突然の出逢いと始まりと
出逢いはいつも突然に……
……なんては言うものの、そんな出逢いなどそうそうあるものではない。
出逢い自体は突然ではあっても、そもそも他人としか認識していない人間との出逢いなど、『突然に』なんて表現したくなるほど印象的には映らない。
だから、そんな言葉は眉唾物だ――
――と、信じていた。
「…………」
間違いなく――誰がどう考えても例外でしかない出逢いだが、これならば、『突然に』と表現したくなる。
『ズゅ、じゅぎでふ!』
全身を真っ赤にして、低く濁った、加工音声のような言葉を発するそれ。
俺が今まで聞き取れた限りの断片から推測した文脈が正しいならば、今の言葉は――
「好きです」
……どうやらそれは告白に分類される言葉のようだった。
*
……………………
…………よし、落ち着こう。
落ち着いて状況を整理しよう。
ここはよくある路地裏だ。雑居ビルなどが並ぶ地方都市の商店街では特に珍しい場所ではない。
そしてこの俺はそこらへんに転がっているような男子学生A。特に珍しい人間ではないだろう。
ただし、
『ダいズきナんですぅ』
巨大な触手にグルグル巻きにされた上に何故か告白されている点を除けば。
……どういう状況だよこれ。
俺を縛り上げる触手は、すえたような腐臭を漂わせ、ベチャベチャと粘り気のある体液を振りまきながら俺を拘束している。
ヌメヌメブヨブヨした感触が服や肌に触れて途方もなく気持ち悪い。
そしてその本体は、無数の触手を伸ばした、触手の塊か肉塊かと言うべき姿。これも吐気がするほどグロテスクで、ぶっちゃけ気持ち悪い。
俺には、この物体を形容する適当な名詞が、浮かばなかった。
妥協に妥協を重ね、すれすれ何とか近くないこともないと言えないこともないのは――『妖怪』とか『化け物』とか。
……しかし、何故俺?
妖怪が道すがら通りかかった人間を食べたり脅かしたりするならば、セオリーどおり俺は運が悪かった学生という事になるのだろう。
だがしかし、
『ズっと、ずっトズきデじタ。わだシ、サヒしかっタンでズよぉ』
あろうことか俺は眼前の肉塊から愛の告白をされてしまっている。
……よりにもよって、何故に告白?
その事実の前では、そもそも何でコレが人間の言葉を話せるのかという根本的な疑問すら瑣末な事に思えてしまう。
肉塊こと彼女(多分)は、ネチャネチャグチョグチョと鬱陶しい粘着音を立てながら身悶えしている(おそらく)。
触手同士の体液が糸引いてるし……
『でモわタシまっテイましタ。アなタがあいイにキてクれルって、ワタしノトころニきテくレルって、ジンじてマしタカら』
こちらのことなど意に介さない様子で、俺を拘束したまま告白を続ける彼女(推定)。
その発音は相変わらず聞き取りにくい加工音声のようで、聞いていて気分が悪くなる。
また、絶えず分泌されている体液が発するその強烈な臭いも相まって、俺は吐き気を催してきた。
『ダイスきでズ、アいしテイまズ。ア、あナたもワたシの――』
「気持ち悪――」
思わず、そう口にしてしまったのが、間違いだった。
瞬間。
ぶぅん、と空を切る音と共に、視界が一気に高速で流れる。
投げられた、と思った瞬間には、アスファルトに激突する感覚。
勢いのまましばらく転がり、遅れて五体満足であることを認識する。
『ひどイ、ギボジバルイって、ゾんナノひドすギル!』
俺を投げたそれは、身悶えしながら何やら悲しんでいるようだったが、ぶん投げられた俺にはそんなことを気にする余裕はなかった。
……幸いというべきか、頭から地面に激突したり、どこか骨が折れたりする事はないようだ。
だが、叩きつけられた際の衝撃で頭が少しくらくらしていた。
「く――」
小さく頭を振り、意識を保とうとする。
『……コろス』
呼吸を落ち着け、彼女(仮定)を見やったとき、ふとそんな言葉が聞こえた。
「え?」
『あナタをコロシてわタシもしヌゥウウう!!』
絶叫。
ヒステリックな金切り声を上げ、触手の塊が凄まじい勢いでこちらに向かってくる。
