後日談:マールお姉さんのクリームシチュー
1章で「サラは妹みたいなもん」と言ったマールさんというキャラ、覚えてますか?
覚えてないですよね。序盤にカルボナーラを完成させた影の功労者なのにその後の登場がなかったので……。
ということで、マールさんを絡めた後日談を書きました。
「あれ、サラちゃんじゃない?」
アヴィーラ領の薬店騒動が一段落したとある日のこと。
幸助とサラは、メインストリート沿いに念願の薬店を構えた薬師イリスのもとを訪れていた。そしてちょうど店に入ったところで誰かに声をかけられた。
幸助が声のもとに視線を送る。そこには一人の女性が立っていた。しかし幸助にはそれが誰だか分からなかった。
しかし対照的にサラは一気に笑顔を作ると声を上げる。
「あっ、マールさん!」
それは聞いたことのある名前だった。アロルドの店でカルボナーラを開発する際、牛乳の調達に一役買ってくれた人だ。確か飲食店を経営していたはずだ。
「サラ、ずっと前にクリームシチューを食べた店の?」
「そうそう! そのマールさんだよ。すっごく久しぶり」
幸助と出会う前から、サラとマールは付き合いがあった。そんな二人だったが、会うのは久しぶりみたいだ。
「サラも元気そうでよかったよ。で、隣にいるのはもしかしないでも一緒に来てくれたことがある……」
「うん。コースケさんだよ。今は私の旦那さん」
そう言ってサラは幸助の腕を取り、はにかむ。
マールはそんなサラと幸助の顔を交互に見やる。そして頬を緩めつつ口を開く。
「もう。妹みたいに思ってたサラちゃんがいつの間にかねぇ……。おめでと、サラちゃん」
「ありがと!」
サラの言葉に合わせて幸助も小さく頭を下げる。
「でもマールさんどうしたの? いきなり店を閉めちゃって」
マールは二人の結婚式にも呼んでいなかった。いや、もちろん招待の候補には上がったのだが、実はマールはある日突然店を閉めて町を出ていたので、呼ぶことができなかったのだ。
「ちょっと事情があってね、たいぶ前に田舎のベラーダ村に帰ってたんだ。で、今日はここでいい薬が買えるって聞いたから久しぶりに、ね」
「具合が悪い人がいるの?」
サラの言葉でマールの表情に影が差す。
「うん。うちの母がね……」
それならこの店にはイリスがいる。相談すればなんらかの改善の道が見えるはずだ。
「ならマールさん、この薬店には腕利きの薬師がいますから直接相談してみましょう」
「えっ、いいの?」
「コースケさんのおかげで、マールさんの耳にもアヴィーラ領のお薬の話が届くようになったんだよ」
「……なんだかよく分からないけど、断る理由もないからお願いしてもいいかな?」
という訳で、三人は店番をしていたアリスに声をかけると、そのまま店の奥にある調合室へ入る。漢方のような、それでいて生臭いなにかも混ざっているような、複雑な香りが三人の鼻をつく。
イリスはそんな部屋で何やら怪しげな葉っぱを愛でていた。そんなイリスが三人に気付くと、ゆっくりと視線を向ける。
「あら、三人でぞろぞろと。どうしたのかしら?」
「実は彼女のお母さんの調子が悪いみたいなんです。マールさん――」
幸助に促され、マールは母の病状を説明する。
その話によると、もともと母は元気な方ではなかったが、ここ一ヶ月くらいで急に体調が悪化し、今では寝たきりになってしまったそうだ。地元の薬では何ともならず、うわさを聞きつけ、藁にもすがる思いでここへやって来たとのことだった。
「そんな……」
再会の喜びが一瞬にして消し飛んだ様子のサラは、口を手で覆う。
「イリスさん、患者さん本人がいないから難しいかもしれませんけど、いい薬はないでしょうか?」
「んー、そうねぇ……」
そう言いながらイリスは手に持っていた葉っぱをゆらゆらとさせる。そして数秒後にその手の動きを止めると、妖艶な笑みを浮かべながら口を開く。
「コースケの”いい人”なら張り切っちゃおうかな」
「いやちょっと、その言い方だとサラに誤解されるんですけど……」
「マールさん、だっけ? こっちにおいで」
幸助の言葉を無視し、イリスはマールを呼び寄せるとその手を取り目をつむった。
イリスの体からほのかに魔力が漏れてくるのが幸助の目に入る。なにをしているのだろうか。音もない時間が続くこと約一分後、イリスがゆっくりと口を開いた。
「これはすぐにでも往診しないと」
