5.パロの気持ちと幸助の悩み
キン、キン、カン!
キン、キン、キン、カン!
時は幸助とホルガーとの契約が決まった翌日。
場所は工業街の一角にあるホルガーの鍛冶工房。
この界隈の風物詩ともいえる音が久々に戻って来た。
ホルガーが槍の穂先を打っている音だ。
久しく火をくべられることがなかった窯も、今日は喜びの炎を燃え滾らせている。
初秋の気温と窯の熱、それに槌を振うという運動によりホルガーは汗まみれであるが一向に気にする様子はない。
それよりも久しぶりに鉄を打てる喜びがホルガーを満たしている。
まだ売れると決まったわけではない。
しかし、打てることそのものが嬉しいのだ。
(パパが嬉しそうなの)
パロは久しぶりに槌を振っているホルガーの背中を見ている。
久しぶりのホルガーらしい姿である。
リズミカルな音をBGMに、パロはここ一年の出来事を思い起こす。
毎日工房で忙しそうに働いていたホルガー。
窯の熱気で暑い中、必死に槌を振う背中。
研磨している時の鋭い視線。
パロの中の父親像は「かっこいい」の一言で言い表せられる。
忙しいにもかかわらず、ちゃんと食事は作ってくれていた。
週に一回は広場へ連れてってもらい友達とも遊べた。
ぶら下がってもびくともしないその太い腕はパロの自慢だ。
しかしある日を境にホルガーは鉄を打つことが全く無くなってしまった。
パロの知っている客と、知らない客が一緒に来たあの日以来である。
ホルガーは仕事が無くなっても決してパロの前で弱音を吐いたり感情を露わにすることは無かった。
だが、ホルガーのかっこいい姿を見られなくなったのが、パロは少し寂しかった。
そして時が経つにつれて少しずつホルガーの顔から元気が無くなっていたのを敏感に感じ取っていた。
次の境目は乾いた風が吹く寒い日に訪れた。
パロの前では怒ることなどなかったホルガーが、激怒しながら帰ってくる姿を見たのだ。
パロには何があったのか分からなかった。
だが、怖かったということだけは覚えている。
そしてその日以来、大好きな父親が劇的に変わってしまったのだ。
まず、仕事が無いながらも毎日工房のメンテナンスをしていたのが、その日を境に全くやらなくなってしまった。
次第に道具に埃が重なっていくのを眺めるだけである。
それならばパロが掃除をするというと、工房には入るなと怒られた。
そして夜に飲む酒の量が増えた。
部屋には空き瓶が散らかり、食事の質も落ちていった。
二人だけのささやかな団らんも無くなってしまった。
大好きなホルガーがどこかへ行ってしまいそう。パロは不安で不安で仕方がなかった。
こんな毎日が続くかと思うと辛い、寂しい、悲しい。
でも、きっと神様がホルガーを元通りにしてくれる。パロはそう信じていた。
「商業ギルドへ行ってくる」
ある日そう言い残して出かけるホルガーを見送った。
それから数日後にやって来たのは幸助とサラだ。
四人で話をしている時、ホルガーは嬉しそうだった。
他の人には気づかない程度の表情の違いだが、パロにはよくわかる。
ホルガーの眼に力が戻ってくるのをパロは感じた。
パロの好きなご飯も作ってくれた。
それから昨日、幸助とサラが帰った後。
埃にむせながら黙々と工房の掃除をするホルガーがいた。
その顔はパロの好きだった自信たっぷりの顔だ。
そして今日。
キン、キン、カン!
キン、キン、キン、カン!
