6.リニューアルオープン
取り組みを開始してから一ヶ月が経過した。
季節は盛夏となり、日差しの凶暴さは最高潮に達している。
湿度は高くないので不快指数は東京より低いが、それでも暑いものは暑い。
エアコンが恋しくなる幸助であった。
幸助の思い付きから始まった「アイスエール」は、順調に改良を重ねている。
酒商の工夫により瓶内で発酵させる時間もアップ。
よりしっかりとした泡と喉ごしを楽しめるようになった。
メニュー入りする日も間近だ。
接客の改善も順調に進んでいる。
方針が決まってからのカレンの動きは速かった。
もともと行動力は誰よりもある。
今回はそれがプラスに働いたかたちとなった。
数は少ないながらも今いる客の顧客データベースを構築したり、他のレストランに客として行き、接客の研究を重ねている。
接客の方針は「記念日の演出」だ。
客が何らかの記念日を迎えているということが分かれば、プラスアルファのサービスをすることになっている。
誕生日であれば皿にソースで「おめでとう」のデコレーションをしたり、ちょっとした料理をサービスするといった具合だ。
費用はあまりかからないが客の印象には残る。
そんな接客を目指している。
「あとはメニューがどうなるかってとこだけですね」
営業前の店内で幸助はカレンにそう話しかける。
「だね! セリカがどんな土産を持ってきてくれるか楽しみで仕方ないよ」
事あるごとに楽しみだ、楽しみだと繰り返してきたカレン。
アロルド定番の味付けに高級レストラン向けの新メニュー。
久しく味わっていない幸助もカレン同様、心待ちにしている。
「あと二週間くらいで帰ってきますから。僕たちはそれまでにできる準備をしましょう」
「だね!」
セリカが修行から戻ってきたら全メニューを見直し、その二週間後を目途にリニューアルオープンする予定となっている。
リニューアルオープンといっても、改装など大きなことはしない。
メニューを変えることと、従業員のユニフォームを一新することが大きな変更点だ。
ユニフォームを変える理由は、従業員たちの気持ちを新たにするという効果が大きいためである。
「さて。先日お願いしていた件ですが、準備はできてます?」
「もちろん!」
カレンはそう元気よく答えるが、すぐに視線が幸助から逸れる。
視線の先は店のエントランスだ。
幸助は振り返ってその視線を追うと、二人の人影が入口から入って来るのが見えた。
「あれ……?」
姿を現したのはアロルドの店へ修行に行っていたセリカと付き添っていたサラだ。
予定よりもずいぶん帰りが早い。
幸助とカレンのもとへ近づく二人。
久しぶりに帰ってきたにも拘らず、晴れない表情をしている。
「お帰り」とカレンが声をかけようとすると、それを遮るようにセリカが声を上げる。
「恥ずかしながら、帰ってまいりましたっ!」
バッと頭を下げるセリカ。サラもそれに続く。
状況が呑み込めないカレンは二人を交互に見つつ口を開く。
「えっ、ちょっと話が見えないんだけど。詳しく聞かせてくれない?」
カレンに促され頭を上げるとセリカは声を絞り出す。
「使えない……出来の悪い従業員で、ごめんなさいっ」
全く意思の疎通ができていない。
そんなセリカの様子を見かねた幸助が口を開く。
「サラ、どういうこと?」
「あのね、コースケさん……。ダメだったんだ……」
「何がダメだったの。もう少し具体的に説明してくれないと分からないよ」
「セリカさん、頑張ったんだよ……。すっごく頑張ったの。でもね、お父さんに……認めてもらえなかったの」
「えっ!? てことは修行は失敗だったってこと?」
黙って首を縦に振るサラ。
セリカの修業はアロルドとの相性が合わず、やり遂げることができなかった。
アロルド曰く「コイツは才能がない」とのことだ。
それでもサラは双方がうまくいくよう、二人の間を何度もとりもつなど努力をした。
しかし、どんどん生気を失っていくセリカの姿を見かねて「もう止めよう」と決めたのだった。
「ちょっと待って、なら新しいメニューも何も無しってこと?」カレンがサラへ訊く。
「は……はい」
「そ、そんなぁ」
力を失ったカレンは椅子へ崩れ落ちる。
それと同時に今までのことがグルグルと頭の中を駆け巡る。
今まで何をやってもうまくいかなかった店の経営。
でもいつかは繁盛店にしたい。その想いだけで頑張ってきた。
しかし店の業績は下がるばかり。
もうダメかと思いかけた時、藁にもすがる思いで友人に相談したら幸助という男を紹介してもらうことができた。
貴族様、それも伯爵様の仕事もこなしている男だ。
ウチみたいな店なんて相手にしてもらえる訳ない。
そう思いつつもダメで元々で頼んでみたら、経営改善を引き受けてくれることになった。
話してみると、やっぱり凄いと思えた。話す言葉どれをとっても感心することばかりだ。
食べることが好きということも共感できる。
まだ結果は数字に表れていないが、今度こそはいける気がしていた。いや、いけると確信していた。
それなのに、肝心な修行が失敗に終わってしまうなんて考えてもいなかった。