イリスの目には何が見えたのだろうか。普段ふんわりとした表情のイリスの口がきゅっと引き締まっている。少なくとも往診が必要なレベルということは、あまりいい状況でないことは間違いない。
「往診してもらえるんですか? 患者さんはベラーダ村にいるみたいですけど」
「ええ。もちろん――」
ベラーダ村まで乗合馬車で丸一日かかる。それでも行ってくれるというなら話は早い。
しかしイリスは幸助の顔を見ると、とんでもないことを口走る。
「行くのはコースケよ」
「えっ、僕!?」
そんなこと、できるわけない。幸助は医学知識なんて持ち合わせていないのだから。
「だってコースケ、魔力いっぱい持ってるから大丈夫よ。それにわたし、遠くに出かけるの苦手だもの」
イリスはにっこりとほほ笑んだ。後者がイリスの本音か。幸助が小さく息を吐くと、イリスが言葉を続ける。
「お薬を飲んでもらう時に、こう、ふわぁっと優しく魔力で包んであげるだけよ。それでお薬の回りがよくなるの」
「ふわぁって、また……」
ざっくりとしすぎな説明に幸助は苦笑する。それと同時に、以前イリスの往診に付き合った時のことを思いだす。確かに投薬と同時にイリスは魔力を出していた。
「でも……」
どうやって、どんな種類の魔力を出せばいいのか分からない。
「コースケさん、私、マールさんにはすっごくお世話になってきたから……」
「コースケ……」
真剣な表情のサラと不安げなマール、それに柔らかな笑みを浮かべたイリスたち三人の視線が幸助に集まる。
これは断りづらい状況だ。
幸助は以前寝込んだ時にため込んだ仕事が片付き、ちょうど時間の余裕ができたタイミングではあった。時間的には問題ない。とはいえ医療行為は、やはり気が引ける。
「それにそろそろその魔力、人のために役立てないと宝の持ち腐れだよ」
「うっ……」
サラのストレートな突込みに幸助は苦笑する。
アレストリアの魔法書店で魔力に目覚めた幸助であったが、確かに今までその魔力を有効活用したことはなかった。それ以前に、魔力が大量にあることを隠していた。
しかし、そんな話をしていないのにイリスはこのことを知っていた。ということは、分かる人には分かるのだから、隠すよりもどんどん活用していった方がいいのかもしれない。今、イリスの治療術を身に着ければ、今後役立つことも増える。
だから幸助は決めた。
「分かりました。僕でよければ微力ながらお手伝いさせてください」
「ありがとう! コースケ!」
「コースケさん、そう来なくっちゃ!」
という訳で、急遽ベラーダ村へ行くことが決まった。
◇
「こう……ですか?」
幸助は腹の底から魔力を練りだすと、それをイリスへ向けてゆっくりと放出する。
「んっ、いい魔力よ。コースケさんに包まれるみたいでなんだか……気持ちよくなってきちゃった」
イリスはトローンとした表情を浮かべた。そしてそのまま三分ほどその状態をキープすると、「これで大丈夫」とイリスは言った。
「本当にこんなんでいいんですか?」
「免許皆伝よ。これ以上言うことはないわ」
「…………」
……という至極簡単なレッスンを受けた翌日、幸助たち三人はマールの地元であるベラーダ村へ向け旅立った。
「ほんと、二人とも忙しいだろうに、ありがとね」
「いえいえ、ちょうど仕事も区切りがついてたところですから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
幸助はガタガタと揺れる乗合馬車から周りの景色を眺める。
一面に牧草地が広がっており、黒白模様の牛がのんびりと草を食んでいるのどかな場所だった。
「このあたりは酪農で生計を立ててる家が多いからね」
「どおりでマールさんのシチューも美味しかったわけですね」
「コースケ、嬉しいこと言ってくれるね」
あの優しい味は今でも鮮明に覚えている。幸助がそう伝えるとマールは更に目じりを下げた。また食べようと店に行った時に、既に閉店済みだった時のショックはそれなりに大きかったのだ。
それから十数分後。馬車を降り少し歩き、三人はとある木造平屋の家の前に到着した。
そこに入るマールにつづき、幸助とサラも家に入る。
「お母さん、今帰ったよ」
「おじゃまします……」
そのまま奥の部屋に行くと、ベッドに寝ている女性の姿が目に入った。頬はこけ、生気をほとんど感じられなかった。マールが話しかけても虚ろな目を向けるだけだった。
「はい、お母さん。よく効く薬、買ってきたから」
マールは丸薬をお湯に溶かすと、少しずつ、ほんの少しずつだがスプーンを使い母の口へ流し込んでいく。
