6.ランディが無双したらしい
※水の災害が連想される表現があります。
苦手な方はご注意ください。
ガチャン!
「キャッ」
「サラ! 大丈夫か?」
時刻は夜の営業が終わった後のこと。
『アロルドのパスタ亭』に、皿の割れる音が響く。
「大丈夫。ごめんなさい。お皿、割っちゃって」
「怪我がなきゃそれでいいが、ほんと大丈夫か? 最近気もそぞろだぞ」
「だって……」
幸助が隣町に行くと聞いてから、サラの心の中には常にもやもやとした気持ちが蠢いていた。
それがただ寂しいだけなのか不安なのかは、サラ自身にも分かっていなかった。
だが、今回は違う。
一瞬だが胸を突き刺すような痛みが走った。
幸助が何か危険なことに巻き込まれているのかもしれない。
不安は確信になる。
駆け付けたい衝動に駆られるが、今飛び出したとしてもすぐには到着できない。
今できることはただ一つ。
両手を胸の前で組み、サラは祈る。
(お願い! コースケさんに、何事もありませんように!)
◇
カン! カン! カン! カン!
カン! カン! カン! カン!
雨の夜。
ボルトー子爵領では至る所で鐘の音が鳴り響いている。
「な、何が起こったんだ?」
ベッドから飛び起きると幸助は窓を開け、外を見る。
大粒の雨が吹き込んでくるだけで何も見えない。
すぐに窓を閉める。
「鐘の音?」
ここで幸助は、魔物の脅威が発生した場合に鐘が鳴らされると聞いたことを思い出す。
目の前の現象と事前に聞いていた情報が結びつく。
「てことは魔物? どうしよう、どうしたらいいんだ」
今まで経験したことのない状況に焦る幸助。
気温は低いのに、じわっと手に汗をかく。
ここで焦って変な行動をすれば悪手になりかねない。
そう思い幸助は深呼吸する。
少し落ち着くと、街に到着したときにランディが言っていた言葉を思い出す。
「そういえば鐘の音が聞こえたらとにかく建物から出るなって言ってたな」
相手は水の魔物だ。
水路から離れた建物までは襲ってこない。
それは知っている。
だが不安で頭がおかしくなりそうな幸助。
「落ち着かない。他の部屋に行くくらいはいいよな」
階下に足を運ぶとランディの部屋を訪れる。
途中、廊下で不安そうな顔をした宿泊客と何人もすれ違う。
「ランディーさん。幸助です!」
ドアをノックしながらランディを呼ぶが反応は無い。
ノブに手をかけるが鍵がかかっている。
部屋にはいないようだ。
仕方ないので一階まで降りる。
まだ酒場は営業中であったが、皆一様に不安げな顔をしている。
ざわつく店内の客に向け、従業員が声を張っている。
「絶対に建物から出ないでください! ここは安全です。魔物はここまでは襲ってきません!」
やはり魔物の襲来で間違いないようだ。
魔物は建物まではやってこない。
ランディ、そして現地の人である従業員も同じことを言っている。
やはり部屋でじっとしているしかない。
そう考えた幸助は部屋へ戻る。
部屋に戻るとバスッとベッドへ身を投げる幸助。
もう鐘の音は止んでいた。
窓をたたく雨の音だけが部屋の中を満たしている。
「はぁ、結局一睡もできなかったな」
翌朝。
宿の部屋から外を眺める幸助。
雨は夜半過ぎには上がった。
日の出とともに少しずつ状況が見えてくる。
建物などの町並みはいつもと変わらない。
唯一の違いは、雨でしっとりと濡れていることくらいだ。
次いで視線を水路へ下ろすと幸助は息を飲む。
いつもであれば、日の出とともに船が活動を始め、ゆったりとした雰囲気を醸し出す水路。
しかし、今日は違う。
まるで台風が通り過ぎた後の川のようである。
水は茶色く濁り、至る所に木片やゴミのようなものが浮いている。
船は一艘も見当たらない。
「こりゃ大変なことになったんじゃないか?」
身なりを整えると幸助はいつも通り宿の一階へ向かう。
状況がどうなっているか分からない。
何ができるわけでもないが、一人でいるのも不安なのだ。
