2 子猫の名前
「僕に君の可愛らしい名前を教えてくれないかな?」
「教えません」
「寧ろ此処に書いてくれたら嬉しいのだけれど」
「いえ、ちょっと此方の文字はわかりませんので遠慮します」
「では僕が書いてあげるから名前を」
……なんて攻防を、変態からシーツを死守しつつ繰り広げている時だった。
「ヴァレンディア! 漸く身を固めると聞いたぞ!」
ばん、と大きな音を立て扉が開き金髪で大柄の男性が入ってきた。扉がぶつかったのか乱入者さんが床に倒れている。可哀想に……。哀れむ気持ちで見つめている間に金髪の男性はベッドの側までやってきていた。
「おお! お前がヴァレンディアの妻か。確かに犯罪かもしれんな」
その言葉を即座に否定する。
「違います!」
妻ではない! 犯罪なのは間違いではないけど。私はまだ高校生なんです。親の許可が必要な年齢なんです!
「なんだ違うのか? 妻が未成年者ならヴァレンディアの年を考えると犯罪になるんだが、そうか。うむ、16歳には見えんが、成人はしているのか。なら安心だな」
「そこじゃありません! 妻だっていうのが嘘なんです! 誰からですかそんな情報っ」
根も葉もない! いや、あるのか? このヴァレンディアさんが変態だと知らなければ、初対面が人形だったら、整った顔にほいほい騙されたかもしれないけど……。
「嘘なのか? ヴァレンディアが幼妻を連れて帰ったとエヴァンスが言うから……」
そんな嘘を言った早とちりなエヴァンスさんってどなた? そういう顔をしていたのが分かったのか、男の人は答えてくれた。
「うちの副議長だ」
へーえ。議会制なのね此処は。地方都市とかそんな感じなんだろう、と考える。あれ? その副議長のエヴァンスさんのことを尊大な口調で話すこの人は何者ですか?
「邪魔しないでくれないかな、陛下」
ぶすっとしたヴァレンディアさんが横槍を入れる。ああ、いたんですね。消えてくれれば……って、陛下? 陛下ってあの陛下? 王様と同意語の?
「別に邪魔はしとらんだろう。何か不都合でもあるのか?」
金髪の人を改めて見てみる。確かに、大柄な体格には王様って威圧感はあるかもしれない。威厳は感じられないけど。だって、ヴァレンディアさんタメ口だもの。
「イーガルでさえ僕と彼女の愛の語らいを邪魔しないよう、空気を読んでくれていたのに」
「あれは魔術で拘束をされていたように見えたが気のせいか」
「まさか。気のせいでは? イーガルは下手な魔術師の拘束には捕まらない実力はあるでしょう」
拘束って、あのイーガルって人途中からなんか気配ないなとか思ってたんだけどそういうことか! 人の姿では会って数十分だけど、この人なら有り得ないことではないと思わされる。その気になれば、私だって……と考えてぞっとした。背筋がひやっとする。私は、とんでもない人に目を付けられたのでは?
「ヴァ〜レ〜ン〜ディ〜ア〜」
地響きのように低い声が陛下の後ろから聞こえてきた。
「貴方ね、何もするなっていったでしょ! ま、まさかと思うけど、シーツ捲ったりしてないわよねっ!?」
現れたのは、燃えるように紅い髪をもった女性だった。しかも目が醒めるような美人で、二十代後半から三十代半ばといった感じだ。
「ユーリャ。僕は捲ったりなんてそんな。暑そうだったので足元に寄せただけで」
しれっと言うが、セクハラだ。私はもっとしっかりシーツを抱いた。
「なっ、何してるのよ! イーガルもどうして止めないのっ! 頼りにならないわね!」
「俺に本気のこいつが止められるとでも? 貴方じゃあるまいし」
イーガルさんが溜め息を吐く。そんなにヴァレンディアさんはすごい人なの?
