6.カルボナーラ大作戦
「ほらよ」
アロルドが一枚の紙を幸助の前へ置く。
今日は五月五日。日本であれば子供の日であるがここは異国、いや異世界。ごく普通の平日である。
従ってアロルドのパスタ亭も営業日である。
しかし今は店内には三人しかいない。もちろん幸助とサラ、アロルドである。
時刻は午後三時。いつものミーティングタイムである。
「確認しますね」
幸助はその紙を手に取り、細かく書き込まれた数字に目を通す。
これは幸助が関わってから初めてできた四月の帳簿である。
仕入は前月より少し増えた程度だが、売上はかなり伸びている。
「あと少しで黒字ですね」
「ああ。母ちゃんが感心しきりだったよ。この変化の大きさによ」
「黒字になったら新しいワンピース買ってもらえるんだ!」
「よかったじゃないか、サラ」
「うん!」
一番大きな問題であった「肉」は夜の看板メニューであるハンバーグとなり、稼ぎ頭へと変貌した。
このままの来店客を維持できれば、特に手を打たなくても今月で黒字達成は確実であろう。
二人の表情も幸助と出会った頃より柔らかくなったようだ。
「でだな、今日は帳簿を見てもらうだけじゃなく、コースケに相談がある」
「はい、何ですか?」
「ウチはパスタレストランってのはもちろん知ってるよな」
「はい」
「でだな、そのパスタレストランの稼ぎ頭がハンバーグってのが腑に落ち無くてな」
生粋の職人であるアロルドは拘りが強い。その拘りは店舗の外装にも表れているが店名もそうだ。
『アロルドのパスタ亭』である以上、アロルドの中ではパスタが稼ぎ頭でなければならない。
そこは理屈ではなかった。
時には悪となる偏った拘りも、見方を変えれば店舗を特徴づける最強の武器になりえる。
だから幸助はそこに突っ込みを入れようとはしなかった。
「で、コースケ。お前に相談したいことなんだが」
「新しいパスタのアイディアですか?」
「あ、ああ、そうだ」
「新しいメニューを増やすというのはお客さんの選択肢が増えるし飽きにくくなるから、いいことだと思いますよ」
「だろ。トマトベース以外に何かあってもいいと思ってな。コースケならハンバーグみたいに俺らの知らない味を知ってると思って」
「ええ、知ってます。ただ……」
「なんだ?」
「メニューを増やすと新しい食材の在庫が増えます。それが気になったんです。肉みたいに売れずに腐って廃棄ってなると、また利益が減っちゃいますからね」
「その辺は俺の技術で美味く作ってやるから問題ない」
「はあ、そうですか。では……」
まだメニューを増やすべきタイミングではないと幸助は感じている。
資金に余裕がない今、開発に失敗して経費倒れになるとダメージが大きいからだ。
ただ、この世界に来て食べられなくなった「あの味」を食べたいとも思ってたことも事実。
(アロルドさんならきっとあの味を再現してくれるはず。今こそ僕の欲求を出すべきタイミングかもしれない)
アロルドへ視線を向ける幸助。
と同時にガタッと立ち上がり、アロルドをビシッと指で指す。
そして己の欲望をぶちまける。
「僕は今、カルボナーラが猛烈に食べたいです!」
「お前の食べたいものは聞いてない!」
「それはどんなパスタなの?」
アロルドがすかさず突っ込みを入れ、サラが助け舟を出す。
「クリームベースのパスタ。サラもきっと気に入ると思うよ」
「そうなんだ。ほんと色々知ってるんだね。さすがコースケさん!」
(おお、サラの中で俺の株価上昇は留まることを知らないようだ)
「それで。クリームベースのパスタなんて見たことないぞ。どうやって作るんだ?」
マールの店ではクリームシチューが提供されていたが、保存手段の少ないこの世界では市場で牛乳が流通することはほとんどない。
幸助も今まで見かけた乳製品はチーズとバターくらいである。
