2.善意の害悪
幸助がパン作りをしようと決めた翌日。
パン作りを諦めた次の日のこと、とも言える。
空には雲がかかっているので昨日と違って過ごしやすい。
時刻は午前十一時。ちょうどアロルドのパスタ亭が開店する時間だ。
ギィ。聞きなれたドアの開く音。
いつもと変わらないバジルの香り。
心なしかホッとする幸助。
「あ、コースケさん、いらっしゃい!」
厨房からサラがパタパタと駆け寄る。
尻尾があるなら全開で振られていそうである。
トレードマークの真っ赤なポニーテールも揺れている。
「サラ。今日も元気だね」
「うん! コースケさんが来てくれたからね」
「ありがと。それでこれ、アロルドさんにお土産」
そう言うと幸助は紙袋をサラへ渡す。
「何、これ?」
「どこにでもある普通の小麦粉。せっかく買ったんだけど使い道無くって。お店で使ってよ」
「何で小麦粉なんか買ったの?」
「えっと」
もっともな質問である。
昨日穀物屋の店員さんに笑われたので本当のことは隠すことにしていた。
「ちょ、ちょっとした研究に使おうと思って。でも、うまくいかなかったからその残りの使い道に困ってね」
「そうなんだ。いろいろ物知りの幸助さんなのに、研究もしてるなんてすごいね!」
(パン作りに挫折したなんて口が裂けても言えないな。それにしても何の研究に使えるんだろう。粉塵爆発とか?)
「あ、ありがとう」
トマトバジルパスタを食べに来たんだと言いながら客席に着く幸助。
ちょうどそこへアロルドがやって来た。
「元気そうだな」
「アロルドさんも」
「ああ、おかげで毎日順調でな」
相変わらずその表情は職人の厳しい目つきではあったが、口角は上がっている気がする。
「報酬ありがとうございました。結構な額が振り込まれてましたけど、無理してません?」
「ああ? そんなことで見栄張るわけねぇだろう!」
「そ、そうですよね」
「よし、パスタは今から作るからな。ちょっと待っとけよ」
「はい、よろしくお願いします」
キッチンに帰ろうとしたアロルドは足を止めて振り返る。
「あ、あとよ。もしまた他の味のパスタを知ってたら、今度教えてくれよな」
「はい。僕が食べたくなったらその時お願いに来ますよ」
「またお前の好みか!」
このやりとりもいつも通りである。
ま、その好みのおかげでウチは儲かるようになったんだったなと言い残し厨房へ戻るアロルド。
十分ほど待つとサラが幸助の前にプレートを置く。
いつも見慣れて白い皿でなく、長方形のプレートだ。
そこには、トマトバジルパスタとサラダ、小さめのハンバーグが乗っている。
プレートの横は見慣れたオニオンスープのカップが置かれた。
「お、ワンプレートランチを始めたの?」
「ううん、まだ始めてないんだけどね。まずはコースケさんに見てもらいたくて」
「すごいじゃないか、サラ。自分たちだけで新しいことを考えられるなんて」
僕の故郷でもこうしたセットメニューは流行ってたよと伝えると、サラは顔をほころばせる。
「ありがと! これ、私が考えたの!」
「そうなんだ。さすがサラ。値段次第では人気メニューになると思うよ」
既存のメニューを組み合わせてセットにし、新しいメニューにするという手法はなかなか使える手である。
飲食店だけでなく小売店でも使える手法だ。
ジャパ○ットた○たがよい例である。
組み合わせることによりその店独自の商品となる。
単価が上がるだけでなく、価格の比較がされにくくなるというメリットもある。
教え子の成長に喜びを感じつつ、セットメニューを食べる幸助。
組み合わされてはいるが、それぞれの味は流石のアロルドクオリティである。
あっという間に食べ終わる。
食べ終わったころには続々と客が来店し、まだ十二時前というのにほとんど満席である。
「幸助さん、またね!」
ランチを食べ終えると、サラに見送られ店を後にする。
