邪神の転生と高級焼肉と蒼の騎士団
俺の魔術で最後に屠ったのは、ペテルギウス星人だった。
灰色の肌に赤いとうもろこしみたいな毛が生えた、キモい奴ら。ペテルギウス星人。
奴らは光子力キャノンを発明していて、バンバン撃ってきた。
だが俺は鼻くそをほじりながら玉座から眺めてんだ。
光子力キャノンはこちらの低級結界(一日一回、無料で展開できるやつ)で軌道を捻じ曲げられ、俺にかすり傷ひとつ負わせることができなかった。
ペテルギウス星人の宇宙艦隊は大型犬のクソみたいに醜悪で、相手にするのも嫌になる。
俺はしばらく灰色の猿どもが奮戦するのを見ていたが、ペテルギウスの艦船のあちこちに、黄色く発光する球体が出現したあたりから、我慢ができなくなった。
どうてみても、未消化のままクソに紛れて排出されたコーンにしか見えなかったからだ。
不愉快だ。こいつらを終わらせよう。
そう考え、俺は玉座から立ち上がった。
俺はいつものように、自分が殺戮する種族を真似た姿に変身していた。だからペテルギウス星人からすれば、ちっぽけな人物が立ち上がったようにしか見えなかっただろう。
だが次の瞬間、その人物の指から放たれた光の矢が、艦隊を焼いた。二百隻を超えるペテルギウス星人の宇宙艦隊は、端からどんどん爆裂、溶解していく。あまりにも高いエネルギーが放射されたため、艦隊周辺の時空に歪みが生じた。
俺は嗤っていた。
ペテルギウスの艦隊を焼いた魔法は、引っ越しの時に荷物の奥から出てきた、長く使っていなかった魔導書に載っていたやつだ。どんなエフェクトなのか気になったので、試しに使ってみたのだ。
思ったほどの威力じゃなかったが、全ペテルギウス連合軍を全滅させるくらいの力はあったようだ。
俺は嘲笑っていた。
俺に逆らう愚かな種族を根絶やしにし、その生命、文化、歴史の痕跡全てを根絶する瞬間こそ、俺にとっての無常の悦びだからだ。
全宇宙の中で、唯一絶対の“破壊”を司る神。それがこの俺様なのだから。
※※
「それがこの俺様……」
ショーウィンドーのガラスの前で、自分の姿を映し出す。
「……だったはずなのに」
そう呟くと、俺はガラスに映る自分の姿にため息をついた。
身長百六十八センチ、ひょろりと痩せた色白のすべすべ肌。視力は極端に悪くて眼鏡が手放せず、髪の毛はクルクルと巻いた天パーだ。
全宇宙で最も強大、凶悪な存在、その姿を見ただけで人が死ぬと言われたチートな邪神が、今はなぜかニートに転生して新宿伊勢丹メンズ館の前に立っている。
いったい、俺様の身に何があったと言うんだ?
