幕間:伯爵令嬢
ランチタイムも終わりに近い午後二時。
アロルドのパスタ亭は最も忙しい時間を終えたところである。
一応店は三時まで開いているが、二時以降に来店する客は稀だ。
先ほど最後の客を見送ったサラはテーブル拭きに勤しんでいる。
「ふぅ。今日もお客さん、いっぱい来てくれたなぁ」
心地よい疲れに包まれているサラ。
本日の来店客は初めて30人を超えた。
そろそろ一人で給仕を務めるのも限界である。
家計を支えるため内職をしていた母ミレーヌは来月からフルタイムで手伝ってくれるので、それまでの辛抱だ。
カルボナーラの影響か、最近では裕福な家の子女であろう良い仕立ての服を着た客たちも来店するようになった。
皆、カルボナーラとオニオンスープのセットを注文し、楽しそうな女子トークを繰り広げながら食べている。
話に夢中になり滞在時間が長くなりがちだが、客単価は順調に上昇中だ。
最後のテーブルを拭き終える。
さて次は皿洗いだと厨房へ行こうとした時、馬車が停まった音に気付く。
「あれ、誰だろう? こんな時間に」
小さな窓から外を窺うサラ。
耳に聞こえた通り、やはり馬車が店の前に停まっていた。
その馬車を見てはっと息をのむ。
今までも馬車で来店する客はいたが、今日の馬車はいつもと少し違うのだ。
くどくない程度に華美な装飾が施されており、ひと目で身分の高い人が乗るものだと解る。
そして何より目を引いたのは、領主であるアヴィーラ家の紋章が刻み込まれていたことである。
「あわわ……、りょ、領主様の馬車!?」
アヴィーラ家の紋章が刻まれているということは、領主一家とそのお伴しか乗ることはできないということはサラも知っている。
この街で一番身分の高い人がこんなちっぽけな店に何の用なのか。不安で胸いっぱいになるサラ。
先に降りたピシッとした黒服を身に纏う初老の男性が馬車のドアを開けると、サラと同じくらいの年であろう銀髪の少女が降りてきた。
二人が何か会話をしている。サラはその会話に耳を傾ける。
「お嬢様、こちらにございます」
「ここなのですね。最近市井で噂の『かるぼなあら』とやらを出しているお店は。お洒落な佇まいですこと」
「どうぞお入りください」
会話から、来たのは領主ではなくその令嬢と推察するサラ。
どうやらカルボナーラが目当てのようである。
それを聞いて少し安心する。
黒服を着た男性がドアに手をかけるとギィと音がし、店内に光が差し込む。
そしてシンプルだが仕立ての良い水色のドレスを纏った少女が店内に入ると、その後に男性が続く。
「い、い、いらっしゃいませっ!」
慌てて礼をしようとするが作法がわからない。
領主家など、サラからしたら雲の上の存在である。
領主どころか下級貴族とすら何の接点もない。
ワタワタと慌てていると、少女は微笑みながら言った。
「畏まらないでくださいませ。本日はお忍びですので」
「は、は、はい!」
「あなたのお店、『かるぼなあら』という素敵なパスタを食べさせてくれると友人の中で話題で持ちきりですのよ。わたくしも食べたくなって来てしまいましたの」
「は、はい! ではこちらの席へどうぞ!」
貴族や富裕層は通常、街の北側にある貴族街にあるレストランを使う事が多い。
従って、平民が使うこのような店に行くことは滅多にない。
ましてや今日来店したのは領主の令嬢である。
サラが慌てるのも無理はない。
「セバスチャンもご一緒してくださいませ。わたくし一人で食べるのも寂しいですから」
「畏まりました、アンナお嬢様。では失礼します」
伯爵令嬢の名前はアンナ・アヴィーラである。
領主であるアルフレッド・アヴィーラ伯爵の五女で、サラと同じ14歳。
普段は徴税担当の官吏に同行し地方の村を巡察したりする行動派である。
アンナはここ最近、友人の集まる茶会で何度もカルボナーラという聞いたことのないパスタの名前を耳にしていた。
聞いたことのない名前のパスタ、しかもおいしいと評判である。
居ても立っても居られなくなり、わざわざ足を運んだのだ。
「どんなお料理か楽しみですね」
「ええ。何でも牛の乳とチーズをふんだんに使用しているそうですよ」
