2.独りっきりの店番
万引きを働いた少女を追い森の中に入ると、空気が一変した。
辺りは暗くなり、濃密な植物の匂いが幸助の鼻を刺激する。
茂みからはカサカサと音がする。
少しだけ心細くなる幸助。
勇気半分興味半分で湿った土を踏みしめ前に進むと、一軒の建物が見えてきた。
「こんな場所に何でこんな建物が……?」
日本であれば神社の本殿でもありそうなその場所にあった建物は、その構えからすると店舗のようだ。
外壁は汚れ、ツタが絡みついている。
永らくメンテナンスされてないようだ。
入り口のドアには店名のプレートを掲げるための金具がついている。
だが、肝心なプレートは朽ち落ちたのか取り外したのか、見当たらない。
恐るおそるドアに手をかけると、一瞬体の中に何か走る感覚が幸助を襲う。
(何か変な雰囲気だぞ……)
ギィィィィッと不気味な音を立てながら開くドア。
鍵はかかっていなかった。
そのまま足を踏み入れる幸助。
(うわっ、ホコリ臭いなぁ)
店内の匂いに思わずせき込む幸助。
ドアがバタンと閉まる。
落ち着いて店内を見渡すと、狭い通路の両脇にはびっしりと本が並んでいた。
神田の古書店のようだ。
背表紙には何か文字が書かれているが、幸助には読めなかった。
(本屋? でも何でこんなとこに)
棚から一冊を手に取りペラペラとページをめくってみるが、やはり本文も読めない。
奥へ歩き進めると、店の造りとしては定番のカウンターがあった。
やはり店で間違いないようだ。
カウンターの奥には、先ほどの少女がかぶっていたカエルフードがかかっている。
ここに少女がいるのは間違いない。
幸助がそう確信した時、後ろから、ヒタ、ヒタと足音が近づいて来るのに気づく。
「だ、誰じゃお主は。どうやって入ってきた!」
「!!!」
ゆっくりと振り返ると、そこには少女の姿があった。
前がきれいに切りそろえられた、まるで日本人形のようなサラサラで真っ黒な髪に、クリッとした深緑の目。
背格好からして先ほどの少女に間違いない。
「えっ、どうやって入って来たも何も、入り口から普通に……」
「選ばれしものしか入ってこれない結界が張ってあるというのに」と、幸助に聞こえないくらいの小声でブツブツ言う少女。
「ところでここってお店かな?」
「ここは魔法書店じゃ。見て分からぬのか」
ということは、ここにある本はすべて魔法書ということだ。
幸助が先ほど買ったモール内の店と比べると、品揃えは桁違いである。
「お嬢ちゃんはここの子なのかな?」
「ここの子も何も、ここは妾の店じゃ」
「へぇ。店番を手伝ってるんだ」
この国では小さい子が店番に動員されることはままある。
大切な戦力になるからだ。
感心した幸助は「子さいのにえらいね」と言いながら少女の頭をポンポンする。
しかし、少女は反射的に幸助の手を払いのける。
「これっ、無礼者。何をするか! 子どもとは失礼な! 古より永きに渡り受け継がれた伝統ある魔法書店をこの地に開いて二百余年。お主の十倍は生きておるわ」
店構えからして古くからやってそうなのは間違いない。
魔法書店という業種柄、そのような設定も大切なんだろうと考える幸助。
「そっかそっか、ゴメンね。そんな由緒ある店とは知らなかったよ」
「分かればいいんじゃ。それにしても今時の若いもんは妾のことも知らぬのか」
「うん。知らなかったなぁ」
一介の店の娘など知る由もない幸助。
素直にそう答える。
そんな幸助の反応に、はぁと大きな溜息をつく少女。
「妾の名はアレストリア・ピータンじゃ。聞いたことはないのか?」
「ごめんね、聞いたことないなぁ。僕は幸助だよ。あ、そうだ。魔法書といえば……」
そう言いながら先ほど購入したばかりの魔法書を取り出す幸助。
表紙には「初級火魔法入門」と書かれている。
「これ、すぐそこの店で買ってきたんだけど同じものかな?」
「はぁ。お主もか……」再び大きなため息をつくアレストリア。
「えっ、どうしたの?」
「粗製乱造された魔法書など使っても、良い魔法使いにはなれぬぞ」
それからも「最近の若いもんはなっとらん」とか「楽して覚えようとして」などとブツブツ続ける。