周りには、値の張るファッションの人々が行きかう。だが俺は毛玉だらけのグレーのパーカーに、ジッパーの壊れたジーンズ。小学生の上履きと見間違うような白のデッキシューズを履いていた。
ポケットには百三十八円。
これが、俺か。
なぜ、どうして、どうなってこんな姿になってしまったのか、まったく理解ができない。
かつて俺は全宇宙を震撼させた破壊の化身だったはずだ。
俺に残されているのは、その事実に関するうっすらとした認識と、最後に屠ったペテルギウス星人に対する記憶だけだった。
勇ましい犬のクソに乗った、毛のない灰色の猿ども。
奴らは数千年に渡って、この俺様に人口の数パーセントに匹敵する生贄を捧げ続けてきた。奴らの世界の中で選りすぐられた、絶世の美女、それも処女ばかりだ。
俺は毎年、毎年、毎年、その女どもをこの上ない恥辱に満ちたやり方で蹂躙してきた。
別に灰色の肌の女たちに欲情したわけじゃない。そうすることでペテルギウス星人たちが嘆き、悲しむのが見たかっただけだ。娘や恋人を奪われた無力な虫けらどもが、怨嗟の声を上げて月に吠えるのを見たかっただけだ。
すげー楽しかった。
その感覚だけは覚えている。
だが今や、俺は……。
どん、と衝撃があって誰かが俺の肩にぶつかった。
振り返ると、誰かの分厚い胸板が俺の視線を遮っている。
見上げると、真っ黒に日焼けしたガタいのいいDQNが俺を見下していた。何ていうか、何代目かのJソウルブラザーズにいそうな黒&髭。
「……さーせん」
俺は頭を下げた。Jソウルブラザーズは軽くうなずくと、路傍の犬のクソでも見るような目で俺を見ながら立ち去った。
俺は屈辱を噛み締めていた。
背が低く、人より秀でた能力が無いうことが、こんなにも辛いだなんて。
「お待たせしました、主」
声がした。
振り返ると、長い黒髪を垂らした美女が立っている。
まるで見覚えは無かったが、これが俺を呼び出した相手だという予感があった。
それはすなわち、こいつこそ、俺の下僕。
「さぁ、行きましょう」
「いったい、どこへ」
「焼肉屋です」
その言葉に異存は無かった。
近隣の村を焼き討ちしたくなる衝動にかられるほど、腹が減っていた。
※ ※
薄くスライスされた霜降りの肉を、しっかりと熱されたロースターの上でさっと炙る。
片面を、十秒。裏面は、五秒。
熱で脂身が溶け出して、甘い香りが立ち昇る。乱暴に箸で扱えば破れてしまいそうな、繊細な肉。
まるで荒ぶる神への贄として捧げられた処女のようだ。
「生卵に浸してから、召し上がってください」
「な、生卵だと?」
俺は驚嘆した。焼肉を生卵で食べるなど、正気の沙汰ではない。それはすき焼きの食べ方だ。
だが甘辛い割下に似たタレで味付けされた極上の霜降り和牛をさっと炙り、生卵をくぐらせてから口に放り込むと、言葉にならない至高の味わいが脳天を直撃する。
「くっそ美味い」
「クソですか?それとも美味いんですか?」
テーブルの向かいに座った女は無表情のままそう言った。
名前は、確か……。
「佐古です。佐古エミル」
俺の心を読んだのだろうか。内心、うろたえたが下僕を相手に狼狽するわけにはいかない。
「AV女優みたいな名前だな」
強がってそう答えた。
「実際、AV女優だったみたいですよ」
「えっ!?」
俺は驚きのあまり腰を浮かす。
言われてみれば、どこか聞き覚えのある名前だ。
エミルは洋服の胸元を指でつまむと、胸の谷間を覗き込んだ。
「そんなにおっぱい大きくないんですけどね」
俺は生唾を飲んでエミルを観察した。化粧っ気が無く、シンプルな黒いワンピース姿だったので気付かなかったが、確かに見覚えがあった。
どうも、お世話になってます。
「……そんな有名人に転生するって、ありなのか?」
「ええ、珍しいですね、こういうケース」
言うとエミルは分厚いタンをロースターに乗せて焼き始めた。
「通常は主のように、箸にも棒にも掛からない、木っ端な存在に転生することがほとんどです。それが主の定めたルールの真の狙いですから」
「そうか」
俺は頷いた後で、言葉を続けた。
「ちなみに、なんだ……君に聞くのも何だけどさ。その、俺の定めたルールって、何だっけ?」