「ちょっ――」
滑るように移動するそれは、体中から生やした触手を伸ばし、一息に俺を突き刺そうと――
「う……うわああああああああああああっ!?」
無意識に出てしまった、死を覚悟した叫び。
しかし、覚悟したはずの死は、
「あ……れ?」
襲い来るはずの、触手は、
――真っ二つに、断ち切られていた。
その代わりに、眼前に現れたのは、
「女……の子?」
そこには、美しい黒髪をなびかせた女性が、
目も眩むほどの白銀の光を放つ刀を振り、
凛と、そこに在った。
『がぎゃあぁぁぁああああぁあああぁああ!?』
その身の一部を断ち切られた痛みにか、触手が絶叫を上げる。
「逃げて!」
「え……あ……」
女性の放った言葉が、一瞬誰に向けられたものか解らなかった。
「早く逃げなさい!」
二度目の叱責にも似たその言葉に、ようやく自分に宛てられた言葉だと気付き、
「は……はいっ!」
慌てて、反対方向へと駆け出した。
だが、次の瞬間、
『ニげチャいヤああああアアあああアあア!!』
「な――!?」
「え――」
耳障りな叫び声と共に、目の前に、触手が落ちてきた。
「跳んだ、っての?」
ワケも解らないでいる俺の後ろから、呆気にとられたような女性の声がする。
そんなこちらの事など知ったこともないように、
『あタしトシヌのオおおオオおおおオおオ!!』
再び俺に迫る、触手。
「っ――『宗像』が奏す! 光を以って魔を禁じ封じよ!!」
同時に、後ろから女性が呪文のようなものを唱えるのが聞こえ、すぐに札のようなものが視界を走った。
それらが触手の両側から取り付き、閃光を発する。
その光に押さえつけられるように触手の動きが鈍るが――
『ジャまあああアアああアあアあ』
だが、その叫びと同時に、力ずくで光の膜を引き裂くように突破する触手。
「なっ!? ――『宗像』が奏す、天地神霊の御力を以って――」
焦りの浮かんだ声で早口に呪文を唱えながら、手にした刀を構えて俺の前に出るが――
『キぃエええエエえええアアアアああアアああああ!!』
「ち――中断! 発破十連ッ」
間に合わないと悟ったのか、女性は言葉と同時に、懐から出した札をばら撒き、それらが一度に熱と閃光と衝撃をもって弾けた。
「うわっ!」
『アひぃあアアあアああ!?』
その衝撃と閃光に紛れ、俺の手が掴まれた。
「行くわよ、掴まって!」
「え――」
「『宗像』が奏す。其の力、天翔ける翼となれ――」
そう唱えるが否や、俺は女性に腕を掴まれたまま、
「うわぁ!?」
空へ、飛び立った。
*
腕を掴まれたまま空を飛び、連れてこられた場所は、あの場所からそう遠く離れていないビルの屋上だった。
着地すると、女性は懐から人型の札を一枚取り出し、眼前に構え、
「『宗像』が奏す、形を以ってその存在を欺き騙し給え――」
そう唱えた後、天に向け放り投げた。
宙に浮いた紙は、水の中に放たれた魚のよう宙を泳ぐと、何処かへと行ってしまった。
「ダミーはこれでよし……と」
女性はそう呟き、それから一気に気が抜けたかのように、ふはぁ、とため息。
それから、右手に持った刀を腰に下げた鞘に静かに仕舞うと、ゆっくりとこちらに向き直った。
……改めて見てみると、かなりの美人だ。
安物のジーンズに、ミリタリージャケットを合わせた色気の欠片もない格好にもかかわらず、美しい黒の長髪も相まって、その物腰はどこか気品を感じさせ、それが彼女の女性らしさを否応なく引き出していた。
……ちょっと、いいかもしれない。
そんなことを思ってぼーっとしていると、
「自己紹介が遅れたわね。私は宗像彩香。神祇公安庁の神術士よ」
彼女はそう言って、懐から認識票らしきものを取り出した。
そこには彼女が言ったとおり、『神祇公安庁 八州公安局所属神術士 宗像彩香』とあった。
「神祇公安庁、って確か政府の……術犯罪を取り締まる組織、でしたっけ?」
「そう。国内の神術士や魔術士、錬金術士の監視と、『術』関連のトラブルの解決を担う執行機関よ」
『術』。