長い階段を降り一階につくと、そこで展開されている光景に幸助は拍子抜けする。
朝食が提供されていたのだ。
一部の人は慌ただしく出入りしているものの、光景はほぼいつも通りである。
一気に心が落ち着く幸助。
こんな時でもサービス提供を止めない宿屋に心の中で感謝する。
ぐぅ……。
緊張がほぐれたことで、急に空腹感が幸助を襲う。
これ幸いと朝食を受け取ると、パンをかじりながら他の客の会話に耳を傾ける。
「昨夜は大変だったみたいだな」
「ええ、何でも水路まで来たのは二十年ぶりらしいわよ」
「俺らは運の悪いタイミングに来ちまったんだな」
「でも、水の魔物だから水上にいない限りは安全っていうのは安心よね」
「ああ、そうだな」
観光客同士の会話のようだ。
皆、昨夜起こったことを話している。
話によると魔物はあらかた駆逐されたそうだ。
だが被害状況まではわからない。
自分の眼で確認するため、幸助は手早く朝食を済ませると宿の外へ出る。
「うわぁ、こりゃ酷いなぁ」
改めて水路の状況を見る幸助。
ゴミなどに混ざり、確実に船の破片であろう木片が多数いている。
船の被害は大きそうである。
いつも宿の客待ちをしている場所に船は一艘もない。
もちろん昨日行動を共にした船頭もいない。
そのまま水路沿いを歩く幸助。
歩く場所は念のため一番水路から離れている場所だ。
あらかた駆逐されたと聞いてはいるが、何が起こるか分からない。
所々歩道に置かれている船を避けながら幸助は進む。
鐘の音を聞いて、慌てて陸に上げたのであろう。
時おり頭を抱え込んだ人や呆然と水路を眺める人もいる。
船を失った人かもしれないと幸助は考える。
「あれ?」
しばらく歩くと正面から見知った人影が近づくのに気づく。
装備を身に纏ったランディ達である。
「ランディさん!」
「コースケ! お前は無事だったか」
「ええ、ずっと宿にいましたので」
「まだ魔物が残ってるかもしれないぞ。こんな所で何やってんだ。お前は貧弱なんだから宿でじっとしてろよ」
「は、はい、すいません……」
ランディ達と共に宿へ戻る幸助。
歩きながら昨夜からの出来事を聞く。
ランディ達は鐘の音とともに行動を開始。
騎士団と連携し、数十匹のソードヘッドシャークを仕留めたとのことだ。
本来であれば群れが近寄ってきた場合、即座に水門が閉められる。
そもそも群れができないよう日常的に討伐をしている。
しかし、今回は予想外の事態が発生。
特別大きな個体が、群れを率いて突然襲ってきたのだ。
鋼のような鋭い頭で頑丈な水門を破壊。
結果、群れの一部が水路へ侵入してしまったとのことだ。
特大の魔物が暴れた結果、多くの船が破壊されてしまった。
ただし、死者はいないようだ。
襲来が水路を使用しない夜間だったのが幸いした。
ランディが見聞きした範囲はここまでである。
「ランディさん、大活躍でしたね」
「おう。さすがに超特大のヤツには手こずったがな。とどめは騎士団に持ってかれちまったし」
「その超特大の魔物は肉として流通するのか気になりますね」
「こんな時に何言ってんだ。そんなの研究に回されるに決まってるだろ」
「そ、そうですか……」
少しだけ大トロを期待した幸助は、肩を落とす。
◇
翌日。
領主から安全宣言が出されると、街の人総出で水路の復旧が始まる。
水路の両岸から、壊れず残った船の上から、浮遊するゴミなどを取り除く。
幸助も午前中はその作業に参加する。
しかし水路の幅は十メートルくらいある。
船上からでなければできない作業が多く、午後からの作業は断念した。
(こりゃ失われた船を早めに補充しないと、経済にも影響が出そうだな)
この街では船が輸送の大部分を担っている。
人や物の移動が滞れば、生活に影響が出るのは容易に想像できる。
幸助はこの状況下で、自分自身ができることを考える。
(船といえばウィルゴさんか。今頃修理で忙しいかな?)
