7.肉
イリス、アリス姉妹の店に行った日の夜のこと。
「ただいま」
「コースケさん、おかえりなさい!」
疲れた体を引きずりながらようやく自宅へ帰った幸助を、エプロン姿のサラが迎えた。
話が長引き、帰宅時間はもうすぐで完全に空が暗くなりそうな時間になってしまった。
新妻のサラは、そんな幸助をねぎらいの言葉とともに笑顔で迎える。
「コースケさんお疲れさまでした。これから夕食にする? お風呂にする? それとも……」
サラがなにかを言いかけてモジモジとしたその時だった。
部屋の奥から、えもいわれぬ甘美な香りが漂ってきた。
この脳の神経を激しく刺激する香り。
これは間違いない――――
「肉だ!」
ドタバタとダイニングに行けば、そこには大皿に盛られた肉野菜炒めが置かれていた。
香りの正体はこれだろうか。
肉があれば元気百倍だ。
「いい匂いがするね。何の肉を使ったの?」
「えっとね、これは普通に鶏肉を野菜と炒めただけだよ」
「それにしてはいい香りだね」
「お父さんに特製のスパイスを分けてもらったからかな」
ということは、レストラン品質なアロルドの味が再現されるということになる。
期待大だ。
「でねでね、コースケさん」
なにやら嬉しそうな顔でサラが続けた。まだこれで終わりではないらしい。
サラは一度キッチンへと行くと、両手に大きなトレーを抱えて再び戻ってきた。
「じゃん!」
「おぉ!!」
幸助は思わず感嘆の声を漏らす。
トレーには、肉の塊が乗せられていた。これは間違いなくステーキ用に用意してくれていた肉塊だろう。ピンク色をベースに、奇麗な白いさしが入っている。なんの肉だろうか。
「ワイルドボアの肉が入ったから、お父さんから分けてもらったんだ」
「ほんとに!?」
ワイルドボアといえば、普段幸助がアロルドのパスタ亭で食べているレッドボアよりも数段高級な肉だ。そもそも個体数が少なく、凶暴なため討伐も難しい。一般には滅多に流通していない、スペシャルなレストラン仕様だ。
「今から焼くから待っててね。あ、コースケさんはエールのあてにそれ、おつまみにしておいてね」
「はーい」
幸助はダイニングに備え付けられたアルコール専用の冷却庫から、エールの瓶と冷えたグラスを取り出すと栓を抜く。それをグラスに注げば、きめ細かな白い泡が立ち上がった。
「いただきます」
グラスを傾けると、その中身を一気に飲み干す。
「ぷはぁ!」
やっぱり労働後のこの一杯はたまらない。この一杯のために仕事をしていると言っても過言ではない。それもこれも、こうして幸助のことを大切にしてくれるサラや、魔道具を開発するニーナたちがいてくれてこそだ。
とその時。
キッチンから肉を焼く音ともに、何ともいえない濃厚な肉の香りが漂ってきた。
これは相当期待できそうな香りだ。思わず香りだけをつまみにグラスを傾ける。
「あ、そういえば」
目の前にはおつまみ用と言って、サラが用意してくれた肉野菜炒めがあった。
見た目はシンプルな緑の野菜と白っぽい鶏肉が油でいためられているだけのように見える。
特にソースがかかっているわけではないので、素材の色そのままだ。
しかし香りはよい。
幸助はそんな皿から、箸で肉をつまむと口へと放り込む。
口に入れた瞬間、アロルドのスパイスが口いっぱいに広がる。噛めば普通の鶏肉とは思えないジューシーな肉汁が口いっぱいに溢れる。焼き加減も抜群だった。
それにしてもこのスパイス。ただの塩味だけでなく、何かの動物から由来するエキスだろうか、旨味がギュッと凝縮されていた。
「うん、美味しい」
それから十分ほど、エールと肉野菜炒めを堪能した後。
ついに待望のステーキがやって来た。
「できたよ! はいどうぞ」
まだジュージューと音を立てている鉄板を、一つは幸助の前に。もう一つを隣の席に置くとサラも椅子に座る。
「こ、これは……」
幸助はごくりと生唾を飲み込む。
ともすれば運動不足と食べ過ぎですぐに太ってしまう幸助には、日常的にサラの栄養管理が施されている。そのためこれほどの肉塊とご対面するのは、病み上がりの日以来、久しぶりとなる。いや、このレベルの肉はこの世界に来てから初めてかもしれない。