再び席にかけなおすと説明を再開する。
「材料ですが、生クリームとチーズ、卵、ニンニク、ベーコン、塩といったとこでしょうか。ドロっとしてパスタにねっとり絡むイメージです」
「相変わらず抽象的な説明だな。で、生クリームってのは何だ?」
(やっぱりそこ来たか! 全然わからないよ)
「脂肪分が濃くなった牛の乳……じゃないでしょうか」
「そりゃまた大雑把な」
「牛の乳からできていることは確実です。アロルドさんは、どこか仕入先の心当たりはありませんか? 取り扱ってる人なら知ってるかもしれません」
「いや……、無い。ただ、街の西門から街の外に出るとすぐに酪農家が何件かあるぞ」
アヴィーラ伯爵領は魔物除けのため高さ二メートルほどの外壁に囲われている。といっても普段魔物はそれぞれの生息域にいるのでほとんど襲ってこないが。
出入りするためには東西と南にある門を通らなければならない。
東門を出るとその先には穀倉地帯が広がり、西門を出ると小規模な酪農家が点在する。
「コースケさん、じゃあ明日一緒にそこに行ってみましょ!」
「うん、そうしよう」
「明日の給仕はお母さんにお願いしておくね!」
「ちょ、またお前らだけで勝手に決めやがって」
「お父さんは朝から仕込みで忙しいもんねっ」
「ぐぬぅ」
◇
翌日の朝。
晴れる日が多いこの地方の春にしては珍しく、空には雲が広がっている。
どんよりとした空は今にも泣きだしそうである。
幸助とサラは今、東西の通りを定期的に往復している乗合馬車に揺られている。
「いてて……。やっぱり慣れないなぁ」
街の外れまで行くため、移動手段に選択したのだった。
日本でいうところの路線バスみたいなもので価格も銅貨五枚と安く、市民の大切な足となっている。
十二人乗りの座席は満席である。
「コースケさん、あと少し。我慢してね」
「がんばるよ、サラお母さん」
「お母さんじゃないもん!」
「あはは、冗談だよ。何か言い方が母親みたいだったからさ」
「もう、コースケさんったら」
頬を膨らまして怒る仕草をするサラ。
プンスカという音が聞こえてきそうである。
揺られること三十分。二人は街の西門へ到着した。
「ふぅ、ようやく着いたよ」
「お疲れ様。コースケさん」
「それで、門の外を出たらすぐに見えるってアロルドさんは言ってたけど」
「うん。こっちだね!」
そう言うとサラは幸助の手を取り走り出すと、そのまま門を越える。
槍を手にした門番が二人いるが、一人ずつチェックを行うということはしていない。
門の先には一本の街道が走り、左右にはなだらかな丘が広がっている。
街道を外れてゆるやかな丘を登ったところで二人は立ち止った。
「ここだね!」
「おぉ! すごい」
二人の目の前には新緑を過ぎ濃厚な緑色となった広大な牧草地が広がっている。
間隔の粗い柵の向こうにまばらにいる牛が、マイペースに足元の草を食んでいる。
その牛たちはホルスタインのように白黒模様ではなく、茶褐色の毛並である。
柵沿いにもう少し先に行ったところに小屋のようなものが建っている。幸助はその建物を指さす。
「あそこに人がいるんじゃないかな」
「うん。行ってみよ!」
二人は五分ほど歩くと小屋の前に着いた。
看板は無いが建物の中では牛の世話をしている四十過ぎと思われる男性がいた。
搾乳された牛乳を入れておく入れ物であろうか、木でできた樽が無造作に並んでいる。
「すみません!」
呼び掛けると男性はその声に気付いたようで世話をしている手を止め、幸助へ目をやる。
「何か用か?」
「はい。ちょっと伺いたいことがあります」
男性は幸助へと近づく。
「何だ? ここはお前らみたいなガキの来るとこじゃねえよ。俺は忙しいんだ」
「すいません、すぐ済みますので」
「ならさっさとしてくれ」