多くの客に愛される繁盛店。
思い描いていた青写真がガラガラと音を立てて崩れていく。
「はぁ。また無駄な行動をしちゃったってことか…………。何でかなぁ。あとちょっとでいい感じになりそうだったのに……」
両手で頭を抱え込むカレン。その手はプルプルと震えている。
誰よりもセリカの帰りを楽しみに待ち、店の命運をかけていたカレンには耐えがたい事実だ。
(まずいぞ、この雰囲気。せっかくカレンさんだけじゃなく従業員皆がその気になってきたっていうのに逆戻りになりかねないぞ。どうすればいいんだ……)
こういう時こそプロジェクトリーダーとしての資質が問われる。
今までにも想定外の出来事は何度も経験した幸助。
クライアントの担当者が改善プロジェクトを投げ出して、突然退職してしまったことだってある。
それと比べたらまだまだ何てことない。
幸助は沈んだ雰囲気を打ち破るよう、声を張り上げる。
「皆さん、まだ結果が決まったわけではありません! この状況だからこそできることがあるはずです。これから何ができるか一緒に考えましょう!」
カレンは顔を上げると、幸助へ視線を送る。
その目からは力が失われている。
こんな表情は、初対面の日以来だ。
「できることって……何ができるんだ?」
「幸い、どこよりも先駆けて冷却庫の導入をしています。アイスエールもできました。集客の目玉になり得ます」
「それだけで大丈夫……なの?」
「もちろん料理のメニューも見直します。他の店の研究もしてきましたし、僕たちだけでもきっとできるはずです」
「でもどうやって……。もうあれこれ試した結果、今があるっていうのに……」
「……」
ここで無言になる幸助。
確かにカレンの言う通りだ。
今、この状況で考えても良い考えが出そうにない。
ここは一旦時間を置いて仕切りなおそう。
幸助がそう言おうとしたところ、別の男性の声が割り込んできた。
「あの……メニューのことなんですけど……」
カレンに向かっておずおずと発言したのは、それまで遠巻きに様子を見ていた料理長だ。
「何だ?」
「えっ……えっとですね。料理のメニュー、僕に任せていただけないかな……と思いまして……」
「何でまた?」
「い、今までずっと仕事のかたわら、料理の研究をしてました。きっと店にふさわしい料理ができるはずです。僕の研究した料理、いちど食べていただけませんか?」
カレンは、ことあるごとに料理人は当てにならないと言っていた。
だから幸助も今まで敢えて料理長を頼ろうとしていなかった。
だが料理長の作る「メニューにない料理」はおいしいものが多かったことを思い出す。
カレンがそう言っているだけで、もしかしたら実力があるのかもしれない。
幸助はそう思い直す。
「料理長さんの創作料理、おいしいのが多かったからぜひ食べてみたいです。ね、カレンさん」
「あ、ああ……」
「ありがとうございます! では、早速用意してきます」
料理長はそう言い残すと調理場へ戻っていった。
幸助たちは入り口近くのカウンター席に掛けて、料理が出来上がるのを待つ。
カレンは納得できない様子で「レシピを持って帰ってきても作ってくれないこともあったくせに」などとぼやいている。
待つこと二十分。
緊張した面持ちで皿を手にした料理長が戻ってきた。
幸助たちの前に皿を置くと、料理の説明をする。
「お待たせいたしました。エシャロン鶏のローストをカシスソースでお召し上がりください」
大きな皿の中央にちょこんと載っているスライスされた赤みがかった肉。
その周囲を彩るように黒いソースが添えられており、見た目にも美しい。
大きな皿に少しの料理など勿体ないと慣れなかった幸助だが、今ではその良さが分かってきた。
人生何事も経験である。
「見た目は悪くないね。味はどうかな」
そう言うとカレンは小さな肉を一切れフォークに取る。
肉の下にはマッシュポテトが敷かれていた。
それらも一緒に口へと運ばれる。
料理長がその様子を神妙な面持ちで窺っている。
「…………」
「……」
「美味い」
肉を飲み込むと、カレンはそう言葉をこぼした。
幸助もフォークを手に取り、口の中へ放り込む。
「!?」
甘酸っぱいソースと濃厚な肉の絶妙なバランス。
いつの間にか、さらりとしたマッシュポテトは口の中から消えていた。
大衆食堂であるアロルドの店とは違う味わいに幸助は声を上げる。
「おいしいですよ、これ!」
「あ、ありがとうございます! 王都で昔から親しまれている料理を自分なりにアレンジしたんです」
使ってる肉はメニューにある串焼き用の肉なんですよ、と料理長は続ける。
同じ肉でも大衆料理からこれだけ変化するとは驚きである。
「あんた、こんな料理もできたの!?」
「はい。先代オーナーの時からコツコツと研究を重ねてました」
「あたしの見てない他の料理もできる?」
「もちろんです」
「それならそうと早く言ってよね!」
カレンの強烈な視線が料理長へ刺さる。
細身で気の弱そうな料理長は一瞬ひるむが、勇気を振り絞って発言する。
「ぼ、僕はもともとこういう料理が作りたかったんです。い……今まで提案しても聞いてもらえなかったから言えなかったけど、今なら大丈夫かな、と思いまして……」
