第6話 『艦内遭難者になりまして』
目を覚ましたのは、通商船と合流する5分前だった。まだ痛む鼻をさすりながら俺は第1艦橋に行く。
もちろん姫川は俺のほうなど見ようともしない。当たり前と言えば当たり前だろう。それよりも俺が気になったのは、副長席で座っていた姉さんの方だった。
あの笑いを堪えているような顔からして、どうやら姉さんの作戦に俺はまんまと引っかかったらしい。
悔しく思いつつ、俺は持ち場の席に座った。
ガラスの向こうに広がる広大な宇宙にはまるで砂金をばら撒いたみたいな小さな星々の明かりが煌めいていて少し心が和む。
「そ、その顔どうしたの?」
俺の左隣の席に座って銀河を操縦している鹿嵐が俺の方を見てかなり驚いている。やはり赤くなっているのだろうか。相当な衝撃だったからな。
「いや、ハリセンでぶっ叩かれてね」
「艦長の特注ハリセンだよね。でも、あれで叩かれてその程度で済んでいるなんて坂上君は奇跡だよ。機関整備課の大見君は2日寝込んでたくらいだからね」
「マジかよ。シャレにならねぇな」
あのタフガイで知られている大海が2日も寝込むとは恐ろしいツッコミだ。アズ姉の正拳突き食らって3メートルぐらい吹っ飛んでもピンピンしてる奴なのに1発のツッコミでノックアウトするとは恐るべし、姫川かぐや。
「そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名前は鹿嵐優。見ての通り、銀河の操縦士。よろしくね」
「ああ、よろしく」
「因みに僕の左隣に座っているこの女の子が総合オペレーターのイーシス・リークベルさん」
「よろしくお願いします。イーシスです」
鹿嵐を挟んで向こうの席に座っている銀髪の少女が軽くお辞儀する。総合オペレーターということは、全オペレーターを統括するキレ者だということだろう。見た目で判断するのはいけないとは思うが、第1印象で彼女の職種を当てられる人はそうそういないだろう。
「よろしく。坂上刀夜だ」
「イーシスさんのオペレーター技術の右に立つものがARIASにはいないって言われるほどなんだよ」
「へぇ。すげぇな」
俺より若いのに早くも凄腕オペレーターとして仕事をしているとはすごいな。確かに、発進時の手際の良さからして経験者だと思っていたが、正直驚きだ。
「それほどでもありません。ただ、毎日に積み重ねが生きているだけです」
彼女が言うと嫌味に聞こえないところがまた凄い。それほど努力しているということだろう。
テキパキと仕事をこなすイーシスは、アズ姉にみたいな真面目な女の子らしい。まぁ、慣れてくればうまく付き合えるだろう。
「通商船団の位置確認。予定通り輸送船5席の模様です」
メインモニターに白と赤の宇宙船が水平に並んで宇宙空間を漂っている。
「冬月型ね……」
艦長席に座っていた姫川がモニターを見てそう呟いた。細長い長方形を切って作ったようなボディをもつあの船は、10年前に量産された冬月型輸送船。旧式の輸送宇宙船だが、旧型戦ながらも足の速い部類に入る瞬足と機動性を持った現役船で、その全長は122メートルと銀河の半分ほどしかない小型の輸送船だ。
「艦長、通商船より通信が入っていますがどうしましょうか?」
「メインモニターに映し出してく-れる?」
「了解しました。メインモニターに出力します」
ほんの数秒で、宇宙空間を映していたメインモニターにスキンヘッドのオッサンが現れた。
真っ黒に日焼けしていて190センチほどありそうな高身長でガタイのいい体つきをしている。まさに、船乗りといった感じだ。
「おう、繋がったみたいだな。俺は船団長のニールだ。アンタが艦長かい?」
「初めまして。艦長の姫川かぐやです」
「ずいぶん可愛い嬢ちゃんだな。その船の名前は?」
「宇宙戦艦銀河です」
「銀河か。うん、いい名前だ」
オッサンは満足そうに頷き、カッカッカッと豪快に笑った。
「久しぶりね。ニール。相変わらず元気そうで何よりだわ」
副長席に座っていた姉さんが立ち上がり、帽子をかぶる。懐かしい友人だったのかその顔は優しい笑顔だ。