十分以上の時間をかけ、それが全て母の体に入ったことを確認すると、幸助とマールは場所を入れ替わる。
「では薬の効果を高めるために魔力を流しますね」
幸助は教わった通りに魔力をゆっくりと母に向けて流していく。すると、焦点の定まらなかった瞳にしっかりとした力が戻ってきた。そしてそのまま三分も続けると、その表情に血の色が差していった。それを確認したところで幸助は魔力の流れを止めた。
「マール……」
「お母さん!」
上体を起こそうとする母親の動きを止めるように、縋りつくマール。
「こちらの方は?」
「凄腕の治療術師さん。もうこれで大丈夫だからね」
母は自分の体を確かめるように、手を握ったり開いたりしている。
「……そうみたいね。ほんと、こんなにも体が軽いのはいつぶりかしら」
そう言うと、今度はマールの手を借りながら上体を起こした。本当にイリスの薬は即効性を持っていた。そして幸助の魔力はその効果を確実に高めたようだ。
「コースケ、それにサラちゃん、本当にありがとう! でも、どんなお礼をすればいいんだか……」
「そんなのいいですよ。気にしないでください」
幸助自身にこの能力があると分かっただけでも大きな収穫だ。
それに、母の調子が今後どうなるかも含めて検証しないと、お礼など受け取れない。
「でも、それじゃあ申し訳なさすぎるよ。こんな遠くにまで来てもらったのに」
困った。マールはそんな表情を浮かべた。
これはイリスがスラムの近くで往診をしていた時のように、少しでも対価を受け取っておいた方がいいのかもしれない。幸助はそう考えた。
「それなら……」
「それなら?」
マールに頼むのは一つしかない。
幸助とサラはいちど目を見合わせると、二人そろって声を上げる。
「「マールさんのシチューが食べたいです!」」
少しの間の後。
「あははは! それくらいならいくらでも作ってあげるよ」
「やった!」
という訳で、マールお手製のシチューをごちそうになることが決まった。
翌日のお昼時。
マールの家のダイニングには、歩けるまでに回復した母と、牧場の仕事から昼食のために帰ってきたマールの父もいた。二人からもさんざん礼を言われた後に、待ち焦がれたシチューがやって来た。
「はい。おまちどおさま」
「おぉ……」
幸助は目の前に置かれた皿に視線を落とす。たっぷりの白いソースからは、大きく刻まれた野菜や鶏肉などの具材が顔をのぞかせていた。白い湯気とともに、優しい香りが立ち上っている。
「うんうん、これだよ、これ。いただきます!」
幸助はスプーンを手に取ると、ひと切れの肉とともに口へ入れる。舌を焼くような熱が口内を襲うが、ハフハフと息を吐くことでその温度に抗う。
すると脂肪分たっぷりの濃厚なミルクの味わいに加えて、肉の旨みとコクが口の中一杯に広がっていった。向かいに座っているマールの母がメガネをしているため、ク〇アおばさんに作ってもらったかのような錯覚すら覚える。
「うん。美味しい!」
「やっぱりマールさんの作るクリームシチューは最高だね!」
サラも久しぶりにこの味が食べられてご満悦の様子だ。手が勢いよく器と口とを往復している。
「ありがと。そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいよ」
「レシピを売ってフランチャイズ展開したいくらいですよ」
某フライドチキンのチェーン店のように。
「フランチャイズ? なにそれ」
マールが首をかしげながら幸助へ視線を送る。
「えっと、マールさんのレシピを使ったシチュー屋さんを経営する人を増やしていくってイメージかな?」
幸助が説明をすると、マールは「あっははははは」と笑い始めた。
「こんなのこの村じゃ当たり前の味だから、売りなんかにならないよ。それに都会だと生乳の調達は難しいからね」
「そうですか……残念」
アヴィーラ領で営業していたころは、かなり流行っていた。だから味についてはマールの謙遜のはずだ。とはいえ、生乳を安定して調達するという条件も必要になる。フランチャイズはただの思い付きのため、幸助はそれ以上のことを考えるのをやめ、再びスプーンを動かし始めた。
それから幸助とサラは、次はいつ食べられるか分からないシチューの味を存分に楽しむのだった。お代わりをしたのは言うまでもない。
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