「ソースはお好みでさっぱりとしたお酢ベースのオニオンドレッシングか、トマトバジルソースをつけてね。塩コショウとニンニクはつけてるから、そのままでも行けると思うけどね」
「ありがと。では……いただきます」
幸助はナイフを肉へと入れる。ほとんど抵抗のないその肉に少しだけ切れ目が入っただけで、我慢ができなくなったとばかりに肉汁があふれてきた。そのままナイフを鉄板まで通すと、幸助はその断面を見る。
外側は肉汁を逃さないようしっかりと固めに。そしてこの厚みだからこそ時間をかけて火を通したのだろう。絶妙な焼き加減だ。ほんのりとピンク色が残りつつも、しっかりと火が通っているようだ。
少し大きく切り取りすぎたかもしれない。そんな肉を幸助はソースにつけることなく、一口でかぶりつくように口へと送る。
「ん!?」
パリ、という触感の後には、ジュワァと口内を肉汁が満たす。その肉は人生で一度しか食べたことのない黒毛和牛のように柔らかく、そして噛めば噛むほど甘みを持った脂が舌を優しく包み込んだ。
下味としてつけられている塩コショウの加減も絶妙だ。ソースはいらないくらいだ。贅沢を言えば刻みワサビが欲しかったが、そんな都合のいい植物は今のところ見かけていない。
幸助は久しぶりに堪能する極上の味に悶えつつ、肉を飲み込む。
「最高だね! 肉も焼き加減もばっちりだよ」
「ほんと? ありがと!」
サラは満面の笑みを立てえると、ようやく自分のステーキにナイフを入れる。どうやら幸助が悶えながら味わっているところ観察していたようだ。
それから十数分後。
「ふう、お腹いっぱい」
「だね……私も限界」
肉と付け合わせを食べ切ると、二人の胃は限界を迎えた。
それから消化を促すという効能があると言われるお茶をすすり一息つくと、幸助はイリス、アリス姉妹の薬店について今後の方針をサラへ説明する。
「――という感じで、往診をすることになったんだ。サラ、チラシの作成、アリスと一緒に取り組んでもらってもいかな?」
「もちろん!」
幸助は恐ろしいほど多忙だったため、実際にイリスが往診ドクターとして出動できるようになるまでの販促は、サラとアリスに任せることにした。
アリスが幸助の家に来て、サラと企画を練る。それを幸助が確認してGOを出す。これでうまくいくようになれば、幸助ももう少し仕事が楽になる。
「今回のターゲットなんだけどね。まずは比較的お金持ちの世帯から攻めることにするよ」
往診料はアリスと相談のうえ、大銀貨一枚に設定した。この町は面積がそこそこあるため、エリアによっては往診が一日に二件が精いっぱいということになりそうだ。その移動に対するコストも込みの価格設定だ。
その往診料プラス、薬の実費が発生する。薬の価格設定には相場があるため「ちゃんと効く」薬の相場と横並びにした。
これらの金額を合わせると、一回の往診で一般的な初任給の十分の一は負担してもらう必要がある。日本の大卒初任給に当てはめると、二万円くらいの負担というイメージだろうか。
それくらいならば富裕層は簡単に支払うことができる。そしてまた、どうしても治療が必要な一般市民でも、無理をすれば手が届く価格だ。
患者が得られるメリットは計り知れないほどおおきい。だからもう少し高くてもいいのではという話もしたのだが、イリスが「それ以上は」と渋ったためこの価格に落ち着いたといういきさつもある。
「どうして富裕層をターゲットにするの?」
「イリスさん、お金に困っている人はほぼ無料に近いボランティアで治療してるんだ。だから確実にお金を回収できるところでないと、野菜一つって対価で治療しちゃうから」
慈善事業としてのイリスの行動は今まで通りお任せすることにしている。しかし、幸助が手伝って行動する部分は、医療とはいえ商売だ。ちゃんと正当な対価を払える人を相手にしなければならない。
慈善事業に関しても、これは領内の政治にもかかわることだから、いつか領主に予算をもらわなければ。そう感じてもいる。
「そっか。分かった。頑張ってみるね!」
サラは胸の前で両手の拳をぐっと握る。
そんな動きに合わせ、フワッと真っ赤なポニーテールが揺れた。