「おう。その声は風音か。お前さんもその船に乗っているのか」
「ええ。教官としてね」
「流星の魔女もいるとは鬼に金棒だな。今回も俺たちの船を頼んだぜ」
オッサンはそう言って通信を切った。最後までなんというか豪快そうな人だった。さっきまでオッサンが映っていたメインモニターに星間地図が映し出された。
今回使用する月から木星までのルートが現れ、現在地点が青点で表示されている。
「艦長。船団のどの位置に銀河を配置しますか?」
「そうね……。小惑星帯までは銀河を前方に配置。小惑星帯に突入次第、交代で哨戒機を飛ばして後方からの襲撃に備える方法で行くわ」
「了解しました。船団長にそうお伝えしておきますね」
「ん、お願い」
コンソールパネルの上でまるで手が踊っているかのようなタイピングで情報を打ち込んでいくイーシス。
通常の通商船護衛は最低でも2艦で行動する。通商船団を狙ってくる海賊船は自艦もターゲットもなるべくダメージを少なく済むように複数で襲撃してくるからだ。
荷物を沢山積んで、足の遅い民間通商船の歩みをまず止めるには後方からエンジンを破壊するのが1番リスクを伴わない。更に、通常のレーダーなどで探知されにくい小惑星の影に潜んで、不意打ちによる短時間の戦法がセオリーというものだろう。
故に、強力なレーダーと攻撃力を持つ戦闘艦で通商船団の前後を守るように進むのが通商船護衛における常識だ。
今回の護衛任務では銀河しかいないため、交代制で哨戒機を飛ばしてより早く海賊の位置を知り、不意打ちを受けないようにしようと姫川は考えたのだろう。
伊達に、艦隊シミュレーションで準優勝した戦略家ではないようだ。個人的に関わりたくない人間だが、艦長としては合格点の素質を持っている。
「刀夜、艦内情報の最終チェックが終わったら、第3格納庫に行って来てくれる? そこに試験機の整備士がいるはずだから、機体のレクチャーを受けてきなさい」
姉さんが副長席で分厚い報告書に目を通しながら俺にそう言ってきた。
「持ち場を離れて構わないのか?」
「オートモードにしておけば大抵の仕事はしてくれるから大丈夫よ。それに火星までは他の民間船や武装艦が結構いるから、海賊に遭遇することは滅多にないわ」
「分かった。今の仕事が終わったら行くよ」
「私も休憩にするわ。鹿嵐君には悪いけど、休める時に私は休んでおきたいから。火星を過ぎてから忙しそうだし」
姫川はそう言って席から立ち上ると、腕を伸ばして背伸びをした。
「いえいえ、構いませんよ。僕は船を操縦している時が1番幸せですから」
「それじゃ、お願いするわね。何かあったら呼んでくれる?」
「了解しました。艦長もゆっくり休んできてくださいね」
姫川に続いて第1艦橋から何人か出て行ったので艦橋内は一気に静かになった。
黙々と書類に目を通す姉さんがめくる紙の音と様々な機械が発する静かな起動音だけが聞こえるだけだ。
「よし。俺もあがるとするか」
艦内情報の整理と各人員の配置報告書と現場に間違いが無い確認したので、俺は席を立ち上がった。
「鹿嵐。すまないが先に失礼するな」
「うん。銀河の内部構造は複雑だから迷子にならないようにね」
「分かった。気をつけるよ」
鹿嵐にそう言い残して俺は第1艦橋を出た。目的の第3格納庫は第1艦橋から下に降り、艦底艦橋いわゆる第3艦橋の手前にある。戦艦の内部構造は非常に複雑なため、きちんと通路を理解していないといとも簡単に迷子になってしまうらしい。
俺に限ってそんなことはないだろうと思い込んでズンズンと進んでいったのが敗因だった。
「う~ん。意気揚々と出たのはいいが迷っちまったな」
ものの見事に、艦橋を出て10分足らずで完全に迷子になってしまった。
「マスターこの道に来るのは3回目すよ」
「うへ……。どこに来ちまったんだ?」
仕方なくさっき来た道を戻るため後ろを振り向いた時だった。ちょうど胸のあたりにボンッと何かが衝突した。
「フミャ!」
続けて子猫みたいな声と共に何枚かの書類が空中に舞い上がる。
