不死者の王
「私のハーブにケチをつけるとはいい度胸だ」
現れたのは真っ白な肌をした、スラリと背の高い女だった。
ほっそりとしたモデル体型で、死ぬほど脚が長い。高坂ソータローの胸が、ちょうど腰のあたりに位置する。
白の法衣はぴったりとしていて身体のラインが浮き出ており、大胆なスリットのおかげで美しくも長い脚がチラチラと見えていた。
そして長い黒髪を後ろで縛り、銀色の髪飾りで束ねている。整ってはいるが気の強そうな顔立ちで、俺の方を睨みつけていた。
「シャトレーゼ先生。そういう意味で言ったんじゃないんですよ」
バハラティがとりなすように言った。
「こちらのお二人は、先生のことを知らないみたいなんでね」
俺は女を見ながら、どこかで見た記憶があるなと感じていた。この王国に関する記憶は相変わらず曖昧でまばらであり、物事を順序だてて思い出すことが出来ない。
だがこの美脚には見覚えがあった。
「……私はそちらの男に見覚えがある気がするけどね」
俺は背筋がゾクッとするのを感じた。
この感じ。
このサディスティックな感じに、覚えがある。
正直、嫌いじゃない雰囲気だった。
俺は口を開く。
「バハラティ、この人にハーブをお願いするんだろう」
ポケットに手を入れると、金貨をつかみ出した。黄金色に輝く純金のコイン。
シャトレーゼは辺りに人影が無いか素早く見回した後で言った。
「店に来なさい。ここでは人目について都合が悪いわ」
俺の方をチラリと見た。
「特にフードのあなた。都合が悪いでしょう?」
やっぱりそうだ。
この女は俺のことを知っている。
※※
シャトレーゼは後ろ手にドアを閉めると、キツイ表情で俺を睨んだ。
隣の部屋でハーブを吸引しているバハラティとビスコには聞こえないよう、抑えた声で言う。
「ここで何をしてるんですか、大王」
「質問の意味が分からんな、シャトレーゼ」
俺はここまでの経験を通じて、立ち回り方を学習していた。アンゴルモア大王だった時の俺が何をしていたのか、相手にカマをかけて聞き出すに限る。エムベブの時のように恨みを買っている可能性が高いので、こちらから下手なことは言わない方がいい。
「あなたは星になったはずです」
「えっ?」
シャトレーゼの表情が緩んだ。射るような視線が潤み、乙女の顔になる。
「恋い慕っていたあなたが星になって一年。このシャトレーゼ、一日たりともあなたのことを忘れたことはございません」
何?この桃色な展開。
「えっと……」
俺は言葉に詰まった。何と答えるのが正解か分からなかったからだ。
この女と俺は恋仲だったのだろうか?だが邪神オーである俺様が、この国の片隅で脱法ハーブ屋を営む女と恋愛関係に陥るのは不自然だ。どんな美女だろうと、力を行使さえすれば手に入るのだから。
だとしたら、この女が一方的に俺を追っかけて来てると考えるのが自然だろう。
こういう手合いは、下手に甘やかすとストーカー化するから厄介だ。
俺は冷たく突き放そうと、咳払いを一つした。
だが、こちらのセリフを待たずにシャトレーゼがしなだれかかってくる。
「お会いしとうございました」
法衣のスリットからチラリとのぞく、透き通るように白い太もも。
俺の心臓がドクリと脈打った。
鼓動が早くなる。
甘い香水の匂いが鼻についた。シャトレーゼが身をかがめると、胸の谷間が目に入る。
えっと、ちょっと待ってよ。
俺は自分の体が金縛りにあったように動かなくなっているのに気付いた。
しまった、そうか。俺は高坂ソータローに転生しているのであり、身体的能力は基本的に十九歳の童貞ニートのままなのだ。
大人の色気に溢れたセクシー美女が急接近しているこのスリリングな状況、ガラスのハートしか持たない童貞に耐えられるはずがない。
「大王」