水路には全損ではなく一部だけ破損している船も見かけた幸助。
修理すれば使える船も多いはずだ。
造船工房は俄かに忙しくなっているだろうと想像する。
(うん? ウィルゴさんといえば……)
ここであることを思い出す幸助。
ウィルゴの店の奥に所狭しと並べられていたもの。
腕がなまるからと売れもしないのに作り続けていたもの。
そう、カラフルな船たちだ。
「これだ!」
パチンと手をたたきながら声を上げる幸助。
ウィルゴの店にある在庫が役に立つかもしれない。そう考えたのだ。
思いついたら即行動である。
幸助は道順を思い出しながら早足でウィルゴの店へ向かう。
「あら、コースケちゃん。こんな時にどうしたの?」
案の定、ウィルゴと息子のクレトは船の修理に勤しんでいた。
店内には所狭しと破損した船が並べられている。
「ここにある在庫の船について相談があります」
「在庫がどうしたの?」
「この在庫、もう買い手は決まってますか?」
街からは多くの船が失われている。
確実に需要が発生している状況だ。
既に二・三艘くらい売れていても不思議ではない。
「決まってないよ」
「では、売れる見込みはありますか?」
「ダメだと思うな。個人の船頭じゃ、まとまったお金が用意できないからね」
「お金のある貴族は?」
「お貴族様は買わないわよ。もっと豪華な造りじゃないと」
やはり現状でもこの船を買えるのはそれなりの規模の商会だけのようだ。
そこで幸助はここに来るまでの間に考えていたことを相談する。
「一定期間有料で貸し出すってことは?」
「ダメよ、そんなの。しばらくは目が回るくらい忙しくなりそうだし、有料での貸出なんて制度、この街にはないよ」
「そうですか……」
ウィルゴも前例のないことを即断することに抵抗があるようだ。
「ウィルゴさん」
「なあに?」
「ならば割り切って考えて、一定期間だけ無償で貸し出してみませんか?」
何言ってるんだという顔を浮かべるウィルゴ。
構わず幸助は続ける。
「ウィルゴさん、塗装した船を造りはじめたきっかけは、色や耐久性から始まり、結果として街全体が良くなるってことでしたよね?」
「そうよ」
「この状況下で一番街のためになることは、ここにある在庫を水路に放つことです。船にとっても、ここで眠っているより使ってもらえた方が幸せじゃないですか?」
「そりゃそうだけど……。借りられた人とそうじゃない人で揉めちゃわない?」
ウィルゴの言うことはもっともである。
だが、何らかの解決方法があるはずである。
ウィルゴに迷惑をかけず、街にとって良いこととなる方法が。
ここで幸助は、今まで口にすることを避けていた単語を出す。
「造船組合を通せば、大陸との渡し船とか優先順位の高い場所に船を配置してもらえないでしょうか? そうすればウィルゴさんに迷惑をかけずにできるかもしれません」
「うーん……、確かに組合ならやってくれると思うけど……。あたしは行きたくないよ」
「僕が行ってきます。行動は少しでも早い方がいいですから」
腕を組み考え込むウィルゴ。
クレトは不安げな表情で父の横顔を見ている。
「…………」
三十秒ほど沈黙が続くと、ゆっくりと口を開く。
「ならアルセニオっちを頼るといいよ。組合にも顔が利くから」
その後すぐ幸助はアルセニオを訪れると、二人で連れ立って造船組合を訪れる。
アルセニオも幸助の方針に共感してくれたので、すぐに行動してもらえた。
組合で幸助たちを迎えたのは若い事務員である。
「アルセニオさん。こんな時にどのようなご用ですか?」
「話はコイツから聞いてやってくれ」
「初めまして。幸助といいますが、船の修理で忙しいウィルゴさんの代わりに来ました」
「ああ! ウィルゴさんとこね。それでどんな用だい?」
「実はウィルゴさんの店に二十艘の船があるんです。この状況が落ち着くまで無償で貸出できますので、その申し出に来ました」
「ホントに! そうしてくれるとすっごい助かるよ!」
ウィルゴの船ということで、抵抗や門前払いを食らうかもしれないと考えていた幸助は、その反応に拍子抜けする。
事務員の話によると、街の機能を停止させないため、組合員総出で船集めに奔走しているということだ。
しかし通常は受注生産の船。
そうそう余剰は無い。
今のところ用意できそうなのは領主所有の予備船が十二艘と他に八艘だけ。
数の少なさに困り果てていたところだったのだ。
「ところでウィルゴさん、元気にしてる?」
「はい。今日は一生懸命船の修理をしてますよ」
「それはよかった。気が向いたら組合に戻って来てくださいって伝えておいてね」
「えっ? あ、はい。分かりました」
想定外の言葉をもらい、驚く幸助。
ウィルゴが組合を脱退して数年経つ。
組合内の状況も変わっているのかもしれないと考える。
その後、船の引き渡し方法を打ち合わせると組合を後にする。
そして翌日。
果たして水路には、二十艘のカラフルな船が放たれることになった。




