7.最後の一ヶ月
「コースケさん、何だか振出しに戻っちゃったみたいだね」
「うん……」
宿に併設された食堂で幸助とサラは朝食をとっている。
食欲はない。
だが、絶対に朝食は食べる主義の幸助は、むりやりパンを口に押し込む。
温かなお茶を飲み、ふぅと一息つくと幸助は昨日のことを思い返す。
悪い知らせがもたらされた後、カレンは「もう諦めて店を畳もう」と言った。
だが幸助は「あと一ヶ月だけ時間をください」と懇願した。
問答の末、一日の売上が金貨二枚以上になる日が来なければ、あと一ヶ月で店を閉めるということになった。
来店客数にして二十名程度だ。
それほど難しくなさそうな目標が、ひどく高く感じる幸助。
本当に改善に失敗してしまうのではという不安が襲う。
この世界に来てから手がけたプロジェクトは失敗とは無縁だった。
だが、サラリーマン時代には何回も失敗を経験したことがある。
その時はかばってくれる先輩や会社という組織があった。
だが今は違う。
全責任は幸助のもとにある。
驕っていた部分があったのかもしれないと反省をする。
フォークにサラダを突き刺すと口へ運ぶ。
ドレッシングはオリーブオイルを使ったものだった。
ルティアのオリーブオイルと比べると、香りもあったものではない。
アヴィーラ伯爵領の面々を懐かしむ幸助。
日本の家族や友人、同僚のことが気になって仕方のなかった、召喚された直後のような気分だ。
「コースケさん、これからどうするの?」
「全く思いつかないや」
「でも、何とかしなきゃいけないよ? それも一ヶ月以内に」
「それは分かってる。でも思いつかないものは仕方ないよ」
「うーん、困ったなぁ」
腕を組み考え込むサラ。
幸助のこんな姿を見るのは初めてだ。
サラ自身、カレンの修業が失敗したことに責任を感じている。
だから何とかしたいという想いも強い。
「お父さんの味を持って帰れたら、こんなことにならなかったかもしれないのに……」
「サラ、それは関係ないかな」
「なんで?」
「カレンさんの店は、年月をかけて庶民的なメニューが並んでる店ってイメージを作り出したんだよ。だからそもそも本格的な味は期待されてなかったんじゃないかなって」
「そっか……」
一旦根付いたイメージはそうそう覆すことはできない。
幸助はそれを実感している。
「ねえ、コースケさん」
「うん?」
「記念日を大切にするって方針は変えないんだよね」
「そのつもりだけど?」
「てことはさ、記念日を迎える人が来てくれないと何の意味もないよね」
黙って頷く幸助。
そのための新規客の集客にてこずっている現状、一番悩ましい課題だ。
「やっぱり最高のおもてなしができる料理が必要だよ」
「最高のおもてなしができる料理?」
「領主様の屋敷みたいに、新鮮なお魚の料理が出せるといいかなぁって」
「ああ、そのことね」
最高のもてなし。
それは内陸部ではなかなか食べることのできない、干したり塩漬けしていない鮮魚料理をふるまうことだ。
幸助は領主の屋敷でふるまわれた料理を思い出す。
それはそれは絶品であった。
「ほら、ずっと前に言ってたでしょ。そのうち冷却庫が増えてきたら新鮮なお魚を運ぶ商売をする人が出てきそうって」
「そんなことも言ってたね。でも、それはおもてなしをする相手がいてこそでしょ」
「鮮魚料理が食べられるって認知されたら来てくれるんじゃない?」
「そうかなぁ……」
「やるやらないは置いといて、お魚の料理が出せそうかどうか調べてみようよ」
しばらく悩む幸助。
どうしたものかと考えていると、先輩から言われた言葉が頭に再生される。
「頭が働かなかったら体を働かせろ」という、ありがたいのかよく分からないアドバイスだ。
だが、今の幸助にはこれほど的確なアドバイスはない。
「うん、そうしよう。ここで腐っていても何にも進まないからね」
朝食を食べ終わると幸助とサラは、アヴィーラ・アルフレッド伯爵の屋敷を訪れる。
残念ながらアルフレッドも令嬢のアンナもいなかったが、使用人に鮮魚の調達先を教えてもらうことができた。
幸助が困っていたらできるだけ便宜を図ってやれと、領主から言われていたとのことだ。
それからすぐ鮮魚を取り扱っている商会を訪れる。
店番に紹介状を手渡し少し待っていると、奥からカール髭を生やした男性が高速で駆けつけてきた。
