幕間:伯爵令嬢2
「まあ、なんと香り豊かなドレッシングですこと!」
ここはマドリー王国アヴィーラ伯爵領にある領主の館。
分厚い絨毯が敷かれた部屋は三十畳ほどの広さがある。
中央には二十人は座れるであろう長いダイニングテーブルが置かれ、卓上には豪華なキャンドルが灯る。
壁際には侍女が一人と執事が一人立っており、主の指示を待っている。
椅子に腰かけているのは少女一人だけだ。
伯爵令嬢であるアンナ・アヴィーラである。
訪問者との会談が長引いたため、一人で遅めの夕食を摂っているところである。
卓上にはサラダとスープが置かれている。
上品な手つきでサラダを食べると目を閉じその味をかみしめる。
名残惜しそうにそれらを飲み込むと、侍女を呼び指示を出す。
「この味の決め手が気になりますね。コックを呼んでくださいませんか?」
「少々お待ちくださいませ」
そばで控えていた侍女はその言葉を聞き、静かに部屋を後にする。
「見たところオリーブオイルと果実酢のようですが、それだといつもと変わりませんね。不思議ですわ」
どう見てもいつも屋敷で食べている定番のサラダである。
しげしげと器を見まわしフォークでサラダを刺し口へ運ぶ。
半分ほど食べた頃、静かにドアが開きコックを連れた侍女が戻って来た。
「お嬢様、いかがなされましたか?」
「このサラダに添えられたドレッシング。今まで食べたことのないほど香り豊かなのですが、どのような工夫をされたのですか?」
探究心豊かなアンナはどのような工夫がされているのか、気になって仕方ない。
アロルドの店で提供されているカルボナーラもレシピが気になって仕方ないくらいなのだから。
ちなみにコックに再現することを命じているのだが、今のところ満足のいくカルボナーラはできていない。
「いいえ、お嬢様。いつもと同じレシピで作ってあります」
コックの答えは、アンナの予想と百八十度反対のものであった。
そんなはずはないとアンナはコックに食らいつく。
「では、なぜこのような芳醇な香りがするのでしょうか? 今までと比べ物にならないくらい美味しいですよ」
「実はですね、とても品質の良いオリーブオイルが入ったのです。いつものオリーブオイルと変えただけでこの味が出せました」
「お、オリーブオイルを変えただけ……?」
「続きは私めが代わりにさせて頂きます」
コックが説明を始めたところ、別の男性の声が割り込む。
声の主は執事のセバスチャンだ。
今日も変わらずピシッとした黒服を着込んでいる。
「実はですね、お嬢様。市井でこのようなものを見つけまして」
セバスチャンの手にはオイル瓶が握られている。
アンナの様子からオリーブオイルの実物を見せる必要があると読んで、事前に用意していたものだ。
段取りの良い男である。
「見たところ、どこにでもあるオイル瓶のようですが?」
セバスチャンの手にあるオイル瓶をしげしげと眺めるアンナ。
これはどこにでもある一般的なオイル瓶なので、判断はつかない。
「はい。ですが、中身が別物なのです」
そう言うと小皿にオイルを垂らすと一口大のパンを添える。
それを音を立てること無くアンナの前に置く。
「どうぞ、お試しくださいませ」
アンナは出されたオリーブオイルをまずは目で評価する。
透き通った黄色のオイルが表面張力で丸みを帯びている。
「美しい色ですこと。それに粘り気も強いように思われます」
そして真っ白なパンを手に取りオリーブオイルをしみ込ませる。
十分なオイルを吸ったパンには黄色のグラデーションがかかり、しっとり重みを増す。
香りを楽しんだのち、それを口へ誘う。
じっくりと味わうアンナ。
「臭みやイヤなべとつきが全くありませんね。味も香りも素晴らしいです」
「我が領地のオリーブオイルは全てが帝国からの輸入でございます。従って輸送途中に劣化してしまうのです。しかし、このオリーブオイルはとても新鮮です。近くで栽培されていると推察致します」
「そうなのですね。それで、どこでこのオリーブオイルを入手されたのでしょう?」
つい先ほどまで眠くなるような会談をしていたアンナ。
突然降ってわいた興味深い情報に目を輝かす。
「それがですね……」
「どうかされましたか?」
セバスチャンの声に首をかしげるアンナ。
「コースケという名の男が関わっておりました」
「あら、またコースケさんの名前を聞きましたわね。今回はどのように関わってらっしゃったのですか?」
『アロルドのパスタ亭』でカルボナーラを食べた時にも聞いた名前である。
ますます興味深そうな表情をするアンナ。
「オリーブオイル自体は商業街の『ルティアの小麦店』という店で販売されておりました」
「聞いたことのないお店ですね」
「はい。どこにでもある穀物屋でございます」
領内には穀物屋は何件もある。
そして特に目立つ店舗がないのも事実である。
「以前よりオリーブオイルの取り扱いはあったそうなのですが、ほとんど売れていなかったそうです」
「これほどの品質ですから、市民の方々に手の届く値段で販売することは難しそうですわね」
「はい、その通りでございます」
実際には一般的なオリーブオイルの二倍の価格設定だったが、ルティアが販売そのものに消極的だったため、市民に届くことはほとんど無かったのである。
「しかしその価値を見出し、市場に知らしめたのがコースケということでした」
「それはどのようにして?」
ここから先は一部私の推察も混ざりますが、と前置きしながらセバスチャンは続ける。
「普及品、中級品、そしてこの最高級品の三段階の品質を用意することで、買いやすさが演出されておりました」
「あら、何でわざわざ同じものを三段階に分けたのでしょう?」
アンナが疑問に思うのももっともである。
今までの感覚からすると、オリーブオイルはオリーブオイルでしかないのだから。
「品質により価格を変えることで最高級品は買えなくても、中級品には手が届くよう絶妙な価格設定がされておりました」
「最高級品が買えなくても中級品なら買えるというからくりですか。素晴らしい工夫ですわ」
「はい。それとですね」
「それと?」
「試食販売を行うようも指導したそうです」
「試食販売、ですか?」
「ええ、今お嬢様に試して頂いたことと同様にです」
言われて先ほどの味見のことを思い出すアンナ。
確かに自分であったら味見をした後は買わずにはいられないだろうと感じる。
「素晴らしいです。その手腕、ますます興味がわきますわ」
可能なことならば領地が抱えている問題を相談してみたいとも思うアンナ。
しかしまだ決定的な要素がないため、もう少し様子を見ることに決める。
「それはそうと、セバスチャン。そのオリーブオイル、我が屋敷でも一定量が確保できるように手配をお願いします」
「畏まりました、アンナお嬢様」
アヴィーラ伯爵領の夜はゆっくりと更けていく。