3 オールトン家(1)
駄々っ子なヴァレンさんをなんとか宥め賺して部屋を出て行ってもらい、その間に着替えた。目を瞑ったり、後ろを向くだけではなんだか心許なかった為だ。透視とか、後頭部に第三の眼の開眼くらい、ヴァレンさんなら簡単にやりそうだ。あれ? そうなると部屋から出すくらいでは覗き防止不可能……? いやいや、そんなまさか。そんな私の不安を余所に忍もかくやといった素早さで彼の人は駆け寄ってきた。
「ああっ、ココロ! フィメアの服だっていうのが少し気に入らないが、その膝なんて見てるだけでそそるね……。ユーリャの家なんか行かずに今すぐ食べてしまいたいくらい、可愛いよ」
きらっきらの笑顔を見せてくれるが、またその台詞がなんとも不穏だ。視線で頭の先から爪先まで舐め回されているような気になる。しかし、膝ってマイナーな……。中学校、高校と只管徒歩通学で文化部だった私の膝に何があるとも思えないのだけど。
ユーリャさんから貸して頂いた爽やかなブルーのワンピースは白のふりふりレースがシンプルなそれに甘さをプラスしてくれているが、どうも着心地が悪い。私なんかがこんな一歩間違えばロリータなものを着てすみません、と土下座で謝りたくなる代物だ。ユーリャさんが用意してくれたものだからしないけど。それこそ似合わなさすぎて申し訳ない。
ヴァレンさんの手からなんとか逃れてユーリャさんの背中に隠れる。こそっと覗くと、手をわきわきさせていた。みぎゃあ! なんか怖いんですけど……! ヴァレンさんは黙っていればイケメンの筈なのに、残念な感じにしか思えない。態度かな、やっぱり……、と考え込んでると目が膝より下、足元に向いていることに気が付いた。
「そういえば、靴は?」
室内だから日本と同じ感覚でいたのだけど、見るとヴァレンさん達はきちんと靴を履いている。室内の様子から考えて文化は欧米のようなものだったらしい。それにどの道、外に出るのだから必要になることは間違いない。
「やだ! 忘れてたわ。うーん、歩きはちょっとキツいわね……。ヴァレンディア、貴方ウチまで送りなさいよ」
「そうだな……。ココロ、おいで?」
その「おいで」はなんですかっ!? その腕には飛び込みませんから! 誰がそんな危険に自ら飛び込むような真似をするか!
「術者に触れていないと同じ場所に上手く飛べないんだ。それに、より多く触れている方が確かだからね。途中で知らないところに放り出されたくはないだろう? だから、おいで。抱いてあげる」
なんか、最後の台詞が艶めいて聞こえるのは気のせいか。お子ちゃまは立ち入り禁止なめくるめくむにゃむにゃあはーんな世界に連れて行かれそうな予感がする。『だっこしてあげる』と同じ意味の筈なのに、なんだこれは! しかも、確かイーガルさんがヴァレンさんを連れて帰る時、彼自身には触れていなかったような気がする。これは、騙されてるのだろうか。だっこしたいが為に? ……ありえそうで怖い。
「嘘を教えない! ココあのね、ヴァレンディアの言ったことは殆ど嘘だから、騙されちゃ駄目よ」
首を傾げる私に、ユーリャさんが説明してくれる。勿論、身悶えしている変態は無視することにした。
ユーリャさんによると、魔術というのは世界に蔓延する神様の力を利用して行使するものらしい。まず、神様がいるというのが驚きだが、人の前に現れることはまずないようだ。原始の時代に魔術を授けた時にその姿を見せた、と今では伝承が残るだけだ。その辺りのことは本を貸してくれると言われたが正直、読めるとは思えない。言葉が通じていることさえ不思議なのに。……とまあ、それは置いておく。
