7.サラの涙
「いただきます」
アロルドのパスタ亭のテーブルに座っているのは幸助とサラ。
幸助の前には白い器に盛られたクリーム色のパスタが湯気を立てている。
そう。アロルド苦心の作、カルボナーラが遂に完成したのだ。
ところどころ高級品である黒コショウが散らされているパスタをフォークで巻く。
濃厚なチーズの香りをふりまくソースが滴ることなくねっとりとパスタに絡みついてくる。
パスタを巻いたままフォークの先でベーコンを突き刺すと、口へ運び込む。
(!! これはなんと濃厚な! 今まで食べいたカルボナーラと比べると違う味だけどこっちの方が美味い! ベーコンの塩加減とニンニクの相性も最高だ)
幸助の口の中はそれぞれの素材がケンカすることなく融合しあい、得も言われぬ状況となっている。
それをじっくりと噛みしめ味わい、最後に飲み込む。
「うまい、またしても予想以上だ。サラはもう食べたのか?」
「ううん、お父さんの言う『完成形』はまだ食べてないの」
幸助はカルボナーラをサラへ渡す。
「食べてみなよ。これは美味い」
「うん!」
サラはためらうことなくカルボナーラを食べる。
「もぐもぐもぐ……。うんーーー、前より濃厚で美味しいよ!」
片手で自分の頬をなでながら悶えるサラ。
「アロルドさん、これまた本当においしいカルボナーラができましたね」
「ああ。あのチーズが相当に濃厚な味でな」
どうやら酪農家カウサンのチーズが相当な役者であったようだ。
もちろん同じ生乳を使っている生クリームの役割も大きいであろう。
それらに加えて卵が織りなす濃厚な味に、ベーコンが旨みと塩気を加え、ニンニクが香りを引き立たせ、黒コショウがピリッと全体をまとめている。
なによりもそれらの素材を暗中模索しながら、まとめあげたアロルドの腕は特筆すべきものである。
「だが、な。原価がだいぶ高くなったぞ」
「販売するならどのくらいになるんですか?」
「大銅貨十枚だな」
「それでしっかりと適正利益は取れてますか?」
「……」
無言になるアロルド。
「まさか、トマトバジルパスタよりも利益額が少ないってことは無いですよね?」
「……」
「はあ、そのまさかでしたか」
「……、ああ」
「ちなみに原価はどのくらいですか?」
「大銅貨八枚ってことだな」
「なら、最低でも大銅貨十二枚にする必要がありますよ」
本来なら五割は利益が欲しいところである。
しかし大銅貨十六枚となると誰も食べてくれなくなる可能性もある。反対に安くしすぎると後から値上げしにくい。値付けは難しい仕事である。
「大銅貨十二枚ならランチタイムの相場は越えますが、背伸びすれば払える金額じゃないでしょうか。ちょっとだけ特別な時に食べてもらえるかもしれませんよ」
幸助が頭の中に描いているのは『女子会』である。
ママ友たちが集まり、千五百円程度のランチに舌鼓を打ちながら取り留めもない会話をする。そんな使い方をしてくれたらなと考えたのだ。
「別に既存のメニューはそのままなんですから、今来てくれているお客さんにはほとんど影響ありませんし、それでメニュー入りしてみませんか?」
「コースケがそう言うならやってみるか」
こうして『アロルドのパスタ亭』に新しいパスタメニューが追加されることとなった。
◇
カレンダーは六月に変わり、数日が経過したある日。
太陽は高く昇るようになり、今日はじっとりと汗ばむような陽気である。
幸助とサラ、アロルドはいつもの時刻、いつもの席に集合していた。
五月の帳簿ができたということで久しぶりに打ち合わせが開かれることとなった。
「これが先月の結果だそうだ」
アロルドは帳簿を幸助へ渡す。
いつも一枚の紙にびっしり書かれていたのが、今回は二枚に渡っているようだ。
心なしか文字や数字も大きい。
「では、見させていただきます」
幸助は渡された帳簿を読み取る。
そこから読み取れるのは、文句なしの黒字という結果であった。
売上から食材の仕入れや光熱費などの経費を引いても、一家が生活するには十分な利益が残っている。
立て看板による認知向上、スープ無料サービス廃止による粗利率改善、ハンバーグによる廃棄削減が複合的に作用し合い、このような成果をもたらしたのだ。
