毒杯を呷って死んだはずが、花畑で婚約破棄相手と口喧嘩してます~元緩和ケア看護師の悪役令嬢、命の理で偽聖女に『ざまぁ』いたします~
「お前との婚約を破棄する。聖女ミアを虐げた罪、万死に値する」
王太子アルフレートのその言葉を、わたし──セレスティア・ヴァルフォードは、まるで他人事のように聞いていました。
(あー、この感じ。緩和ケア病棟で余命を告げられた患者さんが、最初に見せる『拒絶』の顔にそっくりですわね)
そう。わたしには前世の記憶があります。
日本で緩和ケア病棟の看護師をしていた、あの記憶が。
卒業パーティーの大広間。きらびやかなシャンデリアの下、貴族たちの好奇と侮蔑の視線が、わたし一人に突き刺さっていました。
そして王太子の隣には、潤んだ瞳の少女──聖女ミア。
庇護欲をそそる愛らしい顔で、彼女はわたしを見て、そっと目を伏せました。
(あら。悲劇のヒロインごっこ、お上手なこと)
差し出されたのは、毒杯でした。
「……承知いたしましたわ。抗弁は許されないのでしょう? では、無駄な体力は使いません」
トリアージの基本です。助からない状況で暴れるのは、体力の無駄。
「な……その毒杯を、ためらいもなく呷るというのか」
アルフレートが、わずかに動揺した声を上げました。
わたしは静かに杯を傾けました。
(喉が焼ける。意識が遠のく……二度目の人生も、看取られる側かぁ)
二度、他人の都合で人生を終える。
ずいぶんと、間の悪い魂ですこと。
暗転。
──そして、目を覚ますと。
一面の、花畑でした。
見渡す限りの白い花。優しくて、どこか寂しい光。遠くには、静かに流れる川。
「……ずいぶん綺麗な死後の世界ですこと。三途の川のほとりって、こんな感じだったかしら」
わたしが呟いた、そのとき。
「うっ……ここは、どこだ……!?」
花に埋もれて、みっともなく這いつくばっている金髪の男が一人。
見覚えのある、というか、つい先ほどわたしを殺した張本人。
顔面蒼白で、優雅さの欠片もない王太子アルフレート。
わたしと目が合った瞬間、彼は叫びました。
「なんでお前がここにいる!」
わたしは思わず、令嬢の仮面を放り投げて言い返しましたわ。
「それはこっちのセリフですわ!!」
──────
「ようこそ、【黄泉の花園】へ」
花畑の真ん中に、いつの間にか半透明の少年が立っていました。
菫色の淡い光を纏った、触れれば消えてしまいそうな存在。
「僕はノクス。生と死の狭間を管理する、渡し守だよ」
「渡し守……つまり、ここは死後の世界ではない、と?」
「そう。生者でも死者でもない者が留まる場所。あなたはまだ、完全には死んでいない」
わたしは即座に状況を整理しました。看護師の癖です。
まず情報を集め、優先順位をつける。
「なるほど。飲まされた毒は仮死効果だけ。つまり蘇生の余地がある、ということですわね」
「賢いね。あなたの毒は、命を奪うものじゃない。境界に『落とす』ためのものだ」
その横で、アルフレートがふらふらと立ち上がり──なぜか川のほうへ、ふらふらと歩き出しました。
「殿下。どちらへ?」
「川の向こうに……光が……綺麗だ……」
(あー、これ。せん妄で点滴引っこ抜こうとする術後患者の顔だわ)
わたしは彼の首根っこを引っ掴んで、ぐいと引き戻しました。
「渡ったら死にますわよ、この大型犬」
「だ、大型犬……!?」
ノクスが、くすりと笑いました。
「面白いね、あなた。……この花が、なんだか分かる?」
「ただの花ではないのでしょう」
「この花は──一輪咲くごとに、現世で一人の命が消える証」
花畑が、しんと静まりました。
さっきまでの軽さが、一瞬で凍りつく。
背筋を、冷たいものが這い上がりました。
「そして最近、この花は異常な速さで増えている。誰かが……この花園の力を悪用して、命を刈り取っているんだ」