火を熾すなら、火の神の力を陣を用いて集束し、人の世のものに転換をする。水を出す場合も、同様らしい。しかし、先程イーガルさんが使った空間転移はそれとは少し違い、陣を2つ使用する。まず、闇の神の力で陣の内にあるものをこの世のものとは分離させる。そして、それは対応するもう一つの陣に引かれ、そこで光の神の力を使いこの世のものに再転換するらしい。だから、陣が不完全だったり途中で邪魔が入ると、別の陣に引かれて正確に目的地へ辿り着かないということや、指が一本無くなることがあったりなかったりするらしい。こわっ! 確かな実力のある魔術師しか使えないから大丈夫だとユーリャさんは言ったが、それにしても失敗のリスクが高すぎる。どこでもドアとかそんな、ネコ型ロボットが簡単に出してくれるものじゃない。気付いたら腕一本無くなってたらどうするの!? 絶対いやだ。しかし、何か忘れているような気もする。首を捻る私を余所にユーリャさんは締めくくる。
「……まあ、というわけで、対象が陣にさえ入っていれば、術者とはくっ付いていなくても良いのよ。魔術師が移動しない場合もあるわけでしょ?」
だっこは必要無いということはわかったけど、それと同時に恐ろしさも知ってしまった。青ざめる私に、ぴとりと暖かいものがへばりついた。それと同時に太腿の辺りから何かが這い上がったきた。
「大丈夫だよ、ココロ。僕は世界で一番すごい魔術師だからね。君の為なら何だってできる」
勿論それはユーリャさんの説明の間黙って悶えていたヴァレンさんだ。私を後ろからそっと抱きしめ、青くなった顔を優しく撫でてくれる。もの凄く陳腐な台詞を言ったが、そこにいやらしさは全く無く、うっかり信じてしまいそうになる。
先程までのセクハラ発言と現在私の尻をさする不埒な手さえ無ければ。
「……ありがとうございます。ですが離れてください」
振り向き様に、にっこり笑って牽制。体をずらしてその腕から抜け出す。が、むずと片方の尻を服の上から鷲掴みにされた。服と言っても薄いワンピースみたいなのだから、指の形がダイレクトに伝わってしまう。
「みぎゃあ! 揉むなっ!」
昔親戚に安産型って言われたことがあるくらいだから、掴み易いのかもしれないけれど、セクハラ反対!
「ちょっとヴァレンディア! 良いこと言ったかと思えば直ぐそれ!? 夫婦でも無いのにお尻なんて触っちゃ駄目でしょ!」
「そうです! 私のおしりなんて触っても何も良いことなんてないです! ていうか破廉恥です!」
「だから、結婚すると言っているだろう? なんならストレイネスの前で誓約しても良いよ」
こちらを全く見ないでヴァレンさんはユーリャさんの抗議に応える。私を華麗に無視した。しれっとした顔でセクハラしておいての態度が頭にきた私は、対抗手段としてお尻を撫でるの手首を掴んだ。ぴく、と反応して手が止まる。そして、指を手の甲に滑らし手を重ねて、指の股の間から自分のそれを差し込んだ。やっぱり手を繋いでいないと危険だ、この人。溜め息を吐いてから目の前の人を見上げると随分満足げな顔をしている。
まさか、最初っからこれが目的……!? そういえば、初めに本来の要求より無理な要求をすると上手く事が運ぶとかなんとか聞いたことがある。
「……まあ、今は我慢しておいてあげる。ココロに嫌われたくないしね」
ずっと駄目ですよ! と声を大にして言いたかったが、言ったら最後どうなるか分からなかったので黙って手を繋いでいたら、何故かばっちり恋人繋ぎに直された。
「とりあえず! ヴァレンディア、移動しましょ」
空間転移というものか、と体を強ばらせるとヴァレンさんが私を安心させるように手に力を込めた。見上げると、優しい笑み。変態さを一切感じさせないそれに、また絆されそうになる。が、
「怖いなら、抱いてあげようか?」