カレンの視線は更に鋭くなる。
ここでカレンが怒ってしまっては余計な面倒事が増えてしまう。
慌てて幸助はフォローに入る。
「カレンさん、よかったですね。身近にこんな素晴らしい料理を作ることができる方がいて」
「えっ……あっ? そ、そうだな……」
「これなら本当に自分たちだけで何とかなりそうですよ!」
「あ、ああ……」
幸助の言葉に空返事をするカレン。
皆の視線がカレンへ注がれる。
店を継いでから五年。
今まで料理長に雑多な料理を作らせていたのはカレン自身だ。
だが、料理長の意見を聞くことは全くしてこなかった。
店のオーナーは自分だ。だから自分が全てを決め、引っ張っていかなければならない。
そう思い込み今まで必死にやって来た。
だが、その考え方が料理長の能力を殺していたのだ。
カレンは今までしてきた自分の過ちに気付く。
「そうか……そうだったのか」
今こそ従業員を信じ、頼るべき時だ。
自分の気持ちと折り合いをつけたカレンは、笑顔を浮かべて声を上げる。
「よし、そうと決まったら早速メニュー作りに取り掛かろう!」
「はい!」
◇
日本であればヒグラシの鳴き声が聞こえてくるような時期。
朝晩は幾分か涼しくなってきたが、それでもまだ夏。
日中はうだるような暑さが続いている。
料理長を中心としたメニュー改善が始まってから三週間。
いよいよリニューアルオープンの日がやって来た。
近隣の住宅には手分けしてチラシを配り、店頭の壁面にはメニュー表も貼り付けた。
雑多で統一感のなかったメニューは、高級感のあるメニューに統一された。
あとは開店の時間を待つだけだ。
レストランのホールには、まっさらなユニフォームに身を包んだ従業員一同が集まっている。
カレンが正面に立つと、朝礼を始める。
「いよいよリニューアルオープンだよ。接客レベルは高くなった。メニューは皆で納得するまで改良を繰り返したし、顧客データベースも整備した」
従業員たちの顔を見渡すカレン。
当初と比べると、その目つきも活き活きとしている。
「できることはやった。あとは成功を信じて、力を尽すだけ。みんな、頑張ろう!」
「はい!」
従業員たちはそれぞれの持ち場に戻る。
ウェイトレスの一人が店内のランプをつけて回る。
薄暗かった客席が淡く照らし出される。
幸助とサラも忙しくなったら手伝う予定でいる。
サラはもちろんウェイトレスだ。
そのために三週間みっちりと高級店の接客を学んだ。
ちなみに幸助は皿洗いである。
「お客さん、来てくれないね」
開店時刻から一時間が経過した。
いつものように幸助はカウンターに腰かけて、客のふりをしている。
向かいには不安げな表情を浮かべたカレンが立っている。
「まだ時間が早いですからね、こんなものですよ」
「ならいいんだけど……」
更に時間は経過した。
結局、この日の来店客は三組だった。これではいつもと変わりない。
翌日以降に期待をしたのだが、次の日も、そのまた次の日も状況は変わらなかった。
◇
リニューアルオープンから二週間が経過した。
アイスエールは多少の集客効果があった。
だが残念なことに、来店客数は増えるどころか減ってしまった。
今までは雑多なメニューの中でも、王都では珍しい庶民的なメニューがよく売れていた。
それを廃止してしまったため、その料理目当てで来てくれた客を失ってしまったのだ。
もちろん、せっかく用意した顧客データベースは全く役に立っていない。
その客たちの食べたいものは無くなってしまったのだから。
そんなさなか、事件が起きた。
バタンッ!
開店準備真っ最中の店内に勢いよくドアが開く音が響く。
そこから尻尾を振り乱したカレンが駆け込んできた。
「大変だ! アイスエールがあっちの店でも出されてたよ。しかも半額で!!」
「えっ!?」
あっちの店とは、向かいにある大型商業施設に入っているレストランのことだ。
この界隈は競合店が多い。
その中でも向かいの大型商業施設は強力なライバルとなっている。
大きな建物内に数多くの店舗が入っており、王都では人気のスポットとなっている。
「すぐに真似されるとは思っていたけど、ここまで早いなんて……」
料理はおいしい。ただ、料理長のアレンジは加わっているものの王都ではオーソドックスな料理のため、集客の目玉とはなりにくい。
記念日を大切にするといっても、店に対して信頼がなければそんな大切な日に客は来てくれない。
頭を抱える幸助。
「コースケ、やっぱり手遅れだったんだよ」
「いや、何かまだ方法はあるはずです……」
「じゃぁ、何ができるの!」
ダンッとテーブルを叩く音が静かな店内に響く。
従業員たちの視線が幸助とカレンへ注がれる。
「……」
「もういい……。もういいんだよ……。今までありがと……コースケ」
言葉を返すことができない幸助。
何か方法はあるはずとは言ったものの、何もアイディアは浮かんでこない。
できることはやったはずだ。
それなのに状況は全く好転しなかった。
この日初めて「失敗」という文字が幸助の頭をよぎる。




