後日談:アレストリアの魔法書店 ※イラストあり
「アロルドさん。例のアレ、在庫ありますか?」
「おう。もちろんあるぞ」
王都での用事を済ませた幸助は、ほとんど寄り道をせず自宅のあるアヴィーラ伯爵領に戻った。
その翌日アロルドのパスタ亭に寄ると、いつもの物を受け取る。
「助かります。もう、一ヵ月もご無沙汰だから何言われるのかヒヤヒヤしてますよ」
「ま、それだけ気に入ってくれるっつうことは、俺としては嬉しいがな」
「これのおかげで距離が縮まったってのもありますし、アロルドさんには感謝ですよ」
「お、おう」
幸助のお世辞にアロルドはポリポリと頬をかく。
幸助は受け取った物をカバンにしまうと、慌ただしく店を後にする。
目的地は、外壁のすぐ外にある小さな森だ。
「うわぁ、また緑が濃くなってるよ。相変わらずすごい場所だよなぁ」
季節は初夏。
森に入ると、濃い緑の香りが幸助の鼻をつく。
森の面積こそ狭いが、そこに林立している木々は皆、風格が漂っている。
日本であればパワースポットと呼ばれていたのかもしれない。
足元は湿っており、岩にはびっしりと苔がこびりついている。
時々聞こえる虫や鳥の鳴き声が若干の不気味さを醸し出しているが、幸助は慣れたものだ。
ぐんぐん奥へ進むと、建物が見えてきた。
アレストリアの魔法書店だ。
店といっても、その立地と特殊な商品の性格ゆえ来店客はほとんどいない。
半年ほど前に幸助が手伝い財務卿の令嬢へ売って以来、新たな客はいない。
だが、その一冊の価格は日本円にしておよそ一千万円。
アレストリアなら十年間は生活していける。
次を売り急ぐ必要はない。
「久しぶりでケロちゃん怒ってないといいけど」
幸助は古めかしいドアを開けると魔法書店へ入る。
相変わらず結界は幸助を拒む気配はない。
薄暗い店内を奥へ進むと、アレストリアはいつも通り魔法書のメンテナンスをしていた。
「ケロちゃーん、久しぶり!」
その声でアレストリアは手にしていた魔法書をパタンと閉じ、幸助へ視線を送る。
「何が久しぶりじゃ。これほどまでに妾を待たすとは、お主も大物になったのう」
不機嫌そうな表情でそう言うと、両手を幸助に差し出すアレストリア。
「これでも急いで帰って来たんだけどなぁ……」
幸助は苦笑しつつもカバンからキャラメルを取り出し、アレストリアに手渡す。
これくらい自分で買いに行けばいいのにと言ったこともあるのだが、基本的に引きこもり体質のアレストリア。幸助が連れ出さない限り外に出ることはほとんどない。
それに、これがあれば店に幸助を呼ぶ口実にもなる。
アレストリアは受け取ったキャラメルの包装をはがしパクリと口に放り込むと、頬に手を当てうっとりとした表情を浮かべる。もう先ほどまでの不機嫌さは微塵も感じられない。
「恋い焦がれておったのじゃぞ。この味」
それからモゴモゴと口を動かし続けること十数秒。
キャラメルは溶けて無くなったようで、二つ目を口に入れる。
「ねえ、ケロちゃん」
「何じゃ?」
口の中でキャラメルを転がしながらアレストリアは返事をした。
幸助はキャラメルを渡しに来ただけではない。
ここへ来たのには、ちゃんとした目的がある。
「そろそろ中級魔法をやってみたいんだけど、どう思う?」
「うむ……」
考えるそぶりをしつつも、口の動きは止めない。
キャラメルが溶けて無くなったところで、アレストリアは幸助の質問に答える。
「少し早い気もするがお主ならよかろう。ついて来い」
そう言い歩き出すアレストリアに続き、幸助も店の奥に進む。
床を踏むごとにギィ、ギィ、と鳴く暗く不気味な廊下を抜けると、体育館のような広い空間に出た。
ここは魔法書を使い魔法を身につけた者が訓練をするための空間だ。
壁や天井は多少の攻撃を受けてもビクともしない、耐魔法性がある。
幸助は今までのトレーニングで、全属性の初級魔法が発動できるようになっている。
それらは皆、実用に耐えられるレベルだ。
つい先日多くの人たちの頭を悩ませた、残念な魔道具とは違う。
その中でも幸助が得意なのは熱操作の魔法だ。
魔道具でなじみが深いからかもしれない。
火を出したり氷を生み出すことができる、何かと便利な魔法である。
「よし。まずは初級の火魔法を出してみよ」
「はい」
幸助は人差し指を天井へ向けて立て、指先に神経を集中させる。
イメージは松明の火だ。
もう何百回とやっているので、その発動は慣れたものだ。