幸助が手にしたものはアレストリアの目からすると粗悪品のようだ。
金貨一枚以上を無駄にしたのかもしれない。
そんなこととは露知らず購入した幸助はアレストリアに訊く。
「え、えっと……どういうことかな?」
「しかたない。どうせ暇じゃ。本物の魔法書について教えてやる」
それからアレストリアは幸助に本物の魔法書とはいかなるものかを説明する。
言語は古代言語の方が体になじみやすいこと。
本に書かれている内容は安物と比べても大差ないこと。
一番大きな違いは、本に内包された魔力の質だそうだ。
アレストリアの説明は丁寧で分かりやすく、魔法素人の幸助にもよく理解でき、ストンと胸に落ちるものであった。
「妾が講釈を垂れるなど貴重な機会ぞよ。有難く胸に刻むがよい」
「うん、ありがとう。すごく勉強になったよ」
「礼などいらぬ。とりあえず買ったものを試すがよい。妾の言わんとすることが分かるであろう」
幸助はアレストリアにお礼を言うと、店を後にする。
(何だかんだでちゃんと勉強してるみたいだったなぁ。小さいのにちゃんと話に筋が通ってたし、英才教育でも受けてるのかな)
そんな感想を抱きつつ、店に背を向け歩き出す。
久しぶりに全く知らない知識が入った充足感に満たされる幸助。
薄暗い森を抜けると、再び外壁の隙間からショッピングモールに戻り、そのまま宿へ帰る。
「さてと、試してみるか」
宿へ帰るとテーブルの上に魔法書を開き、店員に言われた通り両手をかざす。
そして最初のページに書かれている呪文を一気に読み上げた。
緊張しながら魔法書の発動を待つ幸助。
「…………」
「……」
しかし何も起こらない。
一字一句間違えずに唱えたにもかかわらず。
店員の説明では、魔力が体に移る感覚があると言っていた。
幸助のやり方が悪いのか魔法書が悪いのかは分からない。
いずれにしても、実験は失敗だ。
魔法書を閉じると、幸助はベッドへ身を投げる。
「アレストリアちゃんの言う通り粗悪品だったのかな。金貨一枚、勿体なかったなぁ……」
◇
翌日。
昨日のことが気になった幸助は、再び魔法書店を訪れる。
森を抜け店に入ると、魔法書を開き何かの作業しているアレストリアの姿があった。
「何じゃ、お主。また来たのか」
「アレストリアちゃんこんにちは。またいろいろ話がしたくてね」
「アレストリア……ちゃん?」
普通は様とか殿じゃろうとブツブツ呟くアレストリア。
その反応で、友達もいなのかと心配をする幸助。
他に人の気配はない。
いつも一人で店番をしているようだ。
開いていた魔法書をパタンと閉じると、アレストリアは立ち上がる。
「それにしてもお主、変わった奴じゃのう」
「えっ、そうかなぁ?」
「まあ良い。して、今日は何をしに来たのじゃ」
「えっと、昨日言ってた粗製乱造されたっていう魔法書なんだけど……」
それから幸助は、魔法書が発動すらしなかったことを説明する。
競合店であろう店の商品の相談をするのも失礼かなと思ったが、暇と言っていたのでそこはお構いなしである。
「ほら見ろ。だから粗悪品と言ったじゃろう」
「でも、金貨一枚以上もしたのに……」
「そんなはした金、勉強代と思って諦めるがよい」
「でもそれでも魔法を身に付けられる人はいるんでしょ?」
「もちろん。じゃが、その可能性もあれでは低くなってしまう」
せっかくの才能を潰しかねん、と続けるアレストリア。
「そっか。ありがとね。いろいろ教えてくれて」
お礼にここの魔法書を買って帰ろうかと思いカウンターへ視線を移すと、幸助の目にあるものが入る。
食べ終えたリンゴの芯だ。
ここで幸助は、大事なことを忘れていたことに気付く。
「あ、思い出した!」
「なんじゃ突然声を上げて」
「昨日、果物屋さんで見ちゃったからね」
「な、なにを見たのじゃ」
「果物、お店から盗ったでしょ」
「ギク……」
「怒らないから話してごらん。何でそんなことしたの?」
「お主には関係のないことじゃ!」
「関係ないことないよ。じゃあ、僕もここにある魔法書を一冊、お金を払わずに持って帰ってもいいのかな?」
「そ……それは……」
俯くアレストリア。
自分がしたことが理解できたようだ。