「私も無理よ。――ああっ、可哀想に! ごめんなさいね、私が置いていったばっかりに!」
がばっと抱きつかれてぎゅうぎゅうと締められる。苦しいです……胸で圧迫されて。
「あのっ、えっと」
「でもね、安心して! 私が来たからにはヴァレンディアに指一本も触らせないわ! それに服を持ってきたのよ。娘の物なんだけど、どうかしらっ?」
離れたかと思えば、体にシーツの上から服を当てられる。腰の辺りで絞られたシャツワンピースのような感じだけど、襟の所や裾に金髪の天使が似合いそうなふりっふりのレースがこれでもかっ、と付いている。丈は多分膝少し下くらいだろうか。ぴったりだった。レースはともかく。
「あの子が10歳頃のだから心配してたんだけど大丈夫そうね」
……大きくないですか?
「さて、貴方――名前は?」
「あ、心です」
「ココロね。私はユーリャよ。ココって呼ぶわね。良いかしら?」
「はい。ユーリャさん」
お姉さんってこんな感じかな。男兄弟しかいないから、わからないけど。
ユーリャさんは艶やかに笑う。お子さんがいるように見えない。
「ふふ可愛い。女の子ってこうじゃないとね。――さて、みなさん。ココが着替えるから、出て行って頂戴」
ユーリャさんが振り返って言うと、二人は文句も言わずに出て行ってくれた。
あれ、そういえば、誰か忘れてない……?
「ココロ……」
みぎゃっ、なんか耳元で聞こえました!
「可愛らしい名前だね。君にぴったりだ」
うっかりしていた。この変態がいたのに、ぽろっと言ってしまうなんて。ユーリャさんとの会話に割り込んで来なかったのは、まさか名前を聞き出す為に黙ってたとか?
ヴァレンディアさんは私の頬を舐めるようにねっとりと撫でた。みぎゃあああ! ユーリャさん助けて、と見てみても一向に振り向く気配はない。いや、微かに動いている。まさか、拘束ってやつ?
「僕の名前も呼んで欲しい。ヴァレンディア――いや、ヴァルと」
「ヴァル、さん……ぷっ」
ユーリャさんが大変なのに、つい笑ってしまった。ヴァルさんって某殺虫剤の名前か! (ちょっと違うけど)駄目だこの美形で殺虫剤……。ひとしきり笑った後、目を丸くしているヴァルさんに言った。
「ヴァレンさんって呼びます」
私の心の平穏の為に言っただけなのだが、何を勘違いしたのかヴァレンさんはとろけそうな笑みを向けてくる。心臓に悪いレベルだ。美形って怖い!
「ココロ! さあ早速この書類に……」
「書きませんし書かないで下さい!」
「そんなこと言わないで……」
みぎゃっ、シーツの上から太腿を撫でられています! そうっと指先が触れるか触れないかという風にしていたかと思えば、手のひら全体で感触を楽しむように撫でられ、あらぬところがぞくぞくするようなしないような……。うう、乗せられちゃだめだ!
くすぐったい感覚を我慢していると、いきなり腕を引かれ豊満な胸に引き込まれた。
「もうっ、やっと解けたわ……。ヴァレンディア貴方こんなものまで持って! 結婚は神聖なものなのよ! 女神ストーレィの名の下に行う――」
やっぱりあれは婚姻届的なものだった! ヴァレンさんから逃れられたことと、判明した書類の用途に呆気に取られてユーリャさんの言葉も頭に入ってこない。
しかもさっきのヴァレンさんのあれはなんかこう、保健体育な感じだった! 先を想像して恐ろしくなる。考えてもみろ私、あんなイケメンの前で素っ裸を晒せるか? 否! 猫の時でもあるまいし、絶対無理だ。猫には毛というものがあった。服を着せる飼い主もいるそうだけど、基本的に裸だ。猫ならそういうものだと認識しているから良い。だけど人は別だ。私みたいにドラム缶のような寸胴は他人には見せられない! 勿論見せる気もない。
「とりあえず! ココは私の家で預かります!!」
「駄目だ!」
「えっ? 本当ですかユーリャさん!」
天の助けだ! このままでは強制的にヴァレンさんに嫁入りさせられる。それはなんとか回避しなければ、操が危ない気がする。否、気がするではなく確実に! ほっとする私と裏腹に、ヴァレンさんはユーリャさんの提案に首を振った。