取っつきにくいなと思いつつ幸助は続ける。
「ええと、生クリームという牛の乳を加工したものを探しているのですが、ご存知ですか?」
「そんなもの知らんな」
「では、牛の乳をレストランに卸して頂けるところを探してるんですが」
「あん? 売り先なんてみんな決まってるんだ。ウチだけじゃなくて他の牧場もな。帰った、帰った」
シッシと手を振るとまた自分の仕事へ戻ってしまった。
「そこを何とか」
「うるさい!」
「……」
「コースケさん、もう行こ」
続いて隣の牧場も訪れてみたのだが、結果は変わらずであった。
もともと牛乳の需要が少なく生産量はそれに合わせて少ないため、売り先はすべて決まっているとのことだった。
結局何一つ得ることができずとぼとぼと元来た道を戻る二人。
気落ちしたサラを励ますように幸助は切り出す。
「まだ酪農家は他にもあるからさ。ちゃんと作戦を考えて違うところを探してみよう」
「うん……」
次の言葉が続かなかった。
朝よりも黒に近くなった空から、ポツポツと涙のような雨粒が滴り落ちてきた。
用意していた雨用の外套を羽織る。
「今日は帰ろう」
「うん……」
そして二人とも無言で歩く。
外套をたたく雨だけが空しく音を立てていた。
パシパシと幌をたたく雨の音が響く帰りの馬車の中。ここでも二人は無言のままだった。雨に濡れた体が冷える。
やることも無いので幸助はぼんやりと外を眺める。
雨に濡れた街にいつもの賑わいは無い。
薄暗く、色彩のない景色だけが流れていく。
しばらくそのような景色を眺めていると、幸助の眼に見たことのある店が飛び込んできた。
その瞬間、幸助の頭の中に一筋の光が差し込んだ。
「しまった! 僕としたことが、何でこんなこと忘れてたんだ!」
「うん? どうしたの、コースケさん」
「マールさんに仕入先を紹介してもらえないかな。サラなら付き合いも長いし、教えてくれるんじゃないかな? 紹介だとかなり話が通りやすくなるよ」
「それいいかも!」
幸助は日本での仕事で、紹介の重要性をひしひしと感じていた。
紹介というきっかけが一つあるだけで、普段会えない社長に会えたり二つ返事で取引をしてもらったこともある。
だが紹介する側は、する方される方双方に対して責任を持たなければならないので、そう簡単に紹介してはいけない。
下手な人を紹介して逆恨みを買われてしまうと目も当てられないからだ。
早速二人は馬車を降り、マールの店へ行く。
いつでも停まってくれる乗合馬車は便利である。
ドアを開けるとチリンチリンと鈴の音がする。
ランチタイムより少し早いせいか雨のせいかは分からないが、店内に客はいない。
程なくしてエプロン姿のマールがやって来た。
「なんだいサラとこの前のお兄さんか。こんな雨の日にどうしたんだい?」
「マールさん。今日はお願いがあってお店に来たの」サラが答える。
「なんだい? サラは妹みたいなもんだ。できることなら聞いてやるよ」
そう言うとマールは席へ二人を案内する。
幸助とサラが隣に並び、サラの向かいにマールが座る。
「マールさんのクリームシチューは牛の乳を使ってるよね?」
「うん、そうだけど。それがどうかしたの?」
「仕入先を紹介しほしいの! 実はお父さんが牛の乳を使ったパスタを作りたいって言ってて」
「そうか……。いいよ、教えてあげる」
えっ、という顔をするサラ。
そんなに簡単に教えてもらえるとは思っていなかったのだ。
ただしと言いながらマールは続ける。
「紹介はするけど仕入れられるかは分からないよ。一応私からもお願いの手紙は書いてあげるけど、生産量自体が限られてるからね」
「いえ、それだけでも助かるよ。ありがとうマールさん!」
「ありがとうございます」幸助もサラに続く。
その後マールのシチューを食べ身も心も温まった後、アロルドの店へ戻った。
