6.ブランディング
コンコン。
部屋をノックする音と共に、サラを呼ぶ幸助の声が聞こえてきた。
(コースケさんだ。どうしよ、今日こそ出なきゃ!)
幸助と言い合いになってから何日も経つ。
当初こそやり場のない気持ちで心が満たされていたが、今は後悔ばかりが残っている。
幸助に対してバカと言ってしまったことを謝りたい。
あの日の態度は寂しさの裏返しだったと言い訳したい。
できることならばあの直前に戻りたい……。
幸助は毎日来てくれている。
今日こそは出よう。そして謝ろう。
気ばかりは焦るが、体が動かないサラ。
(でも、今更……どうやって……)
間違いなく自分が原因だ。
疲れていた幸助のことを全く考えず、あんな言葉を言ってしまったのだから。
しかもサラは商売でいえば見習いの立場だ。
近すぎて感覚がずれていたが、幸助はコンサルティングの師匠でもある。
それなのにあんな態度を取ってしまった。
幸助だって怒っているかもしれない。
いや、あの日は確実に怒っていた。
普段は温厚な幸助。サラに対して怒ったことなど一度もなかった。
ドアを開けないといけないという理性を体が阻止する。
そうこうしているうちに足音が遠ざかる音がサラの耳に入る。
幸助は立ち去ってしまったようだ。
(はぁ、今日も仲直りできなかった……。本当にどうしたらいいんだろう)
普段であれば相談相手にもなってくれる母親もいない。
サラはベッドに仰向けになったまま、無機質な天井をぼうっと見つめる。
◇
河川敷で偽魔石の実験を行った翌日。
幸助は晴れない気持ちを引きずりつつも、今後の話をするため再び魔道具店を訪れる。
店に入ると、店内の雰囲気が明るくなっていると感じる幸助。
ぐるっと見渡してみるが、内装など昨日と変わったところは特にない。
そんな幸助の姿に気付いたアリシアが、幸助の下へやって来る。
「コースケさん、こんにちは」
「こんにちは。アリシアさん……。あっ、夏服に衣替えしたんですね」
青を基調とした従業員たちの制服が、夏服になっているのに気付く幸助。
紺髪のアリシアには、相変わらずよく似合うデザインだ。
「はい。もうすぐで夏ですからね」
「アリシアさん、よく似合ってますよ」
「うふふ。ありがとうございます」
そう言うとクルッとひと回りして見せるアリシア。
フワッとスカートの裾が広がる。
激しい競争を勝ち抜いて射止めた魔道具店の店長という仕事。
一時はクビになるどころか、魔道具店が潰れてしまうことすら考えていたアリシア。
問題解決の進展に伴い、心も軽くなっているようだ。
店内にはニーナもいた。
ちなみにニーナはというと、相変わらずヨレヨレの白衣である。
だが、それが似合っていると感じる幸助であった。
「ニーナさん、掲示板の件はどうでした?」
「大丈夫だよ。明日までにはコンロは安全ってことと、偽魔石に注意って記事が貼り出されるよ」
掲示板へ貼り出すだけでは情報の伝達は不十分かもしれない。
だが、王都ではこれが一番強力な情報の周知方法と聞いている幸助は、ホッと胸をなでおろす。
「これで今回の事故は一応解決ですね」
「ようやく日常が戻って来るのですね」
事故の発生以来、アリシアたちはこれまでにないほど忙しく、辛い時間を過ごしてきた。
発生直後は、不安に駆られた客たちが怒涛の如く押し寄せて来た。
今でも毎日数名は訪れて来る。
その度に「使用は控えるように」と伝えることしかできなかった。
「ウチのは大丈夫なのか」「いつから使えるか」といった質問にも答えることができなかったのだ。
だがそれも昨日まで。
市民の中にくすぶる、魔道具そのものに対する不安感をすぐに払拭することはできないかもしれない。
それでも、「ウチの魔道コンロと魔石は安全です」と胸を張って言うことができる。
これは大きな進展だ。
だが、事故により明るみになった問題は、これで完全な解決とは言えない。
先ほど幸助は「今回の事故は一応解決」と言った。
それは即ち、また同様の事故が起こる可能性があるということだ。
幸助は真剣な表情になると、二人へその話題を切り出す。
「ニーナさん、アリシアさん」
「うん? 何だい」
「どうされたのですか、コースケさん?」
二人は改まった幸助の様子に不思議そうな顔を浮かべ、訊き返す。
「事故の件はこれで一応解決です。ですが、今後もまた偽魔石が流通する可能性があります。今回よりも巧妙に、色まで同じものが出回れれば、市民の方々には判別がつきません。更には、魔石に限らず見た目そっくりな偽コンロ本体が出てこないとも限りません」
そもそもの原因は、隣国フレン王国から偽魔石が流入したことだ。
この根本的な問題を解決せねば、将来また事故は発生してしまうであろう。
幸助の言葉にアリシアの顔は固くなり、ニーナは不敵な笑みを浮かべる。
「確かに……そうですね」
