1.どこにでも売っている小麦
※本文中に登場する手法は異世界固有のものです。
日本で通用するかどうかは分かりません。
※特に食料品販売店経営の方、参考にする際はご注意ください。
「おわっ、すごい金額だな。アロルドさん無理してるんじゃないか」
『アロルドのパスタ亭』の任務が完了してから一か月。
幸助は、商業ギルドに来ていた。
石造りで二階建ての立派な建物は商業街の中心にある。
長いカウンターでは多くの商人らしき人が何らかの手続きをしている。
日本の銀行のような光景である。
カウンターの向こう側には受付嬢がいる。皆顔立ちの整った若い女性ばかりである。
採用基準は間違いなく顔だなと幸助は推察する。
二階は大小さまざまな会議室があり、ギルド主催の勉強会や商人同士の商談に使用されている。
ちなみに幸助はまだ二階には行ったことがない。
始めて商業ギルドに来た時に、説明で聞いただけである。
暦は七月を迎えた。
外ではギラギラと真夏の太陽が照り付けている。
しかし湿気は高くない。
従って、石造りで直射日光が遮られているギルド内は汗ばむほどではない。
幸助が商業ギルドに来た目的は二つある。
一つはアロルドからの報酬が振り込まれているか確認すること。
もう一つは事業者登録をするためである。
現在幸助のいるマドリー王国で営利目的の事業を行う場合、必ず事業者登録を行う必要がある。
そして業績により所定の税金を納めなければならない。
農業は収穫高の五割。
幸助のような商業の場合は利益の五割である。
ここで言う利益とは「売上から仕入を引いた金額」すなわち粗利のことである。
日本の企業のように粗利から人件費や光熱費などの経費を引いた後に残った金額に対して課税されるわけではないので、税率はかなり高いものである。
しかしこれでも周辺の領地と同等か少し低いくらいなのだ。
もっとも、正確な収益を把握することはできないため、商業の場合ほとんど申告制のようなものとなっているが。
ただし稀に抜き打ち検査はあるようだ。
事業者登録を済ました幸助はもう一つの目的である口座残高の確認のため、カウンターで手続きをしていた。
残高の確認は専用の魔道具に身分証でもあるギルドカードをかざすだけである。
幸助がギルドカードをかざすと、アロルドから金貨三枚分の入金があったことを示した。
これは一般家庭の一か月分以上の生活費である。
幸助が驚くのも無理はない。
「これだけ支払えるってことは固定客も定着してきたのかな。またパスタ食べに行かなきゃ」
手続きを終え商業ギルドを後にする。
外に出ると再び真夏のギラギラした太陽が幸助を迎える。
「さて、と。何をしようかな」
商業街のメインストリートを歩く幸助。
今日も様々な商店が軒を連ね、来店客と賑やかな喧騒を作り出している。
その中を特に当てもなく歩く幸助。
あれ以来、事業を立ち上げると決めたものの具体的な仕事はしていない。
いや、顧客に出会ってないと言い換えることもできる。
そうそう幸助を頼ってくれる人は現れないものである。
「パスタ以外の美味しいものが食べたいなぁ。できれば米とか。まだこっちに来てから米に出会ってないんだよなぁ」
幸助は故郷の懐かしい味を思い出していた。
何にでも合う白い米。
粒がツヤツヤ光る麗しい米。
どこかに売ってないものかと思案する。
幸助が召喚されたお隣の国フレン王国には米は無かった。
麦を粥のようにして食べる食事はあったが。
そういえばマドリー王国ではまだあまり探していない。
とりあえず今日の目的を米探しに設定する幸助。
牛丼親子丼天丼などど考えつつ歩いていると、穀物屋らしき店舗が目に留まった。
米への淡い期待を持ちつつ店に入る。
「らっしゃい、旦那。今日はどのようなご用向きで」
店員であろう細身の男性が声をかけてきた。
小麦や大豆などが狭い店内に所狭しと並んでいる。
中央には大きな秤がある。
この国の穀物は量り売りが基本である。客が必要量を店員に告げ、店員がその量を量り袋などに詰めるという方式だ。
ざっと見たところ米はなさそうである。
物は無くてもせめて情報が得られればと思い、幸助はとりあえず店員に聞く。
「すいません。ここにお米っていう穀物はありますか?」
「お米? ヘッ、そんなの聞いたこたぁ無いな」
米という単語自体が通じないのかもしれない。
そう思い別の言葉で表現する。
「このくらいの粒で炊くとモチモチしておいしんですが」
「ヘヘッ、知らねえな。あんさんこの辺の人じゃないだろ?」
「ええ、そうですが」
「この辺じゃ穀物は小麦って相場がきまってるんだよ」
「そうですか、ありがとうございます」
やっぱり無いか、と諦め店を出る幸助。
「なんも買ってくんねーのかよ、ヘッ。冷やかしなら他所でやってくれよな!」
先ほどの店員が幸助に聞こえるように悪態をつく。
幸助は不快感に目を細める。
