誰だって静かに生きてたい
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
うぐぐ……週末になると、どうも耳に毒だねえ。
この辺りの道路。どうもバイクに乗る若い子たちに気に入られているみたいで、びゅんびゅん飛ばしていくんだよ。少し前から、毎週のようにさ。
まるで、月に四回ある「中国大返し」さ。彼らの見ている先に、明智光秀のような討つべき敵がいることを祈るばかり。早くたどり着いて、ケリもつけて、寝て暮らせる平和な世の中を、作り出してほしいものさ。
肉と鉄の違いはあれど、人とそれに使われる足は、昔から何度も地面を揺らしてきた。昼夜を問わず、時間を惜しんで、ひたすら先へ進み続ける。
だから転ぶ。足を取られる。勢いに乗らんとしている時なんかは、特にさ。周囲にどれだけの迷惑がかかっているかなど、把握できていないままに。
それを教えてくれた、ひとつの事件がある。
彼らも通り過ぎて、静かになったところだ。少し耳を傾けてもらえるだろうか。
世は戦国時代。ひとりの使者が、重要な書を携えて、たそがれに染まりつつある軍用道を急いでいた。
ここ最近、力を伸ばし始めた大勢力によって整えられたその道は、わずかに左に湾曲しながら、田の間を縫うように作られていた。
道々には、おびただしいひづめやぞうりによる足跡が残っている。それは、つい先ほどまで、この道を大軍が通ったことを、如実に示していた。
馬を走らせる使者の顔は、緊張の色を帯びていた。彼が目指す先は、その大勢力の大将がいる本陣。
今回の遠征で、かの大勢力は敵対する大名を討つという名目で、出兵していた。あり余る大軍で、瞬く間に目標の大名家を打ち倒した大勢力は、その余力をかってか、軍備を解くことなく、周辺にある他の大名家へも侵攻を開始したのだ。
使者の所属していた大名家は、近年、大勢力と同盟を結んだばかりの関係にあった。
しかし、条件として提示したものがある。
大勢力よりもずっと前に、大名家としての独立に助力してくれた家。この家を大勢力が攻めることを禁ずる、という約束を結んでいたんだ。
その家が、今まさに大勢力が広げる、戦の煽りを受けている。すでに小城がいくつも落とされ、その害意は申し開きが立たない。
使者の大名家は、隠居した前当主を始め、古参の将が多く、件の家に恩義を感じている者の声が大きい。信義のために大勢力と手を切り、後背をつくべきだと主張した。
落ち着いている何名かは、明白な戦力差を根拠に、強者へ牙を向くことの無謀さを説いたが、多勢を占める老臣たちの熱を、下げることはできなかった。
そして今。この使者は、返すべき誓書を胸に、馬を走らせているところ。同盟破棄と宣戦布告を告げる、大役を仰せつかっていた。
場合によっては、その場で始末される恐れさえある。
使者が目指す本陣に着いた時には、すでに月が高く上っていた。
自分が所属する大名家の旗は、背中に差している。見張りの兵は察したらしく、しばし待たされた後、陣幕の中へと迎え入れられる。そこには、刀持ちと武装した小姓数名のみを脇に侍らせた大将が、床几に座って待ち受けていた。
使者はなるべく平静を装って、向かいに置かれた床几に腰かけたものの、相当青ざめた顔をしていたのだろう。
大将はニヤリと笑うと、「出せ、誓書を」と、開口一番に言い出した。
見抜かれたが、黙って言う通りにするわけにはいかない。
吐いた唾は飲めぬ、と語られるように、戦国当時は、祐筆によって代筆可能な書状よりも、口頭による伝達にこそ、重きが置かれていた。
その者だけが持つ、声とまなざしによって紡がれた言葉こそが、真実となる。ここで黙って従うだけならば、使者として立つ意味がない。
「その前に、口上を」と言い置いて、使者は語り出す。
大勢力が同盟の際に、盛り込んだ約定を破ったこと。ついては誓書を返し、義に従って戦火を交え、その肝を寒からしめんことを、目をそらさずにはっきりと伝えた。
使者が語り終えても、大将はしばらく動かずにいた。
「ならば、これで返事とせん」と、太刀持ちから刀を受け取り、自分の首を取りに動くことも考え、使者のうなじは、汗に冷えっぱなしだった。
しかし、やがて大将は「ははは」と声を立てて笑い出す。
「結構。その意気を買おうではないか。安心せい、わしはそなたを斬るほど、頭に血がのぼってはおらぬわ。立ち返ってから、こう申せ。『盲目の義で天下は語れぬ。平和を招くことはかなわぬ』とな。真に安寧を望むのならば、静かに観ることこそが肝要。今がその時、ともな」
使者は湯漬けを振るまわれ、陣の外まで見送られる。
静かに観る。この期に及んで、戦いたくないという意思だろうか、と使者は悶々とした。自分の宣戦に、さほど心を動かされなかったということの、表れなのだろうか、と。
