王都と悪徳商人と錬金術師と
ズズズ……ズズズ……。
陰鬱な音が、俺たちを追いかけて来る。
稲川順二の怖い話とかでよく耳にするような低音のSEだ。
後ろを振り向くと、下半身の無い女の死体が、長い髪を振り乱しながらこちらへ這いずって来たり……しているわけではない。
モナカが真鍮の鎖で棺桶を引きずっているのだ。
「ねぇ、ソータロー。あれ何なの?」
ビスコが小声で聞いてくるが、俺も答えることができない。あの中に何が入っているのか、記憶が定かでなかったからだ。
だが、中身については知らない方がいい。
何となくそういう不吉なものだったという獏とした記憶はあった。
「まぁ、彼女は葬儀人なわけだしさ。棺桶はほら、商売道具だよ。流しの板前が包丁一本持って全国を旅するみたいなもんだ」
「でも、あれを引きずったまんま、街の中へ行くわけ?」
そう言われて、俺は言葉に詰まった。
俺たちはヴィシュラ王国の王都へ侵入する計画を立てて、山道を下っていたからだ。
そもそも、アンゴルモア・チャレンジ杯が開催されている状況で、標的であるこの俺様が街中へノコノコと出向いていくのは危険きわまり無い。
だがその一方で、逃げ回ったところで事態が好転するかといえば、そういうわけでもない。
この王国の住民たちは魔法を使える。俺が再びこの王国に現れたことが知れてしまえば、あっという間に探知魔法で居場所を特定されてしまうだろう。
ヴィシュラ王国軍二十八万どころではない、国民全員が狩人なのだ。
だとすれば、問題を根本的に解決するしかない。
「アンゴルモア・チャレンジ杯を中止するためには、王族の口からそれを宣言してもらう必要がありますぞ」
棺桶を引きずりながらついて来るモナカが、突然口を開いた。
「そのためには、王都に行かねばなりませんが、ボクの棺桶が人目につくのは承知しています」
「聞こえていたのか、モナカ」
「日の高いうちに街に入れば、ボクの姿は人目に付くことでしょう。だから、夜陰に乗じて城壁を昇って侵入するのです」
俺は数キロ先におぼろげに見える城壁を見つめた。
「そんなことが可能なのか?あの城壁はたぶん、スカイツリーくらいの高さがあるぞ」
「高度なレンジャースキルが必要ですが、あいつなら可能なはずですぞ」
言うとモナカは背後を指差した。
そこには何と、バハラティ・スタークの姿があった。
俺たちを追ってきていたのだ。
山賊の頭領はこちらに見つかったことに気付くと、慌てて道の傍らの茂みに姿を消す。
「あいつ、ついて来てたのか……。まぁ、あれだけ派手にビュリダモスにやっつけられれば、頭領として一味をまとめていくこともできないわな」
茂みの奥からこちらを見る瞳は、逆恨みをしている人間の目つきだった。
「そうですね。しかもあの男は馬鹿で田舎者ですから、大王の正体には気付いていない。それが幸いですぞ」
モナカは真紅の瞳で山賊を睨んだ。
「城壁まで近づいたら、死ぬほど脅して城壁を昇らせ、門の鍵を開けさせる。それが終わったら堀の中へポイーですぞ」
「お前って、結構悪い奴なのね」
「ボクは大王の手下ですから」
そう言うと、俺とモナカは顔を見合わせ、ケケケケケと悪どく笑った。
※※
「それはとても上等なぶどう酒なのですよ」
そう言うと、男は丁寧に整えられた口髭を撫でながら笑みを浮かべた。
男の言葉に呼応して、申し訳程度の絹で胸と腰まわりを覆った半裸の美女がゴブレットを差し出す。美しい黒髪と、褐色の肌を持ったその女奴隷は、ヴィシュラ王国よりも南の方から連れてこられた人種だというのが見て取れた。
「その前にだ、エムベブ」
俺は腕を組んでゴブレットを受け取らずに、相手をけん制した。
「王都で最も財力のある悪徳商人のお前の邸宅でワインを差し出されつつも、俺のツレがいやらしいラバースーツみたいなのを着せられてるこのシチュエーションについて説明してもらおうか」
「まぁ、そう怒りなさるな大王」
二つに割れたたくましい顎を撫でながら、エムベブは低い声でくっくっと笑った。
よく日に焼けたガタイのいい男で、彫りの深い顔立ちをしている。そして今の俺にはちょっと真似できないくらい、悪役が板についてた。生まれてから、ずっと悪いことばかりして生きてきたのだろう。白目の部分がいい感じに濁っていて、悪役商会の俳優が羨むくらい悪そうな雰囲気を醸し出していた。