(やっぱり神様はいたの)
一年ぶりに見られた自慢の父の背中。
一年ぶりに感じられる工房の熱気。
ようやく「いつも」が帰ってきたと感じるパロ。
次第にパロの視界が滲んでいく。
(パロも嬉しいの)
つーっと一筋の涙がパロの大きな目から零れてきた。
涙を袖で拭うと、踵を返して店番へと戻る。
◇
「おはよー」
「いらっしゃいなの!」
初心者向けの槍が完成したと聞いた幸助とサラは、一週間ぶりにホルガーの店を訪れた。
「パパを呼んでくるの」
そう言い残しトテトテと工房へ通じる通路へ向かうパロ。
「何か雰囲気が明るくなった気がするね、コースケさん」
「うん。最初と比べると表情がよくなったよね」
ますます販売を成功させなければと緊張感を持つ幸助。
「それでコースケさん、何かいいアイディアは思いついた?」
「それが、まだ思いついてないんだ」
この一週間で幸助はいろいろと販売方法を検討していた。
しかし、決定的なアイディアが浮かんでいないのだ。
「お待たせなの」
「待たせたな」
ホルガーを連れたパロが戻って来た。
いつの日かのようにホルガーの後ろには隠れず、手を引っ張りながら歩くパロ。
ホルガーの反対の手には一本の槍が握られている。
「これがホルガーさんの打った初心者向けの槍ですね」
「ああ」
ホルガーの眼からは自信があふれている。
初心者向けとはいえ、今までの武器と変わらず手をかけた作品だ。
我が子と言ってもいい。
その作品を受け取る幸助。
ずっしりと両手に重みがのしかかる。
競合店の槍よりも少し重いようだ。
「綺麗だなぁ」
「うん。綺麗だね!」
ホルガーの打った穂先を眺める二人。
やはり質のことはよく分からない幸助であったが、競合店で買った槍と比べて素直に美しいと感じることはできた。
「あとはどうやって販売するか……だよなぁ」
ホルガーへ槍を返すといつもの丸椅子に腰かける幸助。
サラとパロもそれに続く。
少し遅れて槍を置いたホルガーが腰かける。
「では始めましょうか」
「おう」
「まず、初心者向けの槍を販売するにあたり、越えなければならない障害が三つあります」
そう言いながら指を三本立てる幸助。
「一つ目は初心者向けの良い槍があると認知してもらうことです」
「ウチのお店で最初に取り組んだことと同じだね!」
「そうだよ、サラ」
ホルガーの店は冒険者の中では騎士団向けという認識を持たれていた。
まずはその存在を知ってもらわないことには始まらない。
「二つ目は、武器の性能について」
「うんうん」
「ホルガーさん、この槍はこの前僕が買ってきたのと比べると、攻撃力も耐久性も大幅に増えてるんですよね?」
「あたり前だ。鋳物と比べるな」
可愛い息子をけなされた気分になったのであろう。
眉間にしわを寄せるホルガー。
「す、すいません……」
反射的に謝る幸助。
社畜時代に培った技である。
「えっと、この槍の性能を知ってもらう必要があるんです」
「どうやって知ってもらうの?」
「やっぱり実際に触ってもらうのが一番だから、店頭で実演販売ができればいいんですが……」
そう言いながらホルガーへ視線を向ける。
ホルガーはそれに気づき、ゆっくりと口を開く。
「実演販売は、何をする?」
「武器の性能を体感してもらうのが目的です。たとえば標的を用意して冒険者に突いてもらったりすることです」
どれだけ丈夫か言葉で説明することも大切ですけどね、と幸助は続ける。
それを聞いたホルガーは、静かに首を横に振る。
「それは、無理だ」
「でもそうやって接客しないと売れるものも売れないですよ」
「そんなこと、したことが無い」
ある程度予想していた答えが返ってくる。
騎士団を相手にしている時は決まった担当者が窓口になっていたので、接客らしいことはしたことの無いホルガー。
もちろん、パロには聞くまでもない。
(やっぱりここがこの店のボトルネックだよなぁ。
人を雇うこともできないし、どうしよう。
とりあえず今悩んでも先に進まなさそうだから次に行くか)
「わかりました。実演販売は今後の課題にしましょう」
幸助は気を取り直して話を進める。
「三つめはお金についてです」
ここも大きな問題だ。
日本であれば高額品にはローンという手がある。
もしくはクレジットカードのリボ払いもできる。
ただし分割の対価として相応の金利が発生したり、ついつい買いすぎたりする。ご利用は計画的に。
「冒険者に聞いた限りだと、初めての武器は例の大銀貨五枚でもギリギリみたいです」
「武器が良いってわかっても、お金がなかったら買えないもんね」