そのまま紹介してもらった牧場へ行こうか少し悩んだが、急いでるわけでもないので天気のいい日に改めようということになったのだ。
そして三日後。
アロルドの店は定休日である。天気も上々。
西へ向かう馬車の中にはサラと幸助、そしてアロルドもいる。
「なんでお父さんもついてくるの」
サラは少しだけ機嫌が斜めである。
「新メニューの胆となる食材の買い付けだ。お前たちだけに任せてはおけん」
「とか言ってホントのところはどうなの」
「だからお前たちだけに任せてはおけんと言ったろ!」
「まあまあ、二人とも」
「「コースケ(さん)はどっちの味方なんだ(なの)!」」サラとアロルドがハモる。
「今日は天気がいいなぁ」わざとらしく外を見る幸助。
店のためとはいえサラが幸助と二人きりになる時間が増えるというのは、父親として許せなかったようだ。
西門に着くと前回訪れた牧場を横目にさらに先へ足を進める。
一時間くらい歩くと、白に塗られた倉庫のような建物が見えてきた。
「あ、あの建物だね!」
「うん。間違いない。マールさんの行ってた通り白い建物だ」
建物の入り口に着くと、扉には「御用の方は中に入り呼び鈴を鳴らしてください」と書かれたプレートが掲げられていた。
「こういうの親切だよねっ、コースケさん」
「うん。確かに」
中に入ると、木目のきれいなカウンターが三人を出迎える。
カウンターに置いてある鈴をカランカランと鳴らすと、一人の女性がやって来た。
「こんにちは。どのようなご用でしょうか?」
「こんにちは! えっと、マールさんに紹介していただいたサラと言います。牛の乳のことで少し相談がありまして」
「あら、マールさんの。ちょっとお待ちくださいね。主人を呼んで参りますので」
そう言い残し奥へと消えていった。
待つこと五分。恰幅のいいオーバーオールを着た男性がやってきた。
「お待たせしました。牧場主のカウサンです。マールさんのご紹介と言うことですが」
「はい! 手紙を預かってきましたので、まずは見ていただいていいですか?」
「では皆さん、こちらへどうぞ」
そう言われて三人は応接室に通され、ソファーへ腰を掛ける。
カウサンはふむふむと手紙を読む。
程なくして読み終わると顔を上げ、サラへ視線を向ける。
「なるほどですね。恐らく生クリームというのはバターを作る途中の状態の乳のことだと思います」
「そうなんですか」
「はい。しかしどこも生産量が限られておりまして……」
カウサンがそう言い淀むと、やっぱりダメかとサラの眼が少し曇る。
「ただ」
「ただ?」
「チーズの生産が過剰気味になっていたので、その分をお回しすることはできるかもしれません」
「ほんとですか!?」サラがテーブルに身を乗り出してカウサンに聞く。
「え、ええ」ちょっとひきつった顔をするカウサン。
「あと、チーズも必要なんです」
「そちらについては問題ありません。ウチのは二年熟成で美味しいですよ」
その後、生クリームとチーズをサンプルに少しだけ分けてもらい、店へ戻ることとなった。
幸助とサラの顔は今日の天気のように晴れやかだ。
そしてここまで一言も発していないアロルドは完全なオマケ状態だ。
「マールさんに感謝だね! 今度報告しなきゃ」
「うん。そうしよう。あ、アロルドさん。カルボナーラはチーズの味が濃厚なのが僕の好みです。完成楽しみにしてますね!」
「お前また完全に丸投げしやがったな」
「僕の専門分野はあくまでも経営ですので。あ、言うの忘れてましたが黒コショウも最後に散らしてくださいね」
「えっ、お前高級品だぞ、黒コショウ」
もう次の出番は試食の時ですねと言い残し、街の西門へ向かう。
「おいしいカルボナーラ、楽しみにしてるね!」
「おいっ、サラまで……」
カルボナーラが完成したのは、それから二週間後のことである。