わたしの脳裏に、潤んだ瞳の少女の顔が浮かびました。
回復ギフトを持つと謳われた、聖女ミア。
あの、悲劇のヒロインごっこがお上手な少女。
「……なるほど。読めてきましたわ」
──────
「僕を殺したのは……ミアだと言うのか」
アルフレートが、青ざめた顔で震えていました。
わたしはノクスから聞き出した真実を、淡々と並べました。
「聖女ミアの正体は、【生命を刈り取る死のギフト】の持ち主。回復ギフトというのは真っ赤な嘘。彼女はこの花園で命を刈り、自らの力に変えていたのですわ」
「そんな……ミアは、僕を愛していると……」
「殿下を愛していたのではなく、殿下の『王権』を欲していた。わたしへの断罪も、殿下への毒も、すべて一つの筋書き。邪魔な公爵令嬢を消し、操りやすい王太子を頂点に据える──そのための盤面ですわ」
わたしは前世で、たくさんの『本音』を見てきました。
死の淵で人が漏らす、飾らない真実を。
だからこそ分かる。ミアの潤んだ瞳の奥に隠された、あの冷たい光の正体が。
「僕は……なんて愚かなことを」
「反省は後になさい。今は生き延びる算段が先ですわ」
わたしはノクスに向き直りました。
「渡し守。咲いた花を現世へ還す術は、あるのでしょう?」
ノクスの目が、わずかに見開かれました。
「……あるよ。でも、それには境界に落ちた命が一つ必要だ。普通は、術者自身の命と引き換えになる」
「あら。それは看護師的に、いただけませんわね」
自分の命を差し出して他人を救う。
そんな尊い自己犠牲は、二度目の人生ではもう間に合っています。
わたしは膝をつき、足元の花の根を、そっと指でなぞりました。
観察。これが、わたしの武器。
患者の顔色を、脈を、呼吸を、何万回と見てきたこの目。
「──やっぱり。この花、根が繋がっていますわね」
「え?」
「境界の花は、地下で一つに繋がっている。つまり、刈った本人と刈られた命は、根で結ばれたまま。ならば──逆流させられる」
刈った命の花を、刈った当人へ。
「ミア自身が咲かせた花を、ミア自身へ還す。彼女が奪った死を、そっくりそのまま背負わせるんですの」
ノクスが、初めて息を呑みました。
「……そんな発想、数百年で誰も……」
わたしは立ち上がり、菫色の瞳で静かに宣言しました。
「わたし、二度も他人の都合で殺されるのはごめんですの。今度は──わたしの命の理で、反撃させていただきます」
──────
ノクスと契約を交わし、わたしは現世へ一時帰還しました。
断罪の舞台となった、あの卒業パーティーの大広間。
時は、わたしが毒杯を呷った直後で止まっていました。
ざわめく社交界の全員の前に、死んだはずの公爵令嬢が姿を現す。
「セ、セレスティア……!? 生きて……!」
真っ先に悲鳴を上げたのは、ミアでした。
わたしは、貴族令嬢の礼をとりながら、静かに微笑みました。
怒鳴りはしません。凄みは、静けさに宿るものですから。
「聖女ミア。あなたの本当のギフトを、この場で証明してさしあげますわ」
「な、なにを言って──」
「【生命を刈り取る死のギフト】。あなたが奪ってきた命の数だけ、花園に花が咲いている」
広間の空気が、ざわりと揺れました。
「そんなの嘘よ! わたしは聖女! みんな知ってるでしょう!?」
「ええ。だから証明しますの。──ノクス、お願いします」
わたしが手をかざした瞬間。
ミアの足元から、無数の白い花が咲き乱れました。
彼女が刈ってきた、無辜の命。
その一輪一輪が、根を通じて『咲かせた本人』へと逆流していく。
「い、いや……なにこれ……体が……!」
ミアの愛らしい仮面が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。
潤んだ瞳の奥にあった、あの冷たい光が、恐怖に染まっていく。