「よく似合ってるじゃないですか、あの格好」
そう言うと、五百人くらいがダンスパーティできそうな広い広いダイニングの片隅に転がされたビスコを指差す。
さっきまで着ていた女子高生の制服ではなく、ピッタピタのラバースーツを着せられ、椅子に座らされている。その口にはエロ本でしか見たことの無い口枷。
「どこで手に入れたのですか?あの奴隷。よければ譲っていただきたいものですな」
俺はむしろ、エムベブがあの衣装と口枷をどこで手に入れたのか教えて欲しかったが、その話題は止めておいた。ビスコがウーウー唸りながら、自分は奴隷じゃないと抗議していたからだ。
それにしても、よく捕まる女だ。
「最初に闖入してきたのは、そちらですよ」
そう言うとエムベブは傍らの女奴隷に目配せした。うなずいたその女奴隷が、別の部屋からバハラディを引き立ててくる。
「天からこいつが降ってきたんです」
俺はバハラティを見た。大掃除終わりの雑巾みたくボロボロになって、白目を剥いている。
「……こいつがお前の屋敷に激突して、穴を開けた?」
「その通り」
「……飛空石を持たせときゃよかったな」
「何ですと?」
「何でもない」
俺はバハラディを睨んだ。城壁を越えたはずのこの男が、いつまでたっても門の鍵を開かないと苛々していたのだが、やはりこういうことだったのか。
「捕まえて、拷問にかけたところ、城内へ侵入しようとしている異邦人の話を白状した。だから私の手先を向かわせたところ……」
「まさかの俺様だった、と」
「一年ぶりですね、大王。また私に儲け話を持ってきてくれたのですか?」
「お前の態度次第だ。少なくとも、俺のツレを奴隷扱いして、勝手な真似をするようじゃ褒めてやるわけにはいかん」
俺は強硬な姿勢を崩さないままでいた。このエムベブという商人と、以前の俺の間にどんな取引があったのか、詳細については思い出せない。だがこいつの態度と、俺の行動パターンを併せて考えれば大抵のことは想像ができる。
こいつを調達者として、王国の宝物を集めさせでもしたのだろう。
だとしたら、強気に出れば以前と同じように俺の言うことを聞かせることができるに違いない。
「さて……」
エムベブは微笑みを浮かべた。
「こいつは困りましたな。大王を怒らせてしまったようだ」
「態度を改めれば許してやろう」
そう言うと、俺は腕を組んだまま鼻を鳴らした。そうすればエムベブが頭を下げてくると思ったからだ。
だが悪徳商人は、ひっそりと笑っただけだった。
「いえ、ひとつ気になっているとがありまして」
「何だ」
「どうして大王は姿を消したのか」
エムベブの目が、上目遣いで俺を見ている。何かを詮索するような雰囲気があった。
「どういう意味だ」
「ヴィシュラ王国の国民全てに対して、自らを討伐するよう仕向けた大王が、突如として姿をくらました。それはなぜだろうと、私はずっと考えておりました」
「……それは、俺がこの王国で遊ぶのに飽きたからだ」
「もしかしたら、大王は力を失ったのではないかと」
俺は息を呑んだ。その推理は正確には外れていたが、今この状況ではほとんど正解に近い。
ここに座っているのは比類なき力を持つチートな邪神ではなく、ただのニートなのだから。
「何を……馬鹿な」
俺は言ってみて、それがいかにも追い詰められた悪役が言いそうな台詞だと気付いた。
「私が大切なお連れ様に対してこれほど非礼な真似をしているというのに、ほんの少しばかりの仕置きさえ与えようとしない。それこそが証左なのではありませんか?」
「……そう思うのは勝手だ」
言いながら、俺はフル回転で計算を始めていた。
考えていたのは、モナカがどこに行ったかだ。
バハラティが帰ってこないことに業を煮やしたモナカは、飛行円盤の魔法を使って、棺桶に乗って様子を見に行った。
何で最初からそうしなかったのか不思議だったが、それよりも気になったのはそのままモナカが姿を消したことだ。
あいつがいなければ、俺は自分の身を守ることもできない。
俺は時間を稼ぎながら、少しずつ腰を浮かせていた。
さっと走って逃げれば、俺だけでも逃げ切れるだろうか?
