1.行列のできないレストラン
※本文中に登場する手法は異世界固有のものです。
日本で通用するかどうかは分かりません。
※特にパスタレストラン経営の方、参考にする際はご注意ください。
「はぁ。今日も閑古鳥か……」
誰もいない客席に座り頬杖をつきながら、その店の給仕であるサラは大きなため息をついた。
ここはマドリー王国のとある地方都市にある、パスタを中心としたメニューを提供するレストランである。
今はランチタイムの真っ最中。
こじんまりとした店内にある六つのテーブルには客がひしめき合い、ひっきりなしに注文の声が飛ぶにぎやかな状況が繰り広げられている……のが理想であるが、店内を見渡しても客は一人もいない。
ランチタイムだけならまだしも、ディナータイムもこのような感じである。
「もう、暇で死にそう」
そんな状況が開店以来ずっと続いている。
いや、開店直後だけは近所の人が来てくれた。
しかしすぐに物珍しさも無くなったのか、人足はあっという間に遠のいていった。
ごくわずかの人は常連になってくれているものの、それだけでは店は回らない。
頼みの綱である新規客は全然増えてくれない。
たまに来る見ない顔は行商人だったり旅の人がほとんどで、常連になってくれはしない。
もちろん経営は火の車である。
家族経営なので、業績が悪いと家庭内も毎日ピリピリとした空気になってしまう。
食事もここ一ヶ月は残り物しか食べていない。
先日も仕入代金の支払いで両親は夫婦げんかをしていた。
思い切って大銅貨三枚もするスープを無料サービスにしたのが原因のようだ。
「何とかしなきゃいけないのに」
焦りはするものの行動には起こせない。
まだ十四歳のサラには何をどうしていいか分からないのだ。
いろいろ考え一時は店内に花を活けていたのだが、経費を理由にそれもできなくなってしまった。
従って、彼女ができるのは来店してくれた客に笑顔で接客することだけである。
しかし来店客のいない今、それすらすることができない。
一緒に給仕をしていた母ミレーヌは、とうの昔に店の手伝いをやめてしまっている。
「何でかなぁ。お父さんの作るパスタ、すっごく美味しいのに」
サラの父アロルドはローマリアン帝国で二十年間料理人として研鑽を積み、一年前に故郷であるこの地に念願の店を構えた。
その腕は宮廷料理人にならないかという誘いがあったほどであるが、アロルドは自分の店を経営することに拘ったのだ。
トマトベースのソースに帝国産の輸入バジルをふんだんに使用したトマトバジルパスタが一番のオススメであり、それはサラの大好物でもある。
二十年来の夢が実現できるとあって、アロルドはかなり張り切って店づくりをした。
建物は予算の都合で妥協して小さなものとなったが、外装には拘った。
自ら大工に指示を飛ばしイメージと違えば壊してやり直しをさせた。
黒を基調とした壁には三十センチ四方の小ぶりな窓が四枚ついている。
窓にはこの世界では高級品である薄緑色のガラスがはめ込まれている。
重厚感のあるオークでできた扉の上に、小さく『アロルドのパスタ亭』と店名が入っている。
一言でいうならばその佇まいは「お洒落」そのものである。
「んーーっ」
サラは声を出しながら両手を頭の上にぐっとやり、伸びをする。
真っ赤なポニーテールが少し揺れる。
ずっと何もしないのも、それはそれで疲れるものだ。
ふぅ、と言いつつ目を小さな窓の外にやる。
住宅街から市場へとつながるこの道は、人の往来が多い。
馬車や多種多様な人々が行き交っている。
(この中の百人に一人でも来店してくれたらなぁ)
そんなことを考えていると、一人の青年が店の前で行ったり来たりしているのが目に留まる。
「あら、お客さんかしら」
サラは窓の外の様子を窺いつつその場から立ち上がり、給仕服である白と黒のエプロンドレスを整え、来店客を迎え入れる用意をする。
「黒髪の人なんて、珍しい」
青年は店の前をうろうろとしながら、時おりその小さな窓から店内を覗くようなそぶりをする。
ちょっと怪しい。サラが少しだけ緊張感を持ったその時、青年は意を決したのか一度頷いた後ドアに手を伸ばした。
ガチャ……。ギィ
重厚な音が静かな店内に響く。
小さな窓ゆえの薄暗い店内に明るい光が差し込む。
不安を隠すように精一杯元気な声でサラは挨拶をする。
「いらっしゃいませ!」
青年とサラの眼が合う。
真っ黒な青年の瞳が一瞬見開かれたような気がしたが、サラはそれに気づかない。
少しだけ間が空いた後、青年が口を開く。