やはりこのトマトバジルパスタが一番美味いなとごちる幸助。
ちなみに支払った会計は大銅貨十二枚である。
空を見上げると、来た時よりも雲が厚い。
このまま宿に帰るか商業街をブラブラするか悩む幸助。
することがないなど、社畜時代には考えられないことである。
(とりあえず腹ごなしに商業街でも歩くか)
幸助の宿は商業街にある。
雨が降ったらすぐに帰ればいいという判断から、今日もいろいろなお店を見て回ることにしたのだ。
東西に走るメインストリートと南北に走るメインストリートの交差点を超える。
交差点はロータリー式になっており、中央にはちょっとした公園がある。
程なくして毎日泊まっている宿も通り過ぎる。
さて、何屋に入ってみようかなと考えながら歩いていると、女性と目が合った。
「あら、昨日のお兄さん」
「あ、穀物屋の店員さん。昨日はどうも」
「穀物屋だなんて、ウチは『ルティアの小麦店』っていうんだよ。ちなみにあたしがそのルティア」
「ルティアさんですね。僕は幸助っていいます」
よろしくお願いしますと言いながらルティアへ視線を送る。
薄着の上に麻でできた厚手のエプロンをしている。
改めて見ると、エプロンの大きなふくらみに気付く。
E、いや、Gはあるなと推察する幸助。
一瞬だけ目をやると、すぐに視線を逸らす。
女性は胸を見る男の視線にすぐ気付くと聞いたことがあるからだ。
「ふふっ。それでコースケ、美味しいパンはできたのかしら」
お姉さんも食べてみたいなとイタズラっぽい視線を幸助へ送る。
先ほどの視線は既にバレていたのかもしれない。
「あ……、あのですね」
「なあに?」
幸助は慌てて思考を巡らせる。
まだ作ってないと言えば嘘になるし、諦めたとも言いづらい。
それなら試行錯誤中ということにしよう。そう決めて返事をしようとした時、店の前に馬車が停まった。
商人がよく使用する荷馬車である。
御者台から、一人の男性が降りてきた。
「サンチョスさん」
男性に声をかけるルティア。
どうやら知り合いのようである。
「おやおや、今日は珍しく来客中でしたか。お話はまた後ほどの方がよろしかったでしょうか?」
来客中と言った時に幸助を値踏みするように見る。
どうやら自分のことが邪魔なようだと踏む幸助。
「コースケ、すぐ話は終わるからちょっと待っててね」
取り立ててルティアと話をするようなことは無かったが、暇である幸助はそのまま待つことにする。
「割り込んでしまったようで申し訳ありませんね」
「いえ、お気になさらず」
サンチョスと呼ばれた男性は、幸助に一言だけかけると幸助に背を向けルティアと向かい合う。
後頭部はだいぶ寂しくなっている。
五十歳は越えているのだろうと幸助は推測する。
「それで、今月はどれくらい必要になりますか?」
「先月よりも百キロ減らしてちょうだい。まだ在庫がしっかり残ってるの」
サンチョスは小麦の卸売商であった。
今日の訪問目的は、ルティアに今月の仕入れ量を聞くことだ。
「おやおや、今月も減らすのですか。あちらのお店は絶好調で伸びていますよ」
「あちら」というのは、昨日幸助が訪ねたもう一軒の穀物屋のことである。
昨日の不快な出来事を思い出して顔をしかめる幸助。
(あんな店主でも業績が伸びているのか。
世の中分からないものだな。
僕だったらあんな店、二度と行かないぞ。
もしかして悪いことでもしてるんじゃないか)
日本の買い物体験に慣れている幸助は、昨日のことをまだ根に持っている。
ツ○ッターでもあったら、すぐにでもつぶやきたいと思ったくらいなのだから。
「これ以上取扱量が減ると、単価が上がってしまいますよ」
「知ってるよ。そんなこと。売れてないんだから仕方ない」
「困りましたねぇ。私としても大切な小売店さんに儲けて頂かないと」
売り先が無くなっては困りますからねとイヤミったらしく続けるサンチョス。
サンチョスは周辺の農家から小麦を買い取り小麦粉などに加工し小売店に卸している。