ちなみに今のところカルボナーラは始めたばかりなので、帳簿を引き立てるような仕事はしていない。
「完璧です」
帳簿を置き、笑顔でパチパチと拍手をする幸助。
サラがそれに続く。
受け止めるアロルドの顔は誇らしげである。
しばらくして拍手している手を止めると幸助が真面目な顔に戻り、アロルドへ視線を送る。
「僕の仕事はこれでお終いですね」
「ああ、そうなるな。感謝するぜ」
「えっ、コースケさん。それはどういうこと?」
「あのね、サラ。僕の仕事はこのお店を黒字化するっていうことだったんだ。これでお店は黒字になった。だから僕はもう今までみたいに関わることはないんだ」
「そ……そんな」
幸助とアロルドが契約の条件などを詰めているとき、サラはその場にいなかった。
従って、黒字化したら幸助の役割が終了ということを知らなかったのだ。
「サラと一緒に仕事をするのはこれでお終い、かな」
「お終いだなんてやだよ。ずっとコースケさんと一緒にお店を良くしていきたいよ……。新しい料理、また一緒に作りたいよ」
プルプルと体を震わすサラ。
一筋の煌めくものが眼から溢れてきた。
「でもね、サラ。いつまで僕に頼ってちゃいけないんだよ。もうお店だってサラたちだけでちゃんと経営できるはずだしね」
「で、でも……、またお店には来てくれるよね」
「もちろん。僕だっておいしいパスタは食べたいしね」
幸助はサラの涙をそっと拭く。
「ほら、お別れじゃないんだからさ」
「う、うん。分かった」
まだ客として来てくれるということでサラも少しは落ち着いたようだ。
「そうだ、アロルドさん」
「うん? なんだ」
「せっかくだから黒字達成を記念して皆でパーティーをしませんか?」
幸助はアロルドへ打ち合上げをしないかと提案したのだ。
この世界にそのような文化があるかは知らない。だが、プロジェクトの終わりは打ち上げと相場が決まっている。幸助の中では。
立て看板、ハンバーグ、カルボナーラ。
たった二ヶ月ではあったが、見知らぬ世界に来て孤独だった幸助が初めて仲間と一緒に成し遂げたのだ。喜びもひとしおだ。
「おう、それはいいな。俺が腕によりをかけてご馳走を作ってやる」
「ありがとうございます。サラもパーティーでパッと楽しもうよ」
「うん!」
そして次の定休日。
「「「「乾杯!!」」」」
夜の帳が下りた頃、店名プレートが裏返っているアロルドのパスタ亭にカップを合わせる音がした。
グラスの中身はサラはジュースで大人達はワインだ。
店内は火の灯ったランプが店内を淡く照らし出している。
「コースケさん、どう?」
そう言うとサラはワンピースの裾をつまんでポーズをする。
黒字化達成記念に新しく買ってもらったワンピースである。白い生地で腰には大きなリボンがついているシンプルで清楚なデザインだ。
「うん、すごく似合ってる。可愛いよ」
「あ、ありがとっ!」
可愛いという言葉で頬を朱に染めるサラ。
だが、照明が暗いので幸助はそれに気づかない。
テーブルには様々な料理が並んでいる。
まるでクリスマスパーティーのようだ。
レッドボアのステーキ、ハンバーグ、サラダ、カルボナーラ、異世界特有の得体のしれない食べ物。
もちろん真ん中はトマトバジルパスタである。
「うん、美味しい!」
「おいしいねっ。さすがお父さん」
「まあな」
一心不乱に食べる二人。
「おいおい二人とも、ゆっくり食べても食いもんは逃げてかないぞ」
「いいの、お父さん。出来立てで美味しいうちに食べるのが一番なの!」
幸助はサラダを食べた後、きれいな焼け目のついた肉に手を伸ばす。
レッドボアのステーキだ。
「相変わらずジューシーでおいしいな」
幸助がステーキに舌鼓を打っていると、その横にアロルドの妻であるミレーヌがやってきた。
サラと同じ真っ赤な髪のミレーヌの顔にも笑顔があふれている。
この世界は結婚が早い。母とはいえ三十代前半であるミレーヌには若々しさがある。
幸助はその姿を見てアロルドもげてしまえと何度思ったことか。
「コースケさん、本当にありがとうね」
「いえいえ、自分の仕事をしただけですから」
「あと少しで店を畳まなきゃいけなかったのよ。一家を救ってくれて本当に感謝してるわ」