奪った死の重みが、すべて彼女自身へ還っていく。
「そんな……そんな話は聞いてないわ!!」
「聞いていないのは当然ですわ」
わたしは冷ややかに告げました。
「それが──命の理ですもの」
因果応報。
自らが奪った死をすべて背負い、偽りの聖女は崩れ落ちました。
広間に、痺れるような沈黙が満ちる。
そして──刈られたはずの命の花が、次々と現世へ還っていく光が、大広間を優しく照らしました。
遠い街のどこかで、消えかけた命が、また息を吹き返す。
そんな気配が、光の粒に混じっていました。
──────
騒動が収まった後。
毒から回復したアルフレートが、わたしの前に立っていました。
あの威厳に満ちた王太子の面影はなく、ただ、深く頭を下げる一人の青年がいるだけ。
「セレスティア。僕は君を疑った。愚かにも、偽りの言葉に踊らされて、君を殺そうとした」
「ええ。存じておりますわ」
「花園で見た君は……有能で、辛辣で、そして誰よりも優しかった。僕は、本当の君を何も知らなかった」
狭間で共に過ごした、あの短い時間。
せん妄で川へ歩き出した彼の首根っこを掴み、毒で震える彼の手を看護師の手つきで手当てした、あの時間。
「償わせてほしい。……君を、もう一度」
「殿下」
わたしは、彼の言葉を静かに遮りました。
「まずは謝罪より、渡し守への手土産を用意なさい」
「……は?」
「わたしたちが生き延びられたのは、ノクスの契約あってのこと。順序というものがありますわ。恋の告白は、その後で結構ですの」
アルフレートが、ぽかんと口を開けました。
それから──ふっと、力が抜けたように笑いました。
「……敵わないな、本当に」
(この王太子、痛み止めなしで暴れてた術後患者だったくせに、ずいぶん素直になったこと)
わたしは内心でツッコミながらも、悪くない気分でした。
二度目の人生、少しは自分のために使ってもいいかもしれません。
──────
すべてが終わり、わたしは生者の世界へ完全に還る前に、もう一度あの花畑を訪れました。
黄泉の花園。
けれど、以前とは空気が違いました。
命を刈り取る禍々しさは消え、ただ静かで、慈しみに満ちた場所になっていた。
「ありがとう、セレスティア。この花園は、ずっと命を奪う場所だった。でも君のおかげで──命を悼み、慈しむ場所になった」
ノクスが、半透明の姿で微笑んでいました。
「あなたが手を貸してくれたおかげですわ」
わたしは、ふと気づいていました。
ノクスの纏う菫色の光が、わたしの瞳の色と、よく似ていることに。
(この子の纏う菫色の光……わたしの瞳とよく似ている。数百年、たった一人で……この子自身も、かつて誰かに『刈られた』側なのでは──)
看護師の勘が、そう囁きます。
この花園に最初に囚われた、たった一人の犠牲者。
けれど今は、問いませんでした。
聞くべきときは、きっとまた来ますから。
「そろそろ、行きますわ」
「うん。……ねえ、また来てね」
ノクスが、半透明の手を振りました。
数百年ぶんの寂しさを、その小さな仕草に込めて。
わたしは背を向けたまま、少しだけ振り返って答えました。
「二度と来るつもりはありませんけど……」
一拍おいて。
「……たまには、花を供えに来ますわ」
ノクスが、はっと目を見開き──それから、心の底から嬉しそうに笑いました。
「……! ……うん。ずっと、待ってるね」
生と死の狭間に咲いた花畑は、命を奪う場所から、命を悼み慈しむ場所へと変わりました。
二度、理不尽に殺された元看護師の悪役令嬢は、三度目の生を、今度こそ自分の意志で歩き出す。
──ところで。あの寂しがりな渡し守の正体については、また別の機会にお話ししましょう。
それは、この花畑に縛られた『最初の犠牲者』の、もう一つの物語ですから。