「覚えてないんですか?」
「……実は、そうなんだ」
俺は箸を置くと、深いため息をついた。
「それどころか、自分に関する記憶も定かじゃない。うっすらとは覚えているんだ。銀河のさまざまな場所で殺戮と蹂躙を繰り返してきたんだってことを。だけど、だけどだ……」
俺は自分の毛玉だらけのパーカーを指差す。
「今、俺は定職を持たない引きこもりなんだ」
「知っています。名前は高坂ソータロー。高校中退の十九歳で、彼女なしの童貞」
「……やはり、童貞なのか」
俺は強い落胆を覚えながら、手元のおしぼりを握り締めた。
ぎゅっと。
「まぁ、覚えてないのは仕方ないですね」
ぶ厚いタンを食べ終えたエミルは、うっすらと微笑みながらとうもろこし茶を一口飲んだ。
「破壊神だった時の記憶については、基本的に封印されていますから」
「封印?」
「ええ、封印です。お気づきでしょう?インフェルノ・ストライクや審判の刻印のやり方も忘れ、ウリュボスたちを呼び出すことも出来なくなっているんですから」
「ちょっと、ちょっと待て待て」
俺は眉をひそめた。
「何だその、インフェルノ・ストライクとか、審判の刻印ってやつは」
「主が下賎の者どもを誅する際にお使いになる技の名前ですよ」
「厨二病丸出しのネーミングセンスだな」
「名付けたのは、主ご自身です」
そう言うとエミルは白くてプルプルとしたマルチョウをロースターの上に置いた。柔らかく甘い脂肪が溶け出して、時おり強い炎が立ち上る。
「さて、先ほどの質問にお答えしましょう」
「俺が定めたルール?」
「はい。もうそろそろお気づきかと思います。主はかつて、全宇宙の中で“破壊”を司る存在であり、数え切れない多くの者たちの憎しみを一身に背負った存在。名前は、オー」
「オー?」
「正確な発音はちょっと違いますが、この生物の声帯ではこれが限界ですね。そうです、邪神オーです。そして主は、ご自身でルールを定められました。記憶を封印し、箸にも棒にも引っかからない木っ端な下等生物の一員として転生する。転生の儀と呼ばれているものです」
「転生の儀……」
俺は自らの脂で立ち上る炎に炙られるマルチョウを眺めながら、ボソリとつぶやいた。
「その厨二病っぽい儀式の目的は何だ?あえて過酷な環境に自らを置き、更なる高みを目指す修行の一環とか?」
「違います」
エミルはため息をついた。
「主。主は強いのです。それこそ、強いという短絡的な言葉で表現することが恥ずかしくなるほど。恥辱に身悶えして失禁しそうになるほど」
「失禁は、勘弁してくれ」
「吐息を吹きかけるだけで城を破壊し、まなざしを送るだけで百人の騎士を殺せる。それが主の力なのです。その暗黒の力を想像するだけで……、想像するだけで私の乳首は固くなる……」
「……おい、エミル。どうした、何を悶えてるんだ」
「……失礼しました」
平静を取り戻すと、エミルは再びとうもろこし茶を口に含んだ。
「主を倒せる者、もしくは集団、あるいは軍団、何だったら国家、それこそ惑星、など存在しません。それどころか、宇宙が創生されてこの方、かすり傷ひとつ負ったことさえない。無敵で不死身、それこそ宇宙クラスの吉田沙保里のような存在なのです」
「例えが急に身近になったな……」
「だからこそ、主は転生の儀を行われたのです」
俺はよく焼けたマルチョウを頬ばると、はふはふと口の中で転がしながら首を傾げた。
「……どうも、話が見えない」
※※
「主が強すぎる。それこそが問題なのです。主は宇宙の創生以来、全宇宙各地で気ままに破壊を繰り返しておられます。誰もそれに抵抗することさえできず、いいようになぶり殺しにされるだけ。だとしたら。主がこのまま破壊を続けたら宇宙はどうなってしまうでしょう?」
「……もしかして、破壊するものがなくなってしまう?」
「正解です」
エミルがうっすらと微笑みを浮かべた。
「マグロの乱獲と同じようなものです。ある一定の期間、破壊をお休みして回復期間を与える必要がある。だから主は定期的に破壊活動をお休みするため、転生することになったのです」
「休肝日みたいなものか」
「休肝日みたいなものです」
