3.初めての共同作業
幸助にとって異世界初の仕事である「立て看板プロジェクト」が決まったその翌日の朝。
幸助は宿で朝食を済ますと、朝九時にアロルドの店へ向かう。
「いい天気だな」
空には雲一つない青空が広がっている。時おり新春の柔らかな風が頬をなでる。
石畳が整然と並ぶ街のメインストリートを歩く幸助。
道幅は馬車三台が余裕で横並びできるくらいあり、道の両端には二階建てのこじんまりとした住宅が並ぶ。
ある家は白、その隣は緑、またその隣は赤と色彩豊かな外壁が連なる。
今日は日曜日。市場は休みなので、通りを行き交う人々は昨日よりかなり少ない。
ちなみにこの世界も1年は三六五日で、曜日や月の構成も現代日本と同じである。
二十分くらい歩くと黒いお洒落な建物が見えてきた。アロルドの店である。
重厚なオークの扉に掲げられている看板は裏返ったままである。そう、今日は定休日である。
ドアに手をかけるとカギは空いていた。そのまま手前に引くとギィッという音と共に開き、陽光が室内を暖かく照らし出す。
「あ、コースケさん! おはよっ」
「おはよう、サラ。今日も元気だね」
「うん! お客さんが増えるかと思うとワクワクしてきちゃって」
「そっか。期待外れにならないように僕も頑張らないとな」
(私服のサラも可愛いなぁ)
今日は定休日なのでサラの服装は給仕服ではなく水色のワンピースである。
二人の声が聞こえたのか、厨房の奥からのそっとアロルドがやってきた。
「おう、来たか。なら早速おっぱじめちまおうぜ」
「は、はい。ではまず簡単な説明からしましょうか」
そう言うと幸助、サラ、アロルドの三人は昨日と同じ席へ座る。
「さて。では立て看板についてなんですけど、このくらいの大きさの板は用意できますか?」
そう言いながら昨日示した大きさと同じ一メートルくらいの長方形を手で表す幸助。
「それなら店の裏にこの店作った時の廃材があるぞ」
「わかりました。それなら丁度良かったです。その板をこうやって斜めにして自立するように足をつけていただけますか?」
両手で「人」の文字を作りおおよそのイメージを伝える。
「そんなことなら任せろ。足になる角材も釘もある」
「さすがアロルドさん。僕はそういうのが苦手なので助かります」
「お、おう」
「ふふっ」
サラはニコニコしながら横に座っているアロルドを見る。
普段なかなか見ることのできない父親の姿が新鮮なようだ。
「そうしたらサラ、絵を描くための絵の具や筆はあるかな?」
「絵の具って何?」
「絵の具って言わないのか。えっと、絵を描くための色のついたやつ」
「あぁ、顔料のことね。うーん、ウチにはないかなぁ」
「売ってる店は知ってる? 僕が買いに行ってくるよ」
「うん。もちろん! あ、でも、日曜日に開いてるお店はちょっと遠いかな」
うーんと唸りながら考え込むサラ。
そして数秒後。何か閃いたようで、ニパッと笑顔を作りながら口を開く。
「コースケさん、私がお店まで案内するから一緒に買いに行こ! お父さんはその間に日曜大工、よろしくねっ」
「えっ、サラ、おまえ」
「お代を立て替えてもらうんだから、それくらいしないとねっ」アロルドの言葉が終わる前にサラがかぶせる。
「ぐぬぅ……」
というわけで、幸助が異世界に来てから初めての共同作業は、顔料の買い出しに決まったのであった。
「では、行ってきます」
「行ってきます、お父さん!」
幸助は背中に何か視線が刺さるのを感じたが、それを無視して進む。
重厚なドアを開け、通りへ出る。
少し高くなってきた太陽からポカポカと春の陽気が伝わってくる。
「コースケさん、こっちです。いきましょ!」
サラはぐるっと振り返り幸助を見ると、西を指さした。
ワンピースの裾がふわっと広がる。
「商業街の中にお店があるの」
アヴィーラ伯爵領は人口五万人程度で、この世界では中堅どころの規模である。
戦争とは無縁の土地のため、国境の町と比べると町全体がのんびりとした雰囲気を醸し出している。
北に領主の館を含む貴族や裕福な商人などが住む街があり、東に住宅街、西に商業街、南に工業街という分布となる。
それぞれの地区を結ぶように東西と南北に大きな道が通っている。
アロルドの店は、ちょうど住宅街の西端に位置する。
「よし、行くか」
幸助が西に向かって歩き出すと、その左側にサラが並ぶ。
真っ赤なポニーテールが左右に揺れる。
「コースケさん、ここです!」
取り留めもない会話をしながら歩くこと一時間。
二人は目的の店に到着した。
古びた二階建ての建物を見ると『サンドラの画材店』という店名が掲げられている。