「あ、すいません、ここって料理屋さんですか?」
「はい、そうですよ」
「バジルの香りがしたんだけど……」
「あっ、はい! ここはトマトバジルパスタがオススメの『アロルドのパスタ亭』です」
「おっ、やっぱり美味しそうな香りの元はここだったんだ。それをご馳走になるよ」
「はいっ。ではお好きな席にかけてお待ちください!」
そう言い残すと、サラは(強盗じゃなくてよかった)と安心しながらパタパタと急ぎ足で厨房へ向かう。
青年は厨房に一番近い席に座ると、店内に入り一層濃くなったその香りに目尻を下げる。
ほどなくすると厨房から声が聞こえてきた。
「お父さん、お客さんだよ!」
「うん? なんだ、聞こえない!」
「だ・か・ら、お客さんだってば!」
「お、おう!」
「トマトバジルパスタ一人前、よろしくね!」
「あいよ」
(この時間に客は僕一人か。お洒落な店構えだったし入るのに勇気が要ったな。でもこのバジルの香り、友達のやってたパスタ屋さんを思い出すし期待大だ。それに今の娘可愛かったなぁ。一瞬ドキッとしちゃったよ)
そんなこんなを考えながら窓の外を行き交う人や馬車をぼうっと眺める。
光の加減で外から店内は見えなかったが、その逆はよく見える。
剣を下げた冒険者らしき人、ローブを身に纏った魔法使いらしき人、魔獣を連れたテイマー、騎士、商人、子ども、多様な人々が喧騒を織り成している。
「本当にいろんなことがあったなぁ」
この世界に来てから半年、この街へは昨日着いたばかりである。
ふぅ、と息をつきながら青年はこの半年間で身に起こっていたことを回想する。
青年の名は松田幸助という。
その名が示す通り生まれは日本、育ちも日本である。海外なんて行ったことは無い。
それがなぜ聞いたこともないような名前の国にいるのか。その理由は半年前に遡る。
「あ、召喚できちゃった」
それが幸助がこの世界で初めて聞いた言葉である。
さっきまで東京の経営コンサルティング会社でいつものように深夜残業をしていたはずであったのだ。
それが気づいたらレンガ造りの古びた部屋の中におり、目の前には薄汚れた白衣を着た推定三十歳くらいの女性がいたのだ。
後で聞いた話だがこの女性はフレン王国という国の筆頭魔法研究者だそうだ。
禁書庫からたまたま発見した召喚魔法を探究心の趣くままに試したところ、運悪く幸助が召喚されてしまったのだ。
「ごめんね。還す方法は見つかってないの」
召喚されたものの幸助は魔法が使えるわけでもなければ剣の才能もなかった。
無責任に召喚してしまったものの、国は幸助の処遇を決めかねていたのだ。
そこで幸助は召喚したことを不問とする代わりにこの世界で自由に生活できる保障を要求した。
それが認められ、国からいくらかの謝罪金と市民権をもらうこととなった
果たして幸助は異世界で自由な時間とお金を得ることとなった。
そして悩んだ末、社畜時代には実現することのできなかった夢である旅に出ることにしたのだった。
文化や文明の違いに戸惑いつつも持ち前の柔軟さでそれを吸収しつつ、何となく決めた方角――西へと足を進めて半年。
国境を越えたどり着いたのがここマドリー王国のアヴィーラ伯爵領であった。
マドリー王国はトマトやワインの名産地である。
この世界では物流が発達しておらず、食べ物もワンパターンになりがちだ。
フレン王国での単調な食事に飽きた幸助は、マドリー王国の豊かな食材に心を癒されたのだった。
温暖な気候で生活もしやすいと住民からの評判も上々だ。
「お待たせしました。当店自慢のトマトバジルパスタです!」
元気のいい声に幸助は回想から連れ戻された。
コト、とテーブルの上の置かれたその白い器には、燃えたぎるように真っ赤なソースに絡められたパスタが湯気を上げ、濃厚な香りを辺りにふりまいている。
ところどころ緑色のバジルが彩を加えている。
トマトとバジルの香りが鼻孔をくすぐると、おなかの虫がきゅぅと鳴り「早く食べろ」と催促をする。
「こちらはサービスのオニオンスープです。ではごゆっくり」
テーブルの上にサービスというスープが入ったカップを置くと、サラは厨房へ戻っていった。
「いただきます」
フォークを手に取りパスタを巻き、口へと送り込む。
こちらの世界でも食事は欧米と同様のナイフとフォーク、そしてスプーンで食べる。
「うまい、これは完全なイタリアンだ。トマトの酸味とバジルの香りだけじゃなく、オリーブオイルとニンニクも効いてる。
シンプルだがうまい。素材そのものがいいのか?