「マジか……」
俺は肩を落とした。
「それにしても、こんな低スペックな男に転生しなくたっていいだろうに。さっきも街でDQNに絡まれたんだが、俺は謝って争いを回避したんだぞ」
「邪神オーが、下等な人間に頭を下げたと?」
「ああ。自分でもびっくりしたよ。だけど、物凄く滑らかに謝罪の言葉が口をついて出た。この高坂ソータローって奴の謝罪スキルはびっくりするほど高い。たぶんだが、想像を絶するほどの負け犬なんだ。こんなやつに転生したまま、あと一時間だって過ごしたくない」
俺の言葉にエミルが顔を曇らせた。
「……それが、主。ひとつ問題があります」
「……何だよ?ちょっと止めてよ。どうせ元の姿に戻るには、全世界に散らばった七つの球を集めなくちゃいけないとか、そんな話でしょ?」
「いえ、ドラゴンボールは不要です」
エミルは悲しげな表情のままだった。
「蒼の騎士団が、追ってきています」
「へぇ」
俺は無感動にそう答えると、とうもろこし茶を啜った。
実際、それが何かまったくわからなかったからだ。
「主、もしかして蒼の騎士団をお忘れですか?」
「う、うん。氣志團なら分かるんだけどさ」
エミルはかぶりを振った。
「この世の中で唯一、主に対抗しようとする愚かな者どもの集まりです。千年ほど前に組織され、何度も何度も主に戦いを挑んで来た集団」
「何だよ、それ」
「この宇宙の中で、彼らだけが主を傷つけられる武器を持っています。彼らはそれを蒼の神器と呼び、そして実際に、一度だけ主に傷を負わせたことがある」
「……ってことは、そついら強いの?」
「全宇宙、全次元から選り抜かれた戦闘集団だけあって、騎士の一人ひとりには、一国を壊滅させるほどの実力があると聞きます」
「マジかよ」
「主の実力から考えればその戦闘力も誤差の範囲ですが、単なるニートでしかない今の状況では脅威ですね」
「うん、絶対見つからないように頑張る」
「……残念ですが」
エミルが悲し気に目を伏せた。
「主の居場所はバレています。蒼の騎士団はすでに、時空結合作業に取り掛かっている」
「ねぇ、何を言ってるの?」
「気を付けてください。蒼の騎士団は主が人間に転生したことを嗅ぎ付け、この世界と彼らの世界を結合しようとしています。主が油断して時空の狭間に落ちてしまうと、彼らの世界へ取り込まれてしまう」
メイプルアイスを食べながら、エミルは話を続ける。
「精神的な均衡を維持してください。動揺や恐怖は、時空の狭間に落ちる危険性を高めます」
「どちらかと言えば、元の姿に戻る方法を教えてもらった方がてっとりばやいんだけど」
「残念ですが、そう簡単に元の姿に戻ることはできません。ご不満のようですが、これも主がご自身でお決めになった設定なのです」
俺はエミルがゴールドカードで会計をするのを眺めながら、呆然と自分の身の上について考えていた。
俺の(転生後の)名前は高坂ソータロー。
高校中退の十九歳。
ニート、彼女なしの童貞。
ポケットには百三十八円。
こんな状況で、
全宇宙、全次元から選り抜かれた戦闘集団。
一国を壊滅させるほどの実力を持つ、騎士の集まり。
俺を殺せる蒼の神器を持った、蒼の騎士団。
に、立ち向かえるのだろうか。
高級焼肉屋の前で、エミルは俺にガムを手渡しながら、艶やかな声で囁いた。
「精神的な均衡を維持してください。動揺は、時空の狭間に転落するきっかけとなる」
夜の街に去っていく黒髪の美女を見送った俺は、たらふく食った満腹を抱えて安アパートに戻った。自室へと繋がる安っぽい外階段を昇っている途中のことだ。
「ソータロー!」
女の声がした。
続いて、柔らかな肉の弾力。
俺の顔に、A5ランク和牛のリブロースを凌駕する柔らかな物体が押し付けられる。
混乱し、後ろ向きに階段を転げ落ちた俺は、十八回も頭を頭を打ちながら一回まで転げ落ちた。
俺を押し倒した女は、長野県の御柱祭のごとく、こちらの体に馬乗りになって階段を滑り落ちた。
そいつが誰か、俺は知っている。
高坂ソータローのことを昔からよく知る、巨乳女子高生。
最上ビスコ。
くそ。
俺はエミルの警告を思い出したが、無駄だった。
時空がひずんだ。
つづく