「結構です!」
どこまでもヴァレンさんはヴァレンさんだった。無駄な色気ぷんぷんさせて! ふいと顔を背け、秀麗な顔を見ないように努める。
「ココロは本当に心配症だね。でも、僕を信じてほしい。絶対に、危険な目には合わせない」
「……なら、もうお尻触りませんか?」
私にとって一番危険なのはヴァレンさんだということはもう分かりきっている。ぎゅうと手を握りしめると、ヴァレンさんはうっと言葉を詰まらせ、宙に目を泳がせて少しだけ悩む素振りを見せた。だが、長い沈黙の末にぼそぼそと出てきた言葉は予想通りだった。
「……………………善処する」
確約はしてくれないのね。なんとなくわかってたけど! 溜息を吐き内心肩を落としていると、ばしとユーリャさんがヴァレンさんの頭を容赦なく叩いた。
「いたいな」
「はっきり言いなさいよ」
それからユーリャさんは私に向き直ると、じっとこユーリャさちらを見る。その瞳の奥が赤くゆらりと揺れたような気がした。
「ココが怖がるのは解るわ。だけど、ヴァレンディアは大丈夫よ。あなたに対しては少しおかしいけどね、彼は五指の魔術師だから、安心なさい」
『五指の魔術師』って、ナニ……? と目を瞬かせた刹那、周りが色を変えた。
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
ユーリャさんは満足げに笑う。
『大丈夫』。確かに私は大丈夫だった。いつ魔術が発動したのかも解らないくらい一瞬の出来事だった。瞬きの間に豪奢なベッドが在った室内から、日の光が暖かい屋外に移動していた。周りを見渡すと、青々とした葉が茂る樹が沢山生えている中の開けた場所に家が在る。
「さあて、行きましょ。この距離ならココは私が――」
ユーリャさんが言い終わらない内に私は抱き上げられていた。しかも横抱き。所謂お姫様抱っこというやつだ。乙女の憧れなのだが、背中と膝の裏に回された手には嫌な予感しか感じない。
「みぎゃっ! ヴァ、ヴァレンさん!」
「お尻は触らないから、暴れないでほしい」
「とか言って次は別のとこ触るつもりでしょう」
「……心外だな」
心配そうなユーリャさんに大丈夫だと笑いかける。ヴァレンさんは困ったような顔をしてみせているが、実先程からずっと困っているのは私だ。それに、誰がこの台詞を言わせたと思っているんだ、この人は。多分、ヴァレンさんが普通の態度でセクハラをしなければ、もっと素直にこの綺麗な顔に胸をどきどきさせて、乙女の反応を返せた筈だ。虎さんとの生活の時に嘗め回されたのは、上手く蚤取りをできない私を見兼ねてのことだったから許せる。というかあの生活では虎さんにおんぶにだっこだった為大変申し訳なく思っている。あれをセクハラと考えると私の中の何かを無くす気がする。あの時は猫だからセーフ! セーフったらセーフ!
それにしても、これからは人に戻れたし、厄介になるのだからユーリャさんの家ではそれ相応の働きをせねば! そう決意を固めている間に家の周りにある柵を通り過ぎ、家はもう目前に迫っていた。赤茶色の煉瓦を積み上げて出来た家。真ん中だけ二階建ての家屋になっており、そこから一階部分だけ左右に飛び出している。全体的な大きさとしては日本の一般的な住宅より少し大きい位だろう。
「漸く到着ね。少し、賑やかだけど、歓迎するわ。ココ」
ユーリャさんが私達よりも先に立ち、扉を開けようと手を掛けた。しかしその時、先に内側から扉が開いた。
約二か月と一週間ぶりです……。定期更新できず申し訳ないです。
寝ぼけながらの投稿なので、加筆修正を行うやもしれません。
誤字脱字もありましたら報告お願いします。
ここまで読んで下さり有難うございました。