自分が帰ったら、すぐに軍備の最終的な見直しののち、進発する予定だ。いまだ陣を退ききらぬうちに挟撃する。この一戦を成功させねば、国力の差が後々まで響き、すりつぶされるだろう。先を急がねばならなかった。
すでに辺りは暗くなっており、使者は馬具が照り返す月の光を頼りに馬を走らせたが、肝心の馬が途中で何度か、足を止めてしまったんだ。
疲れた様子はなく、腹を蹴ってもブルブルと首を横に振るばかり。足をこそりとも、動かす気配を見せなかった。
ある程度経つと、また走り出す指示に従ってくれるのだが、不動の間、馬にまたがっていた使者は、あぶみから足の裏に、加えて腰に至るまで、じんじんとしびれが走るのを感じていたらしいんだ。
地面が揺れているのでは? と思われたとか。
だが、一刻を争う大事に、地揺れにかまけている手間も惜しく、ところどころ馬の立ち往生に悩まされながらも、使者は無事に帰還できた。
翌日。使者は、数千の兵たちの中に混じり、自分が数刻前に往来した街道を急いでいた。
もちろん、この程度の人数で全面的な戦に持ち込むわけではない。これに倍する人数が、主だった道路の封鎖を受け持っていたんだ。
すでに、大勢力に攻められているかの家からは、反転攻勢に転じたという報を受け取っている。そうして足並みの崩れた軍の腹背を突く。そして散り散りになった軍の中核を、あらかじめ張った網で、からめとるんだ。
殲滅がかなわなくとも、あの大将をどうにか捕まえるか、討ちとるかが、このたびの戦いの重大事。拙速を尊ぶ時だった。
だが、ある地点で馬たちが軒並みいななき、のけぞりながら足を止めてしまう。そこは、やはり使者の馬が、先刻、足を止めてしまったところと合致した。
かえって徒歩の者の方が前に出てしまうというありさま。馬の尻を鞭で打ち始める者も現れた。馬を叱る声と、それに対して悲鳴じみた声をあげて抗う馬の声が混じり、じょじょに広がっていってしまう。
使者は隊列の後方におり、動こうにも前が進まないために、止まり続けるよりなかった。けれども、やがて馬の腹を通じて、あの揺れが足を伝って身体をよじ登ってくる。
周りで、気づいている者はどれだけいるだろうか。遅々とした歩みに不満を漏らす声はあれど、地揺れに対しての異常をつぶやく者は見受けられない。戦への昂ぶりが、感覚を鈍くしているのか。それとも経験している使者の神経が、鋭くなっているのか。
牛歩のごとき歩みの馬どもが、無理やり走らされ始めた時。ずっと続いていた揺れは、ここにきてはっきりと、握る手綱を伝って、肩を震えさせるほどに強くなっていた。
ようやく他の兵たちも気づき出したようで、そこかしこでどよめきが大きくなり始め、全体をまとめる諸将が、鎮まるように一喝しようとしたところで。
道いっぱいに広がる、隊列の前部が、ふっとかき消えた。それは落とし穴にはまったかのように見え、実際、彼らの足元に、一瞬ですり鉢状のくぼ地が現れて、彼らを吸い落したことが原因だった。
道を覆いつくすかのごとく、口を開けたそのくぼ地は、ずり落ちる土ともども、渦潮のようにぐるぐると、回り続けている。
巻き込まれた人馬は、当初こそ顔を出し、叫び声を上げていたが、それも砂の中に沈んでしまい、見えなくなってしまう。
回転が止むと、そこには旗持ちが持っていた長い軍旗のみが、かろうじてその頭を出しているばかり。この間、わずかに十の数を数えられるかどうか、という短い時間だったという。
この奇怪な様子を目の当たりにしては、行軍どころではなかった。率いる将の声も届かず、兵たちは列を乱し、道を外れてでも離れて行こうとする。
だが、そのやみくもな走りさえ、許してもらえない。逃げ散る彼らのうち、もっとも固まっているところを狙ったかのように、再びすり鉢状の穴が空き、彼らに先駆者の二の舞、三の舞を踊らせていく。
耳を打つ騒々しさの中で、使者は努めて冷静に、被害に遭っていく者の姿を見ていた。彼らはいずれも無遠慮に足音を立てて、悲鳴をあげる者たちばかりだ。
それに対し、少数かつ声をあまりあげない者は、すでに豆粒に思える遠くまで逃げ去ることが出来ている。
――もしや、必要以上に音を出さねば、このくぼ地を作るものは動かないのでは。
使者は幾度も声を張り上げようとする大将に進言。自ら馬を下りて、来た道をゆっくりと、人馬共に忍び足で歩み始める。
騒ぐ連中の近くには寄らない。実際彼らは、さほど間をおかずに、例のくぼ地の餌となった。大将もそれを見て使者にならい、生き残った者も続く。
三里ほど進んだ時、例のくぼ地が広がる気配は消えたが、もはや軍はその様相を呈しておらず、計画していた挟撃もあきらめざるを得なくなったという。
今でこそ、利用者の多い道路は、国道を始め、大半がセメントにより土の表面を覆われている。戦国時代当時に比べれば、未舗装な場所は少なくなっただろう。
だが、舗装された道路のひび割れを見るたび、私は不安になる。あのすり鉢状のくぼ地の主が、うるささに耐えかね、再び外に現れようとしているんじゃないか、とね。