神術、魔術、錬金術などに代表される、この世界を支える精霊、神霊を自在に操り奇跡のような現象を起こす、科学とは別系統の技術体系によって構築された技術の総称だ。
大昔からあったとされるそれは、科学が発展した今日に至るまで、この社会を支えている。
重力制御によって空を飛ぶ航空船に始まって、今、目の前にしている建物や俺が着ている普段の服に至るまで、間接的にでも『術』の恩恵を受けていないものはない。
だが、同時にそれらの術を扱う術士は、個人が持つにはあまりにも大きな力を持っている。
なんでも、過去において術士が暴走した事例では、たった一人のために街一つ、地方一つがまるごと壊滅させられることがあったそうだ。
故にそれらの術は、幼少期に特殊な訓練が必要ということも相まって、未だに一般人には解放されず、伝統的な家柄の人間が限定して管理し、さらにそれを『術士狩りの術士』を擁する政府組織が徹底したチェックをかける。
この国発祥の術、神術もその例に漏れず、貴族とほぼ同義となる神術の家と、神祇公安庁によって厳格な管理下に置かれている。
そして彼女は『術士狩りの術士』に当たる人間のはず。
「でも、そんな神術士さんが何でこんな片田舎に……」
「学校かどこかで聞かなかった? 今日のお昼ごろに、この近くの北八州エーテル貯蔵施設で爆発事故が起こったって」
「そういえば昼休みに爆発音が聞こえたって騒ぎになってましたね、確か」
ネットで調べている奴らも居たが、俺は眠かったので無視していた。
ついでに言うとホームルームの話は基本右から左なので多分その時になにか言われていても記憶にはないだろう。
「その事故のせいで、今このあたりは魔力濃度が上がってて、幽霊や妖怪、魔物の類が出やすくなってるの。アレもその類ね」
ちなみにエーテルとは精霊の持つ魔力を濃縮し、擬似物質化したもので、主に錬金術で扱われていたもの。
現代では金属を始めとした素材として加工される他、単に魔力の貯蔵形態として利用される場合や、軍のエネルギー砲の弾に使用されたりしている。
「それを受けて魔物その他が出た時にすぐ対処できるように、と上から指示が来て警戒にあたってたんだけれど……間に合って良かったわ」
「……助けていただいて、ありがとうございました」
「気にしないで。それが仕事だもの。……でもなんか引っかかるのよね。君、なんか変なことしなかった?」
「何って言われましても……」
そう聞かれても、素人の俺には何がどう変にあたるのかは全く解らない。
いや、あんな怪物に襲われるだけで十分変なのは間違いないが。
「普通に学校から下校しつつ、適当に寄り道しつつ、ぶらついていただけですが……」
「んー……じゃあ、君の名前を聞かせてもらってもいいかしら?」
「あ、はい。俺は古坂圭介って言いますが……」
俺の自己紹介に宗像さんは、どうにも合点のいかないような表情を浮かべ、それから、
「古坂……聞き覚えがないわね。……親戚に神術関係の家は?」
「ないですけど……どうしたんですか?」
「いえ……なんでもないわ」
そう言って宗像さんは、怪訝な顔をしたまま口を閉ざしてしまった。
……何か意味のある質問だったのか?
そうは思うも、確かめる術も無いので、俺は、
「じゃあ……」
その沈黙を好機に、さっきからずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの、あそこに現れた妖怪って……何なんですか?」
「何、というと?」
「あの妖怪……あろうことか俺に愛の告白をしてきたんです」
「………………はぁ?」
「『好き』とか『愛してる』、『帰ってきてくれるのを待っていた』とかいろいろ……」
「ふむ……もしかしたらそれ、妖怪じゃなくて怨霊が実体化したものなんじゃないかしら。恋や愛を遂げられなかったり、待ち人が帰ってこなかったりとか、そういう怨念を抱えた霊たちだったのかも知れないわね」
もしそうだとすると、俺はなんだかものすごく悪い事をしたんじゃないのか?
