2.謎の薬
「ねえ、コースケさん」
外出から帰ってきたサラが、あやしい笑顔を浮かべながら近づいてきた。
ここ最近、サラがこんな顔をするのは新しい薬を調合、いや、創作した時の顔だ。幸助は反射的に警戒する。
「ど、どうしたのかな」
例の滋味深いサラお手製の薬は、二日間かけて飲みきった。根性で。
しかし残念なことに、幸助の症状はそれほど改善しなかった。相変わらず鼻の下は真っ赤なままだし、熱も下がっていない。
だから今度はどんなものを投与されるのか。幸助の警戒はマックスにまで振り切れている。
「あのね、効きそうな薬を見つけてきたんだ」
どうやらサラお手製ではなく、外部で購入したものらしい。幸助は警戒のレベルを少しだけ下げる。しかしそれと同時に、今度は別な心配が頭をよぎる。
「市販の薬って、効かないのばかりじゃないの?」
「うん。私もそう思ってたんだけどね。これ、薬店じゃなくて市場にいた人から買ってきたんだ。なんとなくだけど……効きそうに見えたの」
「そっか……」
薬店でもない場所で買って来た薬。それはそれで怪しい。しかし「ほら」と言ったサラの手の上に置かれているのは、よく見るタイプの黒に近い深緑の丸薬だった。見た目は全く普通の薬と一緒――
「これ……」
幸助はその薬に違和感を感じた。
「どうしたの?」
「魔力を感じる」
魔法書店であるアレストリアの店の経営改善をした後。幸助は類稀なる魔法の素質があると認められ、アレストリアから秘伝の魔法書を授かった。今も修行中の身ではあるものの、幸助はある程度、魔力を感じ取ることができるようになっている。
そんな幸助の目には、薬の周りに緑色のモヤっとしたものが纏わりついているのが見えた。それでいて不快感は全く感じない、手にするだけですごく安心できる。そんな類の魔力だった。
「お薬って、みんな魔力を含んでるの?」
「いや、僕は初めて見る」
「なら、飲むのやめようよ。買ったの市場のちゃんとした店からじゃなくて、隅に立ってた人からだし。これ以上コースケさんの体調、悪くなったら――」
そう言ったサラの言葉を遮り、幸助は口を開く。
「ありがとう、サラ。でも大丈夫そうな気がする」
今までどんな薬でも駄目だったのだ。自然治癒に任せていたらいつ治るのかも分からない。それにこの薬は大丈夫だと本能が告げている。だから幸助は水を受け取ると、その薬を飲み下す。
翌朝。
今までの症状が嘘だったかのように、幸助は全快していた。
「よかったぁ。コースケさん、元気になって!」
「ありがとう、サラ。それにしてもこの薬、ほんと凄いなぁ」
幸助は残った丸薬を手に取りながら、感慨深く言葉を漏らした。ここまで劇的に回復できたのは、間違いなくこの薬のおかげだ。鼻の通りもよくなったし、喉もいたくない。熱によりぼーっとしていた頭も、今日はスッキリ爽快だ。
「もう、お母さんとか友達から教えてもらった薬の煎じ方もやり尽くしちゃってたし……。ずっと。ずっと心配してたんだから……」
そんな言葉をつぶやいたサラを、幸助は見る。その蒼い瞳はうっすらと潤んでいた。
「サラ、ありがと」
回復したのは、サラが必死になって薬を探してきてくれたおかげだ。幸助はサラの頬に手を添えると、雫になった涙を親指でそっと拭く。
幸助の風邪をなんとかしてあげたい。そんなサラの想いは強かった。だからこそこの薬を引き寄せることができたのだろう。幸助はサラをそっと抱き寄せると、頭をポンポンとする。
「えへへ……」
二人は久しぶりに、ゆったりとした朝のひと時を過ごすのだった。
とはいえ残念ながら、その甘い時間を長く取ることはできない。
「さて、と」
体調がよくなったらやることは一つ。それは、たまりにたまった仕事を片付けることだ。幸助は全国に勢力を拡大しつつある魔道具店の顧問のほか、多くの店の手伝いをしている。一週間以上にわたる風邪のせいで、その仕事に大きな遅れが出ていた。
その遅れを取り戻さなければならない。しかしその前に幸助にはどうしてもしたいことがあった。それは、まともな食事をとることだ。
「元気になったことだし、お昼は久しぶりにアロルドさんの店で食べようか?」
「病み上がりに大丈夫?」
「うん。この調子だったら大丈夫だよ。それに頑張ってくれたサラにも、ちょっとは楽してもらいたいしね」
朝食は念のため胃に優しいスープだけにしていた。ここ最近ずっと食べてきたものだ。消化のよさそうな具材がクタクタになるまで煮込まれており、それはそれで美味しい。
サラはずっと幸助の看病をしてくれていた。治療方法探しに奔走してくれた。そんなサラの疲労は相当なものだろう。サラも父アロルドに似て、料理にはこだわりを持つようになってきた。このままだときっと張り切って料理をするだろう。そうなったらまたしても負担をかけてしまう。だからこその外食だ。