もしかしたら今まで食べたトマトソースパスタの中でも最高ランクに入るんじゃないか」
思いがけず訪れた幸せなひと時を幸助は味わう。
しかし幸せな時間はそう長くは続かなかった。
一度食べだしたら手が止まらない。
あっという間にパスタを食べきった幸助は余韻に浸りつつも残念そうにフォークを置くと、左手にカップを取りスープを流し込む。
このスープも悪くないと幸助は思う。飲みなれたコンソメスープの味だ。この世界では贅沢品と聞いたベーコンも少量ではあるが入っていた。
最後のスープをゴクリと飲み干すと「ごちそうさま」と手を合わせる。
「ふう、美味しかったなぁ。いい素材を使ってそうだもんな」
そうつぶやくと同時に頭の中に、はたと疑問が湧き上がる。
その疑問を確かめるため、給仕であるサラを呼ぶ。
「ねえ、お嬢さん」
「えっ、ハイ! 今行きます」
パタパタと音を立ててサラがやってくる。
「すごくおいしかったよ。トマトバジルパスタ」
「でしょ。うちの自慢ですもの!」
そう言いながらサラは小さな胸を張る。
「エッヘン」という声が聞こえてきそうである。
「で、気になるんだけど、これって相当値段が高かったりするの?」
そう、匂いにつられて店に入った幸助は、値段を確認せずに注文してしまったのだ。
これだけの味付けはここ半年間出会ったことがない。
それだけいい素材を使っているのかもしれない。
店構えもお洒落である。
この世界はぼったくりも当たり前のようにある。
流行ってない理由はその価格にあるんじゃないかと考える。
「いいえ、大銅貨八枚ですよ」
「それってこの辺の相場?この街に来たばかりでよく分からないんだけど」
「はい相場内です。どこもランチは大銅貨六枚から十枚くらいですね。それにウチでは先月からは無料でスープもつけてるからかなり安い方だと思いますよ」
この世界の通貨は金貨・大銀貨・銀貨・大銅貨・銅貨で構成され、それぞれ十倍刻みで換算する。
ちなみに銅貨一枚は日本円で十円くらいのイメージだ。もっとも、日本とは物の価値も違うので、一日にかける食費で換算した場合であるが。
「うーん、値段が高いわけじゃないのか」
幸助は腕を組みながら考える。
(そうするとやっぱりこの見た目の印象が原因か。正直入りづらかったもんなぁ)
「どうかされましたか?」
「いや、ね。余計な話かもしれないけど、こんなに美味いのに何でこんな閑古鳥泣いてるのかな、と思って。てっきり価格が高いからだと思ってたよ」
「そうじゃ無いんですけどね。どうしてなんでしょう。実は、すごい悩みだったりします」
趣味でやっているから来店客は少なくてもいい、という店主をたまに見かけたことがあったので、幸助はこのパスタレストランもその類なのかと考えたが、どうやらそうでもないらしい。
「毎日こんな感じなの?」
「はい。恥ずかしながら……」
寂しそうに目を伏せるサラ。
そんな姿を見た幸助の心には、可愛い女の子の力にならねばという気持ちが湧き上がる。
幸助が日本で就いていた仕事は、経営コンサルティング業である。
店舗の経営改善には何度も携わってきた。
もっともまだ二十五歳の幸助はほとんど先輩社員の言いなり状態だったが。
「こうすればもっとよくなるのに」という想いを押し殺す日々が続いていたのだ。
「あ、すみません。こんなことお客さんに話すことでは無かったですね」
「ううん、全然。僕の方から聞いたことだし。それでねええっと……」
「私、サラって言います!」
解決できる方法があるかもしれないよ、と切り出そうとしたら突然名乗られた幸助。
名乗ってもらったのだからと、幸助も自己紹介する。
「それじゃサラ、僕は松田幸助。幸助って呼んでね」
「はい! コースケさん」
「それでね、サラ。もしかしたらこの問題を解決できるかもしれないんだけど」
「えっ! ほんとですか!!」
身を乗り出してその言葉にかじりついてくるサラ。
キラキラの碧い目から盛大な期待感が伝わってくる。
「え、えっとね。このお店はサラとお父さんの二人で切り盛りしてるのかな?」
「はい、本当はお母さんも手伝ってくれていたんだけどこの有様で。今は内職をしてるの」
「そうか、そうしたらお父さんを呼んでもらってもいいかな?」
「うん! ちょっと待っててね。呼んでくる!」
またパタパタと厨房へ走り去るサラ。
その後姿を見て、小動物みたいだなと一人ごちる幸助。
「なんだ、何の用だ?」
厨房からのそのそとガタイのいい男性がやって来る。
その顔は、いかにも『職人』という顔立ちだ。
年の頃は四十代半ばであろうか。身近な茶色の髪に少しだけ白髪が混ざっている。
腕は太く、多くのフライパンを振ってきたんだなという印象が伝わってくる。
「お父さん、もう、ぶっきらぼうなんだから。この方がコースケさんだよ」
「初めまして、松田幸助と申します」
「で、なんだって? アンタが俺の店を繁盛させてくれるっていうのかい?」
一歩幸助に近寄り、凄んでくるアロルド。
なんでこんなゴツイ人から小動物みたいに可愛い娘が生まれるんだ?
そんなことを考えながらも幸助はアロルドに宣言する。
「はい。あなたのお店、僕が流行らせてみせます!」