出会って早々第一声が「気持ち悪……」だったし。
「君に告白したってのは、多分その場にいたとか、男だったからとか、その程度の理由なんじゃないかしら。あの手の怨霊になったものは基本的に個性が薄れて複数の霊が一纏めになってることも多いし」
「わりとアバウトなんですね、怨霊って……」
「ええ。だから手当たり次第でタチが悪いっていうのもあるんだけど」
そう言ってから宗像さんは、まあいいわ。と一つ頷き、
「恋愛ネタなら解決法も簡単ね。君、あの化け物の告白に応えてあげなさい」
「…………はぁ!?」
「怨霊を潰すには基本、しょうもない願いなら叶えてやるか、叶えられないものは実力排除になるんだけど、今回の場合は前者ね。恋愛系は叶えるのも難しくないし、かなりの確率で消えるから」
「な、なるほど……」
あの化け物相手となると若干抵抗はあるが、元は人間だったと考えれば……
うん。頑張れ、俺。
「……にしても、そうなるとますます解らないわね。恋愛絡みの怨霊なら、なおさらあんな化け物になる必要はないのに……」
「宗像さんにもわからないんですか?」
「ええ……こうなってくるとやっぱり君が怪しいんだけれど」
「はい? ……それって、どういうことです?」
「この辺は濃いといってもまだ自然実体化するほど霊力は濃くないし、恋愛絡みの怨霊が取る姿とはかけ離れている上に実体化の度合いが強過ぎるのよ」
「……と、言うと?」
「考えられるのは、誰かが意識的にアレを創りだしたってこと。でも犯人なんか見当たらないし、術式の痕跡もない。となれば、後は君のイメージが霊力を蓄えた怨霊に伝わって、具現化させたとしか考えられないわ」
「イメージが伝わって、って言われても……」
「君――なんか妄想しなかった? イカとかタコとかそんな感じの」
「タコの刺身は普通に好きですし、イカの姿焼きも縁日では結構食べますけど」
「そんなんじゃないわ。もっと生々しいイメージなんだけど……」
……生々しい……
あ。
「思い出した……」
「何? なんかあったの?」
「昨日ちょっと、ある本を読んだばっかりなんです」
「何の本?」
「詳しい説明は省きますけど、かなりホラー的な小説でして、そこに出てきた邪神が――
ちょうどあんな感じにヌルヌルグチョグチョしてました」
「…………オッケー。君、後で覚悟してなさい」
「うわぁ何ですかそれ!?」
「それはこっちのセリフよ! 邪神って何よ!? どうしてもっと弱そうなものを想像しなかったのよ!」
「そんな無茶苦茶な――」
「おかげでさっきはとどめを刺し損ねて危うく……まあいいわ。とにかく、そういう事は後回し。今はアレを何とかすることだけを考えましょう」
「ええ……って言っても、告白以外で俺なんかが役に立てる事なんて、ないと思いますけど」
「それは――」
『ドぉこおオオおオお! どコナのオオオおおオお!』
と、言いかけた宗像さんの声を遮って、あの妖怪の声が響き渡った。
アイツ……もう!?
「ち――ダミーを見破られたみたいね」
「どうすれば――」
「……応援はまだ来ないけど、これ以上時間を食って、他の人を巻き込むわけにはいかない……古坂くん、危険を承知でお願いするわ。私の作戦に協力してくれる?」
「……何か、俺でもできることが?」
「ええ。民間人を戦闘に巻き込むなんて、最低だって解ってるけど……その上でお願いしたいの」
「……こうなったら是非もありません。こちらからもお願いします」
「ありがとう……じゃあ、これから作戦を伝えるわ」
*
『こロスかラぁああアあ! デぇてキテえええエエエぇ!!』
建物の影で深呼吸。
宗像さんから預かった札をしっかり持ち、言われた事を思い返す。
――作戦といっても、簡単な囮作戦よ。
――さっき戦った時気付いたんだけど、アレは君の事しか眼中にないようだったわ。
――だから君を囮にして、その間にあたしはここに儀式陣を組み、封魔式を仕掛ける。対妖怪用の落とし穴、みたいな感じのものと考えてもらっていいわ。
――それを使って動きを止めて、それから君が化け物に告白する。
――封魔式の儀式はきっかり三分で終わらせるわ。その間、君は奴が他の人に危害が及ぼさないように引き付けて、三分経ったらここに帰ってきて。
――大丈夫。君には私の符を託すわ。
――発破符と加速符。発破符の詞は簡単だし、加速符は私が先に詞を上げておくから。
現在、作戦開始から、十五秒。まだ二分四十五秒残っている。
これ以上でたらめに動き回らせれば、見知らぬ誰かに危害が及ぶかもしれない。
……覚悟を決めろ!