卸価格は一か月間の取扱量で変動するという設定だ。
多ければ単価は安くなるし、少なければ高くなる。
至極当たり前である。
「先代がされていたように、住宅の戸別訪問販売をされてみてはいかがでしょう?」
「それはしないと言っている」
「ルティアさんのことを思って言っているのですがねぇ……。まあ仕方ありません。また来週小麦を持ってきます」
先代からのお付き合いなんですからお店をなくさないでくださいねと言い残し、サンチョスは去って行った。
「ったく、もう。訪問販売なんてきょうび流行らないよ」
馬車から巻き起こった生ぬるい風が砂埃を立てる。
ため息をつきながら幸助の元にやってくるルティア。
「よかったんですか? 僕ここにいて」
「いいんだよ。誰かに聞いてもらわないとやってられないよ。ほんとに」
唇をかみしめるルティア。
何か大変みたいですねと幸助が続けると、ルティアが店内の隅にある小さな席へ幸助を誘う。
「まあ、立ち話もなんだからここにでも座ってよ」
「あ、はい」
案内されたのは丸椅子二つに八十センチ四方くらいの小さなテーブルという、こじんまりした場所だ。
買い物に来た客と会話するのに使っているのであろう。
「さっき話題に出てた業績の伸びてる店って、昨日の話題に出た店のことですよね?」
「そうなの。あいつったらさ、ウチのお客さんに声かけて、ウチよりも少し安く売ってるらしいの。表向きの値段はウチと同じなんだけどね」
「イヤな奴だとは思ってましたが、そんなことしてるんですか」と憤る幸助。
「ウチは去年亡くなった父の代から買ってくれてるお客さんがほとんどなんだけどね。お客さんも世代が変わると今までの付き合いなんて関係ないし、安い店に流れちゃうんだよ。扱ってるものは同じだしね」
「確かに、扱っている商品はほどんど同じみたいですね」
小麦や豆類その他の雑穀まで、商品ラインナップはほとんど同じである。
この街の「穀物屋」という標準的なスタイルなのであろう。
取り扱い品目が同じで価格も同じとなると、店主と客との付き合いの長さや深さが重要になる。
しかし、ルティアは父の急死で店を継いでまだ一年である。
客との信頼関係もこれから構築せねばならない。
もちろん先代からお世話になってるからと買ってくれる客も多いが、価格につられて例の店へ流れてしまう客も多い。
ルティアからは諦めのような雰囲気が伝わってくるのも無理はない。
「それでね、さっきのサンチョスさんは気を使ってくれているんだけど、そのアドバイスが古くて」
「訪問販売って言ってましたね」
「そうなの。訪問販売はまだこの商業街に市場ができる前の手法なんだよね。いまどき訪問販売なんかしたら怒鳴り返されるだけだよ。あの人はそれがうまくいった時から商売してる人だから。仕方ないんだけどね」
そういうことかと納得する幸助。
先代がやっていたことが今もうまくいくとは限らない。
自分たちが同じことをやっていても周りが変化し続けるからだ。
得てして人は善意のつもりで自分の意見を言いたがる。
しかし善意のアドバイスだったとしてもそれが正しいとは限らず、害悪になることもある。
自分が経験した環境と相手が置かれている環境は違うからだ。
聞く側は鵜呑みにせず、そのアドバイスを自分の中で一度咀嚼しなければならない。
「まあ、そういう訳で今度仕入単価が上がったら、もうやっていけないんだよ」
「そうなんですか。それは困ってしまいますね」
「そうなの。何かお客さんが戻ってくれるいいアイディアがあったらいいんだけどねぇ」
ため息をつきながらテーブルへ頬杖をつくルティア。
それにより形成された谷間に幸助の視線が吸い込まれる。
と同時に、サラの時と同様の正義感が湧き上がってくる幸助。
「ルティアさん」
「うん? なんだい」
「あなたのお店、僕が流行らせてみせます!」




