一人ぼっちだった飛車
飛車さんは悲しみました。飛車さんは将棋の駒です。将棋の駒の中でも一番強いのです。将棋で勝負することを対局といいます。飛車さんは対局中、とても強いのですから、いつも大活躍です。しかし、強ければ強いほど周りの人から怖がられるというのもまた真実だったりします。
将棋では飛車さんのような駒を大駒と言います。大きいという言葉の反対は小さいです。つまり将棋には多くの小駒もあるんです。小駒は5枚あります。それぞれ、金将さん、銀将さん、桂馬さん、香車さん、歩兵さんと言います。小駒のみなさんもそれぞれに個性があり、その場その場で大活躍します。いざ勝負、将棋の場合は対局というのですが、そうなれば真剣です。逆向きになれば敵同士なのです。どんなに普段仲良くしていてもそれは変わりません。
飛車さんは戦場狭しと駆け回ります。他の駒たちが飛車さんに恐怖するのは当然といえば当然なのかもしれません。自分の間合いの遥か先から、飛車さんの突撃があれば、誰だって驚きます。そして、飛車さんに飛び込まれたことは小駒なら誰でも経験があることなのです。
飛車さんも自分自身を孤高の存在だと思っていました。自分自身が強く、ほかの駒から見れば恐ろしいのも承知していたのです。そのため、嫌われてしまうのはしょうがないと思っていました。周りの駒から嫌われているという事実を受け入れていました。
しかし、ある日、自分と同じ大駒である角行さんが小駒と仲良くしていると知ってしまいました。
「新しい囲い考えたんだ」金将さんがしゃべっている声が聞こえました。
「おー、強そうじゃん」銀将さんが答えています。
「角行さんにも協力してもらわないとな」桂馬さんが提案します。
「飛車さんはどうする?」香車さんが聞きます。
「いいんじゃない、関係ないし」歩兵さんが言い、皆が頷きます。
飛車さんはその会話を聞いてしまいました。自分は関係ない、その言葉が心に深くのしかかりました。将棋は駒同士のチームワークが大切だと言われています。そのチームワークから自分が外されている。そう感じたのです。
飛車さんは悩みました。居ても立っても居られません。誰かに相談しなければ、自分を保てなくなりそうでした。すると相談できる相手が一人浮かびました。仲良くできている理由を角行さんに聞くことにしました。
「悩んでるんだ。みんなと仲良くなる方法を教えてよ」飛車さんは聞きました。
「何もしてないよ」角行さんはそう言ったきり黙ってしまいました。
何もしていなくて、仲良くなれるでしょうか。飛車さんはさらに聞こうとしました。しかし、角行さんの様子がそれ以上聞くことを許してくれそうになかったので、やめました。
しょうがないので、次は王将さんに相談することにしました。
「みんなと仲良くなりたいです」飛車さんは聞きました。
「なんだ、最近、暗いと思ったらそういうことか」王将さんはそう言いました。飛車さん委はその言い方がとても冷たく感じました。
「真剣に悩んでるんです」
「角行は皆に慕われてて、君は嫌われてるから?」
飛車さんは驚きました。各行さんの前以外で口にしてこなかった内容を王将さんにピタリと当てられてしまったからです。
「どうして、それを?」飛車さんは王将さんに聞きました。
「自分は普段から小駒の近くにいるからね。どういう状況なのかは把握してるよ」
王将さんの言葉を飛車さんは静かに聞いていました。
「それに、そのくらいのことわからないと、君たちの上には立てないよ」
王将さんが笑っています。飛車さんは深刻な顔をしています。
「きちんと君の悩みに答えようか」王将さんが笑うのを辞めて、真剣な顔をしました。飛車さんを強く頷き、話に耳を傾けました。
「角行の弱点はどこだと思う?」話を聞く準備をしたのに、王将さんは質問しました。
「頭、ですね」
「君はいつもそこを攻めている。角行は自分ではそこを守れない。じゃあどうする?」
「他の駒に守ってもらう」
角行さんは前には進めない駒です。将棋の最初の状態では、角行さんの前に飛車さんがいます。飛車さんの前の歩を進めるのが将棋の最初の手として有力と言われています。それは、飛車さんの動ける升目を増やすと同時に強力な角行さんの弱点を攻めることができるからです。
王将さんの質問を飛車さんも淡々と答えます。
「そこが君と角行の大きな違いなんだ。君の弱点はもともと桂馬が守っているから、わざわざ守ってもらうために、って考えがない」
「それと角行さんが皆から慕われていることに、なんの関係があるのですか」
「角行も悩んでるんだ。君のように、一人でも活躍できないから、とね」
「私だって、ほかの駒との協力があって……」
「ほかの駒を犠牲にして、自分が敵陣に突入する、それが攻めのセオリーだね」
飛車さんの頭に、「犠牲」という言葉が強く響きました。角行さんはほかの駒に守ってもらいながら、敵陣深くを睨みます。隙あれば、単独で切り込むのが角行さんなのです。
「なるほど。やはり私は和を乱していたんですね」飛車さんは静かに言いました。
「そんなことはないさ。皆、飛車が強いのは知っているし、自分の役割として理解している。ただ少し怖いんだよ」
「怖い?」
「君は自分が攻めの主軸にならなきゃ、って肩肘を張りすぎているんだ。周りの駒からすれば、俺の活躍の場を用意しろよ、って無言の圧力をかけられてる気がする。わしがそういうプレッシャーを君にかけていると感じられたら申し訳ない。でも、それが真実なんだよ」
飛車さんは驚きました。意識していなかったけれども、なんとなく感じていたことをズバリと言われたのです。そして、そのことがほかの駒に嫌な思いをさせていたことに気付いていなかったのです。チームワークなんて考えていた自分が恥ずかしくなりました。
「私は大駒失格ですね。自分が強いことをいいことに、自分のことばかり考えて」飛車さんは声を震わせながら、なんとかそう言いました。
「それならば、するべきことは一つだけだろう」王将さんは飛車さんのほうを見ながら優しくそう言い、どこかに行ってしまいました。飛車さんの中に、ある決意が芽生えました。
しばらくして、対局が行われました。飛車さんの近くになってしまった銀将さん、桂馬さん、香車さん、歩兵さんがほんの少し嫌な顔をしています。普段の飛車さんなら気にしてしまっていたでしょう。しかし、今日の対局は違います。飛車さんはそのときを静かに待っていました。
そしてついにそのときが来ました。そうならない対局も最近多くなってきましたが、飛車さんは幸運でした。飛車さんの道を開けるべく、銀将さんがまず出陣する構えになったのです。そんな銀将さんに向かって、飛車さんが言いました。
「ありがとう。いつも助かってるよ」
銀将さんは背中でその言葉を聞いていました。
その対局は、銀将さんの動きが功を奏し、飛車さんが悠々と敵陣を食い破り、圧勝に終わりました。対局のたびに、飛車さんは自分が周りの駒に受け入れられ始めたのを感じました。
「飛車さんがいてくれるおかげで、守りに専念できます」
ある日、金将さんからそう言われました。
「金将さんが王将さんを守ってくれて、角行さんが遠くから睨んでくれて、いざというときは突撃してくれるからだよ」
飛車さんはそう返しました。皆が皆、自分の役割を果たしている。例え、直接かかわらなくとも、その駒がいるおかげで自分の役割に集中できる。いらない駒は一枚もない。いつの間にか、それが将棋の駒たちの共通の考え方になりました。
今、飛車さんは頼りになる駒として、皆から尊敬されています。