「フフッ、その可能性はあるね。魔石の色なんて、採掘する場所で変わるから」
「だからこれから、この根本的な問題を解消するためのミーティングをしませんか?」
「もちろん」
三人はテーブルに着く。
従業員が「冷たいうちにどうぞ」とお茶を持ってきてくれた。
カップの表面に細かな水滴がついている。
見るからに冷たそうだ。
幸助は早速カップを手にすると、喉へ流し込む。
「すごく冷えてますね!」
「コンロみたいに出力を調整できるように改良したんだ。出力を高めれば氷だって作ることもできるのだよ。フフフフッ」
ニーナの眼鏡がキラリと光る。
魔道具は日々進化し続けているようだ。
一刻も早くこの便利な魔道具も販売したいものである。
「では始めましょうか。今回の問題は、隣国から偽魔石が入ってきたこと。そしてその魔石が使えてしまったことが原因です」
「術式はお粗末なものだったがね」
幸助の言葉にニーナはすかさず突っ込みを入れる。
そもそも他の魔石で動いてしまったということが、技術者として許せないようだ。
センスのかけらもないなどとブツブツ文句を続けるニーナを無視し、幸助は続ける。
「あとは、魔石が安かったということと、魔道具店が遠いため市場で買わざるを得なかったという事情もありました。そのあたりを踏まえて、今後の改善策を練る必要があります」
幸助の言葉にアリシアはあごに人差し指を当て、何かを考えているようだ。
ニーナは相変わらずブツブツと何か言っている。
幸助自身もアイディアを考えつつ、二人のどちらかが発言するのを待つ。
数秒後、最初に口を開いたのはアリシアだ。
ニーナに視線を向けると質問をする。
「ニーナさん。術式をもっと高度にして、今度こそ真似されないようにすることは可能でしょうか?」
「…………」
「ニーナさーん」
ニーナからは何の反応もない。
完全に自分の世界に入ってしまっているようだ。
腕を組み、遠い目をしている。
困った表情を浮かべるアリシア。
必死に視線を送るが気づいてもらうことはできない。
見かねた幸助がニーナの目の前で手を上下に振ると、ようやくそれに気づき幸助へ視線を向ける。
「うん、何だい?」
「アリシアさんから、魔石の術式をもっと複雑にできないかという質問がありました」
「フフフフッ。ちょうどそのことを考えていたよ。もちろん今よりも高度に、そしてより複雑な術式を組み込むことは可能だよ」
ニーナの言葉にアリシアの表情はパッと明るくなる。
術式を複雑にし、今以上に真似されにくくすることはできるようだ。
「ニーナさん、複雑にすることで魔石の加工時間は変わりますか?」
「そうだねぇ。今の倍くらい加工時間はかかるかな」
「ということは、販売価格も高くなりそうですね。それではコンロの大きな魅力の一つが無くなってしまいます……」
製造コストが高くなるということは、客が使用するランニングコストも上がってしまう。
コンロの魅力の一つは、薪とほとんど変わらないランニングコストだ。
下がるならともかく、上がる可能性があるならばそれは避けたい。
「しかも今の術式が曲がりなりにも真似できたということは、いたちごっこに陥る可能性もありますし……」
「それは確かに可能性がありそうですね」
「うっ……。今度こそは……。今度こそは……」
術式を特許で守ることもできない。
今の術式を真似できたのだから、新しい術式も真似される可能性が高い。
ニーナは悔しそうな顔をしているが、現実はそうだ。
まだミーティングは始まったばかり。
他に良いアイディアが出るかもしれない。
そう思った幸助は一旦この案は保留にして、自分の考えたアイディアを提案する。
「コンロに安全装置をつけることは可能ですか? 偽魔石を検知して異常があれば停止するような仕組みです」
「それは無理だね。魔力はちゃんと流れてるから異常は検知できないし、そもそも爆発したのは出来の悪い魔石そのものだよ」
「そうですか……」
ニーナにあっさりとアイディアを否定され、無言になる幸助。
確かに爆発したのは魔石であってコンロではない。
ニーナでも無理と言うならば検知はできないのであろう。
それからもいろいろとアイディアは出るのだが、有効なものは出てこなかった。
領主権限で偽物を取り締まるというアイディアは、王都では効力を発揮できないのでボツ。
最初から大量の魔石を内蔵し、交換は魔道具店でないとできないというのは不便すぎてボツ。
魔石を使わず使用者本人の魔力を注ぎ込むのは、現実的でないのでボツ。
魔石でなく幸助になじみ深いガスコンロにするのもボツ。
ボツになったアイディアばかりが山のように積み重なる。
「はぁ、なかなか良いアイディアは出てきませんね……」
ミーティングを始めてから二時間が経過した。
ぬるくなったお茶を流し込むと、幸助は大きなため息をつく。