その時、エムベブが口を開いた。
「大王、あなたの考えはわかっていますよ」
「えっ?マジで?」
「マジですよ」
エムベブはにっこりと笑った。
汚い微笑みだった。
※※
「あなたが私に仕掛けているのは、はったりだ。なぜなら、今のあなたからは魔力の匂いが感じられない」
俺ははっとした。
自分が勘違いしていたことに気付いたからだ。
目の前の男を、単なる悪徳商人だとばかり思い込んでいた。
慌てて裏コマンドを開くと、俺はエムベブのパラメータを確認する。
やはりな。
こいつはハイレベルの錬金術師だ。
俺は自分の迂闊さを呪った。
この世界においては、金銀宝石と同じように、魔力を帯びた物質が価値を持つ。高価な魔法物質を取引して財を成す商人などは、多くの場合に錬金術師の素養を持っているものなのだ。
「姿見た目はまさしくアンゴルモア大王だが、今のあなたからは肝心の魔力が感じられない。以前にお会いした時は、近くによるだけで毛穴から魂が吹き出るかと思うほどの圧力を感じたものだ」
それはそうだろう。
あの時はチート、今はニートなのだから。
俺は何と答えたものか思案しながらエムベブを見ていた。
錬金術師は自ら大きな魔力を発生させることはできないが、魔力の組成について熟知している職種だ。魔力を電力に例えると、自家発電はできないが電力を貯めて電池を作ったり、そもそも発生装置である発電所を設計したりする。
つまり魔法が支配する世界の技術者なのだ。
だから魔力の発生源に対しての嗅覚は敏感で、高位の錬金術師を相手に誤魔化し続けることは難しいだろう。
俺は覚悟を決めた。
「エムベブ、もしも俺から魔力が失われていたとしたら、お前はどうするつもりだ」
悪徳商人は、顔を歪めて笑った。
負けを認めた敗者を前にし、どのように料理したものか思案しているような表情だった。
エムベブは大きく息を吸うと、苦々しげな口調でこう言った
「大王、まずは謝罪していただく」
「謝罪だと?」
「以前、私に言ったことを覚えておいでか?あなたはこの私に“ケツのようなアゴだな”とおっしゃった」
「えっ?」
俺は相手のアゴを見た。がっしりとした骨格のエムベブのアゴは、何というか、たくましく二つに割れており、見れば見るほど、そう……。
ケツのようだった。
「初めてお目通りかなってから、大王が姿を消されるまでの間、あなたは都合三十三回、私におっしゃいました。“ケツのようなアゴだな”と。そして私が最後にお目にかかった時のことです。あなたはさり気なく私に対して“なぁ、ケツアゴよ”と呼びかけた」
エムベブの瞳が怒りのせいで燃え滾っていた。
「ケツのようなアゴ……。アゴはアゴであり、ケツではない。だがあの日、あなたは別れ際に私の尻に向かって“元気でな”と呼びかけ、その直後にわざとらしく“ああ、こっちはケツだったか、アゴかと思った”と嘲笑った」
その話を聞いていて、俺は泣きそうになった。
俺は……俺はいったい……。
何でまた、こんなくだらないことで自分を窮地に陥らせているんだろう……。
エムベブは口からつばを飛ばしながら立ち上がると、血走った目で俺をにらみつけた。
「さあ、アンゴルモア大王!謝っていただきたい、この私に。ケツアゴと罵り、万世続く恥辱を浴びて名を汚したエムベブの名誉を回復し、汚辱を注ぐために!さぁ、謝れ!」
怒髪天を突くとはこのことだ。
今にも飛び掛らんばかりの勢いで拳を振りかざし、エムベブは絶叫する。
「謝れえぇぇーーー!!!!!」
「……ごめんなさい」
俺は頭を下げた。
どさっ、と音がして、エムベブが体を椅子へと戻した。
「……いいでしょう」
俺は小さく縮こまったまま、肩で荒く息をするエムベブが落ち着くのを待った。
「それでは、取引を始めましょう」
「……えっ?取引?」
俺は泣きそうになりながら顔を上げた。
エムベブが俺のその様子を見て、ニタリと笑った。
ずいぶんと汚い微笑みだった。
つづく