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5.選ばれる理由

 時はしばらく経つ。

 日に日に太陽が高くなり、葉を落とした木々からは新芽が顔を覗かせている。

 ポカポカ陽気の午後、幸助は『アロルドのパスタ亭』を訪れる。

 待ちに待ったボンゴレが完成したと聞いたからだ。


 ギィ。

 ドアを開けると光が店内に差し込む。

 ランチタイムが終わる直前だ。

 客席には誰もいない。

 幸助に気付いたサラがパタパタと駆け寄って来る。


「コースケさん、いらっしゃい!」

「お、サラ。今日も元気だね」

「うん! 新作、すっごく美味しかったから」

「へぇ、楽しみだなぁ」

「今から用意するから待っててね」


 そう言葉を交わすと幸助はお気に入りの席へ座る。

 小さな窓から外が見える席だ。


 道を行き交う人々の装いは日を追うごとに軽くなっていく。

 足元を見ると、服に合わせて明るい色の靴を履いている人もちらほら見かける。

 もちろん、アラノの店で扱っているような革靴を履いている人も多いのだが。


(みんなどの店で買ってるのかなぁ……って、ほとんど安売り店二店舗で間違いないんだろうなぁ)


 アラノの話によると、この街には本当に靴屋通り以外に靴屋は存在しないそうだ。

 例外として、貴族の屋敷に出入りする商人などが他の街から買い付けてくる場合はあるそう。


(これだけの人数を賄ってるんだから生産力も相当なものだよなぁ。やっぱり真っ向から勝負するのは無理か。はぁ、本当にどうしたらいいんだろう……)