「まあ、それは珍しいですね」
しばらく待つとパスタが出来上がったようである。
サラが手に二枚の皿を持ち、二人の座るテーブルへやってきた。
「お、お待たせしました!」
「こちらが、か、カルボナーラです。ごゆっくりどうぞ」
サラの緊張はまだ解けないようである。
配膳を終えると足早に厨房へ戻ってしまった。
「まあ、何ておいしそうなパスタですこと。早速いただきましょうか」
「はい。そう致しましょう」
アンナは上品な仕草でフォークを手に取ると、パスタを絡め取り小さな口へ運ぶ。
それを見届けるとセバスチャンも続く。
「こ、これは。何と濃厚な味ですこと。屋敷でもこのような味、食べたことないです」
左手を握り頬の横で上下し、美味しいという仕草をする。
その行為をセバスチャンが窘めようとしたが、今日はお忍びということで見なかったことにする。
「ええ、これはすごいですね」
「牛の乳とチーズだけではこのように濃厚にはならないです。どのような工夫を凝らしているのでしょうか」
「申し訳ありませんお嬢様。私も解りかねます」
味の決め手はチーズと生クリームである。
しかし生クリームは一般には流通していないので、分からないのも無理はない。
「皆さんがおいしいと口をそろえておっしゃるのが、よく分かりますね」
「そうでございますね」
濃厚な味に手が止まらなくなったようで、黙々とパスタを口に運ぶアンナ。
あっという間に完食してしまった。
「おいしかったわ。またすぐにでも食べに来たいですね」
「お嬢様、あんまり自由に出歩いては、この私め領主様に顔を合わせられなくなってしまいます」
行動派のアンナは時に屋敷を抜け出して街をぶらつくことがある。
本人は息苦しい貴族同士の付き合いから抜け出せる息抜きのつもりであるが、貴族という身分上誘拐などの危険も考慮せねばならない。
そのたびに父である領主から叱られるのは教育係でもあるセバスチャンなのである。
「そうですね。次に来られるのはいつになるんでしょうか」
両手を頬にあて物憂げな表情をするアンナ。
余程気に入ったようだ。
それを横目に会計を済ませるためセバスチャンがサラを呼ぶ。
程なくしてパタパタとサラがやってきた。
「とても美味しかったわ。かるぼなあら」
「ありがとうございます!」
「ところで、このような創造性に溢れるパスタ、どのように考え出したのですか?」
料理店にそのままレシピを聞くのは失礼にあたると思い、遠回しに聞く。
「えっとですね、これはコースケさんが教えてくれたんです。他にもいろいろお店のために教えてくれたんですよ」
「はて、コースケさん。聞いたことのないお名前ですね」
「フレン王国出身でこの街には最近来たばかりなんです」
「そうでしたか。ありがとうございます」
期待していた回答とは違ったが別の情報が手に入ったため、そこで切り上げるアンナ。
話が終わったことを察し、セバスチャンが会計の銀貨を三枚渡す。
「お釣りを持ってきます。少々お待ちください」
「いえお嬢さん。お釣りは取っておいてください。この年で久しぶりに感動的な体験をさせて頂きましたので」
「えっ、でも」
「いいんですよ。また美味しい料理を街の皆さんに提供してくだされば」
「は、はい! ありがとうございます!」
ようやく緊張が解けたようで、笑顔で二人を見送るサラ。
こうして領主令嬢の来店という『アロルドのパスタ亭』開店以来の大きな出来事は幕を閉じた。
帰りの馬車の中。
「セバスチャン。フレン王国では牛の乳を食事に使う文化はあったかしら?」
「いえ、お嬢様。私は聞いたことがございません」
もともとこの辺り一帯の国々は温暖な気候のため、酪農自体あまり行われていない。
アヴィーラ伯爵領が少し特殊なのである。
「それなのにフレン王国の方に教えてもらったというのは気になりますね」
「ええ。しかし、こちらに来て自ら発想されたのかもしれません」
「そうですね。コースケさんとおっしゃっておりましたか。そのお名前、一応覚えておきましょう」
こうして幸助の名は領主令嬢の耳へ届くこととなった。