たかが果物一つ。されど果物一つ。万引きは立派な犯罪だ。
意を決したのか、アレストリアは顔を上げるとゆっくりと口を開く。
「閑古鳥が鳴きっぱなしなのじゃ……」
「えっ?」
「だから、妾の店は暇なのじゃよ」
「果物を買うお金がないくらいに……?」
「そうじゃ」
そう言うと寂しげな表情を浮かべるアレストリア。
はっきり言って立地は良くない。
町の最果て、しかも外壁の外だ。
ここに客が来ないことは致し方ないであろう。
「じゃが、腹は減るし……」そう言うと自分の腹をさするアレストリア。
「そっか。よく話してくれたね」
幸助はアレストリアの頭をポンポンする。
昨日のように払いのけることはなく、その手を受け入れる。
「ちゃんと話してくれたから、これ、あげるよ」
そう言うと幸助は、アロルドからもらったキャラメルを差し出す。
それを手に取ると、しげしげと見るアレストリア。
「何じゃ、これは?」
「食べてごらん。甘くておいしいよ」
そう言うと幸助は別のキャラメルを手に取り、包装をはがすと自分の口へ放り込む。
その様子を見ておずおずと真似をするアレストリア。
口へ入れモゴモゴと動かすこと数秒。突然大きく目を見開く。
「なんじゃこれは!?」
「キャラメルっていうお菓子だよ」
無我夢中で口を動かすアレストリア。
あっという間に溶けて無くなると、名残惜しそうな目をする。
無言で差し出す手に、幸助はもう一つキャラメルを差し出す。
「おいしかったでしょ」
「うむ。長生きはするものじゃな」
かなりご満悦の様子だ。
アレストリアは今までで一番いい表情をしている。
「そういえば、店番はずっと一人でやってるの?」
「そうじゃ」
「お父さんとお母さんは?」
「んなものとっくの昔に逝っておるわ」
「えっ、そうだったんだ……」
アレストリアがたった一人で店番をしている理由は両親が亡くなっていたからであった。
余計な質問をしてしまったことを悔やむ幸助。
「じゃが、両親が逝ったことと閑古鳥は関係ないぞ。十年前まではちゃんと来てくれる奴がいたんじゃ。昔の話じゃがな」
そう言うと遠い目をするアレストリア。
口から出てくる年数の桁がおかしい。
幸助は頭の中で十分の一に換算して話を聞く。
「そうなんだ。なら、お客さんが来なくなる理由があったんだね」
「そうじゃ。お主が手にしておった安直な魔法書。それが諸悪の根源じゃ。それが流れ込んでからというもの、皆は楽な方、楽な方へ行くようになってしまったんじゃ。常連も一人逝き、二人逝き……。いつの間にか妾の店の門をたたく者はおらんくなってしまったんじゃ」
アレストリアの店が大変な状況になったきっかけは、競合の出現であった。
そもそも立地もおかしい。
逆に今までよく潰れなかったなと感心する幸助。
「そっか。大変だったんだね」
「大変ではないぞ。暇なだけで」
「そのことを大変って言ったの。果物一つ買えなくなっちゃったんでしょ?」
「それはそうじゃが……」
「それに、一人でこんな場所で危険じゃない?」
「結界が守ってくれるから安心せい」
結界がどれほどのものかは知らない幸助。
本人がそう言うだから大丈夫なのだろうと考える。
それよりも気になったのは一人で店番をずっとしているということだ。
この世界では早くから仕事をする子どもは多い。
パロだって、まだあんなに小さいのにしっかりと店番をしている。
だが、パロにはホルガーという保護者がいる。
アレストリアは本当に独りぼっちだ。
(両親もいなくて頑張ってるもんな。魔法書ってよく分からないけど冒険者の武器みたいなものでしょ。立地っていう極めて不利な環境はあるけど、何とかなるんじゃないか)
年数を除いて、アレストリアの話はすべて本当のことに感じられた。
万引きだって正直に認めた。
独り奮闘する少女の力にならねばという熱い気持ちが湧き上がる。
「ねえ、アレストリアちゃん」
「な、なんじゃ……。怖い顔をしおって」
幸助の鋭い視線に若干引き気味のアレストリア。
そのクリッとした緑色の目をしっかりと捉えると、幸助は力強く宣言する。
「あなたのお店、僕が流行らせてみせます!」