「おぉ、あなたがコースケ殿ですか! お噂はかねがね」
そう言うと男性は幸助の手を両手で固く握りしめる。
「えっ、噂?」
「申し遅れました。わたくしはこの商会の主、ヨンチョスでございます。コースケ殿が冷却庫を開発してくださったおかげで、それはそれはもう、鮮魚部門の利益がうなぎのぼりでして」
そう言うとヨンチョスは一部金色の前歯を光らし、商人らしい黒い笑みを湛える。
貴族との相性はとても良さそうだ。
「そ、そうですか……。冷却庫を開発したのは魔道具店の方々なんですけどね」
「はい。存じております。ですが! コースケ殿がいなければ完成しなかったとも聞き及んでおります」
確かに熱交換効率重視の製品を提案したのは幸助だ。
王都での事故による危機を救ったのも幸助だ。
幸助が自覚している以上に、幸助がこの国にもたらした影響は大きい。
「それでご用件の鮮魚についてです……。当店、本来は新規のお取引はお断りしておりますが、他ならぬコースケ殿からのご依頼です。まだまだ入荷量が少なく、入ったら即完売するような状況ですがご希望の量を必ずや用意させていただきましょう! して、いかほどご入用でしょうか?」
揉み手で迫るヨンチョスの勢いに圧倒される幸助。
頬を引きつらせながら何とか答える。
「え……えっとですね、今日は取引していただけるかの確認に来ただけですので、また量については相談させてください」
「承知いたしました! またのご来店、心をよりお待ち申しております」
腰を九十度に折るヨンチョスに見送られ、二人は商会を後にする。
「コースケさん、すごいね! 知らない人もコースケさんのこと知ってたよ」
「うん。びっくりだよ。でも……何だかトントンと話が進みすぎで怖いなぁ……」
「えっ、そう? 今まで大変だったからきっとこれからはうまくいくんだよ」
「前向きだね、サラは」
「うん!」
その日の夕方。
幸助はカレンの店に行く。
鮮魚料理の取り扱いについて打診するためだ。
ドアを開け入り組んだエントランスを抜けると、せっせと開店準備をしているセリカの姿があった。
「セリカさん、こんにちは」
「あっ、コースケさん。こんにちはっ」
元気に返事をするセリカ。
昨日の今日なので士気が落ちてないか心配していたが、杞憂だった。
他の従業員もてきぱきと働いている。
「カレンさんは見えますか?」
「今日はまだ来てないですね……」
気落ちしているのかもと心配する幸助。
ただ、普段から店にいない日も多いため、また改めることに決める。
「ではまた明日来ますね」
「あっ、コースケさん」
「どうしました?」
「私たちのお店、無くなったりしませんよね?」
不安そうな表情でそう問いかけるセリカ。
今のところ改善の見込は立っていない。
だが、ここで間を置いては余計な心配をかけることになる。
幸助はカレンの問いに笑顔で答える。
「もちろん! 大丈夫ですよ」
「お店が無くなってしまったら、父と母が悲しんでしまいます。だから、それだけはしたくないのです」
大丈夫と聞いて安心しました、とセリカは続ける。
幸助は「父と母」という言葉でカレンから聞いた話を思い出す。
「セリカさんって小さな頃からここにお客さんとして来てたんですよね」
「えっ、はい。そうです。父も母もここのファンだったのですよ」
「あ、過去形なんですね」
「はいっ。残念なのですが……」
苦笑しつつもセリカは言葉を続ける。
「以前みたいに、行けば笑顔になれる店になったらまた行きたいなって言ってくれてるんです。だから私、そんなお店になれるよう頑張ってるのです」
「それ、カレンさんには話したことあります?」
「はいっ。もちろん! ですが……」
「業績にはつながらなかったってことですね」
「その通りなのですっ。ですが私、諦めません。私もこのお店に楽しい思い出、いーっぱいありますから」
胸の前でぐっと両手の拳を握りしめるセリカ。
他の町に修行に行くという大きなことも、即決で受け入れていた。
ここに一生懸命働く動機があったのかと幸助は納得する。
「それにですね、父と母みたいに思ってる人、他にもいっぱいいるのです」
「えっ!?」
「他にもいっぱいいる」。幸助の脳内にセリカの言葉がガツンと響く。
(もしかして僕、一番大切なことを忘れてたんじゃないか?)