 安売り店といっても価格が安いだけではない。

 店の面積にふさわしい豊富な品揃えも魅力的である。

 もちろんアラノの店に置いてある靴と似たようなものも陳列されている。


「コースケさん、お待たせ!」


 待つこと十数分。

 サラの声で幸助は思考の世界から戻る。


 目の前には皿が二つ置かれている。

 一つはこの店では見慣れた真っ赤なパスタ。

 もう一つは色のついていないパスタだ。皿には白く濁ったスープが薄く張っている。

 どちらも幸助が土産で持ってきた貝が乗っている。ボンゴレに間違いなさそうだ。


「へぇ、二種類作ったんだ。どっちも美味しそうだね」

「うん! 美味しいからゆっくり食べてね」

「いただきます」


 まず幸助が手に取ったのは白いボンゴレだ。

 ツルツル滑るパスタにできるだけスープが絡むようフォークへ巻き、口へ運ぶ。

 その途端、濃縮された貝の旨みが口に広がる。


「これだよ、これ! 間違いなくボンゴレだ!」


 懐かしい味に幸助は頬を緩める。

 友人の店の味とは違うが、これもまた美味い。

 二口、三口食べると次は赤いボンゴレにターゲットを切り替える。

 いつものトマトバジルパスタに貝が追加されたように見える。

 期待を胸にフォークに取ると、口へ送り込む。


「うーん、この抜群の安定感」


 トマトの酸味と海鮮の香り。絶妙なマッチング具合だ。

 やはりアロルドの作るトマトソースは絶品である。


 幸助の手と口は休むことなく動き続ける。

 あっという間に平らげた時、厨房からアロルドがやって来る。

 見習いのマルコも一緒だ。

 それぞれ自身のまかないであろう料理を手にしている。

 アロルドは幸助の正面にどかっと座ると口を開く。


「コースケ、どっちが美味かったか?」

「どちらも美味しかったですよ?」

「だから、どっちが美味かったかって聞いてんだよ」


 正直どちらも美味しいと感じていた幸助。

 甲乙はつけがたい。

 しかし、当初幸助がリクエストしたのは白い方だ。

 スープがわずかに残った皿を指差し、幸助は答える。


「うーん、強いて言えば白い方ですね……。僕のリクエストそのものでしたから」


 その瞬間、アロルドの顔が鬼の形相に変化する。


「なんだ、お前! 俺のトマトソースよりもこっちの方が美味いって言うのか!」


 アロルドの声量にビクッとなる幸助。

 オロオロするマルコ。

 やれやれという顔をするサラ。


「あのね、白い方はマルコ君が作ったんだ」

「いや、アドバイスを頂きながらですから、僕だけで作ったわけでは……」

「そういうことでしたか……。アロルドさん。トマトソースはもう美味しすぎて僕の中では良し悪しをつける範囲外なんです」

「何か白々しいぞ」

「どちらも美味しかったことに間違いはありませんから。新メニュー入り決定ですね!」


 そう言うと幸助はガタッと立ち上がり、一目散にドアへ向かう。

 試食と聞いていたから代金は要らないはず。食い逃げにはならないであろう。


「では、ごちそうさまでしたー」

「ちょ、お前、待て!」

「あ、コースケさん!」

「サラ、また来るねー」



   ◇



 それから数日後。

 幸助とサラはアラノの店を訪れる。


 店内には新たにテーブルと椅子四脚が設置された。

 ガラガラの棚を放置しておくよりも見栄えが良いだろうと、一部の棚を撤去し設置したものだ。

 今はそこで店主であるアラノと幸助、そしてサラがミーティングをしている。


「アラノさん、その後どうですか?」

「靴は相変わらずだね」


 アラノの靴屋が魔石を取り扱い始めて一ヶ月が経つ。

 店頭には立て看板が。

 そして店内には真っ赤な魔石が陳列されている。


 魔石そのものはぼちぼちと売れ始めた。

 小麦店であるルティアの店でオリーブオイルを販売したときと同様、客は何ら違和感を持たず魔石を購入している。

 近くで買えるようになってよかったわという声も聞こえるほどだ。


 これだけでも閉店時期の先延ばしには貢献してくれている。

 しかし残念ながら靴の販売には貢献していない。


 魔石の陳列場所は店の一番奥だ。

 もちろん、途中の棚にある靴を見てもらうためである。

 だが、全ての人が素通りしてしまう。


 もともと買い替えサイクルの長い商品である。

 さらに競合店と比べると、あまりにもデザインの選択肢が少ない。

 今のところタイミングの問題なのか商品の問題なのか、はたまたフロントエンド商品からバックエンド商品へ繋げるための仕組みが悪いのか、原因は分かっていない。


 だが、幸助は今のところこれでいいと思っている。

 それはまだ、アラノの扱う靴を「誰」へ訴求するか決めていなかったからだ。


「それで、例のアンケートは取れましたか?」


 一ヵ月前、幸助はにアラノに客からアンケートを取るよう依頼していた。

 魔石を買いに来た客ではなく、靴を購入してくれた客が対象だ。


 少ないながらもアラノの店から靴を購入してくれる客はいる。

 それは何らかの理由があるからだ。

 だから「数ある店の中でどうして自分の店から買ってくれているのか」を聞いてもらったのだ。


 安いから。

 おいしいから。

 ここでしか手に入らないから。

 技術力が信頼できるから。

 店主との話が楽しいから。

 バイトの女の子が可愛いから。

 などなど……。

 客の来店動機は様々である。


 この質問をすることで、自分自身が思いもしない店の強みが見つかることがあるのだ。

 その強みを重点的にアピールすることで売上アップにつながる。


 ただしこのアンケートでは、一見強みに見えない意見が挙がる場合もある。

 以前幸助が日本のとある地方都市の店で行ったところ、最も多い回答は「家から近い」ということだった。


 品質や品揃えを工夫している小売店だ。

 もっと違う回答を期待した幸助は脱力感を覚えた記憶がある。


 だがそれも強みであると、一緒にプロジェクトを担当していた先輩から教えられた。

 その店は特定地域に集中して出店するというドミナント戦略を取り入れていたのだ。

 戦略が有効に作用している何よりの裏付けである。


「アンケート、取れたよ。たった五人だけどね」

「五人も回答を得られたんですか。すごいですね」

「そう? 待っててもほとんど来てくれないから、家を知ってるお客さんのところに聞きに行ってきたんだ」