「駄目だ駄目だ! 貴方の家は男ばっかりなのに。ココロに目を付けたらどうしてくれる!」
「女の子もちゃんといるわよ」
「フィメアだけだろう! ラロなんて年頃だし……とにかく駄目だ、ココロは僕のだから!」
駄々っ子か! 危うく口に出してつっこみかけた。しかし、ユーリャさんの次の言葉には自制が利かなかった。
「婚姻前の男女の同居は認められないわ!」
「結婚前提ですか!?」
ユーリャさんは私の味方だと思っていたのに! がーんとショックを受けた私にこそっとユーリャさんは耳打ちした。
「とりあえずこう言っておけば、文句は言えないでしょ?」
なるほど。別に結婚するとかは確約したわけでもないし、ヴァレンさんと私が婚姻前なのも本当だ。
「ヴァレンさん、私、ユーリャさんのところで色々教わりたいです。駄目ですか……?」
そっと、ヴァレンさんの手を握る。これでもうセクハラはされまい。我ながらナイスな防止策だ。
ヴァレンさんの目を見てお願いする。虎さんなら、これで分かってくれていた。それにしても虎さんだった時も大きいと思ってはいたけど、人になっても背が高い。私は日本人の標準で足が短くて座高が高い筈なのに、ヴァレンさんをとっても見上げなければならない。じっと見つめていると、ヴァレンさんは標準を硬直させて呻いた。
「うぐっ……ココロ……貴方という子は……」
「はい?」
「わかった。但し、条件がある」
条件。一体何がくるのか。変態と認定したヴァレンさんだから、思わず手に力がこもる。そしてヴァレンさんは真面目な顔で言い放った。それはもう堂々と。
「一つ、僕もユーリャの家に住む。二つ、僕とココロは一緒に寝る」
「無理です! 特に二つ目っ!」
何故同衾しなければいけない!?
「そうよ! うちに余分な部屋は無いんだからね」
「ドゥイリオが増築させたと聞いたが、聞き間違いだったのかな。今年も作る気満々だと話していたみたいだけど」
ちらりと横目で見て言った言葉にユーリャさんは顔を髪と同じくらい真っ赤にさせた。何を作る気? 増築だから家?
「……それに、僕はココロと一緒の部屋が良いんだ。ねえ、ココロ。君もその方が安心でしょう? この数ヶ月、君を守ってきたのは僕なんだよ?」
うっ……。それを言われると辛い。確かに私1人、というか1匹では生き残ることはできなかっただろう。それ程全てを虎さんに依存して生活していた。それでも、今の虎さんに依存するかと言うと別だ。どうしてもあの虎さんとこの美形かつ変態な人が同一だと考えたくない。
虎さんなら、なあ……。
「あ」
「どうかしたの?」
「あの、……私は寝るときに虎さんなら構いませんけど……」
その言葉にユーリャさんは首を振った。
「だめよっ! そんなの許したら寝てる間に、」
「ユーリャは黙っていてくれないかな?」
ぴたりとユーリャさんの動きが止まり、顔が悔しげに歪む。
拘束をかけられている!
人を自分の思うままにするなんて、その人の意思を無視する行いだ。私はヴァレンさんを睨み付けて詰った。
「ヴァレンさん! ユーリャさんの拘束を解いて下さい! 酷いです! き、嫌いになります! 一緒に寝ませんっ」
最後の2つはそれ程意味はないだろうと思っていたのだが、私は変態を見誤っていたらしい。ヴァレンさんは必死な形相で私の手を握り、懇願するように迫ってくる。
「あああっ、嫌だ! 嫌いなんて言わないでくれ。もうしないから、寝るときにはちゃんと口付けも……」
なんか、どさくさに紛れて付け加えてませんか?
ユーリャさんも諦めてか、大きな溜め息を吐いていた。
ちゅーはしませんっ!
会話分多くてすみません。どうしても話せる人が出てくるとこうなってしまいます……。
次回はユーリャさんの家です。ふりっふりの服が似合う可愛い女の子がいるのかはお楽しみに。
誤字脱字、感想などがあれば頂けると嬉しいです。
ここまでご精読ありがとうございました。