一気に飛び出し、腹の底から声を出す!
「ほら、こっちだ!!」
『みイいいツケたああああアアああアああ!!』
その迫力に少し怖気づくも、気合で持ちこたえる。
「喰らえ、『発破』!」
教えられたとおり、符を投げ、詞を上げる。
すると、わずかばかりの間を置いて、紙の札が、まるで手榴弾のように爆発した。
『がウゥあ……アあああアアアああ!!』
しかし、相手もその程度では怯まない。
やはり簡単な符ではこれが限界なのか――
『こロす、コロすころスウうウウうう!!』
なおも追いすがる化け物。
「こっちだ! 付いて来い!」
『ウアああアアああアア!!』
そう言って、さらに人気のない方へと誘い込む。
相手が付いて来られる様な速度を維持しつつ、近づきすぎたら迷わず発破符で吹き飛ばす。
宗像さんから貰った符のおかげか、あんなに恐ろしい相手だったはずの化け物に、ある程度の余裕すら感じるようになっていた。
……こんな面倒な走り方をしたのなんて、小学校の鬼ごっこ以来じゃないか?
いや、中学校でもしてたか、とどうでもいいような思考を巡らせ、腕時計を見る。
作戦開始から、一分三十秒。残りはあと半分。
――よし。
学校の帰りに寄り道ばかりしていたおかげで、ここの地理はほぼ完璧に頭に入っている。宗像さんが儀式陣を張っている場所までは今のペースでは一分弱といったところか。
――決着だ。
そう意気込み、化け物を見返す。
これでやっと……あの肉の塊と、おさらばできる。
「ほら、今度はこっちだ! 付いて来い!」
『うガああアアアアアああアああアアアあああ!!』
そう言って俺は一路、宗像さんの居る場所へと向かう。
*
「宗像さん!」
戻ったそこには、既に儀式を終えていた宗像さんが居た。
「古坂君――」
俺の顔を見た宗像さんは少し安堵の表情を浮かべ、
「――来たわね!」
「ええ!」
俺の後ろに付いて来ている化け物を視認し、不敵な笑みを浮かべた。
『まあああテエエええエエええ!!』
一本道の路地。
化け物は、俺をめがけて真っ直ぐ駆けて来る。
「さあ、来い!」
だが、俺と化け物の間には、宗像さんが仕掛けた儀式陣がある。
俺を追うには、そこを通らざるを得ない。
……勝った!
そう確信した瞬間――
唐突に、化け物の姿が、消えた。
「え――」
一瞬の事に戸惑う。
だが……すぐに何が起こったか理解した。
そうだ、最初にも、こんな事が――
「跳んだ!?」
一本道の路地、逃れられない罠。
奴はそれを、跳び越えたのだ。
「罠を見破ったって言うの!?」
飛び上がった化け物は、そのまま俺たちの真上に。
そしてその巨体は、そのまま慣性に引かれ――
「――『宗像』が奏す! わが身わが盟友を守護せよ――『発破』三連!」
瞬間、宗像さんが二つの符を同時に発動させるのが見えた。
左手には、見たことのない符、右手からは、三枚同時に真上に放たれた『発破』の符。
次の瞬間、俺たちのすぐ頭上で符が爆発した。
『がアああアアああアアアあああああ!!』
爆風に煽られ、化け物は儀式陣の向こう側に落下する。
対するこちらは、爆風をもう一枚の符が完全に防ぎ切り、なんともない。
転がり、再び動き出そうとする触手の塊を見て、宗像さんが苦々しく呟く。
「まさかあの化け物に罠を見破るだけの知能があったなんてね……甘く見てたわ」
「どうするんですか? これじゃあ……」