シャトレーゼの赤い唇が俺の視界を塞ぐ。美女は俺のまぶたに接吻をしたのだ。
荒い息遣い。女の息が俺の首筋をくすぐる。
手が伸びてきてフードがめくられ、俺の頭が抱えられた。
掠れた声で耳元にささやく。
「本当に……大好き……」
シャトレーゼが俺の耳たぶを甘噛みする。
生暖かく、柔らかい感触。
ねちゃり、と唾液が粘つく音が俺の鼓膜を打つ。
「……食べちゃいたい」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心の奥底で、何かが警告を発した。
はっ、と顔を上げる。
ガチン、という音が耳元で聞こえた。
「逃げないでよ、大王」
顔を上げた俺は目を見張った。
シャトレーゼの口が耳まで裂けて、異様に発達した犬歯をのぞかせている。
ガチンという音は、女が俺にかぶりつこうと牙がぶつかった音だ。
「くそっ」
俺は無我夢中でシャトレーゼを突き放した。
同時に、記憶が蘇る。
この女は、不死者の王だ。
かつては北方の異民族の女王であり、高位の死霊魔術師だったが、ヴィシュラ王国と戦って破れ、自らに不死者となる魔術をかけたのだった。
もっとも、ヴィシュラ王国と戦うよう、この女をけしかけたのも俺だったのだが。
シャトレーゼは不死者の王となってから、強い魔力を持つ俺の肉体を狙うようになった。俺を殺してその肉体を食らえば、その力が得られると信じているからだ。
以前に戯れで、俺の体を半分くらい食べさせてやったこともある。だがそれもまた仮の肉体なので、シャトレーゼに魔力を与えることは無かった。だがシャトレーゼは、俺の肉体を全て食べれば魔力を得られると信じ切っており、何度も襲ってきたのだった。
俺に力があった頃は、楽しい遊びだった。
朝、目が覚めると足を丸ごと一本食べられていたりして、慌てて回復魔法で蘇生させたこともあった。
最大のピンチは顔面を食われた時だ。呪文の詠唱ができなくなったので、使い魔に命じて代わりの顔を作らせたことがある。顔の造形さえあれば何とかなるので、近所のパン屋に俺の形のパンを焼かせたのだ。
そういえばあのパン屋が転生して、国民的マンガ家になったと聞いたことがあるな。
「大王……」
過去に浸っている暇は無かった。血に飢えたシャトレーゼが舌なめずりしながら俺に近づいてくる。
「待て、シャトレーゼ」
俺はどうやってこの窮地を切り抜けたものか思案しながら、震える手で女を制した。不死者の王は不死者の中では最高位に位置する強力な存在であり、下手な吸血鬼などよりよほど手強い。童貞ニートにどうこうできる相手ではなかった。
「俺の魔力が失せていることに、気が付かないか?」
シャトレーゼの動きがピタリと止まった。
「……言われてみれば、気配がおかしいわ」
「俺の魔力を盗んだやつがいるんだ」
「な、何ですって!」
引きつった声で言いながら、シャトレーゼが白い頬を紅潮させる。
「大王の魔力は、私のものなのに……」
「いや、君のものでもないけどね」
「盗んだのは、一体誰なのですか」
「蒼の騎士団とかいう、得体の知れない奴らだ」
「蒼の騎士団……?聞いたことがありません」
「多分だけど、ヴィシュラの旧王家のバックについてるんじゃないかと思うんだよね」
俺がそういうと、シャトレーゼの形相が再び邪悪な色に満ちた。それもそのはず、かつて北方の異民族の女王だった彼女は、ヴィシュラ王家に並々ならぬ恨みを抱いているのだから。
「だからさ、できれば手伝って欲しいんだよね」
「何をですか、大王」
「第二城壁を越える」
その言葉を聞いたシャトレーゼが、口を真一文字に結んで俺の方を見た。
「そのためにルドー兄弟を倒す必要がある。君の力を貸してくれ」
不死者の王の瞳が、怪しく光った。
つづく