モヤモヤした頭の働きがイマイチのようで、良いアイディアが浮かんでこない。
技術的な解決をすればコストがかかり、運用面での解決は実現の可能性が低いことばかり。
対策を実行したとしても、いずれも完全に偽魔石の使用を防止することはできない。
(困ったなぁ。今後よその魔道具で事故が起きても、アヴィーラの魔道具は安全って示したいし。もっと決定的な何かが欲しいよなぁ。コストがかからず、なおかつ強力な効果のある何かが……。あ)
ここで幸助はあることに気付く。
ブランドだ。
家電などの各メーカーはもちろんのこと、日本という国にも強力なブランド力があった。
日本製といえば高品質という言葉がすぐに結びつくくらい強いものだ。
ここ数日固まっていた幸助の脳みそが俄かに活性化する。
もしかしたらこれで一気に解決できるかもしれない。
この世界ならではの強力なブランドを構築できる可能性がある。
そう思った幸助は声を上げる。
「これだ!」
「どうしたんだい?」
「もしも可能でしたら……ですが、領主であり事業主でもあるアヴィーラ伯爵家の紋章を、魔石と魔道具本体に刻むことは可能でしょうか?」
鷲をモチーフにデザインされたアヴィーラ家の紋章。
幸助のアイディアは、それをアヴィーラ製の魔道具および魔石のすべてに刻み込むというものだ。
「それは領主様に聞いてみないと分からないが、そんなの意味があるのかい?」
「はい。大きな意味があります」
アヴィーラ伯爵は相当の資金と労力を投入し、事業を軌道に乗せた。
しかも日本でのコンサルティング知識を持っている幸助の力を借りて、ようやくである。
だから魔道具事業は新規参入障壁が高い事業といえよう。
だが、成功事例は公然の事実となっている。
旧来のコンロを細々と個人で造っている職人はいる。
間違いなく追従者は出てくるはずだ。
そうなるとやはり今のうちに第一人者として、「高品質」「最先端」「安全」といったブランドイメージを構築しておくのが良い。
ブランド力が高まれば多少高くても売れるし、「アヴィーラ印だから」ということが購入動機にも繋がる。
ブランドはもともと、牧場で自分の所有する家畜を見分けるため押した焼印が始まりと言われている。
今回提案したのはそれに近い原始的なブランディングだが、それだけでも効果は大きいと幸助は考える。
何故なら、そこにこの世界ならではの理由が隠されているからだ。
「貴族の紋章を勝手に使ったら、牢屋送りは確実ですよね?」
その瞬間、ニーナとアリシアの表情は一変する。
この世界での貴族の紋章の扱いは重い。
伯爵家のものを勝手に使おうものならば重罪は免れない。
だからこそアヴィーラ家の紋章入りの魔道具は絶対に真似できないことになる。
だが、それを商品に使うなど前代未聞だ。
この世界の慣例にとらわれない幸助だからこそ発想できたといえよう。
「フフフッ、相変わらず面白いことを考えるね」
「貴族様の紋章を製品に刻むだなんて、誰も思いつきませんよ」
「ありがとうございます。欲を言うならば、術式そのものが紋章の形になりませんか? そうすれば術式も絶対に真似できないですよね。あ、もちろん製造コストは据え置きで」
明るい場所で魔石を見ると、表面ではなく少し奥に術式の文様が見て取れる。
どうやって加工しているのか分からないのだが、その文様自体が術式になれば完全に真似は不可能だ。
「伝統ある紋章を簡単に使わせてくれるとは思えないが、早速領主様に掛け合って実現してみせようじゃないか。フフフフフッ」
「では方針も決まりましたし、今日はこんなところですね」
片づけて宿へ帰ろう。幸助がそう思った時、アリシアが徐に幸助へ質問する。
「そういえばコースケさん……」
「どうしました?」
「サラさんを最近お見かけしませんが、お元気ですか?」
「あ、サラはですね、元気だと思うんですが……いろいろありまして」
言い淀む幸助。
まだサラとの関係は修復できていない。
それを察したのか、ニーナが会話に割り込む。
「フフッ、ここ最近様子が変だったし、ケンカでもしちゃったのかい?」
「ご、ご名答です……」
「原因は何だったんだい?」
よかったら聞こうじゃないかとニーナは続ける。
幸助は一瞬とまどったものの、話せば少しは気がまぎれるかと思いニーナへざっと経緯を話す。
「フフッ、それは少しだけ責任を感じるね」
「いや、ニーナさんは全然悪くないですから……」
「あのね、良い物があるよ」
「良い物って何ですか?」
そう言うとニーナは自分のカバンから小さな箱を取り出す。
お洒落な彫刻が施された木の箱だ。
「王都で行列のできる人気店のクッキー。おいしいよ」
「……?」
きょとんとする幸助に対し、ニーナは更に続ける。
「フフッ。これ、あげるから、これで仲直りしなよ」
「あっ、そういうことですか。ありがとうございます!」