「決まってるでしょ。あたしが無理矢理にでもあの化け物を儀式陣に叩き込むわ」
そう言って宗像さんが手に取ったのは彼女の刀、皇国軍でも正式採用された軍刀『九式一文字』。
「宗像さん……」
「古坂君はここから動かないで――危なくなったらすぐに逃げなさい」
「でも……」
「大丈夫。儀式陣はまだ生きてる。最悪の事態からは程遠いわ」
『きエあああアアああアアアあああアアア!!』
「勝てるように、お祈りしてて……じゃあ」
そう言って宗像さんは化け物に正対し、静かに、力強く詞を上げ始めた。
「『宗像』が奏す――天地神霊の御力を以って、現世の悪を斬滅せん!」
瞬間、詞に答えるように、宗像さんの『九式一文字』が光を放った。
「行くわよ。タコだかイカだか邪神だか――」
宗像さんは光を湛えた刀を再度構え直した。
「斬って刻んでバラして、刺身にしてやるわ!」
*
『ギいイアあああアアアああ!!』
「はああああああああっ!!」
二本、三本と触手が斬り飛ばされてゆく。
その姿は――正に鬼神の如く。
伸ばされる触手を斬り飛ばし、逃げようとする相手を即座に符で押さえつける。
加速符で縦横無尽に飛び回り、化け物の動きを封じながら確実に儀式陣へと距離を詰めている。
「すごい――」
これが、彼女の全力。
「『宗像』が奏す――天地神霊の御力を以って、わが剣に打ち殴る力を与えよ――!」
その詞をもって、さらに『九式一文字』の光が増していく。
輝きを増した光は徐々に収束し、光自体が刀身を成す。
その光は、刀身を本来の五割り増しまでも巨大化した。
「はああああああああああああ!!」
その光の刃を、宗像さんはその全力をもって化け物に叩き付けた。
激突。
『ガぎャああああアアアアああああアアアあああ!!』
光が化け物に叩きつけられ、触手の塊はその衝撃のまま路地を転がる。
激突と同時に、光に焼かれた化け物は断末魔に近い叫びを上げながら転がり、
――儀式陣の上に、乗った。
「やった――!」
すかさず宗像さんが刀を構えて光の刀身を収め、
「八百万が神祇に、『宗像』三十五代が嫡子、彩香の名を以って皇に代わり奏上す――」
詞を上げながら、宗像さんは化け物の乗った儀式陣に駆け寄り、詞と共に、地面に描かれた儀式陣が白い光を放つ。
同時に、東西南北に添えられた符が呼応するように宙に舞い、光を放ち、
「――四式一刀をして、悪鬼を封ずる楔と成せ――」
そして駆け寄ってきた宗像さんが、詞と共にその手の刀を、触手の塊の中央へ力の限り突き入れる。
「伍式封魔陣――結!」
それが、合図だった。
『あアあああああアアアアアアあああアアアああああ……』
詞が終わるや否や、儀式陣から今までとは比べ物にならない光が発した。
化け物と宗像さんの姿が、強烈な光の中に包まれて見えなくなる。
……だが、数秒の内にその光は収まり。
光の陣の中に、奴は収まっていた。
体中を触手という触手に光の杭に穿たれ、地面の儀式陣に縫い付けられていた。
刀から手を離し儀式人から数歩間をとった宗像さんは、こちらに向き直り、
「古坂くん。いいわよ!」
俺にそう呼びかけた。
その声に、俺は一つ深呼吸。
そして、俺は改めてうねうねした肉の塊に相対することとなった。
*
眼前には、光の楔に封じ込められた化け物。
白い光にその身を焼かれながら、なおもウネウネと抵抗を続ける触手の姿があった。
それを見ながら、
……アレに、告白するんだよな?
