒髪ロングよ? 私なんて出会って一回も褒めてもらってないのよ? おかしくない? アンタがもし主人公だったら間違いなくメインヒロインの座に収まるであろう私のこと褒めないのおかしくない?」


 頭を抱えそうになる。そんな長台詞がよく咄嗟に出てくるもんだ。


 仕方なく、ヴァルに歩み寄って髪の毛を触った。


「黒くてツヤツヤしてて、まるで節足動物の虫みたいだ。ゴキブリとかカブトムシとかそっち系の」

「褒めて! 褒めてよ!」

「あーもう。めちゃくちゃ手触りもいいし、ちょっとウェーブかかったところも似合ってるよ。これは本心だ」


 目を見つめたままそう言ったが、ヴァルは意に介さないと言わんばかりに無表情だった。


「はいダメー」と、腕を交差させてバツを作っていた。

「アンタは女心ってもんをまったく理解していない。髪を切ったときに「私髪切ったんだよ」なんていう女はいないの。わかる? 女ってのは気付いて欲しい生き物なのよ。自分のことをちゃんと見ててくれるっていうのを実感したいの。褒めてくれって言われて褒めるのは間違ってるのよ。言われる前に褒めるの。わかった?」

「めちゃくちゃ力説してるとこ悪いんだけど、それは新しい彼氏にやってもらえよ。たぶん三十年あれば彼氏くらいできるだろ」

「三十年も待てるわけないでしょうが! でも今言ったからよーくわかったわね? もしも私が髪を切ったらいの一番に褒めるのよ? わかったわね?」


 この流れで行くと、ヴァルが髪を切る前にノアが髪を切る方が早いな。断言してもいい。


「わかったわかった。次からそうするから」

「それでいいのよ。主人なら主人らしくちゃんとしてもらわないと」

「もうその話はいいから。はい、この森の解説して。俺はこの世界に来て日が浅いんだから。そろそろ戦闘とかもしてメリハリつけないといけないんだからさ」

「戦闘? たぶんこの森では戦闘なんてないわよ?」

「えー……」

「迷いの森、別名トレントフォレスト。ここの木はだいたいトレントなのよ。木のモンスターね。他のモンスターが迷い込んでも、トレントがモンスターを迷わせて、衰弱したところで捕食するの」

「また怖いとこきちゃったな……」

「大丈夫だと思うけど。ほら見なさい」


 ヴァルが指を差すと、森がうごうごとうごめいていた。そして次の瞬間にざざっと動き、一本の道ができていた。


「どういうことなの」

「ここのトレントたちは私のこと恐れてるからよ。邪魔するとまた焼け野原にされるって思ってるから」

「お前なにしてんだよ。今までそんな魔法使ってねーじゃねーか」

「仕方ないでしょ。邪魔だったんだもん。ばーっと森の半分くらい燃やしてやったわ」

「生木を燃やすってどんだけの火力だ」


 トレントがあけた道の向こうから誰かが歩いてきた。人じゃない。足も手も胴体も、全身が木で出来た人型のトレントだった。右腕がないこと以外は普通か。


「ヴァレリアさま。これでよろしいでしょうか……」

「もうめちゃくちゃ怯えちゃってんじゃん」

「私は魔女よ。畏怖され敬われるのが普通なのよ。で、お前はなんで腕がないの?」


 俺も疑問には思っていたが、まさかズバリ訊くとは思わなかった。


「これは、ちょっとした事故で……」

「嘘はいい。モンスター、しかも大型のにやられたわね? どうしてそうなったの?」


 人型トレントは諦めたようにうなだれた。


「最近このへんに大型のモンスターが出るのです。でも野生のモンスターではありません。飼われているモンスターなのです。人間は三人程度ですが、モンスターが十体以上いまして」

「なるほど、狙いはアレね?」

「おそらく」

「アレってなに?」


 珍しくノアが興味を持っていた。


「この森はトレントフォレストと呼ばれているけど、そもそもトレントはあるモノを守るために人やモンスターを惑わしているの」

「隠れた財宝、とか?」

「違うわ。トレントと共存関係を気付いているドライアードよ。ドライアードは美しい女の見た目をしているし、かなり高価なクスリの原料にもなる。この森を襲ってきてる奴らの狙いは間違いなくドライアードでしょうね」

「その通りでございます。ですが、あれだけのモンスターを相手にできるほど我らは強くない。今はギリギリのところで耐えていますが、この森が蹂躙されるのも時間の問題でしょう」

「ふーん、なるほどねー」


 なんて言いながら、ヴァルは森を見つめていた。

「ま、そのうちなんとかなるでしょ。頑張って耐えしのぎなさい。それじゃあね」


 人型トレントの肩が下がった。僅かではあるが期待をしていたのだろう。


 人型トレントの横を通り抜け、俺たちはトレントたちが作った道を直進した。


「見過ごすのか」


 ノアがヴァルの横に並ぶ。


「なに? 感傷的になっちゃった? 世の中は弱肉強食。弱者が淘汰されるのは世の常。そこに文句を言っていたらなにもできなくなるわ。お前もそれはわかってるでしょう?」

「まあ、そうね。私にも関係ない。私はエージの奴隷で、ただの傭兵」


 それっきり、ノアは口を開かなかった。


 一時間ほど森の中を歩き、俺たちはようやく森から解放された。本来ならば数倍の時間を有しただろうが、ヴァルのお蔭でかなり楽できた。本来ならダンジョンっぽい位置づけなんだろうが、戦闘もなく終わってしまった。

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