(何だよ、感じの悪い店だな)
日本でそんな態度だったらあっという間にネットで炎上するぞと思いながら通りを歩く。
イライラしているのか足を進めるペースがやや早くなる。
しばらく歩くと先ほどとは別の穀物屋が目に入った。
通りに面する部分が全面的に開放されてるので、この界隈の店は何屋か分かりやすい。
店頭に置かれている小麦を目にすると、幸助は暇が故に余計なことを閃く。
(そうだ! パンを自分で作ってみよう。
こっちのパンは固くて美味しくないからなぁ。
白くてフワフワのが食べたいや。
パンなら小さいころに母親と焼いたことあるし、できるかもしれないぞ。
うまくできたらトマトバジルパスタとセットで食べるのもいいな)
思い立ったら吉日とばかりに早速穀物店に入る。
出迎えてくれたのは、しっとりとした紫色の髪を腰まで伸ばしている女性だ。
歳は二十代後半であろうか。
大人の色気を感じ、ドキっとする幸助。
「あら、いらっしゃい。見ない顔ね」
「ええ。最近この街に来たばかりですので」
定番となったやり取りを交わす。
やはり典型的な日本人顔の幸助は、ヨーロッパ人のような外見の人が多い国では目立つようだ。
「それで、何を探してるのかな。お兄さん」
「小麦粉を一キロ頂こうと思いまして」
「あいよ。小麦は何に使うんだい?」
本当のことを言おうか悩んだが、別に隠す必要もないことに気付き素直に答える。
「はい。パンを作ろうと思いまして」
「ふふっ。パン作りだなんて可愛いことするのね」
突然笑われたことで戸惑う幸助。
「ああ、ゴメンゴメン。あのね……」
店員の説明によると、この世界では仕事以外で男性が料理をすることは珍しいようだ。
アロルドの姿ばかり見ていたので、その常識には気づかなかった幸助。
特にパン作りは女の子の趣味ですることが多いそう。
「そ、そうなんですね。この辺では食べられないパンを作ってみようと思いまして」
「へぇ、そうなんだ。頑張ってね、お兄さん」
そう言いながら秤で一キロ分に取り分けた小麦を袋に詰める。
代金である大銅貨二枚を店員に渡すと、代わりにその袋を受け取る。
「そういえば、向こうにも小麦を売ってる店がありましたけど、品種とか何か違うものを扱ってるんですか?」
そう言いながら今来た道を指さす幸助。
店員の顔に少し影が差したように感じる。
「ああ、あの店ね。扱ってる商品も値段もみんな同じだよ。
商業街で売ってる小麦はみんなこの辺で採れたものだからね。
ウチより安いのは大抵古い麦だから気をつけなよ」
(そういえば古い小麦のせいでアレルギーのショック症状が出るってテレビで見たことあるな。
製造年月日が書いてあるわけじゃないから気を付けないとな)
「貴重な情報、ありがとうございます。あ、あと一つ質問があるんですがいいですか?」
米の話を聞いてなかったことを思い出した幸助。
ダメ元で店員に聞いてみる。
「お米っていう穀物は知ってますか? 炊くとモチモチして美味しい穀物なんですが」
「ううん、この辺では聞いたことないわねぇ」
やはりこの店員も知らないようである。
「そうですか。ありがとうございます」
「いいえ。また来てね」
穀物屋を後にすると、そのまま宿へ向かう幸助。
途中の屋台で大きな焼き鳥を五本買い、昼食代わりにする。
「お、らっしゃ! いつもの五本でいいかな?」
「はい。それでお願いします」
もう常連である。
焼き鳥とは言ったものの、実際には何の肉かはよくわからない。
塩だけというシンプルな味付けだが柔らかくておいしいので、幸助のお気に入りである。
屋台の前で手早く焼き鳥を食べ終えると串を捨て、再び宿へ足を向ける。
宿に入り受付でカギを受け取る。
もう三か月も同じ部屋に泊まっている。
従って完全に顔パスである。
「ふう。疲れたな」
二階に上がり部屋に着くと、もわっとした熱気が幸助を出迎える。
ばすっと乱雑に小麦の袋を机へ置き窓を全開にする。
涼しくはないが心地よい風が部屋に流れてくる。
それと同時にすぐ前の通りの喧騒も部屋に流れてくる。
「さて、と。早速パンづくり計画だ」
そう言いベッドへ腰掛ける。
そして母と行った昔のパン作り体験を、深い記憶の海から手繰り寄せる。
「ええと、確か小麦粉に水を入れてイースト菌を……」
「……」
「……。イースト菌って何だ?」
「天然酵母食パンってのがあったよな。酵母とイースト菌って関係あるのか?」
「発酵させればいいんだよな。どうしたらいいんだ?」
「ggrks。だができない」
「せめてオフラインウィキ○ディアでもあったらな」
ありもしないものを望む幸助。
どれだけ文明の利器に頼り切っていたのか実感する。
「仕方ない。諦めよう。小麦粉はアロルドさんにあげよっと」
諦めも早かった。
そしてふと、自宅のクローゼットにしまいっぱなしの作りかけのプラモのことを思い出すのであった。