まだ内職をしているためあまり店には顔を出していないが、経理だけはずっとやっていたため一番数字の変化を感じていた。
「こちらこそありがとうございます。久しぶりに充実した時間を過ごせました」
「あのね、コースケさん。お父さんとお母さん、ほとんどケンカしなくなったんだよ」
「サラは余計なこと言わなくていい」
「うぅ……、だって本当のことだもん」
「あはははは、よかったじゃないか」
両親がケンカしなくなった。サラにとっては大きなことである。
働いている人間は得てして仕事の良し悪しを家庭に持ち込んでしまう。これは仕方ないことである。
だからこそ仕事が充実しお金に困窮することが無くなれば、家庭内も明るくなるものである。
その逆も然り。
家族経営である『アロルドのパスタ亭』では、それが顕著に表れていた。
アロルドは材料に拘り、ミレーヌは資金に拘る。だからお互いの主張は平行線となっていた。
味を落としたら客足は減るし資金が尽きれば営業できなくなる。どちらの主張も正しいのだ。
そこに突然登場した幸助が、短期間で見事に解決してみせたのである。三人とも思いもつかない手法を駆使し。
だからこそ、サラの中で幸助は救世主でありヒーローのように見えていたのだ。
店から漏れる賑やかな声は、その後数時間続くこととなった。
そして宴もたけなわ。お開きの時間がやってきた。
幸助を見送るために皆ドアの前に集まっている。
「アロルドさん、ご馳走様でした」
「おう。いろいろ世話になったな。また食べに来いよ」
「もちろん。あと、来月から報酬の支払、忘れないでくださいね」
「この雰囲気でそれを言うか! 大物になるな。お前、いや、コースケは」
「また遊びに来てね、コースケさん」
「はい。また来ます、ミレーヌさん」
「コースケさん!!」
ガシッと幸助に抱き付くサラ。
髪の毛からふわっと石鹸のいい匂いが香ってくる。
控えめだけれど柔らかい何かが当たる。全神経をそこへ集中する幸助。
「コースケさん、毎日パスタ食べに来るんだよ」
「ま、毎日は無理だけどできるだけ来れるようにするよ」
「絶対、ぜったい、ぜえったいだよ!!」
「うん。約束する」
ポンポンと頭を優しくたたくと、サラは幸助から離れた。
瞳には今にもこぼれそうな涙を溜めている。
「サラはそんなに泣き虫さんだっけ?」
「そんなことないもん!」
言葉とは裏腹にこぼれ出る涙。
いつの日かと同じようにサラの涙を拭う幸助。
「ありがとう、コースケ」
「また、ね。サラ」
「それでは皆さん、お世話になりました」
頭を下げるとギィと重厚なドアを開け、外へ出る。
ドアを閉めようとするとサラが手を振っていたので振り返し、その場を後にする。
日中とは違う涼しげな風がアルコールで火照った頬を撫でてくれる。ちなみに頬が火照っている原因は他にもあるのだが。
少し歩くと振り返る幸助。
店の小さな四つの窓からは淡くも暖かい光が漏れている。
(みんな、本当にありがとう)
たった二ヶ月間の出来事であったが、幸助にとってはとても内容の濃い時間となった。
サラ、アロルドと出会い店舗改善を完遂し、初めて自分の存在価値を確認することができたのだから。
無責任に召喚され右も左もわからなかった異世界。何の目的も持たずにただただ旅をし、ダラダラと過ごしていた半年と比べると雲泥の差である。
宿へ帰る道すがら、社畜時代にくすぶっていた感情が湧き上がってくるのを感じる。
(そういえば勤務時代にずっと抱いていた夢があったんだよな。いずれ自分の会社を持って、より多くの人の役に立つんだって。
具体的に何をするっていうのは決めてなかったけど、もしかしたらここで今してきたことなのかもしれないな。
よし、この世界でその夢を叶えてみよう!)
そう心に誓う幸助。
この決心が今後、国をも巻き込んだ壮大な展開になることを幸助はまだ知らない。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
これで第一章はおしまいです。
幕間を一つはさんで次章は食料品販売店編となりますが、今後もサラやアロルドの店は登場します。