改善の取り組みを始めてから二ヶ月。
メニューは高級レストランにふさわしいものとなった。
接客も完璧とは言えないにしても、しっかりと訓練はした。
だが、決定的なところが欠如していた。
それはこのサービスを待っている客のもとへ「変わったよ。だから来てね」と知らせてなかったことだ。
幸助の頭の中で、抜けていたパズルのピースがカチリとはまる。
「セリカさん、ありがとうございます! もしかしたらこれで本当に大丈夫かもしれません」
「そうなのですか?」
「はい。今度こそきっと笑顔が溢れるお店にできるはずです!」
◇
数日後。
王都の住宅街には幸助とカレンの姿があった。
中心部から外れるように足を進める二人。
道は細くなり、レストランがある界隈よりも密集感を増している。
「なあ、本当に行くのか?」
「カレンさんも行くって決めたじゃないですか。もう引き返せませんよ」
「そうだけど……」
二人が向かっているのは、先代オーナーであるカレンの祖父の家だ。
カレンが生まれ育った実家でもある。
幸助はセリカとの会話から大きな気づきを得た。
それは先代の頃、常連だった客の中にはまだ店のことを忘れてない人もいたということだ。
それであれば、その客たちに声をかければいい。
店は変わった、ということを。
だが、誰も当時の客のことを憶えている者はいなかった。
たった一人、カレンの祖父を除いて。
そこで幸助は祖父へ聞きに行こうと渋るカレンを説得。
ようやく今日カレンが折れ、祖父の家へ行くこととなったのだ。
「ここだよ」
歩くこと約一時間。
王都では一般的なアパートのうちの一棟を指差すカレン。
一代で大成した男の家だ。
貴族のような家を想像していた幸助は面食らう。
「ちょっと待っててね」
合鍵で鍵を開けるカレン。
ふう、と深呼吸すると家の中に入る。
待つこと数分、ドアが開きカレンが幸助を手招きする。
部屋の奥に行くと、白髪白耳の老人がロッキングチェアに腰かけていた。
使い込まれた渋い輝きを放つ杖が傍らに置かれている。
カレンの祖父に違いない。
「こんにちは。カレンさんのお店を手伝ってる幸助と申します」
「で、何の用だって?」
首を横に向け幸助を一瞥すると、カレンへ視線を送る祖父。
皺の奥にある目が鋭く光る。
「じーちゃん。今、コースケと一緒に賑やかな店になれるよう頑張ってるんだ。あとちょっとでいい感じになりそうなんだよ。でも……それにはじいちゃんの協力が必要なんだ。なあ、じいちゃんの覚えているお客のこと、教えてくれないか?」
「何を今更」
カレンから目を逸らすと、祖父はゆらゆらと椅子を揺らす。
祖父の忠告を無視し続けた結果今がある。
この反応は致し方ない。
「店の経営で大切なこと、気づかせてもらったんだよ」
一瞬カレンへ視線を向けるが、すぐにまた外す。
カレンは必死に言葉を続ける。
「おいしい料理を食べに来てくれてたことはもちろん、お客はウチの店で友達や家族と過ごす時間を楽しみにしてくれてたってことを。だからメニューも接客も一から見直したんだ。来てくれたお客が楽しんで、笑顔になって帰ってもらえるようにね……。それにまだ店のことを覚えてくれてる人もいるって知ったんだ。そんな人たちを裏切ることはしたくないんだよ……。あと、店は一人で回すものじゃないってことも、ようやく分かったよ。自分にできないことは人を頼る。ううん、自分一人にできることなんてたかが知れてるんだ。だからこそ、人を信じなきゃいけないってことを……。今までの私とは違うんだ。じいちゃんの忠告を聞かなかったことも反省してる。じいちゃん、だから頼む、教えてくれないか!」
腰を直角に折り頭を下げるカレン。
「僕からもこの通り」と幸助も続く。
ここで断られたら道のりは更に険しくなる。
そのまま頭を下げ続ける二人。
キィ……キィ……と椅子の揺れる音だけが部屋に響く。
「……」
どのくらい頭を下げ続けただろうか。
鳴り続けていた椅子の音がピタリと止まった。
そしてその数秒後、祖父がゆっくりと口を開く。
「良い人たちに恵まれてよかったな、カレン。ワシも若い頃は周りに助けられっぱなしだったさ。事情は分かった。そういうことならいいだろう」
頭を上げる幸助とカレン。
「なら……教えてくれるのか?」
「ああ」
「ありがとう、じいちゃん!」
「ありがとうございます!」
それから幸助とカレンは数日間にわたり祖父のもとへ通う。
顧客の名前や家族構成、友人関係に始まり住んでいる場所や嗜好など。
祖父の口からは驚くほど膨大な情報が溢れだしてきた。
得られた情報は膨大だが、あらかじめデータベース用の用紙が用意されていたので、さほど混乱することもなく情報の整理をすることができた。
最終的に整理できた顧客の人数は、実に二千名近くに上った。