意識を集中して一秒と経たず、指先数十センチの空間にソフトボール大の火球が現れる。
「よかろう。して、自由に動かせるようになったか?」
「もちろん」
幸助は指を左右へと振る。
その動きに合わせ、火球も左右へ動く。手品ショーのようだ。
最後に手首をクンと前へ捻ると、火球は壁にある的めがけて一直線に飛び、ど真ん中にぶつかり散った。
「悪くない。他の形状はどうじゃ?」
「はい。この通り」
そう言うと幸助は、指先に次々と矢の形や小さな円盤状の火を成形し、的へ向けて飛ばす。
ここまでくると、かなり魔法使いっぽい。
これができるようになった時は、相当興奮したことを覚えている。
「うむ。中々の腕になったのう」
「ありがとうございます。でも、これだけだとまだ心配で……」
幸助が今使った魔法は、基礎的なものだ。
人に襲われたときの牽制にはなるが、攻撃力はそれほどない。
立場上、誰かに狙われる可能性がないともいえない幸助。これだけでは心もとない。
「そうじゃな。では、中級魔法の指導をする」
「お願いします」
「とは言っても、初級と中級の違いは注ぐ魔力量の違いだけじゃ」
「それは前聞きましたけど、どうやって魔力量を増やすんですか……?」
「そんなもん、魔法書によりお主の体内で既に解放されておる。自身の内なる声に耳を傾けてみろ」
「うーん……」
抽象的なことを言われ悩みこむ幸助。
一時間ほどあれこれ試してみるのだが、中級魔法は一向に発動される気配がない。
それでも魔力は消耗しているようで、疲労ばかりが積み重なる。
「はぁ、うまくいきませんね……」
「鈍いのう。だからイメージが大事だと前から言っておるじゃろ。何か今までに見たことはないのか。他人の中級魔法なり魔法でなくとも大きな火炎を」
他人の魔法など見たことはない。だが、大きな火炎なら見たことがある。生ではなく映像の中でだが。
「そうだ。火炎放射をイメージしてみよ!」
幸助は手のひらを的へ向け、火炎放射器のイメージをする。
動画で見たのは消防車の放水とガチンコで対決するものだ。どちらが勝ったかは覚えていない。
火が緩やかな弧を描いて前に伸びていくイメージをしつつ、手先に意識を集中する。
すると、今までにない熱いものが全身から右手に集まってくるのを感じる。
その瞬間。
ゴー!! という音を立て、竜のような火炎が的へ向かって伸びていく。
そのサイズは火炎放射器の比ではない。
「うわっ!」
幸助がそう声を上げると、炎の竜は的に届く前に霧散した。
「自分の魔法に怖気づいてどうする。このへっぽこめが」
「……こ……これが中級魔法!?」
「そうじゃ」
「初級と違いすぎません?」
「そんなこと言うたら上級は腰を抜かすぞ。この空間など余裕で炎で埋め尽くされるくらいじゃからな」
「そんなに……」
幸助が魔法を習得する目的はあくまでも護身だ。
それならば、覚えるのは中級まで十分だと思った幸助であった。
それからしばらく練習をすると、中級魔法もうまくコントロールできるようになってきた。
手のひらから火炎放射をしたかと思えば、今度は直径一メートルはあろうかという火球を生成する。それより小さな火球の生成もできるようになった。魔力量をうまく調整できるようになった証だ。
「やはりお主、センスは良いのう。短時間でここまで制御できるようになるとは」
「ありがとうございます。でも中級はさすがに体にきますね……」
発動する魔法の規模に応じて、体内の魔力もまた多く消費される。
長時間の運動とは違う疲労感に襲われ、その場に座り込む幸助。
「ふう、疲れたな……」
「軟弱者めが。先の小娘など休みなくぶっ通しで修練に励んでおったぞ」
小娘とは、幸助が魔法書購入の手伝いをした財務卿の令嬢のことだ。
「彼女は時間も限られてたからね。もうお昼の時間、過ぎてるんじゃないかな。お腹もペコペコだよ」
幸助がそう言った瞬間。
ぐぅ~。
幸助の言葉に呼応するように、アレストリアの腹の虫が鳴った。
「ケロちゃんもお腹空いてるんじゃん」
「へ、減ってなどおらぬ」
「何か食べたい物ある?」
再びぐぅと腹が鳴くと、アレストリアは観念したように腹をさする。
普段アレストリアは、ため込んだ食料を自分で調理している。
すぐ近くに市場ができてからは気軽に行ける飲食店が増えたのだが、外食は一切しない。
唯一の例外は、幸助と一緒にいる時だけだ。