俺の心のなかでは義務感と生理的嫌悪感が丁々発止の大立ち回りを演じていた。
ある程度の言葉は考えているが、大丈夫なのか自分。
とっさに変な言葉が口をつかないよう。さらに深呼吸を重ねて自身を落ち着ける。
一回、二回、三回。
そして、覚悟を決め、
「さっきは変なこと言ってごめん。本心じゃない。許してくれ」
まずは謝罪の言葉。
「俺も、お前にずっと会いたかった」
続けて『会いたかった』に対する答え。
「告白してくれてありがとう。すごく嬉しい」
告白に対する礼。そして、
「もしこんな俺で良かったら、一緒にいてもいいかな」
……答え。
俺の心をこめた、初めての告白。
――が触手の塊に持っていかれた瞬間だった。
……帰ったら泣こう。人知れず泣いて無かった事にしよう。
と、若干の後悔の念を押し殺しながら言い切った、僅かの後。
『ああああアアああアアああああああアアアアああああああああ!!』
俺の言葉を理解したのか、触手が全身をうねらせ、雄叫びのような、慟哭のような叫びをあげる。
『あ、アりガドう! ウれじイ。うレジい……』
さらにそう言葉を発し、それと同時にどす黒い闇が化け物から発され、その輪郭が崩れ始める。
その闇も、封魔陣の光に融けるようにその姿を薄めていき、
化け物の姿が掻き消える僅かな瞬間。
――ありがとう。
光の中、かすかに少女の輪郭を映して、消え、
楔として突き刺さっていた『九式一文字』が、からん、と硬質な音を立てて儀式陣の上に落ちた。
*
「素晴らしい!」
低く響くその声が、どこから響いてきたのか、俺には一瞬わからなかった。
右へ左へ首を振ってみてみるも、姿は見えず――
「実に素晴らしい働きだったよ!」
突如、後ろから芝居がかった拍手と共に、その声が聞こえた。
「うわぁっ!?」
「せ……誠一郎叔父さん!?」
その姿を見て、素っ頓狂な声を上げる宗像さん。
え、今叔父さんって……?
「流石だよ彩香ちゃん。私たちが見込んだだけのことはあったということだね」
「ど、どういうことですか!? まさか、ずっと見ていたってわけじゃ――」
「ああ。ずっとね。ちなみに君たちが逃げ出した直後、この一帯を結界で包み、一般市民に被害が出ないようにしたのも私だ」
「結界って……ああっ!?」
何かに気付いたように驚く宗像さん。どうやら本当の話だったらしい。
まぁ確かに、裏路地って言ってもこんだけドンパチやって誰にも気付かれないなんて、おかしいと気付くべきだったよな。
……それだけ必死だったってわけだけど。
「そんな、結界が張られてた事にも気付かなかったなんて……」
「お前に気付かれないようにやったのだ。逆に気付かれたら引退を考えるよ、私は」
「はぁ……だから応援も来なかったんですね……」
なんだか凄く疲れたように見える。
まぁ当然だよな。アレだけ必死になって戦ってたのが、実は保護者の手のひらの上だったんだから……
「でも、何でこんなことを?」
「目的は二つあるが……彩香ちゃん、君はまだ本格的な妖怪との戦闘は未経験だったね」
「あ……はい」
「私たち神祇公安庁の神術士は、単独で任務に当たる事が多い。そんな時、あの手の強力な化け物に運悪く遭遇した時にどうするか――この数年、お前が実際に任務をこなしてきた、その集大成を見たかったのだ」
「そう……だったんですか」
「それともう一つ」
そう言いながら、宗像さんの叔父さんは俺の方を見、
「……え、俺?」
「ああ。……君、名前は何と言ったかね」
「古坂、圭介ですが」
「古坂君、うちの子にならないか?」
「………………………………は?」
「叔父さん!?」
いきなり何を言い出すんだこの人は。
その冗談みたいな台詞に、さっき以上に驚いた声を出す宗像さん。
……一体どういうことだ?
「古坂君を戦闘に巻き込んだのは私のミスです。私の力量が至らなかったから――」
「いいや、大正解だよ彩香ちゃん。おかげで彼の力がよく解った。これほどまでの逸材は、そうそう転がっているものではないよ」
「ですが……っ!」
「一体……何の話をしているんです?」
「ふむ。そうだな……」
宗像さんの叔父さん……誠一郎さんは、そう言いながら少し思案顔になり、それから諭すような口調で話し始めた。
「古坂君。君は神術が、我らが君主たる皇を筆頭とする神術家に独占されている理由を知っているかね?」
「ええ。一般人が軽々しく持つには危険な力なのと、幼少期に特殊な訓練が必要だからとかって聞いていますが……」
そう。うっかりすれば街を滅ぼしかねない力を個人が持つのは危険であり、幼少からの訓練には多額の手間と費用がかかるから、未だ一般人には術の修得は認められていないはず。
特殊な訓練……
ん?