「おっと、スイマセン」
反射的に謝り、相手が大丈夫か視線を下ろすと、尻餅をついている少女がおでこを抑えていた。
赤い髪の上にちょこんと乗っている暗緑色の帽子に、アーモンドみたいな形の良い赤い瞳。俺より年下のその少女は慌てて散らばった書類をかき集め始めた。
「大丈夫でしたか?」
俺も書類集めを手伝いつつ相手に怪我が無いか確かめる。
「は、はい。大丈夫です。スイマセン、私の前方不注意でした」
「こちらこそ急に振り返ってすいません」
「全く、マスターは周り見えていないからこうなるんです」
「ハニャ! そ、その子喋るんですか!?」
突如俺に文句を言うお節介なユリアに赤毛の少女が驚く。驚くのと同じタイミングで頭のアホ毛が猫ヒゲみたいにみたいにピンッとなる。
「ちょ、ちょっと変わった機械なんですよ」
俺は苦笑いを浮かべて誤魔化しつつ、紙を拾い上げる。
喋るAIはそうそう珍しいものではないが、ユリアみたいに高度な知能を持って、自らの意思で喋るモノはそうそうないからな。ましてや、持ち主の愚痴を言うAIなんてコイツぐらいだろう。
床に落ちていた最後の紙を拾い上げ、彼女に手渡そうとした時だった。
「SB‐26J多目的航空機……?」
中身を見ようと思っていたわけでもないのだが、視界に入ったその紙に書かれた文字をついつい声に出してしまった。
「あっ、それは先日、銀河に積込んだばかりの試験機の書類です。私が担当している機体なんですが、今日パイロットの方が来られるらしいので書類をお作りしていたんですよ」
「試験機……。まさかそのパイロットって坂上っていうヤツ?」
「はい! 長官の弟さんらしいです」
なんということだ。迷っていた矢先に目的の人物に会うことができるとはこれはラッキーだ。
どうやらあまりにも不幸な俺を見て、神様も同情してくれたらしい。ナイス神様。後で、神棚に何かお供えでもしておこう。
「あの、俺が坂上なんだよ」
「えっ、本当ですか! よかったです~!」
笑顔を浮かべる彼女を見て俺もやっと安心できた。
「これで迷子にならなくて済みました」
……えっ?
さっきの安心感が一瞬でどこかに吹き飛んでいく。ま、まさかだと思うが彼女も迷子って訳じゃないよな。
うん、まさかな。神様も流石にそれは薄情というものだ。
そう想い、俺は少女に確認する。
「えっと、俺さ、ココに来たばかりだから道が分からないんだけど。道、知ってるよね?」
俺の言葉を聞いてさっきまでニコニコしていた少女の顔がみるみるうちに蒼白になっていく。
笑顔のまま血の気が引いてるぞ。
「あう……。スイマセン、私もつい最近ココに来たばかりなんです」
「そ、そっか。なら仕方ないね……」
前言撤回! 誰だよ。同情している神様がいるって言った奴。めちゃくちゃ薄情者じゃねぇか!
誰1人として人が通らない廊下が急に寂しく感じてきた。船の中のはずなのに、荒れ果てた荒野に置き去りにされたかのような気分だ。
「困りましたね。人が通らないのでどうしようもありませんし……」
廊下を見渡すが、俺たちを救ってくれる救世主は現れそうにない。
「下手に動き回ったら余計に場所が分からなくなるしな。人が来るのを待つしか――」
「アンタたちここで何やってるの?」
後ろの扉が開き救世主が現れたのだ。あてもなく立っていた俺たちの目の前に姫川が現れたのだ。
何故後ろのドアから現れたのか謎だが、地獄に仏とはこのことだ。何とか突破口が見えた。
「姫川か! 丁度、第3格納庫に行こうとしていたんだが、道に迷ったんだ。すまないが第3格納庫に連れて行ってくれ! お前しか頼れる人がいないんだ」
「わ、私しか?」
「ああ、お前だけだ!」
「お、お願いします」
あっけにとられた姫川の肩をがっちり掴んでそう言うと、なぜか姫川は上機嫌になり「仕方ないわね~」なんて言いながら俺たちの道案内をしてくれることになった。
自分だけが頼られたのがよほど嬉しかったらしい。よく分からないが1つ機嫌を治すいい技を知った俺は、心の中で密かにメモることにした。