「そうじゃなぁ……久しぶりにアレが食べてみたいのぅ」
「あれって?」
「ほれ、アレじゃ。そなたと初めて食べた、旗の立っておる柔らかな肉じゃ」
「ああ、ハンバーグのことね」
「そうじゃ。それじゃ! 早速行くぞ」
訓練場を後にし店舗へ戻ると、アレストリアはお出かけ用のカエルフードのポンチョをかぶる。
その後、アロルドの店でアレストリアは久しぶりのハンバーグ(くまさん)に舌鼓を打つのだった。
◇
アレストリアを魔法書店に送り届けると、幸助は何件かの野暮用をこなし、夕方、自宅に帰る。
「ただいま」
「お帰りなさい、コースケさん!」
パタパタと幸助のもとへ駆け寄るサラ。
その手には一通の手紙が握られていた。
「コースケさん。はい、これ。領主様からの手紙だよ」
「領主様から?」
アンナから手紙が届くことはよくあるが、領主からは初めてだ。
封筒を見ると、アヴィーラ家の封蝋が施されており、その横にはアルフレッドのサインも書かれていた。
領主からで間違いない。
幸助は多少の不安を感じつつ、封を開け手紙を読む。
その様子を神妙な面持ちで見守るサラ。
「……何て書いてあるの?」
「仕事の依頼だったよ。よかった、難しい話じゃなくて」
「どんなお仕事?」
「二週間後に財務卿の令嬢が中級魔法に挑戦するんだって」
「またアレストリア様の店に送迎するってことだね」
「そういうこと」
中級の魔法書ならば、その価格は数倍に跳ね上がる。
うまくいけば、幸助が生きている間は魔法書店は安泰となる。
悪い話ではない。
「さて、そろそろ晩御飯の用意をしよっかな。今日はコースケさんの好きなステーキだよ。お父さんに特別いいお肉をもらたんだ!」
「えっ、ほんとに!?」
昼はアレストリアを連れてアロルドの店に行ったが、幸助が食べたのはトマトバジルパスタ単品だ。
サラの作る普段の食事は淡白なものが多い。肉の塊を食べるのは久しぶりとなる。
「楽しみにしててね!」
「うん!」
その後幸助は、愛妻の料理を堪能。
食後はリビングで恒例となったおしゃべりタイムを過ごす。
「そういえば今日もお店を手伝ってほしいって人がウチに来たよ」
「どんな人?」
「親から店を継いだんだけど、面倒くさいから自分は何もせずにお金が入るようにしたいって」
「……そりゃダメだね」
「私もそう思う」
今の屋敷に引っ越しをしてからというもの、幸助の噂を聞きつけた人がよく来るようになった。
だがその多くが、幸助任せにして楽をしようという人ばかりだったため、今では知人の紹介しか受け付けていない。それに、忙しくて新しい仕事を請ける余裕もない。
「あとね薬師さんも来たよ。新しく店を出したいんだって」
「へえ、珍しいね」
「うん。家で少しだけ調合してご近所さんに渡してたんだけど、それが好評みたいで店を出したらって言われたみたいなの」
今まで傾きかけた店の改善ばかりで、新規出店は携わっていない。
それに領内にはまともな薬店がない。
少しだけ興味を持つ幸助。
「そうなんだ。今までにないタイプの話だね」
「うん。私もちょっと気になって。コースケさんいないからまた来てねって言っておいたよ」
「そっか。ありがと」
サラは空になった幸助のカップにポットからお茶を注ぐ。
このポットは保温効果のある魔道具だ。
「ねえ、コースケさん」
「なに?」
「私たち、一緒になってもう半年も経つんだね」
「あっという間だよね」
「結婚パーティーのこと覚えてる?」
「もちろん」
「お父さん、大泣きだったよね」
「うんうん、よく覚えてるよ。アロルドさんでも涙流すことがあるんだって」
「あはは。そりゃ人間だもの」
「だね」
「でもよかった。コースケさんが私を選んでくれて」
「僕だって。サラがいなかったら野垂死んでたかもしれないんだしさ」
「コースケさんだったら私が居なくてもきっとうまくやってたよ」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
それからも話題は尽きない。
今日起きた出来事や日本での話などに花を咲かす。
どれくらい経っただろうか。
幸助はカップに少しだけ残ったお茶を飲み干すとと、ふうと一息つく。
「さて、そろそろ寝ようか。明日も早いし」
「うん。そうだね」
二人は揃って寝室へ向かう。
リビングに掛けられた結婚記念パーティーを描いてもらった絵が、そんな二人の後姿を見送っている。