店の中に入ると、ホコリ臭さが二人の鼻を突く。
幸助は反射的に袖で鼻を覆う。
「ゴホ、ゴホ」
「すごい店内だなぁ」
見渡すと、五坪ほどの狭い店内に所狭しと絵画用品が並んでいる。
若い女性の絵が額に入り壁に飾られている。店主が描いたものだろうかと幸助は推察する。
奥の棚は長い間商品が入れ替わってないようで、分厚い埃がかぶっている。
店員らしき人は見当たらない。
「すみません!」
「すみませーん!」
二人で店員を呼ぶ。
奥から床のきしむ音が聞こえると、杖を突いた真っ白な髪の老婆がやってきた。
「なんじゃい、日曜日の朝っぱらから騒々しいのぉ」
老婆は二人を睨め回す。
「おや、珍しい。若いお兄さんとお嬢さんじゃないか。こんな店に何か用かい?」
「顔料を買いに来ました。このお店にありますか?」
「顔料? そんなものいくらでもあるが、何に使うんじゃい?」
「えっと、看板を描くために必要なんです」
「ふうん、それなら水に濡れても落ちないものがよいかのぅ」
「はい、それでお願いします。あと、筆も一本ください」
老婆はゴソゴソとカウンターの下から瓶が入った箱を取り出す。
「して、何色が必要かね? 今あるのはここに並んでいるだけじゃ」
「赤と緑、黒、白をください!」
「あと、黄色も要るな」
「黄色? トマトバジルパスタには黄色は必要ないよ?」
何でという顔をしながら幸助を見る。
「まあ、帰ってから説明するよ」
「ふうん」
「あいよ。なら顔料が五色で大銀貨一枚と筆が銀貨二枚さ」
(結構するんだな)
懐から銭袋を出すと、銀貨をジャラっとカウンターに置く。
「まいどあり」
顔料と筆の購入を済ませ二人が店から出た頃には、太陽はもう真南に近づいていた。
壁にかかっていた絵のことをサラが老婆に尋ねると、老婆の壮大な昔話が始まってしまったのだ。
若い女性の絵は老婆の若いころの姿だったそうで、今は亡き夫が描いてくれたそうだ。
(結構時間がかかっちゃったな)
時刻はもう十二時になろうとしている。
幸助はもう腹ペコである。
「サラ、せっかくだからこのままランチ食べに行かない?」
「うんっ! 行こ行こっ。私オススメのお店があるの。シチューがとってもおいしいお店。そこでもいい?」
「オッケー。ならそこに行こう」
サラのオススメする店は、アロルドの店へ帰る途中にあった。
チリンチリン
軽めのドアを開けると、鈴の音が来店者があったことを告げる。
「いらっしゃい。あら、サラじゃないの」
「こんにちは、マールさん」
二十歳くらいであろう店員が二人を迎える。サラとは顔なじみのようだ。
「久しぶりね。で、隣のさわやかな青年は、サラのいい人?」
悪戯っぽくマールが尋ねると、サラは顔を真っ赤にしながらぶんぶんぶんと高速で手を振る。
「ふふふっ、冗談よ。空いてる席に座って待っててね」
「もー、マールさんったら……」
火照った顔を冷やすように手を団扇にして顔へ風を送る。
日曜日に開いている店は少ないせいか、店内は多くの客で賑わっていた。
二人は空いている席を見つけるとそこに腰を下ろす。
「流行ってるなぁ」
「うん、いつもこんな感じだよ。マールさんの作るシチューは最高だから」
店内を見渡すと、来店客全員がシチューを食べていた。
開口部の大きな窓があるおかげで照明を焚かなくても店内は明るい。
窓にガラスは嵌められておらず、心地よい風が時おり幸助をなでるように通り抜ける。
「ここはシチューしか提供してないのか?」
「うん、そうだよ。だからオーダーをしなくてもいいの」
「ふうん、よっぽど自信があるんだな」
二人が着席してからほどなく、シチューが運ばれてきた。真っ白なクリームシチューである。
作り置きが利くから提供が早い。
「はい、おまたせ。シチューとパン、サラダのセットよ。今日のサラダはトマトがメイン」
マールはテーブルに皿を並べる。
「じゃぁ、ゆっくりしていってね」
そう言い残し、また厨房へ戻っていく。
「では食べようか。いただきます」
スプーンでシチューを掬い、一口食べる。
「うん、美味しい」
「美味しいねっ」
この街に来てから初めて乳製品を口にする幸助。
大きく切った野菜や鶏肉が入っており、実家の母親の味を思い出す幸助。
(ク○アおばさんも顔負けだな、こりゃ)
食べながら幸助は店内を観察する。
店の入り口に人影が見える。新たな来店客のようだ。
隣の席の人はもう食べ終わったようで帰り支度をしている。
「それにしてもこの店、回転率がよさそうだなぁ」
「何? 回転率って」
「ええっと、簡単に説明するとお店の席数に対する来店客数のこと」