「そっか。ならそうしよ! お父さんも心配してたしね」
午前のひと仕事を終えると、幸助とサラは昼食のため、家を出る。
久しぶりに行くアロルドのパスタ亭は、通りから見ても繁盛しているのが一目で分かった。
以前のように意識の高いお洒落な店構えではなく、窓が大きくとられているため、中がよく見える。ランチには少し早い時間にもかかわらず、客席は満席だ。
ランチメニューは、トマトバジルパスタを始め、カルボナーラやペペロンチーノなど、幸助が食べたかったメニューは一通り揃っている。幸助があまり関わらなくなってからは、アロルドが知恵を絞って細かな改善を続けている。その結果がこれだ。
「お、コースケ。もう体調は大丈夫なのか?」
二人の来店に気づいたアロルドが、カウンター越しに厨房から声をかける。
「はい。サラがいい薬を見つけてくれたおかげで、無事、よくなりました」
「そりゃ良かった。で、今日は飯食いに来たのか?」
「もちろんです。トマトバジルパスタとレッドボアのステーキをセットで」
幸助はランチメニューの中でも一番ガッツリしたものを選択する。一週間以上食べられなかったため、どうしても食べたかったものだ。
「ちょ、お前。病み上がりにそんなもん食うのか?」
「もう完治して絶好調ですから、問題ないですよ」
「お父さん、私はカルボナーラね!」
「お、おう……」
そう伝えると二人はちょうど今、空いたばかりの席へ座る。場所は店の一番奥。実はこの席、以前は存在しなかった場所だ。増え続ける来店客に対応するため、半年前に裏庭だった部分へ増築したのだ。
比例して増えた注文量に対応するため、今では見習いは三人もいる。味が評判のため、こうした見習い希望者も少なくないという。
「はい。サラはカルボナーラでよかったよね。で、コースケ君のはこれ」
サラの母であるミレーヌが、大きなお盆を手に料理を運んできた。
鉄板の上には、手のひらサイズで厚さが二センチはあるだろう厚切りの肉塊が鎮座していた。ランチセットで出すサイズではない。どうやらアロルドは快気祝いがてら、肉を増量してくれたようだ。
別の皿には、サラダとトマトバジルパスタもある。それにコンソメ風のスープも以前と変わらずある。すべてを合わせると相当なボリュームだ。
「コースケさん。その量、大丈夫」
「う、うん。きっと大丈夫……だと思う」
幸助は少しだけ弱気になりつつも、未だにジュウジュウと音を立てているステーキを切り分けると、たっぷりのソースを絡め口へ放り込む。
硬めの表面を破り噛み締めれば、中からあふれんばかりの旨味汁がほとばしる。熱にうなされていた時、夢にまで見た味だ。
「ほえ、ほえあよ!」
「飲み込んでからしゃべろうね」
幸助はしっかりとその甘くもパンチのある肉の旨味を噛み締め、ごくりと飲み込む。
「これ、これだよ!」
それからも幸助の手は止まらない。サラダにトマトバジルパスタ。それは相変わらずの絶品具合であった。
「よかった。本当に良くなって」
サラはそんな幸助の姿をニコニコしながら見つつ、自分のランチを食べるのだった。
「うう、満腹だ……」
やはり、病み上がりにセットメニュー、しかもオマケつきは重すぎたようだ。幸助は、家に帰ってからも続く満腹感と戦っていた。
「はい、コースケさん、どうぞ」
「これは?」
「お腹に優しい薬草茶だよ」
カップの中には茶色いお茶が入っていた。一口飲んでみれば、それは麦茶のような味わいだった。きっと胃にも優しいのだろう。
「ありがとう、サラ」
満腹感と温かいお茶、それに午後の陽気が作用し、幸助を眠気が襲う。しかし、ここで昼寝する訳はいかない。幸助は仕事をする英気を養うために、食事に行ったのだ。
「さて、仕事しないとな」
そう言った時だった。
コンコンコンと、玄関がノックされる音が聞こえてきた。
「誰かなぁ?」
「僕、見てくるよ」
小窓から外を覗いてみれば、若い女性の姿がそこにはあった。ドアを開けると、女性の全身があらわになる。
肩まで伸びたまっすぐで濃紺の髪。そして軽く吊り上がった目に、吸い込まれそうになる深緑の瞳。年の頃はサラと同じく十七歳くらいだろうか。しかし、年頃の女の子らしいお洒落はしておらず、飾り気のないくたびれた白い服を着ている。
「どんなご用でしょうか?」
「あなたがコースケ?」
「そうですが……」
「お姉ちゃんの店を……私たちの店をなんとかしてほしいの!」
用件は、経営改善の依頼だった。状況次第では、いつもの通り断ろう。幸助はそう考えつつ女性へ質問する。
「どんなお店を営んでるんですか?」
そんな幸助の質問に、女性はこう答えた。
「薬屋よ」