 幸助と出会った当初は、掃除すらできないほど気の抜けていたアラノ。

 客の家へ出向いてまでアンケートを取るとは思ってもいなかった。

 いつの間にかやる気のスイッチが入ったようだ。


「それで、どんな回答が得られましたか?」

「えっとね、大きく分けると三つあって、一つ目は先代からずっと付き合っているから」

「ウチのお店はまだ二年なのに、長く続くのはすごいことですよね!」

「ありがとう、サラちゃん」


 長い付き合いができる客がいるということは大きな強みだ。

 ルティアの経営する小麦店にも先代からの客がついていた。

 お互いの信頼関係が築かれていなければ世代の壁を超えることは難しい。


「二つ目は、オーダーメイドより安いってこと」


 王都の工房では、同じデザインのものをある程度の数量生産している。

 だから一足ずつサイズやデザインが違うオーダーメイドよりは安い。

 ただしここには更に安い店がある。

 これだけでは強みにならない。


「なるほど。それで三つ目はどうでした?」

「三つ目は微妙なんだよね……」

「どんな意見でも参考になりますから、とりあえず教えてください」

「靴を足に合わせてくれる。要するにフィッティングをしてくれるからだって。靴屋だったら当たり前なのに五人全員がそう言ってたよ」


 ここで幸助はふと疑問に思う。

 自身が靴を購入した際、フィッティングをしてもらった経験はない。

 せいぜい数種類のサイズを試し履きをして、足に合う合わないを自分で判断する程度だ。

 この街の安売り店でもフィッティングはしていないと言っていた。


 だが、アラノはそれが当たり前と言っている。

 確かにパロの靴を購入したとき、足の形に合わせるため靴に器具を当てて調整していた。

 あれがフィッティング作業であることは間違いない。

 幸助はそれを確かめるため質問する。


「あっちの安売り店ではフィッティングをしないと言ってましたよ?」

「そりゃ数売らないといけないからフィッティングなんてやってられないだろうね。そもそも調整の利かない靴が多いし。オーダーメイドの靴では当たり前のことだよ」


 確かに受注生産の靴は最初に客の足を計り、そのサイズにピッタリなものを作る。

 それが当たり前なのは分かる。

 だが、アラノの店は違う。


「アラノさんの売ってる靴は既製品ですよね?」

「既製品なんだけど、この王都の工房で作った靴は素材も作りもしっかりしてるんだ。オーダーメイドに匹敵するとは言わないけど、ある程度は調整できるんだよ」


 だからこの工房の靴を取り扱ってるんだとアラノは続ける。


 ここで幸助はパロのことを思い出す。

 パロはアラノの靴を履くようになってから、足の調子が良くなったと言っていた。

 その姿を見て、幸助はフィッティングが強みではないかと薄々感じていた。


 同じように靴が合わなくて悩んでいる人はいるはず。

 アラノの店は、その人たちの救いになる可能性がある。

 予想が確信に変わった幸助は声を上げる。


「これですよ! アラノさんの強みは!」

「えっ、何?」

「オーダーメイドの靴よりも安くフィッティングしてもらえる靴。ここでしか買えない強みです!」

「これでターゲットが決められるね! コースケさん!」


 ターゲットが決まれば、販売方法もより具体的に絞り込める。

 魔道コンロは一般家庭にターゲットを決めたことにより、店頭での実演販売という販売方法を決められた。

 それにより十分と言える成果を出すことができたのだ。


「本当にそれで大丈夫?」

「はい。ターゲットは、足に合う靴が見つからなくて困っているけれど、オーダーメイドは高くて買えない人。これで決まりです」

「ずいぶん絞り込むんだね。そんな人いるのかなぁ?」


 ターゲットが狭くなれば、より明確なプロモーションをすることができる。

 あとは母数の問題である。

 アヴィーラ伯爵領の人口は約五万人だ。

 試してみる価値はある。


「先日僕が連れてきた子、パロもそうだったじゃないですか」

「ああ、確かにあの子は足の形が特殊だったからね」

「他にも同じ悩みを抱えた人がいるはずです」


 幸助とサラは嬉しそうな顔を、アラノはまだ懐疑的な顔をそれぞれ浮かべている。

 自分にとって当たり前のことを突然強みと言われたのだ。

 そうなるのは仕方ない。

 当事者と第三者では同じ事柄でも見え方は異なる。


「そうかなぁ。でもコースケ君がそう言うんだったら……、試してみようかな」

「これで決まりだね!」


 ようやく突破口が見つかりホッとする幸助。

 ふと視線を落とすと自分の靴が視界に入る。

 約一年半、同じ靴を履いている。ほつれや傷なども増えてきた。


 これからの作業は、フィッティングのメリットを知らぬ未来の客へそれを訴求することだ。

 アラノのフィッティングとはどのようなものか。

 それを知るには、客として体感するのが一番である。

 今の靴が合わなくて困っているという訳ではないが、何か得られることはあるはず。

 そう思い幸助はアラノの方を見る。


「どうしたの? コースケ君」

「僕の靴、かなり履き込んでるので、アラノさんの靴を新調しようかなと思いまして。いいですか?」

「もちろん!」


 そう言うとアラノは店の奥から数足の靴と器具を持ってくる。

 パロの時と同様、何度も履いては脱ぎ中敷きを変えたり器具で叩いたりと調整を繰り返す。


「はい、もう一回履いてみて」


 靴ベラを当て、かかとを靴へ滑らす。

 その瞬間、シュッと空気の抜ける音がする。


「ほら。今、シュッて音がしたでしょ。これが足にぴったり合ってる証拠」


 靴ひもを結ぶと幸助は店内を歩きながら感触を確かめる。


「へぇ、確かにしっかりと支えられてる感じがしますね。つま先に余裕があるのに不思議な感じです」

「靴は足の甲とかかとで支えるものだからね。脱いだり履いたりする時は、ちゃんと靴ひもをほどいてからするんだよ」


 靴ひもなど、一度結んだらゆるくなるまで結び直すことなどなかった幸助。

 心の中の面倒くさがり屋が顔を覗かす。


「え、面倒くさいことしないといけないんですね……」

「それも靴を長く使うためだよ。足の健康のためにもね」

「はい、分かりました」

「コースケさん、似合ってるよ!」

「ほんと? ありがとう、サラ」


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