「そうなんだよ、サラ」
この一週間で幸助はいろいろな可能性を考えてきた。
レンタルや返品保証、メンテナンスサービス、分割払いなどである。
しかし、レンタルはそのまま持ち逃げの可能性があるし、自分自身の所有物でなければ大切に使ってもらえない可能性もある。
そして武器の性能に満足できなかったら返品保証というのは、そもそもお金がない相手には無理だということに気付いたため却下。
メンテナンスサービスも同様だ。
従って、最後に残った分割払いの案をホルガーへぶつける。
「ホルガーさん」
「なんだ?」
「支払いを二回か三回くらいに分割することは可能ですか? 初回の支払いを原価ギリギリに設定すれば、万が一次が支払われなかったとしても損害は少なくて済みます」
「ダメだ」
即答であった。
「それで失敗した奴、知ってる」
「そうですか……」
そう言われると返す言葉がない。
幸助ははぁとため息をつく。
暗い雰囲気が室内を満たす。
幸助が提示した三つの壁のうち解決できそうなのは一つ目だけである。
ホルガーの性格や、置かれた環境からすると仕方ないのかもしれないが、それにしても……である。
「…………」
「……」
店内は静寂に包まれる。
居心地が悪いのかパロがごそごそ動く音だけが耳に届く。
「…………」
「……」
「そうだ!」
室内の静寂を破るようにサラの声が響く。
「どうした? サラ」
「私たちだけで考えるよりも、とりあえずその槍を冒険者に使ってもらったら?」
幸助はハッと目を見開く。
盲点であった。
幸助は三つの壁をどう解決するかばかり考えていたのだ。
良い武器は使ってもらって初めて真価を発揮する。
ならばモニターとして使ってもらえばいい。
その結果、口コミを誘発するかもしれない。
そして新しい販売手法が見つかるかもしれない。
「そうだ、そうしよう! ホルガーさん。その槍、信頼できる冒険者に貸してもいいですか?」
「別に構わないが」
幸助はランディのパーティーメンバーである若い槍使いへ貸すことを思いついた。
顔見知りであるしランディは冒険者からも一目置かれているから安心だ。
「本当にすまない。俺のために、こんなになってくれて」
「気にしないでください、これが僕の仕事ですから」
「そう言ってもらえると、助かる」
幸助へ頭を下げるホルガー。
膝の上に置かれた手は、固く握りしめられている。
「そうだ、今日はウチのお店でみんなでランチしない?」
ホルガーが頭を上げるとサラがそう切り出す。
時刻はお昼前だ。
「気分転換にいいかもね。でもまたどうして?」
「あのね、小さい子向けのワンプレートランチを考えたの」
「へえ、こんな忙しいさなかに新しいメニューも考えてるんだ。偉いなぁ」
「えへへ、ありがと!」
ホルガーへ視線を送る幸助。
「というわけですが、一緒にいかがですか?」
「新作の試食だからお金いらないってお父さん言ってたよ」
「パロ行きたいの!」
「……、わかった」
店の戸締りを済ますと、四人は連れだってアロルドの店へ向かう。
余程楽しみなのであろう。ホルガーと手をつないでいるパロは、スキップをしている。
ギィ。
ドアを開け店内へ入る四人。
昼の開店時間は過ぎているが、まだ早いのか客は一人もいなかった。
給仕をしているサラの母ミレーヌが皆を迎える。
「お母さん、パロちゃん連れてきたよ。試作品、食べてもらお」
「分かったわ。ちょっと待っててね」
入れ違いでアロルドがやって来る。
「ホルガー、久しぶりだな」
「ああ。紹介、感謝するぞ」
職人同士の会話は極めて短かったが、お互い通じ合ったのであろう。
アロルドはすぐにキッチンへ戻っていった。
しばらく待つとミレーヌとサラが料理を持ってやってきた。
「はい、お待たせ。お子様ランチよ」
ミレーヌはホカホカと湯気を上げる小さなランチプレートをパロの前へ置く。
パスタとハンバーグ、サラダ、スープのセットだが、一つひとつが小ぶりである。
「くまさんなの!」
パロが喜びの声を上げる。
ハンバーグが熊の形をしているのだ。
「ふふっ、可愛いでしょ」
「うん。サラお姉ちゃん、ありがとなの!」
皆の前にもワンプレートランチが運ばれると、サラも同じテーブルへ座る。
「いただきます」
もきゅもきゅと、口いっぱいにハンバーグを頬張るパロ。
「おいしいの!」
「ありがとう、パロ。足りなくなったら私の分もあげるから、いっぱい食べてね」
「うんなの!」
ホルガーの仕事を始めてから初めて訪れた穏やかな時間は、ゆっくりと過ぎていった。