「……でも俺、宗像さんに渡された符とか使ったような……」
緊急事態だったのと、あまりに自然に渡されたものだから、何の疑問もなく使ってしまっていたが。
「そう。君は神術の訓練とは縁遠い、普通の家庭で育ったはずだ。……にも関わらず、限定的にしろ神術が使えた」
「まさか、そんな……でも、だって俺……」
「今回の化け物も、自然に実体化したものとは、私にもとても思えない。おそらくは君がその神術士の才能をもって、無意識に創りだしたものだ」
「そんな事って……」
「これも、一般人に術は開放できない理由の一つだ。神術士の能力がありながら制御が未熟な時期は、何かしらおかしなことが起こる。今回のようにね」
「神術士の家では一人育てるのに平均で三人のベテランの神術士が常に目を光らせつつ、専用の訓練施設に缶詰にならないとダメなの」
じゃないと家や近くの街が吹き飛んだり変質したりバケモノが無尽蔵に湧いて出たりするからね、と宗像さんはそう付け加えた。
「だが、そもそもこの力は、元はと言えば人間が生きる中で自然に発現したものだ。我々は神術士の一族はそれを人為的に発現させているに過ぎない。だが、自然に術が使える人間は、一定の割合で今の時代にも存在する。そして、そういう人間を見つけてとっ捕まえて仲間にするのも、我々の仕事でね」
……なんとなく話が読めてきた。
つまりは、
「俺に……神術士になれ、ってことですか?」
「そうだ。私達宗像家は君の、神術士としてのその才能が欲しい」
「…………俺の、才能」
神術士としての、天性の才能。
もしそうならば、俺に選択する余地は、あるのだろうか。
秤にかけられるのは、漠然とした将来。
才能と言う才能にも恵まれず、目指すものも曖昧だった人生。
だが、その人生の中に大切なものがなかったかと言えば嘘になる。
それらは、間違いなく今の俺を作り上げているものだったから。
でも――
「わかりました……俺の才能、あなた方に託したいと思います」
「古坂君!?」
それでも俺は、このチャンスに賭けてみたいと、そう思った。
「そうか……ありがとう」
「ええ。上手くやれるかどうかはわかりませんが……」
「古坂君……いいの?」
「ええ。……そんな才能があるってのなら、生かしてみたいですし、それに――」
「それに?」
「神術士になれたら、宗像さんとも一緒にいられますし」
「え…………ええええっ!?」
冗談めかしてそう言うと、宗像さんは目を真ん丸にして一瞬で真っ赤になった。
「そ、そ、それって……」
「だから、ほら、宗像さん、頼りになるし」
と言うか、真っ赤になって本気でわたわたし始めた宗像さんを見て、なんだか無性に恥ずかしくなってきたので慌てて訂正を入れる。
「えっ? あ、そ、そうかなっ あは、あはは……」
あからさまにテンパってる宗像さん。
さっきまでの凛とした姿が印象的だった分、
……やばい。これはこれでなんか可愛い。
そこに、そんな俺達のやり取りを見て、ニヤニヤしていた宗像さんの叔父さんが――
「そうだな、古坂君。何ならウチの養子じゃなくて、彩香ちゃんとこに婿入りするか?」
――割ととんでもない事をさらっとのたまって下さった。
「えええええええええええええええええええええええっ!?」
今度こそこっちがビックリするぐらいの大声で、飛びあがらんほどの勢いで動揺する宗像さん。
「そそそそそんないきなりっ!? というか心の準備が、じゃなくてまだお付き合いもまだなのにそんなそんな……」
「いいだろう? さっきの一戦がお見合い代わりだと思えば、あながち悪い夫婦でもないように見えるがなぁ」
「ふ、ふうふっ!?」
なんだか話がどんどん変な方向へ流れていっているような……
「……とりあえず、婿入り云々はおいといてください」
「ふむ、まぁそれはおいおい考えていけばいい話だな」
「か、考えなくていいですっ!」
そう力強く断言されると、それはそれで微妙に寂しい気が……
いや、そうではなくて。
「とりあえず、だ。古坂君……いや、圭介君」
「はい」
「宗像家へようこそ。我々は君を心から歓迎するよ」
「よろしくね……け、圭介、くん……」
「はい……よろしくお願いします!」
こうして俺は、数奇な出逢いと戦いを経て、
非日常が日常である世界へと、足を踏み入れることになった。