「……。よくわかんない」
日本の会社では当たり前のように使っていた言葉だが、分かりやすく説明しようとすることが難しいことに気付く幸助。
「そうだなぁ。たとえば席が一つしかないレストランがあったとするよ。お昼時にお店に入ってから注文して食べ終わるまでに二時間かかったとする。そうするとランチタイムの売り上げは一人分、ということになるよね」
「うんうん、そうなるね」
「そこで、仕込みや調理を工夫することで注文から食べ終わるまで一時間に短縮した場合どうなる?」
「もう一人ランチタイムで食べられる!」
「そういうこと」
「なるほどー、同じ大きさの店でも売り上げを増やすことができるってことだね」
「ま、アロルドさんの店はあまり気にしなくてもいいと思うけどね。まずは満席を目指さなきゃね」
「うん!」
入店から三十分と経たずして二人は食事を終える。
「美味しかったなぁ」
「でしょ。最近なかなか行けなかったから久しぶりに食べられてよかったよ。コースケさん、ありがと!」
「どういたしまして。そういえば、こんな時間になるってアロルドさんに言ってなかったけど、大丈夫かな?」
「平気へーき。今頃昨日の残り物食べてるよ。きっと」
「あはは。扱いが雑だな。さすが親子」
こうして二人がアロルドの店に帰ってきたのは午後二時前である。
「ただいま」
「お前ら、遅かったな」アロルドが出迎える。
「うん。画材屋さんのおばあちゃんの話が長くて」
「で、メシは食ってきたのか?」
「うん。久しぶりにマールさんのシチューを食べてきたの!」
「そ、そうか」少し寂しそうな顔をするアロルド。
幸助が店内を見ると、アロルドが作ったであろう立て看板が目に入った。
「アロルドさん、もう完成してたんですね。流石です」
「さっすがお父さん!」
「おっ、おう」
無理やり話を逸らす二人。
「早速立て看板に絵を描きましょうか」
「絵は私に任せてね。でも、黄色って何に使うの、コースケさん?」
「何だと思う?」
サラの質問に幸助は質問で返す。
基本的に幸助のような立場の人間は、簡単に答えを言ってしまってはいけないのだ。
何でもすぐに答えを教えてしまうと相手が考えることを放棄して、今後も幸助に依存することになりかねない。
サラは腕を組み片手をあごの下にやり、考えるしぐさをする。
「うーん、セットのスープを描くとか?」
「はずれ」
「うぐぅ、分かんないよ」
「じゃぁ、まずはパスタの絵を真ん中に大きく描いてみようか。上と下は隙間をあけておいてね。そこに答えが入るから」
「分かったと」
こうしてサラはパスタの絵を描き始めた。
その間、野郎二人は特にすることがない。
客席に腰かけ、時おりサラの進み具合を見つつ会話をしている。
「お前サラに変なことしたら、ただじゃおかないからな」
「大丈夫ですってアロルドさん」
少し空気が剣呑なようだ。
「やっぱり何か胡散臭いんだよな、お前。こんな簡単なことで客が増えるなんておかしな話だよ」
「大切なことは他にもいろいろありますよ。立て看板はその中の一つにしか過ぎません。でもやるとやらないでは違うんですよ」
「そんなものか」
「そんなものです」
「……」
「……」
「できたー!」
不穏な空気を破るように元気なサラの声が響く。
アロルドからようやく逃げ出せると安堵する幸助。
「うん、上手いね! これでパスタのお店っていうのは一目瞭然になったよ」
「ありがと!」
「それで、通りがかった人がこの看板を見つけてパスタ屋の存在を知りました。今日はパスタにしよう。そう思った後、次に気になるのは何だ?」
「俺はわからん」
「うーん、私だったら値段かな?」
「正解!」
「やったー!」
「ということで、パスタの絵の下には大銅貨八枚の絵を描こう」
「はーい。これなら文字の読めない人でもすぐにわかるね。流石です、コースケさん!」
「ぐぬぬ……」
そんなこんなで立て看板は完成した。
最後にパスタの上に文字で「店主自慢のトマトバジルパスタ 大銅貨八枚」と書いた。
「明日が楽しみね!」
「うん。そうだね」
元気なサラとは対照的に、幸助は久々の緊張感に包まれていた。
立て看板の効果があるのは日本で経験済みだ。だからといって全ての店で効果があったわけではない。
しかも、この世界は文化も環境も違う異世界だ。
本当ならば客の反応を見つつトライアルアンドエラーを繰り返して、ベストな形に持っていくことが理想だ。
しかし、アロルドとの約束はこの一回で決まる。
もし効果がなかったら次は無い。
(ふたを開けてみないと分からないな)
そして運命の翌日へと続く。